第34話 キラキラネームというだけで、その人の価値を決めつけるとボディブローが待っている(弐)

「……法律には関係のない、変なことを訊いても良いですか?」


 唐突に頭に浮かんできた問いを竹生にぶつけるか否かを考える前に、疑問が口を衝いて出ていた。


「私に答えられる範囲のことでしたら、法律以外のことでも構いません。お尋ねしたいこととは何でしょうか?」


 自分の口から出した言葉なのに驚きを隠せないにこが今の言葉を取り消そうとした時、竹生が好意的に返答してくれる。後に引けない、もう先に進むしかないと焦ったにこは、質問を続けてしまう。


「親につけられた名前のせいで、嫌な目に遭ったことはありますか?仮にそうであったとして、他人に馬鹿にされるような名前をつけた親を恨んだことはありますか?私は”にこ”という名前のせいで嫌な目に遭うことがありますし、この名前は自分に似合っていないと思っているので、好きではありません。竹生さんは……月姫という名前で生きてきて、どうでしたか?」


 自分が望んでつけたわけではない”にこ”という名前で馬鹿にされることがある。その可愛らしい名前に反する顔をしているとまで言われたこともある。理不尽な目ばかりに遭わせてくれる名前を変えてしまいとまで思ったこともある。

 今、目の前には自分以上に風変わりな名前を持っている人物がいる。梓と大学の同期だというのであれば、にこよりも年上のキラキラネームを持つ彼女はにこと同じような目に――いや、それ以上に理不尽な目に遭ってきたかもしれない。現在よりも、キラキラネームに対する他人の目が厳しかったはずだから、そうに違いない。

 そんなことを考えてしまったにこは、竹生に尋ねてみたくなったのだ。そんなことを訊くのは失礼だ、とまでは考えを及ばせずに。


「……月姫という名前を揶揄われることは多々あります。吃驚されることも多いですし、馬鹿にしたような目で見られることも沢山ありました。学生の身分であった頃よりも、成人してからの方が好奇の目で見られることが増えて、周囲の反応がきつくて、心が折れそうになったこともあります。ですから、親を恨みました。どうして、こんな名前をつけたのかと。親は、素敵な名前をつけたのだから問題ない、の一点張りでしたね」


 やはり、この人も同じような目に遭っていたのだと親近感と安堵を覚えたにこに、竹生は言葉を続ける。


「ただ、欠点だらけのこの名前にも利点があるんです。なかなか衝撃が強い名前でしょう?竹から生まれたかぐや姫なんて、記憶に残ってやまない名前が武器になるのだと気がついてからは――親を恨んだり、自分を憐れんだりすることを止めました。諦めた、に近いのかもしれません」


 そんな境地に至りはしたけれど、結局は未だに名前を馬鹿にされたり、揶揄われることが多いので、反射的に腹を立ててしまうことは仕方がないと、竹生は苦笑する。


「弁護士稼業は名前を覚えて頂かないと利益に繋がっていきませんので、この強烈な名前を改名することはないかもしれません。……媚山さんがどうしても親につけられた名前が嫌いで愛せないのでしたら、改名する方法もありますので、その際はどうぞ、弁護士の竹生月姫に御相談頂けますと幸いです」


 質問の回答として妥当なものであったかと竹生に問われたにこは、神妙な面持ちで彼女を暫し見つめると――深く頭を下げた。


「不躾な質問に真摯に答えてくださって、有難う御座います。想像していた答えとは違っていたけれど……でも、とても良い回答えでした。有難う御座います、竹生さん」


 自分を恥じたにこの謝辞に対して、竹生は柔らかい笑みを返してくれ、隣で見ていた槐は驚いたような顔をしていた。にこはそれに気がつき、槐に睨みを利かせようとしたが――他人様の目の前なので、止めた。人前で良い子ぶろうとする癖は、未だに抜けきらない。




 竹生に見送られて弁護士事務所を後にした二人はコインパーキングへと戻ってきた。受付で頂いた駐車サービス券を利用して駐車料金を支払ってから車に乗り込んだ。コインパーキングから車道へと出て少しすると、ぼんやりと車窓を眺めているにこに槐が声をかけた。


「ねえ、にこさん。どうして竹生さんに名前のことを訊いたの?」


 にこは顔を車窓に向けたまま、少し考えてから、槐の問いに答える。


「今時の小学生とか中学生にもいそうな凄いキラキラネームだったから、平仮名で”にこ”の私よりももっと苦労したんだろうなって思った。竹生さん、私より年上だから、きっと今よりもずっと周りの目がきつかっただろうし。……多分、優越感が欲しかったのかもしれない。”月姫”と書いて”かぐや”と読ませる名前の人より、私は断然マシだったに違いないって。……本当、失礼極まりないよね。激高しなかった竹生さんは大人でしかない」


