第十六話


「落ち着いた?」


「はい……何とか。すみません……面倒掛けて」


 買って来てもらったパックのお茶を飲み、俺はそう頭を下げた。


「気にしない気にしない。過呼吸、辛いモンね。あたしもなったことあるから分かるの」


 彼女はそう言って、手すりにもたれて座っていた俺の隣に座る。


「ソレであたしもさっきみたいにしてもらったの。そしたらすごい落ち着いたんだ」


「そう、でしたか……」


「キミ、名前は? さっきお友達にアキって呼ばれてたよね?」


「あ、二年の戸山秋色っていいます」


「秋色って……綺麗な名前だね。あたしは三年の久住優乃くすみゆの。ああ、でもさっき優乃先輩って言ってたから知ってるか。どこで知ったの? あ、もしかして初対面じゃないとか?」


《そーですよ。どこで知ったですか? あんたの記憶にこの人わいなかったですよ?》


 リライが割り込んでくる。


 ……俺が聞きたいくらいだ。なんで俺はこの人の名前を口走ったんだろう? 夢の中で会ったけど名前は出てこなかったのに……。


 久住なんて名前に聞き覚えはないし。こんな美人に会ったら絶対忘れないと思うんだけどな。


「あー、その、自分でも、よく分からないんですけど。多分いつかのテストの順位が廊下に貼られてた時に、見掛けたのかも。優しい名前だったから覚えてた……とか?」


 黙っているワケにもいかず、俺はソレらしい適当な理由を言う。実際そうかもしれんし。


「……三年の校舎にわざわざ来たの?」


 優乃先輩は不思議そうな顔をする。しまった。ウチの中学はどういうワケだか学年が上がるにつれ、上の階の教室になるのだ。わざわざ最上階の三年生の校舎に行った時に、たまたま名前を見掛けたってのはちと苦しいか?


「ソレに、あたしの名前、一見『ゆうの』って読まれがちなのに、『ゆの』って言ったね」


 ギク。なんて擬音が頭上で鳴った気がする。


「ソレにソレに、読み方が分かっても、廊下に書かれた名前があたしだって一致するかな?」


 ギクギク。だって俺にも理由が分からないんだモン。どういうワケだか知ってました、なんて言ったら引くでしょあなた。


「……ふふ」


 目を泳がせまくりながら精神性の汗を滝の様に流す俺を見て、優乃先輩が微笑を浮かべる。


「まぁ、理由なんてどうでもいっか。ただでさえ、失恋のショックで落ち込んでるモンね」


「……そうでした。俺……失恋したんでした……」


 ……ハッキリ言って忘れてた。そのことでリライに八つ当たりして、宗二とぶつかり合って、涙まで流してたというのに。


 どういうワケか、今は辛くないと言ったら嘘になるが、もう何年も昔のことの様に感じる。いやある意味昔なんだけど。


「……あ、思い出させてごめんね。もう具合大丈夫? あたし邪魔かな? 一人になりたいんだったら出て行くけど」


「いや、大丈夫です、気を遣わなくて。何て言うか……アレだけ情けないとこ見られたら、もう今更って言うか……だから」


「……だから?」


「……も、もうちょっと、一緒にいてくれませんか?」


 て、俺は何を言ってるんだろうね。いつからこんなことをさらっと言える様になったんだこの童貞野郎は。ソレも素で。


 失恋は人を成長させると言うが、さっそく劇的な変化でも訪れたとでもいうのだろうか? 昨日までの俺と今の俺を並べてビフォアアフターさせてみたら、外面にも並々ならぬ変化が出てたりしたら嬉しいのだけれど。


「……あ! いや、今のは……」


 慌てて取り消そうとする俺。アレ? 内面的にもレベルアップなんてしてないではないか。メッキがボロボロ剥がれていくぞ?


