第十五話
今、俺達は屋上に来ている。
ここは本来立ち入り禁止で、屋上へと続く扉も施錠されているのだが、この南京錠はパッと見は何ともないが、実は壊れていて、鍵を差し込まずとも開錠出来てしまうのだ。
コレを知っているのは俺達を含む一部の生徒だけなので、未だ進入不可能だと考えている教師連中の目を盗んで、邪魔の入らない話がしたい時、もってこいの場所であると言えよう。
「秋……」
俺より先に屋上に入った宗二が、背中を向けたまま話し掛けてくる。
「……ん?」
喧嘩してるワケでもないのにどうやって仲直りしたモノか。などと考えてた俺は、生返事をした。
「俺さ……」
「……うん」
「さっき……アスカに告白された」
驚きはしたが、夢想だにしなかった、という程ではなかった。
「……で?」
「……『で?』って?」
「OKすんの?」
俺がそう言うと、宗二が振り返って俺の目を見た。
「そんなワケないじゃん。俺はトモミが好きなんだから」
「……そっか」
予想はしていたが、俺はこの答えを聞いて、初めて自分の鼓動が静まっていくのに気づいた。
何ビビッてんだ俺。どうせもう、俺に望みなんかないのに。
「アスカも俺がトモミのこと好きなの知ってるけど、ソレでも伝えたかったって言ってた」
「……そっか」
「俺、アスカが俺のこと好きなの、うすうす気づいてた」
「……え?」
この言葉はさすがに予想外だった。宗二は鈍感で、鈍感であるが故に宗二であるとさえ思っていたくらいだったからだ。
「なんで……黙ってた?」
「俺……秋は何だかんだ言って告白しないと思ってたから」
この言葉にはさすがに俺もカチンときた。
「……ソレ、どういう意味だよ?」
「だって……秋ってみんながみんな好きって言う人とか物とか、自らその他大勢に加わることを嫌うじゃん。だから、告白しないと思ってたんだ」
……確かに。ソレで結局前回は何もしなかったんだし。
「気づいてたんなら何で言わなかったんだよ?」
痛いところを突かれた俺は、答えずに同じ質問を繰り返し、宗二に詰め寄った。
「……言えるかよ。『アスカは俺のこと好きだからよせ』なんて。ソレに確信はなかった」
「じゃあお前『アスカは俺のこと好きなのに』って思いながら俺に『頑張れ』とか『イケるよ』とか言ってたんじゃねーか!」
「俺だって悩んだよ! ソレに、アスカが俺のこと好きだって知ったから、秋がアスカを好きなのをやめるのって、何かおかしくねぇ? 勝算とかそういうの関係なしに、好きって知って欲しいからするのが告白ってモンじゃん!」
「嘘だろ! 俺が一喜一憂するの見て優越感に浸ってたんだろ!」
内心やめろと思いながらも、すでにブレーキがぶっ壊れてしまったらしく、俺は宗二の肩を掴んで声を張った。
誰かにこんなに自分の感情をぶつけたのは初めてかもしれない。
「優越感なんて感じてねーよ!」
「じゃあなんで黙ってた! 結局俺がフラれるの分かってて黙ってたんじゃねぇか!」
「最近の秋、すげぇ積極的になったし、カッコよくなったから……コレならイケるんじゃないかって思ったんだよ!」
「……!」
「……黙ってたのは謝る。殴ってもいい。だから早く元気になって、早くいつもの感じに戻りてぇんだよ」
「……は?」
「俺は秋のこと親友だと思ってる。高校に行っても、大人になっても親友でいたいと思ってる! だから……ぶっちゃけて言わせてもらえば! こんなくだらねーことで気まずくなりたくねぇんだよ!」
「くだらねーだぁ!?」
「くだらねーよ! いつまでもウジウジしてんじゃねーよおめーは!」
「何だとコラぁっ!!」
「おっしゃ来い! 俺に言わせりゃトモミ以外の女なんて眼中にねーんだから、いくらモテても意味ねーんだよ! トモミ一人にモテれば充分なんだよ! ソレなのにこっちはもう七回もフラれてんだぞ! 秋だってホントはもう無理だって思ってんだろ!?」
「思ってねーよ!」
「嘘つけ! 内心笑ってんだろ!」
