第4話


 厳しい訓練が続いた。朝から駐屯地の外周を周り、短距離を走り込んで、やはり昼食は喉を通らず、迷宮内部を想定した障害物突破演習をおこない、最後は迷宮に潜むモンスターから身を守る練習をする。これが一日の流れだった。


 アクセルが入隊して、半月が経つ。


「動きが鈍くなってきてるぞ! そんなんじゃ救助者を助けることはできない!」


 鞭を振り回しながら、モーガンが叫ぶ。彼の標的はアクセルだった。鞭が風を切ってしなるたびに、アクセルは身をよじって避けていく。


 アクセルは鞭の軌道を読むことに懸命だった。モーガンの動きを追っていても、鞭に伸縮性があるせいで、攻撃を予測することができないのだ。そのため、ほとんど動体視力と反射神経に頼った回避となってしまう。


 しかし、それこそが訓練の狙いだった。迷宮救助隊員は、常人よりも優れた動体視力と反射神経を求められる。理由はいくつかあるが、やはり迷宮内でモンスターと対峙した場合に備えているところが大きい。


 救助隊は現場に一秒でも早く到達するため、防具や武器といった重みのある道具を持ち歩かない。救助隊に戦闘能力は必要とされていない。とにかく生きて、逃げること。それが信念である。


 迷宮に潜むモンスターは、異形の生物だ。人間にしてみればあり得ない骨格や筋肉を持っており、想像もしない動きで攻撃を仕掛けてくることが多々ある。モンスターの攻撃を避けるには、見逃さない目と咄嗟に動ける身体を鍛え上げなければならないのだ。


「ほら、当たるぞ!」


 モーガンの怒声を聞き流して、鞭がしなる方向を視線で追う。

 甲高い風切り音。一瞬だけ見えた黒い影。


 思考する余地もなく、アクセルは膝を追って体勢を低くした。頭上を鞭が横切っていく。息継ぎをする間もなく、次にアクセルは左肩を引いて、鋭い風が頬を刺す感覚に見舞われた。そんな些細なことにわずかでも気を取られたのが良くなかった。左脚のふくらはぎで乾いた音が鳴り響き、防護具越しに痛みが突き抜ける。


「ぐあっ」


 アクセルは呻き、地に膝を付けた。そこでモーガンが手を止める。離れたところで様子を眺めていたヨナバルが、時間を言った。


「五十二秒。記録更新ですね」


 モーガンに狙われているあいだは満足に呼吸もできないせいで、終わったあとのアクセルは喘ぐように息を吸った。いくつもの汗が滴り落ちて、アスファルトに黒い染みをつくる。そんなどうでもいい光景を、彼はぼうっと眺めるのだった。


 呼吸が整うにつれて、脳が働きはじめる。


「嫌味にしか聞こえないぞ、この野郎め」


 ヨナバルは困った顔で笑った。


「経験の差は仕方ないですって。アクセルさんも二年後には、いまのぼくの記録に近付けますよ」

「近付ける、ね」

「そりゃあぼく、これ得意ですし」

「だから嫌味だって言っているんだよ」


 ヨナバルは今度は、声を出して笑った。なるほどね、と。


「まあ、人には得手不得手があります」ヨナバルは言う。「自分の強みがわかれば、訓練もより効率的になりますよ」

「強みかあ、あるかな」

「さあ。ぼくにとってはどうでも良い話です。それより、さっさと防具貸してくださいよ」

「な、どうでもいいって」


 どうでもよくはないだろう。なんてことをアクセルはぼやきながらも、素直に弾性繊維のプロテクターを脱いでヨナバルに渡していく。ヨナバルは慣れた手つきで、それを身に着けていく。


「モーガンさん、次はぼくで」

「いいだろう」

「よし、ぼくも記録更新しないとね」


 二メートルの間隔をあけてモーガンとヨナバルは向かい合う。アクセルは自前の懐中時計を手に、秒針が頂点に来るのを待って、合図をした。


「はじめ」


 モーガンが腕を振るう。遠心力によって伸びた鞭は、瞬きのうちにたわみ、残像を見せるほどの速度でヨナバルを襲う。身をひるがえして、難なく避けるヨナバル。余裕の表情を浮かべていた。