「……ふふ、そう? じゃあもう少しおしゃべりしていこっか?」


 驚くべきことに、彼女はそう言ってニッコリ笑ってくれたのだった。


「……ぜ、ぜひ」


 予想外の返答に、俺の口からはこんな短い言葉くらいしか出て来てくれなかった。


 でもよかった。何となくだけど、この機会を逃したらもうゆっくり話す機会は訪れない気がしてたから。……て、ゆっくり話したいとか思ってんのか俺は。


 こんな綺麗なお姉さんとは話したいと思って当然だとは思うが……でもいくら何でも失恋した直後だぜ。節操がなさ過ぎるってモンじゃないか? いや、別に恋愛対象として意識してるワケではないが!


「じゃあ、あそこ行かない? あたしの一番気に入ってる場所」


 俺が一人、頭を抱えて悶えていると、彼女はそう言って先程と同じ様に、梯子の先のこの学校で一番空に近い場所を指差した。


 彼女は制服姿。とくれば当然スカートだったワケで、俺は先に梯子を登った。うん、ナチュラルに女性の不安を取り除く俺。正直、高いとこはちょっと苦手なんだけど……ね。


「うわ……すごい」


「広いでしょ。建物も電線も、景色の邪魔するモノが何もないの」


 いつの間にか俺の隣に佇んでいた彼女が言う。彼女の言う通り、景色の美しさを妨げるモノのない(田舎だからね)、ひたすら続く平地と、とてつもなく澄んだ青い空と白い雲が俺の眼前に広がっていた。


 この場所を教えてくれた彼女の、風になびく髪を抑える仕草は、何だか中学三年生とは思えない程に大人っぽく見えて、思わずドキっとしてしまった。


 ……俺、さっきこの人に抱き締められたんだよな。温かくて、柔らかくて、いい匂いだったよな……。ソレに、すごい優しい声だった……。て! 何なんだ俺は! いい女を見ればすぐコレか! あったかいとかやわっこいとかおっぱいデカいとか! 俺は昨日までアスカちゃんが好きだったんじゃないのかぁあ!?


 失恋の傷を癒すのは新しい恋とは言いますが……でも、さすがに引くでしょうこんなん聞いたら! 宗二だって、表面上は笑って『よかったじゃん』とか言うかもしんないけど、絶対内心『何だアスカは本気じゃなかったのか』とか思うよ!


