第十四話

 最優先課題を見事に取りこぼした翌日の休み時間。俺はいつもの男子トイレに一人でやって来ていた。


 教室にいるのは辛い。理由は……分かるだろ?


 情けない。こんな感情に囚われてる自分が自分でうざい。けどいくら頭を振っても消え去ってくれない。あの後どうやって家に帰って、今日どうやって学校に来たかもよく覚えていない。


 ……もう望みは絶たれたんだし、この時代に居ても仕方ないんじゃないか?


 けど、ソレをリライに言うのもはばかれる。昨日の俺がしたことは完璧な八つ当たりだ。


 こんなにぐしゃぐしゃな頭でも、ソレに気づけるくらいは何とか働く様になった。悲しいことに。いっそ感情をなくしてしまいたいくらいだ。


 何をするでもなく、自然と目がいった鏡からは、コレでもかというくらいに、不景気な顔をした冴えない男が見つめ返してきている。


「……っ」


 俺が衝動的に鏡に向かって拳を振りかぶった時、トイレのドアが開いて賢が入って来た。


「……何してんだ」


「……別に」


 何となく居心地が悪くなった俺は、ぶっきらぼうにソレだけの返事をした。


「お前こそ何しに来たんだよ?」


「ここは便所だぞ。決まってんだろ」


 そう言って賢は小用の便器へと歩いて行った。


「……お前さ、宗二と喧嘩でもしてんの?」


「……別に。なんで?」


「や、今日朝から一言も話してないだろ。宗二も何となくお前の『話し掛けんなオーラ』に遠慮してるみたいだし」


 ……目ざといヤツだ。今まで散々空気を読まない行動をしてきたくせに。いや、ソレだけ俺がそんな雰囲気を醸し出してんのが明白ってことか。


 ……あぁ、くそ。『かまってちゃん』みたいで一層自分に腹が立ってきたぞ。


「……宗二は?」


 俺は鏡越しに見える賢の背中に質問した。


「……さあ? 気づいたら消えてた。こっちにいると思って来たんだけどな」


 賢はこちらの顔も見ずにそう言って、俺の横を通り過ぎて手を洗い出した。


「もうちょっとしたら戻って来いよ。文化祭用のポスター作り、遅れてるんだから」


「ソレはお前がバケツ倒したからだろうが」


 俺は呆れた様な視線を、出口へと歩いていくその背中に送ってやった。


「アレをやったイシケンなる男はお前の手によって死んだ。今の俺はただの賢、だろ?」


 なんて調子のいいことを言って、鼻歌なんざ歌いながら出て行く賢。何か前よりノビノビとしてるような……?


「何なんだあいつは……」


 ちくしょう。不覚にもウダウダと頭を使わなくて済む会話をしたせいで、一人になった途端、また気分が滅入ってきたじゃねーか。やってくれるな賢のヤツ。あの策士め。


「……ごほん」


 俺は咳払いを一つした。我ながらわざとらしい。


「あー……」


 ええい、覚悟を決めろ。ままよ!


「……リライ」


《…………》


「今日は……全然喋らないんだな」


《…………》


「今は、誰もいないから、いくらでも返事出来るぞ」


《…………》


「いつ誰が入ってくるか分からないぞー……今なら喋り放題だぞー……」


《…………》


「…………」


 ここまで沈黙が続くと、ホントはリライなんていなくて、今まで俺は幻聴を聞いていただけで、ソレに独り言を繰り返してきた危ない野郎なんじゃないか……なんて錯覚する。


 アホか俺は。だったら何でこの姿でこの場所にいるんだ。


 ソレに、リライがいないはずがない。同調とかいうヤツをしたおかげだろうか? ハッキリした理由は分からないが、意識を集中すると彼女の存在をごく近くに感じる。


「……お腹、減ってないか? たまごかけご飯、食べたくないか?」


《…………》


 ……ダメか。


《……さんが》


「え?」


《……誰かさんが、黙ってろって言ったですよ。話し掛けんぢゃねーですよ……》


「う」


 ようやく彼女は声を発してくれた。ソレも、かなりぶっきらぼうに。しかも俺が彼女に言った内容をほぼそのまま。意趣返しのつもりだろうか。


《ウヂウヂしてる誰かさんと同調してるから、自分も気が滅入るですよ。いー迷惑ですよ》


 そういうモンなのか。じゃあ段々と性格も俺に似てきたりするのかな?