「ホントに思ってねーよ! 十六回目でうまくいくって思ってるよ!」
「何だそのハンパな回数は! 俺あと八回もフラれなきゃなんねーのかよ!」
「回数なんて関係ねーだろ! 勝算とか抜きで、好きって知ってもらいたいからするのが告白だってお前が言ったんじゃねーか! お前がずっと好きでいりゃいい話だろ!」
「……秋」
ようやく掴み合ってた手を離し、お互いに荒い息を吐く俺達。少し落ち着いてきた。
宗二とは小学校からの付き合いだ。今まで喧嘩したことくらい何度もある。でも、こんな、取っ組み合いをして、お互いの思ってることを全部ぶつけ合ったのは初めてだった。
「でも、お前が途中で諦めたら、そこで終わっちまうってだけの話だ」
「……諦めたら、試合終了ってヤツか」
「……おう。ソレだ」
「……て、いつの間に俺が慰められてるんだ?」
「……さあ?」
俺達は酸素が足りなくなった頭を互いに傾けた。
「……とにかく、俺の思ってることは言ったぞ。だから、早くいつもの秋に戻ってくれ」
「分かったよ……。約束するから、ちょっと一人にしてくれないか? 今ここでウジウジしてる自分をぶっ殺すから。明日にはいつも通りになるから」
俺がそう言うと――
「分かった……じゃあ、俺は先戻るわ」
――宗二はそう言って出口に向かって歩き出した。
「ちなみに……自分をぶっ殺すって、こっから飛び降りたりしないよね?」
宗二が振り返って聞いてくる。
「しないよ。後から行くから早く行け」
俺がそう言うと、にかっと笑って今度こそ宗二は出て行った。
扉が閉まったのを確認して、俺は屋上の床に仰向けに寝転がった。
「はぁ……あんにゃろ……わざと殴られようとしやがって……結局あっちのが大人かよ」
《暑苦しくもチョッキューなヤツですよ。あんなのばっかだったら自分の仕事も楽になるですよ》
「どうせ俺はウジウジしてますよ……」
《まー、ソーヂの気遣いに気づけるってことわ、アキーロも成長してるってことですよ》
「二十五年分でようやく中坊の宗二レベルかよ……」
ソレどころか、リライにすら宗二と同じことを言われてしまった。もう自分が情けなくて仕方ない。
寝転んだまま空を見上げると、コレでもかってくらいキレイな青空が広がっていた。
「……リライ」
《……はいですよ》
「俺のこと親友だと思ってるってよ……大人になっても親友でいたいと思ってるってよ」
《はいですよ》
自分が情けなくて仕方ない。でも、ソレと同じくらいに嬉しくて仕方なかった。
「リライ」
《はいですよ》
瞳の表面張力に限界を感じた俺は覚悟を決めた。仰向けになっていなかったらとっくに決壊していたことだろう。
「今から俺の中の汚いウジウジをここで吐き出す。滅入った気分が伝わるかもしれないけど、頭おかしくなったワケじゃないから、無視して流せよ」
《はいですよ》
「僕は……キミの涙を奪えたのかな……」
おもむろに俺は歌いだした。作ろう作ろうと思ったまま歌詞が未完成のままだった曲。別に失恋ソングというワケじゃないのだが、何故だか不意に頭に浮かんだ。
「そこに……残る何かを……刻めたのかな……」
……勝算もないのに告白するなんて、非効率なだけじゃん。あいつは自分に自信があるからそんなことが言えるんだよ。
「何もかもが……曖昧な世界で……ラララ~ララララ……」
大体アスカちゃんも、なんで俺が告白した直後に、他の子を好きだって知ってる宗二に告白するかな。
もう少し早ければ、俺が無駄な告白して無駄なダメージ受けないで済んだじゃん。
ソレとも、俺の告白で勇気もらったってヤツか? どっちにしろ俺ピエロじゃん。
「キミの声が……ララ……ラララ……」
そもそも俺はホントに彼女を好きだったんだろうか? 自分のことを好きだったって聞いた昔の彼女に会えて、イケるって思っただけなんじゃないだろうか?
「そーこにー……ララララララー……」
ソレで一度イケるって思った期待を裏切られて、ぬか喜びだったって一喜一憂してるだけなんじゃないだろうか?