 本人が宣言していたとおり、ヨナバルはこの訓練に長けている。ここにいる八人の救助隊のなかで、二十歳ながらも二番目に優秀な成績を残すくらいだ。


 アクセルは審判なので、ヨナバルに鞭が当たったときを見逃すわけにはいかないが、ヨナバルならば数分は持ち堪えるだろう。そう思って、アクセルは少し視線を外す。


 別の場所では、リックの攻撃を避けるパイパーがいた。夕日に溶け込むような赤さび色のショートヘアが舞っている。


 軍配はヨナバルに上がるが、パイパーはこの訓練でも優秀だ。半月経ってよくよくわかったが、彼女には非の打ちどころがない。技術、体力、筋力。どれを取っても優れている。


 ――長い道のりだ。アクセルは彼我の距離を痛感した。

 時計を確認して、彼の目線は再びヨナバルへ戻る。


「一分経過!」


 ヨナバルの動きは淀みがない。それどころか、時間が経つごとにキレが増す。汗を振りまいて機敏に鞭を回避するヨナバルは、楽しんでいるようだった。


 結局記録は、三分四十秒。アクセルに触発されたのか、ヨナバルは自己最高記録に十秒もの上塗りをした。


 そのあとに続いたモーガンは三分だった。まずまずの成果だったらしい。


 こうして一日の訓練が終わった。アクセルたちは迅速に、宿舎のなかにある会議室へ集まる。隊長であるアガサから、朝と夕に一回ずつ、隊全体への報告があるためだ。


 しかし重要な報告が挙がってくることは稀だ。国軍にてどこの誰が重役になったとか、規則の細かな変更などを知らされることがほとんど。報告がない日もある。


 救助隊員たちはてきとうな席に着き、アガサが来るのを待った。長い訓練から解放されたあとなので、弛緩した空気が広がっており、小声で雑談する者もいる。


 やがて扉を開けてアガサが登場した。瞬時に場が緊張する。アクセルは起立して、背筋を伸ばした。


「よし、座りたまえ」

 極力音を立てないよう配慮して、一同が着席する。

「重要な報告が一件ある」

 と言ったアガサは、大判の用紙を広げて、コルクボードに留めた。


 アクセルは目を凝らして、内容を把握する。興味深い報告書だった。


「第三番迷宮にて、最近浅層でモンスターの出現が高まっている。深層にいる強力なモンスターが、浅層まで出っ張ているらしい。原因は不明。現在迷宮管理組合のほうで調査中とのことだ」


 アクセルは首を捻った。モンスターには縄張り意識がある。普段深層にいるモンスターが、わざわざ浅層に来ることはないはずだ。群れから離れた個体であれば、稀に目撃するのだが。


「迷宮管理組合からは、直近一か月での浅層における強力なモンスターの出現割合を示した暫定データが上がってきている。この用紙にあるとおり、普段の数倍――あきらかに異常な数値だ」


 浅層には、攻撃的な性格のモンスターが少ない。つまり未熟な迷宮探索者でも、危機管理を徹底していれば、安全な探索が行えるのが特徴だ。

 そこに獰猛なモンスターが現れている。どれだけ危険であるか、想像に難くない。 


「幸い我々に応援要請が来るほどの被害はまだ出ていないが、時間の問題だろう。各自注意しておけ」

「はっ!」


 アクセルたちの返事に頷いたアガサは、ボードに留めた用紙を回収すると、解散を告げた。

 アガサが立ち去るのを立って見送り、アクセルは敬礼の構えを崩す。横にいたヨナバルに声をかけた。


「おれたちの出番、来そうだな」


 アクセルの気分は高揚していた。もしかしたら近いうちに、救助隊として初の仕事があるかもしれない。人の命を救うために入隊したのだ、その努力がようやく実を結ぼうとしている。


