第6話


 迷宮への道は数百メートルの直線で繋がっている。駐屯地の出入り口は南と北の両方にあり、北側が街に面していることに対して、南側は迷宮の目と鼻の先にあった。東西に長く伸びる駐屯地なので、宿舎からの距離は、救助隊にしてみればあっという間である。


 駐屯地を縦走するパイパーは、やはり人並外れた速度だった。普段の訓練でも彼女は当然手を抜いていないだろうが、後ろを懸命に走るアクセルは、いつも以上に彼女を速く感じていた。


 だが、アクセル自身も、これまでの自分より速くなっている自覚があった。理由は明白だ。はじめて彼女に期待をかけられたのだ、応えるわけにはいかなかった。それに何よりも、迷宮内では救助者が待っている――この状況が、アクセルの実力を底上げしていた。


 とはいえ、アクセルが一朝一夕でパイパーに敵うわけもなく、彼女は先行して迷宮の入り口に到着した。


 大判の板金が設えてあるところには、疲労のためか座り込む男と凛々しく立つ少女がいた。男は胸当てなど最低限の防具しか身に着けておらず、武器を所持していない。少女は線のように細いレイピアを携帯しており、身体のラインに沿った流線形の銀の鎧を纏っている。


 パイパーの来訪に気付いた少女は、すがるように彼女の服の袖を掴んだ。


「救助隊の方々ですよね!」

 そうだ、とパイパーは答えた。

「お願いします、助けてください!」


 少女は明らかに動転していた。無理もないだろう、とアクセルは少女の気持ちを推し量った。迷宮内に残っている仲間が、窮地に陥っているのだ。

 パイパーは少女の手を握り、たしなめると、そのまま事情聴取をはじめた。


 余計な介入はしないほうが得策だと考えて、アクセルはもうひとりの、座り込んで肩で息をする男へ歩み寄った。


「大丈夫ですか」

 男は首を縦に振る。息切れがひどく、声を出すのも辛そうだ。顔色も優れない。

「どこか怪我はしていませんか」

 男はさらに頷いた。


 一連の様子でアクセルは、些細なことだが、引っ掛かりを覚えた。隣にいる少女に比べて、この男は仲間を心配する気配がない。疲労困憊であり、自分のことで精一杯かもしれないが、随分と温度差があるように感じられた。それとも、単に仲間意識が希薄なのだろうか。


 いや、とアクセルは考え直す。彼はそもそも仲間ではなく、荷物番という、雇われた一員の可能性がある。迷宮内で荷物の管理のみをおこなう、非戦闘員のことだ。およそ迷宮にふさわしくない装備は、荷物番の特徴に当てはまっている。……彼は荷物のひとつも持っていないが。


 ともかくこの男に怪我がないことは幸いだった。アクセルは袋にある水筒を渡してやり、それを飲むように伝えた。


「アクセル」

 不意にパイパーが言った。少女との話は終わったらしい。

「走りながら事情は説明する。まずは三階を目指すぞ」

「了解です」


 アクセルは振り返った。

 目の前には、白亜の石柱を並べて造られた長方形の壮大な神殿。これが第三番迷宮だった。


 地下には計り知れないほどの空間が広がっており、未だにその全貌は明らかとされていない。なぜ存在するのか、なぜモンスターが徘徊するのかさえ確固たる説がなく、すべてが未知数――それが迷宮と呼ばれる所以。


 アーチ状に石レンガが積まれた迷宮の入り口に立ち向かう。いよいよ空が白みはじめ、夜が明けようとしていた。


「行くぞ」

 パイパーの合図で、ふたりは暗がりの迷宮に進入した。


 一層はまるで我々を迎い入れるかのように、がらんどうとした造りになっている。石柱に等間隔で松明が設置してあるため、視界は確保できていた。探索者によって開拓された層は、こうして松明が置かれるのだ。


 地下へと続く階段は、神殿内部の奥にある。ふたりは真っ直ぐ一層を駆け抜けて、石材で補強された階段を下りていった。


 迷宮がその名の通りに様相を変化させるのは、二層からだ。二層からはかろうじてすれ違えるほどの狭い通路と、各所に大小さまざまな部屋がある。その構造はさながらアリの巣だった。


 探索者として迷宮に潜ったことがあるアクセルはもちろん、救助隊として幾度となく来ているパイパーも、浅層くらいならば内容を把握しているので迷うことはない。注意すべきは迷宮内で迷子になることよりも、二層以降で現れるモンスターの存在だ。


 パイパーを先頭に、アクセルは曲がりくねった細道を進んでいく。複雑な地形のためもあって平地ほど彼女に引き離されることはないものの、足場の悪さが体力を奪っていくせいで、アクセルは早くも息を荒げていた。


