第5話


 最初の迷宮内におけるモンスターの異常行動について、アガサより報告を受けた日から一週間が経った。そのあいだに迷宮管理組合は浅層での安全確保を目的に、熟練の探索者たちを中心としてモンスター掃討を決行したらしい。リンカーンの話していたとおりになった。


 モンスター掃討は二日に渡って行われた。昨日と今日のことだった。日中に実施されたその作戦は、熟練者の働きが功を奏し、大きなトラブルなく終わったようだ。迷宮救助隊の出番が来ることはなかった。


 この結果にアクセルは胸を撫でおろしたと同時に、初陣を飾れず密かに落胆した。もちろん、無事に済んで喜ばしく思っている。


「しかし、原因はなおも不明のままだ。迷宮管理組合の発表では、今回の作戦に参加した探索者たちに数日の休暇を与えたあと、彼らが深層の調査をするそうだ。引き続き、お前らは警戒しておけ」

「はっ」

「夜の報告は以上だ。解散」


 アガサが去っていく。アクセルたちは背筋を伸ばして敬礼する。アガサが見えなくなって、一同はぞろぞろと会議室を出た。


 アクセルが入隊して、もうすぐひと月になる。すると夜のルーティンというものが出来てきて、アクセルはまずシャワーへ向かった。


 ヨナバルやモーガン、リックなどは、空腹に耐えきれず食堂へ直行する。しかし相変わらずアクセルは訓練直後だとどうしても食べ物が喉を通らないので、皆とは違った習慣になる。落ち着いてシャワーを浴びれるという利点はあるものの、うまく馴染めていない感じがあるのも否めない。ヨナバルたちに時間を合わせることも一考したが、それではパイパーとのずれが生じてしまうことに気が付いたので、結局いまの流れに落ち着いた。


 ――そう、パイパーの自主訓練を見かけた次の日から、アクセルも隣で自主訓練を始めたのだ。


 パイパーが何かを言うことはなかった。まるでアクセルをいないものとして扱っているかのように、彼女は自分が決めた日課をただこなしているだけだった。


 アクセルはその懸命さを見習った。無駄口を叩かず、自分の限界に挑み続けた。立派な迷宮救助隊になるためには、必要なことだった。


 シャワー、わずかな休息、そして運動に差し支えない程度の夕食を食べて、パイパーを追うように外へ出る。


 はじめにパイパーは筋力トレーニングをする。だからアクセルも同じようにする。二メートルほどの間隔をあけて、横並びになるのが定位置になりつつあった。当然アクセルの勝手ではあるが。


 パイパーは前支えというものを好んでいた。腕立て伏せの要領で、地面に対して垂直に腕を伸ばしたままじっとする体勢だ。おそらく食後の急激な運動は体調を悪くするという理由で、彼女はこれをやっている。簡単そうでいて、続けるうちに腕と腹筋が悲鳴を上げる。いつしか腕立て伏せをさせてくれという感情が芽生えるのだ。それをおよそ一時間。


 次に行うのは駐屯地の外周だ。駐屯地を囲む金網の所々に松明が置かれているので、夜になっても安全に走ることができる。


 だが、昼間のメニューとは違う。昼間は命を削って走るのに対して、夜は丸太を縄でくくって引きずり回すのだ。これも同じく一時間ほどやって、最後にカレーライスを食べて夜が終わる。


 特に挨拶もなくパイパーと別れる。アクセルは再びシャワーで汗を流し、寝る前にベッドの上で前支えをした。度重なる負荷に腕と腹筋が耐えられなくなったときが、アクセルの就寝時間になるのだ。

 やがてアクセルは倒れ込み、気絶するように眠りについた。





 けたたましい音が鳴った。脳を揺すぶるような、甲高い金属音だった。何事かと起き上がり、ベッドを転げ落ちたアクセルは、一瞬で音の正体を理解した。


 ――警鐘だ。


 そうとわかってからのアクセルの動きは早かった。扉へ駆け寄る。すでに扉の裏側では、何人かが慌ただしく廊下を走っている様子だった。アクセルは扉を引いて廊下に出た。向かい側に自室を持つヨナバルも、丁度扉を開けていた。


「ヨナバル!」

「アクセルさん、急いで!」

「わかってる!」


 ふたりは肩を並べて、更衣室に急行した。一階へ繋がる階段を跳ぶように下っていく。先行していたリックたちの背中に追いつき、ほぼ同時に更衣室へ到着した。


 アクセルは自分のロッカーを開放して、救助隊の衣装に素早く着替えた。白い制服は軍隊としての正装だ。今回着用するのは、薄茶色で厚手生地の服である。加えて大きな巾着袋を引っ張り出して、中身にロープや応急手当用の道具などが一式あるかを点検し、背負って更衣室を出る。ヨナバルと共に会議室に駆け込んだ。