 にこの質問に対する竹生の回答に、自分と同じ、それ以上だと思ったが――彼女はにことは違った。彼女には、珍妙な名前を武器にしてしまえる強さがあった。にこにはそれがなくて、法律を利用して改名するという考えもなくて、ただただ親にも名前にも恵まれなかった自分を憐れむだけだった。


「そんな名前をつけられて可哀想にって、上から目線で憐れんだ私の顔面を鉄アレイで思いっきりぶん殴られた気分。だけど、そうしてもらえて良かった」


 オカメ顔のかぐや姫は凛としていて、芯の強い素敵な人に見えて、羨ましくて、嫉妬しそうになった。今の自分には自信が無くて、将来も不安だらけだけれど、いつか「コケシ顔には似合わない名前をしていますが、何か問題でも?」と堂々と言い放てる人間に慣れたら良いな、と、目標のようなものが出来たかもしれないと、にこは言う。


「僕も梓くんも、男のくせに女の名前をつけられるなんておかしいと言われたことはあったよ。うちの父さんも名前だけで女の子だと勘違いされることが多かったと聞いたことがあるなあ」

「そういえば小父さんって何て名前なの?」


 仕事が忙しくて、片手で数えられるくらいしか会ったことがない槐の父親のことを、にこは「小父さん」としか呼んだことがない。尋ねてみたこともないので、名前を知らない。


「父さんはまゆみというんだ。同級生には男女問わず”檀ちゃん”と呼ばれていて、未だにそうだって笑っていたよ」

「……じゃあ、父方のお祖父さんは?」


 槐、兄、父親が女性に多い名前となると、その上の世代も若しかして?と、にこの好奇心がうずうずとしてきた。


「父方のお祖父ちゃんは確か……椿つばきだったかな?」

「あんたの家って、男に女の名前をつける伝統でもあるの?」

「いや、そんなことはないと思うけど……?」


 いつでもにっこり、にこにこにこちゃんと娘に名付ける親もいれば、ぱっと見て読み方が分からない漢字を使う名前を子供につける親もいて、女と勘違いされても仕方のない名前を息子につける家もある。

 今日、槐が自ら告白するまで、彼が自身の名前のことで理不尽な言葉を投げつけられていたことをにこは知らなかった。槐のことを”苦労をしたこともない金持ちのお坊ちゃま”と決めつけて、長い付き合いの間に彼のことを深く知ろうとしてこなかったのだと気付かされた。


「私は槐って名前が女みたいだとか思ったことなかったな。まあ、正直に言うと、女みたいな顔してる奴だなとは思ったことあるけど。木偏に鬼と書いて”えにす”って読むのは驚いたな。何だか強そうな漢字なのに、読み方は可愛いんだなって。……私と違って、親につけられた名前が似合ってるの、ずっと羨ましかった」


 名前自体の音の響き、使用する漢字の意味や、こんな子に育ってほしいといった親の願いなどが込められたのだろう素敵な名前を持っている槐が羨ましかったが――案外そうでもなかったのかもしれないと分かって、”異常ではない温かい家庭”に夢を持ち過ぎていたのかと少々がっくりすると同時に、不思議と気持ちが楽になったような感覚もある。


「僕は”にこ”という名前は可愛くて、にこさんに似合っていると思っているよ。他の人が何と言おうと、そう思ってる」

「……コケシ顔で、にこちゃんはないって」

「にこさんがコケシ顔だとも思ったことがないからなぁ」


 槐はにこの名前や容姿を馬鹿にしたことはない。出会ってから別れるまでの間と、再会してから今に至るまでも。


(槐は昔から、あんな親の子供だとか、あんな名前の可哀想な子だとか、そんな目で見ないで、私を私として見ていてくれたんだな……)


 にこが一所懸命に頑張ってきたことをちゃんと知っていてくれるから、あの時、宇宙人のような母親に噛みついて、にこを守ろうとしてくれたのだ。漸く、にこはそれに気がつくことが出来た。


(自分のことしか考えられなかったから 、槐に甘えて、槐を疑って、信じなかった。そんな自分が恥ずかしくて、情けないわー……)


 他方に目を向ける余裕が出来ている今、もっと早くに気がつくことが出来ていたら、怒りに任せて槐を傷つけたりすることはなかったのだろうかと仮定してしまう。そんなことには意味がないと理解していてもやってしまうのは、己の性分だと諦めることにしよう。何も見ないで、何も聞かないで、何も考えないで生きているよりは良い。そう思うことにしよう。

 少しずつ、少しずつ、確実に変わっていけるようにと、にこは何度でも願う。その日がやって来るまで。

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