 ヨナバルは肩をすくめた。「どうですかね」

「なんだよ、テンション低いな」

「当たり前でしょ。救助に行かなくて済むなら、それが一番良いに決まっている」

「あんなに能力があるのに、行きたくないのか」


 アクセルは甚だ疑問だった。仮に自分にヨナバルほどの実力が伴っていたら、自信に溢れているはずだ。


「逆に、アクセルさんは行きたいんですか」

「もちろん」

「変わってますねえ」

「ヨナバルだって人の命を救うために、この仕事に就いたんだろ? 助けに行きたいって思うのは、変わったことなのか」

「助けたい、って思いはぼくも同じです。でも好き好んで迷宮に入るかどうかは、また別問題でしょう」


 ヨナバルの言わんとすることが、アクセルにはよくわからなかった。そんなアクセルに、ヨナバルは静かに諭すよう、聞かせた。


「だって死ぬかもしれないんだ。喜んで死地に飛び込む奴なんて、ここにはいないよ」


 じゃあね、とヨナバル。

 彼の言葉を、アクセルは黙って噛み締めた。それから会議室に残っているのが自分だけと気付き、部屋を出た。


 報告会が締まったので、軍人としての勤務も終了だ。救急要請がない限り、基本的には自由時間となる。駐屯地で暇を潰すも良し、外へ出て色街へ消えていく隊員もいる。


 簡単にシャワーで汗を落として、アクセルは自室で私服に着替えた。普段なら食堂へ向かっているが、今夜は外で待ち合わせがあった。


 駐屯地の門番に礼をして、都市の中央を貫く大通りに出る。コルト亭という、居酒屋を目指してアクセルは歩いた。いくつかの脇道を過ぎていき、目印となる紫色の看板が掲げられているところで右に曲がった。ヨナバルに聞いた案内が正しければ、もう到着するころだ。


 果たして、白文字で「コルト亭」と書かれた、木製の小さな看板を発見する。店の様子を外から窺ってみると、剣や弓を持った迷宮探索者風の大勢で明るく賑わっているようだった。注意深く観察して、待ち合わせの人物たちを見つける。ふたりの相手もこちらがわかり、手を振ってくれる。アクセルは店に入って、彼らと落ち合った。


 アクセルはその場のふたりと目を合わせて、口元を緩める。赤色のトサカ頭が特徴的なリンカーン。矢筒を背負う狩人のエイブラハム。懐かしい顔ぶれだ。


 この面々は、アクセルが迷宮救助隊となる以前に、探索者として活動していたときの仲間だった。軍隊の候補生時代は規律が厳しく、ふたりと交流を深めるゆとりはなかったので、数年ぶりの再会なのである。


 ふたりは現役の迷宮探索者だ。アクセルだけが道を分かち、救助隊となった。しかし今回、彼らが拠点を第三番迷宮へ移したということで、再会の機会を得た。こうして顔を合わせると、皆と共に迷宮へ潜った日々の記憶が思い起こされ、郷愁のような気持ちが溢れてくる。


 何から言い出せば良いのか迷い、アクセルは言葉に詰まった。そのうちに、リンカーンがアクセルの肩をたたき、口を開いた。


「久しぶり、元気だったかよ」


 なんて陳腐な挨拶だろう。アクセルはそう思ったが、リンカーンなりの下手な気遣いなのだとわかり、笑いがこぼれた。


「見ればわかるだろ、まったく」


 するとエイブラハムが、のぞき込むように尋ねてくる。


「なんだか前よりも、逞しくなった?」

「お、わかるか」

「たしかに、がっちりしたな」とリンカーン。

「やっぱり軍てきついんだねえ」エイブラハムが神妙に頷く。

「そのへんは食べながらな。お互い積もる話があるだろ?」


 アクセルはまず座った。

 三人が囲んでいるのは、円形の卓だった。用意された椅子は四つ。アクセルは空席に視点を置いて、静かに呟いた。


「あいつも、来てるか?」

 リンカーンがそれに答えた。

「当然だ」

 彼はそう言って、懐から小さな革袋を取り出した。


 アクセルが受け取り、口元の紐をほどく。中には華美な飾りも何もない、シルバーの腕輪が入っていた。アクセルはその存在感に安心する。これはアクセルたちにとって、ただの装飾品ではない。かつての仲間が好んで身に付けていた、遺品だった。