 そのうちにアクセルは異変を感じた。ふたり分の足音と息遣いが反響する通路内。加えて、土を蹴る音がいくつも響く。

 かつての経験から、アクセルはその正体を瞬時に導き出した。  


「パイパーさん、カラミティドッグが追って来ています!」


 カラミティドッグ――二層で頻出するモンスターだ。小柄な犬だが、得物である牙には麻痺性の毒が仕込まれており、侮れない。


「煙玉の準備をしておけ!」


 パイパーに従って、アクセルは腰ベルトに備えた鶏卵大の煙玉を握った。使う場面は、おそらくパイパーが指示するのだろう。


 背後で唸り声が聞こえてきた。しだいに彼我の距離が詰まっていることを実感し、アクセルは焦燥感に駆り立てられる。


 救助隊はナイフ以外の武器を持たない。威力のある重たい剣や、軽くともかさ張る弓は、迅速な救助の妨げになる。ゆえに、戦闘になることは避けなければならないのだ。


 やがてふたりは、ドーム状のひらけた空間に行き着いた。新たなモンスターの姿はない。行く手には、分かれ道となる三つのほら穴。


「今だ!」


 とパイパーの声が飛ぶ。タイミングを予期していたアクセルは、彼女の言葉とほぼ同時に、煙玉を地面へ投げうった。わずかな火花が散り、殻が割れる。またたく間に黒くて濃い煙が、異臭をともなって立ち昇る。


 二階に通じる正しい道がどれであるか、パイパーとアクセルは互いに確認するまでもなかった。迷わず右側の通路を選んで、前進する。カラミティドッグの足音はすでに聞こえなくなっており、うまく奴らを撒けたようだった。


 やがてふたりは三層へと通じる階段に辿り着いた。探索者によるモンスター掃討作戦が実行されたあとだったおかげで、モンスターと遭遇する機会は通常と比べて格段に減っており、想定よりも早い進捗だ。


 そうして三層へ降り立ち、引き続きアクセルはパイパーのあとを付いて走る。パイパーが少女から聞いた話では、要救助者は二名の男性であるらしい。彼らは三層より出現するモンスター、ジャイアントラビット二体の強襲を受けて、負傷している。少女だけでは対処不可能ということで、救助要請をしたようだ。


 この情報に色付けがないとすれば、現場はかなり切迫しているだろう。アクセルたちが一秒も休んでいる暇はなかった。


 パイパーが迷宮内の地図を開いて、現場への距離を推し量る。

「着くぞ」

 パイパーのその呼びかけで、アクセルに緊張が走った。じきに大きな部屋の気配を感じ、通路を抜けた。

「救助隊だ!」

 とパイパー、そしてアクセルは叫び、視線を巡らせた。


 果たして、部屋の中央、そこに全長一メートルはある白い毛皮の巨体――ジャイアント・ラビットがいた。細長くて鋭い一本の角を有しており、先端が血に濡れている。傍らには赤く染まるもう一体のジャイアント・ラビットの亡骸。


 アクセルは素早く視線を巡らせて、要救助者を見つけた。ひとりは力なく横たわっており、ひとりは壁にもたれて座り込んでいる。


 行けなければ、とアクセルは衝動的に駆け寄ろうとして、

「待て」

 とパイパーが腕で行く手を阻む。

「まずは危険の排除だ。モンスターを始末する」


 救助隊の武器は、刃渡り二十五センチメートルのナイフのみ。戦闘には不向きだ。だがパイパーとバディになってまだ日が浅いとはいえ、彼女が冗談を言うような性格ではないことをアクセルは知っている。


「どうするつもりですか」

 アクセルは尋ねた。

「まずは気を引く」

 パイパーはいつの間にか拾っていた石を、ジャイアント・ラビットに目掛けて投げた。


 こちらに背を見せるモンスターは細かく耳を震わせて、横へ跳ねた。石が土の上を転がる。ラビット、という名を持つだけあって、危険を察する能力は高い。しかし、気を引くことには成功したようで、敵は身体をゆすりながらおもむろに振り向いた。


「油断するな」

 というパイパーのささやきに、アクセルは頷いた。ジャイアント・ラビットを正面にしたとき、一瞬の油断が命取りになることは常識だった。

「いいか、奴が突進してきたら二手に回避する。そして囲め」

「そのあとは?」

「互いに距離を詰めて――っ!」


 ジャイアント・ラビットが跳躍した。白い影を置き去りにするほどの急発進だった。軌道を読むゆとりもなく、パイパーとは反対へ、アクセルは身を投げた。


 咄嗟に受け身を取り、起き上がってモンスターを視界に収める。見失ってしまえば、この速度の攻撃を避けることはできなくなるからだ。


 ジャイアント・ラビットはすでに方向を転換し、パイパーに狙いをつけていた。


「パイパーさん!」

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