 アクセルは空席に座って、あたりを見回した。席はすべて埋まっていた。救助隊の隊員計八人、全員が揃っていた。


 すぐにアガサもやってきた。普段であれば敬礼をするところだったが、緊急時には省かれる。アガサは早足で八人の正面に立ち、状況の説明を始めた。


「救助要請だ。要救助者は四人。目標は第三番迷宮四層の西ブロック」


 迷宮の浅層、深層という区別は、主にモンスターの凶暴性と数でなされている。区切りとなるのは五層。つまり今回は浅層での救助となる。

 アガサは話を続けた。


「〇四〇〇、救助要請者を含めた彼らは五人パーティで迷宮探索を開始。目当ては四層だったらしく、途中何度かモンスターとの交戦を挟みつつも、四層へ直行したとのこと」

「なぜ、こんな早くに?」


 リックが疑問を口にした。

 迷宮探索者が早朝に潜ることはよくある習慣だが、四時ではまだ夜も明けていない。


「実は現在、第三番迷宮には通行規制がかけられていたようだ。探索を生業とする者たちの反感が多く、次回の迷宮調査までという短期間だけな。だが、彼ら五人は、警備の目を掻い潜って迷宮に忍び込んだ」

「自業自得じゃねえかよ、ったく。それで助けてくれとは、ずいぶん虫が良い話じゃねえの」


 ドレッドヘアーがシンボルの浅黒い肌をした女性――エルメス・ナガンが声を上げた。

 その言い分にアクセルは憤慨し、席を立った。


「事情はどうであれ、人の命を救う。それがおれたちの仕事じゃないんですか!」


 エルメスは鼻で笑った。


「ひとりも救ったことのないガキが、なんか騒いでるよ」

「やめるんだふたりとも」リックが語気を強めて言った。「一秒を大切しろ」


 リックの言葉は正しかった。気付けばアガサやパイパーも、厳しい目をこちらに向けている。すみません、とアクセルは呟き、腰を下ろした。エルメスは変わらず飄々とした態度だった。腹が立って仕方がないので、視線を外して正面を見据える。


「よし、続けるぞ」とアガサ。「〇四五五、第三番迷宮入り口にて警鐘。〇四五八、この駐屯地にて警鐘。五人パーティの彼らが危機的状況に陥った時間は不明だが、四層から真っ直ぐ入り口まで戻ってきたことを考慮すれば、〇四四〇頃だと推測できる」

 アクセルは胸元に仕舞ってある懐中時計を一瞥した。今からおよそ三十分前だ。

「取り残された四人が交戦しているのはウォーウルフの群れだ」


 モンスターの名を聞いて、アクセルは息を呑んだ。

 ウォーウルフ。二メートルほどの体躯と鼠色の毛皮を持ち、獰猛で狡猾な二足歩行の狼だ。本来なら深層に棲まうモンスターのはずだった。

 そして、アクセルにとって因縁の敵でもある。


「群れる奴らの対処は一筋縄ではいかないだろう。要救助者が四人であることも、かなりの負担だ。生半可な気持ちでは救助できない」


 メンバーが決まる、と予感したアクセルは、強烈な熱意を目で訴えた。


「パイパーとアクセル――」

「はい!」


 アガサの発表に食い込み気味で答え、アクセルは起立した。

 だがアガサは、目を合わせようとはしなかった。


「――このふたりは待機させる。他六人で救助に行きたまえ」

「なっ」


 アクセルが言葉を失っているあいだに、六人は短く応答して、救助に走った。

 ――何かの冗談だ。

 はじめ、アクセルはそう思った。自分たちだけが会議室で置き去りになんて、まるで理解しようのない状況だった。アクセルは立ち尽くして、アガサの顔を窺った。嘘だと言ってくれることを信じて待った。