「……ど、どうしたの? 座らないの?」


 再び頭を抱えて悶える俺に、彼女が若干引きながら話し掛けてくる。


「あ、はい……失礼します」


 そう言って既に座ってる彼女の方を見ると、傍らにクラシックギターが置いてあった。


「……ギター、弾くんですか?」


「あ、うん。そんなに上手じゃないんだけどね。どういうワケか、今度の文化祭でみんなの前で弾くことになっちゃって……」


 彼女はギターを抱きながら、少し恥ずかしそうに言った。あぁくっそ、可愛いなぁ、ちくしょう。


「そうなんですか」


「うん。フォークギター部も三年はもう引退だから、頑張ろうと思ってるんだけど、下手だから、ここで練習してたの」


「ウチ、フォークギター部なんてあったんですか?」


「部員三人しかいないけどね。あたし以外二年生だし。無理言って吹奏楽部の先生に顧問やってもらっちゃってるんだ。で、その先生が折角だから文化祭で弾いてみろって」


「へー。ちょっと弾いてみて下さいよ」


「え!? 恥ずかしいよ。ホント下手だし!」


「俺だって歌ってるの聴かれちゃったんだから、おあいこですよ」


「だってキミはすっごい上手かったからいいじゃない。あたし、ホント下手だよ?」


「みんなの前でステージに上がるんでしょ? まずは俺で緊張慣れしときましょうよ。じゃないと、本番でさっきの俺みたいに過呼吸起こしますよ?」


「み、みんなの前で弾くって言っても、引退前だからって先生の温情で出させてもらえるだけで、ホントに下手なんだよ?」


「いいから、さっさと弾く」


「うえぇ……いじわる……」


 そう言って泣き笑いの様な表情になる優乃先輩。しかし俺は決して逃がしませんよ、という笑顔をニコニコ浮かべて、彼女を見つめ続けた。


「じゃあ……弾くけど、ホント下手だからね! 笑わないでね!」


 そう言って彼女はギターを構え、音を紡ぎ出した。誰でも知っている様な、みんなの歌の本にすら載ってそうな有名な曲。


《……お、おー! 何ですかコレ!? すげーですよコレ!》


 ……何だ。上手いじゃないか。リライも興奮してるくらいだ。こいつの場合は楽器の演奏を聴くのが初めてだからなのもあるだろうが。


「……すぅ」


 大きく息を吸って、俺は彼女のギターに合わせて歌いだした。初め優乃先輩は驚いた顔をしたが、すぐに嬉しそうな微笑を浮かべ、演奏に意識を戻した。


「……ふう」


《すげーですよ二人共! アキーロにも特技があったですね!》


 演奏が終わると、興奮冷めやらぬ様子のリライの声が聞こえた……どういう意味だコラ。


「……やっぱり、上手だね、歌」


 テレくさそうに優乃先輩がこちらに視線を向ける。その表情がまた可愛らしくて心臓がギュっと締め付けられる。


「先輩も、上手いじゃないですか。あんだけ下手下手言うから、酷いモンなのかと思ってたのに。釣られて歌っちゃいましたよ」


 俺もちょっとテレくさいながらも笑顔で返した。


「……あのね」


「はい?」


「……笑わない?」


 彼女が膝に置いたギターの上で組んだ指先を落ち着きなく動かす。


「……モノによります。いきなり『実はあたし、男なんだぜ』とか言われたら無理です」


「あははっ! そんな、そんなこと言うワケないでしょ! 面白いね。キミ」


「はは……で、何です?」


 俺の返しがツボにハマったのか、彼女はしばらく笑ってから――


「実は……あたし、作曲家になりたいんだ……下手だけど」


 ――まだ少し恥ずかしそうにそう言った。


「……へえ、カッコいいじゃないですか」


「そう、かな? 元々ピアノやってたから、ギターも覚えたくて。誰にも言わないでね。キミと顧問の先生しか知らないんだから。親にも言ってないんだよ?」


「普通にいい夢じゃないですか。歌手とか声優になるとか言ってるよりは、よっぽど現実的な話だと思いますよ?」


「そうかな? キミだってあんなに歌上手いんだから、歌手になれるんじゃない?」


「いやいやいや。そんなレベルじゃありませんよ。ソレに、自分以外の誰かの為に歌ったりするのとかって、イヤなんですよ俺」


 ……ソレに、実際なれなかったワケだしね。


「そうなの? もったいないなぁ……上手なのに」


「じゃあ、先輩が作曲家になったら、『この曲を絶対に歌わせたいヤツがいる』ってデビューさせて下さい。期待してます」


「え~? 逆じゃダメ? キミが歌手になって『この人の作る曲じゃなきゃやだ』とか言ってくれるの」


 なんて他愛ないことを俺達は笑いながら話した。


「……何か、元気出ました。先輩のおかげですっきりと友達のとこに戻れそうです」


「……そう? よかった」


 そう言ってはにかむ優乃先輩。さっきより気を許してくれてるのが分かる。


「はい。ありがとうございます……あと、最初のカッコ悪いのはナイショにして下さいよ」


 そろそろ戻ろうと思って俺は立ち上がった。いつまでもいると離れがたくなる。