「その……ごめん。許して欲しい」


 頭に浮かんだ考えはとりあえず保留して、俺は素直に謝ることにした。今回は全面的に俺が悪い。


《…………》


 リライは何も言ってこない。何となく眉間に皺を寄せ、口を尖がらせてる様な気がする。


《……たまごかけご飯》


「……はい?」


《だから、たまごかけご飯で手を打つですよ》


「……!」


《コレが呑めねーなら、もう知らねーですよ》


「分かった。たまごかけご飯にきざみ海苔と味噌汁も付けてやる」


《……ソレ、うめーですか?》


「うめーぞ」


《……すげーうめーですか?》


「やべーうめーぞ」


《……分かったですよ》


 仕方ない、といった声でリライが溜息を吐く。が、眉間に皺を寄せながらも、その実、口内には涎が溢れ返ってるであろうことがどういうワケだか分かった。


《ぢゃあ、自分に謝るついでに、ソーヂとも仲直りしてきやがれですよ》


「……へ? いや、別に喧嘩してるワケじゃないんだが」


《いーから、さっさといつもみてーに話すですよ。話してる時わ二人揃ってバカみてーに楽しそーなのに、離れてるとしょんぼりなんて非効率ですよ》


「……いや、でも」


《ウダウダ言ってねーで早く行きやがれですよ。ぢゃねーとさっきの話わナシですよ!》


「だから喧嘩してるワケじゃねーし、宗二にしてみりゃ意味すら分かんねーだろうし……」


《もしコレで喧嘩別れでもしたら、元の時代で親友ぢゃなくなってるかもしれねーですよ》


「……!」


 そうか。そんなこともあり得るのか。フラれた上に、親友を失う。このリトライの世界がどれだけ恐ろしいところなのか、俺は全然分かっていなかったんだ。つくづく間抜けだ。


「でも、コレで疎遠になったら、俺が死んでも宗二は気にしない……のか。だったら――」


《いー加減にしやがれですよ! そーゆーのカッコいーと思ってるですか!?》


 かつてない程の大音量が頭の中で炸裂する。思わず俺は耳の上から頭を押さえた。


「別にカッコつけてるワケじゃない! 大体、お前に連れてかれたら、みんな俺のこと忘れちまうんだろ!? ソレなら結局――」


《そーやってさっさと諦めて、理解があるみたいな振る舞いがカッコつけてるってゆーですよ! アレだけ死にたくないってごねたくせにもうお手上げですか!? みっともなく足掻くのがメンドくせーだけぢゃねーですか!》


「リライ……」


《生きてーのか死にてーのかハッキリしやがれですよ!》


「ソリャ死にたくはないけど……」


 今の俺は、『生きたい』って断言出来る程に希望に満ちた人生を送ってるワケでも……


《そーですか。ぢゃーずっと一人でウヂウヂしてやがれですよ。自分わまたハマグリのよーに口を閉ざすのみ、ですよ》


「だー! 分かったよ!」


 何がハマグリだ。変な言葉覚えやがって。やっぱりアレか? 俺と同調してるから少しずつ色んなことを学習してるんだろうか?


 でも、分かってるのかリライ? 俺にさっさと次の人生を始めさせようとしてたのは他ならぬお前なんだぞ。いいのか?


《ダッシュですよ!》


「はいっ!」


 リライに急かされ、俺は男子トイレのドアを開けた。すると――


『あ……』


 ――そこに、宗二が立っていた。

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