……コレも終わっちまってからじゃ、ダメージを軽くしたい俺の言い訳にしか聞こえないか。
あぁ、カッコわりい。本当にカッコわりいな俺。
いつだってそうだ。自分の体裁ばっか気にして、非効率だなんて言って、足掻こうとしないでカッコつけてる俺が、最高にカッコわりい。結局自信がないだけじゃないか。
みっともなく足掻けるあいつらが最高にカッコよくて羨ましい。
「ラーララー……ラーラララララー……」
歌を打ち切り、俺は立ち上がって、屋上の隅の手すりに両手で捕まると、遠くの空に見つけた、とても大きくて白い雲をじっと見つめた。
「……はあ、歌詞、全然出来ねぇ……」
……つもりだったが、視界は意味不明の涙で滲んで、ぐしゃぐしゃだった。
その時だった。
パチパチパチ……
「え?」
突然の拍手に振り返ると、そこには一人の女生徒が立っていた。
「歌、すごい上手だね……オリジナル? ちゃんとした歌詞で聴きたかったな」
「……え?」
長い黒髪が風になびいている。未だ涙で滲んだ視界ではよく分からなかったが。
「……アレ? 泣いてるの?」
彼女は少し驚いた声でそう言って、俺に歩み寄って来た。柔らかそうな髪が揺れる。
……やば、泣いてんの見られた。
「……ごめんなさい。黙って出て行こうと思ったんだけど……すっごい上手だったから、聞き惚れて、思わず拍手しちゃった」
……歌も聴かれた。ハズい……て、ソレより、いつからいた? この人。ドアの開く音はしなかったぞ。いつもうるさいくらい音を立てるのに。
「あと……ごめんなさいついでに言っちゃうと……話、聞いちゃった」
……話まで聞かれてた!
「あ、盗み聞きするつもりはなかったんだよ? あたしがあそこにいたら、キミ達が入って来て……扉に付いてた南京錠、外れてたでしょ?」
そう言って彼女はしなやかで白い指で、入り口横の梯子の着いた部分を指す。この学校で一番高い場所。ここには前を歩いていた宗二が先に入ったから、鍵なんか見てなかった。
「でもいい話だったね。男の友情っていうのかな? 感動しちゃった」
そう言って、その人は柔らかくとても優しい笑みを浮かべた。
……何だろう。コレまでに見たことのないくらい優しい笑顔と、綺麗な声なのに、この人を見ていると落ち着かない気分になる……息が苦しい。心臓が暴れる。何だよコレ!?
「ちょっと……どうしたの?」
「……ぅ……はっ!」
とうとう俺は立っていられなくなり、コンクリートの床に膝をついた。
何だコレ? なんだこれ……!?
「ちょっと! 大丈夫!?」
そう言って彼女が心配そうな顔で駆け寄って来るのが、何とか歪む視界に映った。
「……は……ぁ……」
うまく息が出来ない。吐こうにも、見えない何かに押さえつけられているかの様に、息が出ていかない。
「しっかりして! 保健室行く? 先生呼んでこよっか!?」
《アキーロ! どーしたってゆーですか!? 落ち着くですよ!》
何万光年も向こうから、リライの声が聞こえた様な気がした。
どうしたって言うんだ? 過呼吸ってヤツか? 極度に緊張したりするとなるっていう……。
……同じだ。あの夢の感覚と! だとしても、どうして?
「ねえ、大丈夫なの!?」
《アキーロ! マズいですよ! コレ以上意識が乱れると、接続が強制解除されるですよ!! どんなエラーが出るか……》
耳が音を拾っても、意味は理解出来なかった。指先が震える。視界が歪む。目尻と目頭の両方から大量の涙を流していることが分かった。
「……!」
身体が何かにぶつかって、正面と背中側の両方が柔らかくて温かいモノに包まれた。
「大丈夫……大丈夫だから……落ち着いて……ゆっくり息を吐いて」
その声がすぐ耳元で聞こえたことから、俺は彼女に抱き締められていることに気づいた。
「ゆっくりと息を吐いて……吐ききったら、ゆっくり少し吸って……」
……何て優しい声なんだろう。俺は言われた通りに、息を吐き始めた。
「……はっ……」
「……そう。いい子だから……あたしを信じて?」
「……ふ、う……」
「……うん、上手。慌てないでいいから、ゆっくりね……」
ゆっくりと息を吐き、少し吸う。
「すー……はー……すー……はー……」
「す……はぁ……すー……はー」
《すー、はー、すー、はー》
気が付いたらリライも一緒に呼吸を合わせてくれてる。何だかおかしな状況に思わず俺は笑いそうになってしまった。
しばらくすると、呼吸が落ち着き、視界と、平衡感覚が戻ってきた。
「もう、大丈夫?」
耳元で、優しい声が今度はさっき以上にはっきりと聞こえた。
「……ん」
そう返事したモノの、何だか名残惜しくて、俺はまだ力の入らない腕を彼女の背中に回した。
「……ふふ、いいよ。もうちょっとこのままでいよっか」
信じられないくらい優しい声で、彼女は信じられないくらいに優しく、俺の背中をポンポンと叩いてくれた。
「……ゆの……先輩……」
先程のパニックが嘘の様な安らぎの中で、俺はまだ聞いていない、知らないはずの彼女の名前を口にしていた。
この人だ。この人だったんだ。
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