「カッコ悪いのって?」


「いや、だから……」


「ああ、泣いてるの見られて、過呼吸起こして、あたしにしがみついて甘えちゃったこと?」


 彼女がにんまりと意地悪く笑ってそう言ってくる。


「だ、だから! そうやって他所で口に出さないで下さいって言ってるんです!」


 俺は周囲に誰もいないか、確認しながら言う。


 ……もう行こう。困ったことに、居心地がよすぎる。コレ以上ここにいたいという気持ちがデカくなって、ソレが彼女にとって迷惑だったら辛い。


 このままここで彼女と話してたら……俺は……


「あ、待って」


「……はい?」


 声を掛けられ、ほとんど梯子を降りかけていた俺は頭だけ彼女に見える位置まで戻った。


「もしよかったら、また来てくれない? あたし大体ここで練習してるから」


「……いいんですか?」


 予想外の言葉に、俺は必死で抑えつけてた感情が動き出すのを感じた。


「あたしがお願いしてるんだよ? またおしゃべりしたいし、歌も聴かせて欲しいって」


「……は、はい!」


「ふふ……よかった。よろしくね。秋色くん」






 教室に戻って来た俺は、ソッコーで宗二と賢の姿を見つけ――


「ちょっと来てくれ」


 ――そう言い、返事も聞かずに男子トイレへと二人を引っ張っていった。


『何だよ!?』


 片や質問、片や抗議の声を上げる二人に向き直り、俺は口を開いた。


「あのさ……言っておきたいことがあんだけど……引かない?」


「……モノによる。『明日から女になるわ、あたし』とか言われたらさすがに引く」


 何言ってんだこいつ? 超つまんねーな。


 アホな賢の言葉を無視して、俺は胸の中で暴れ回ってる言葉を吐き出した。


「好きな人、出来ちゃったんだけど……」


「…………」


「…………」


《…………》


 ふくろうみたいに目を剥く二人、あと多分リライも。


『《ええぇぇぇえええっっっ!?》』


 男子トイレに二人の、そして俺の頭にのみ三人目の叫びが響いたのだった。


《人間ってそーゆーモンなんですか? 確かに色んな異性と交わったほーが遺伝子を後世に残すにおいてわヒヂョーに効率的ですが――》


「恋ってさ、その人の傍にいて話してるだけで、果てしなく穏やかな気持ちになったり、その人が笑ってくれるだけで、制御不能な激情が渦を巻き、津波のごとく押し寄せてきたりするモンかな? ソレが恋ってモンか!?」


 リライの言葉をガン無視して俺は一気に捲くし立てた。二人は俺の勢いに気圧され気味になりながらも、


『う、うん』


 はっきりそう頷いた。やっぱりそうか。


「そうか。そうか! コレが恋ってヤツなのか! こんなの初めてだ! いやコレに似た感情を覚えたことはあるが、ここまでのは初めてだ! うう、胸が高鳴る! 完璧にイカレちまった! コレが恋ってヤツなのかぁぁっ!!」


 俺は両手で自分の身体を抱きながら身悶えして叫んだ。


「お前……アスカが好きだったんじゃねーの?」


「いや正直スマン。勘違いだったかもしんない。今や忘却の彼方だ。ファーラウェイだ」


『何じゃソリャっ!』


 宗二と賢が両側から俺の頭を叩く。効かん! 痛くない!


「いや、可愛いとは思ってたし、胸も高鳴ってたけどコレの比じゃねー! こんなに人を好きになっちまったのは初めてだ!」


《マヂですか……わざわざ苦労して特別に過去に戻してやったのに……》


「お騒がせしてスマンみんな! 宗二、賢! お前らトモミやジュンコ先生のこと考えるだけでこんな気分になってるのか。ごめん俺何にも分かってなかったよ! 年長者なのに!」


「数ヶ月しか違わねーだろ……じゃあ何? アスカのことはもう吹っ切れたの?」


 宗二がジト目になりながら聞いてくる。


「ぶっちぎり! バックミラーの彼方です!」


『……心配して損した』


《……損したですよ》


 三人が溜息を吐く。


「すまないみんな。でも俺、彼女と幸せになるよ! あぁ……何て穏やかな気持ちなんだ。俺は今まで何に拘っていたんだ。顔がいいとか! 喧嘩が強いとか! 高学歴、高身長、高収入とか! アレが上手いとか! ち●こがデカいとか! そんなん全部ナンセンス! 愛だよ! 人間は愛があれば生きていけるんだよ!」


『……うぜーな』


《……うぜーですよ》


 り、リライまで……いつの間にそんな言葉覚えたんだ。兄ちゃんショック……な~んて、全然腹が立たないぞ。はっはっは。


 何だか新しい生きがいを見つけた気がするぞ。


 決めた! 俺は新たな愛に生きるぜ。そして彼女に相応しい男になってみせる! そして……そして! 見事童貞を脱出してみせる! 名付けて! 『僕の童貞をキミに捧ぐ』大作戦だ! コレが今からの作戦目的だ!

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