 しかしその台詞がアガサの口から放たれることはついぞなく、彼は役目を果たした演者がごとく、静かに立ち去ろうとした。


「待ってください」


 と引き止めたのは、パイパーだった。彼女は立ち上がって、アガサの背中に問いかけた。


「こいつが待機させられるのはわかります。でも、なぜわたしまで」

「え、ちょっとパイパーさん!」

 パイパーにまでそんなふうに扱われるとは、心外だった。

「黙れ」


 ぴしゃり、とパイパーに制されて、アクセルは黙らざるを得なくなる。

 アガサは首だけを捻り、ふたりを横目にして言った。


「お前たちはバディだからだ」

「なら、すぐにバディを解消してください。こんな足手まとい、わたしには要りません」

「それはできない」

「どうしてですか」

「アクセル」とアガサが呼んだ。

「は、はい!」

「迷宮救助隊の、決して忘れてはならない鉄則を述べてみろ」

「生きて、帰る。第一に守るべきは、自分の命」

「ああ、そうだ。さてパイパー。たしかに君には能力がある。だが迷宮では命を落とす危険はいくらでもあるんだ。ひとりで行くなんてこと、私は決して許さない」

「ひとりじゃありません」パイパーは反論した。「リック副隊長やモーガンさん、ヨナバルだっています」

「危機的状況のなかでは、人間の視野は狭まる。何のためのバディか、よく考えたまえ」

「アガサ隊長!」


 パイパーはなおも食い下がろうとしたが、アガサは反応を見せずに去った。

 本当に取り残されてしまったのだ。アクセルはそのことを、ようやく受け止めた。それから、ちくしょう、とこぼして、力なく壁にもたれかかった。


 かつてないほどの無力感だった。人を救うため救助隊に入ったというのに、肝心なところで救助にすら向かえないのでは、まったく意味がなかった。


「ちくしょう」


 奥歯を噛み締めて、拳を握り、アクセルはもう一度呟いた。反吐が出るほどに自分が不甲斐なく思えた。


「おまえのせいだ」


 ふと、パイパーの声がした。

 俯いていたアクセルは、耳を疑って面を上げた。そこには普段以上に表情を失った彼女がいた。


「……どういうことですか、それ」

「おまえがグズだから、わたしまで置いて行かれることになった」


 好き放題に言われて、アクセルも黙っていられなかった。アクセルは弾かれたように歩み寄り、パイパーの襟元に腕を伸ばした。しかしその手が届くまえに、手首を彼女に掴まれて阻まれた。


「おまえは直情的で、能力も不足している。そんな奴を、隊長が迷宮に送るわけがない。この結果は必然だった」

「――――っ」


 掴まれたアクセルの右手が、うっ血して赤く染まる。押しても引いても、びくともしない。パイパーの細腕のどこに、そんな力があるというのか。


「エルメスさんの言うとおりだ。おまえはただの、ガキだよ」

 パイパーに押し返されて、アクセルはたたらを踏んだ。それでアクセルは無性に恥ずかしくなり、掴みかかった威勢がしぼんだ。

「体幹から鍛え直せ」

 パイパーはそう吐き捨てて、踵を返した。


 そのときだった。

 どこか遠くのほうから、板金を叩くような、反響する甲高い音がかすかに聞こえきた。


「……迷宮のほうからだ」


 アクセルの良く知る音だった。

 迷宮の入り口には、大判の板金が備えられている。かつて一度だけ、迷宮救助隊を呼ぶために、アクセルは利用したことがあった。


 救助隊として経験を培っているパイパーにもこの音の意味が伝わったはずだと考え、アクセルは彼女に視線を送ると、パイパーは脱兎のごとく駆け出していた。行く先はわからない。だが付いていくべきだとアクセルは判断して、散らかった椅子を蹴り倒しながらも追いかけた。


 宿舎の廊下を走るうちに、アガサのもとへ辿り着いた。

 アガサはふたりが来ることを予期していたふうで、驚く様子はなかった。ただ、渋面を構えていた。


「行かせてください」

 パイパーは率直に嘆願した。

「おれも」とアクセル。一瞬、パイパーの剣呑な目つきが射抜いてきたが、彼は日和らずに一歩を踏み出した。「行かせてください、おれも。お願いします」


 第三番迷宮を管轄とする迷宮救助隊は、計八人しかいない。本日二回目のこの救助要請の対応できるのは、自分らだけだ、とふたりは自覚していた。


 アガサはゆっくり頷いた。


「事態がこうなっては仕方あるまい。お前たちバディが救助へ行け」

「はっ!」アクセルとパイパーは短く応答する。

「しかし伝令がまだ届いていない。もうじきのはずだ、それまで会議室で待機していろ」

「不要です」パイパーが言い切る。

「なに?」

「救助要請者に直接聞いてきますから」

 アガサは逡巡のあと、

「良いだろう。向かいたまえ」と言った。


 パイパーは巾着袋の紐を握り直し、アクセルへ向き直った。

 視線を注がれたアクセルは、どきりとする。また自分を置いて行こうとするつもりだろうか、なんて考えが脳裏をよぎった。


「遅れずについて来い」


 予想と反した彼女の言葉。

 アクセルは堪らず声を張り上げた。


「――はい!」

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