 そっと割れ物を扱うのごとく、丁寧にすくい出して、テーブルに置く。

 ごとり。

 その音は、もうこの世にいない仲間が、いまだけは酒の席に着いた知らせのようだった。


「おまえと会うのも、随分と懐かしいよ」

 店内の照明を反射して輝く腕輪を眺めて、アクセルは微笑んだ。

「じゃあ、久しぶりの再会に乾杯しようか」


 エイブラハムの仕切りのあと、丁度良く配給係が四つの麦酒を運んできた。リンカーンたちが先に頼んでおいてくれたらしい。


 冷えたジョッキを構えて、アクセルは乾杯の音頭を待つ。しかし、ふたりの視線がこちらに送られていた。


「え、おれ?」

 戸惑うアクセルに、リンカーンが言う。

「主役はおまえだぞ。出世祝いってところだな」

「そうそう」エイブラハムが楽しげに乗っかる。「いやあ、ごちそうさまです」

「まてまて、ずるいぞふたりとも!」

「早くしろ。せっかくの麦酒がぬるくなっちまう」

「祝いだったら、そっちの奢りじゃ――」

「はい、かんぱーい」


 エイブラハムの強引な合図で、アクセルの糾弾が遮られた。アクセルは不満顔になりながらも、乾杯に水を差す真似はせず、三人でジョッキをぶつけ合った。


 それからは迷宮探索者時代の思い出話に花を咲かせたり、お互いの近況を報告したり、三人は絶え間なくしゃべり続けた。 


 リンカーンとエイブラハムが迷宮に潜っている話題となったとき、アクセルは夕方に聞いたアガサの報告を、念のため、ふたりに共有した。


「まあ、探索者ならもう情報が回っているだろうけど、一応な。気をつけろよ」

 アクセルの忠告に、何度目かの麦酒を飲み干したリンカーンが答える。

「心配要らねえって。迷宮管理組合の働きかけで、普段は深層にいるベテラン勢がモンスターの掃討に名乗りを上げてくれた。俺たち木っ端の収入は激減するが、命には代えられねえ」

「そうだったのか。なら、安心だな」

「もし万が一のことがあれば、アクセルが助けてくれるんだろ?」

「縁起でもないこと言うな、バカ! ったくエイブラハム、こいつが暴走しないようにしっかり見張ってくれよ?」


 だがエイブラハムはテーブルに突っ伏して眠っており、アクセルの声は届いていなかった。酒が回ったのだろう。彼は昔も、酔うとすぐに寝入ってしまうのだ。そして一度寝たら、強情なくらいに朝まで起きない。


「……じゃあ、こいつも潰れたわけだし、そろそろお開きにすっか」とリンカーン。

「ああ。お互い朝が早いしな」


 細身のエイブラハムをリンカーンが背負い、店を出る。再会の約束をして、アクセルたちは解散した。


 夜が深まり更なる活気で満ちたメインストリートを抜け、駐屯地に戻る。宿舎に入ろうとして、アクセルは足を止めた。松明で薄く照らされる野外訓練場の広場に、人影を見つけたのだ。


 どうやらひとりで腕立て伏せをしている。小柄な体躯、ざっくばらんなショートヘア。暗がりだが、それが誰であるかは考えずとも察せられた。


 こんな時間に、とアクセルは思った。いつもであれば、訓練後の食事をまともに摂れない自分が、夜食に手を出す頃合いだった。そのとき決まって、パイパーの姿もあった。彼女が一日四食も食べる理由は半月ものあいだ謎に包まれていたが、やっと判明した。夜の訓練のあとにもお腹が空くのだろう。


 アクセル自身も、努力はしているつもりだった。ただパイパーは、それ以上の努力を積んでいたのだ。


 ――まいったな。追いかけるべき背中が、休むことなく走り続けている。これでは差が広がるばかりじゃないか。


 アクセルはひとつ嘆息して、髪をかきあげた。今すぐにでもパイパーの横へ並んでトレーニングをしたい気分だったが、今日は諦めることにする。アルコールの入った状態では危険だろう。


 だが、明日からは、パイパーと同じ、いやそれ以上の練習を。

 アクセルはそう、心に決めた。

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