第5話
コンラッドとリンダは撤収のため、合流地点へと移動を開始した。迎えのヘリが来るはずのポイントは日比谷公園……渋谷からは四〜五キロ、通常なら一時間あまりで歩けるほどの距離である。
だが、問題はこの雨だ。水分を多く含めば含むほど戦闘服の重量は増し、濡れて冷えれば瞬く間に体力は失われて行く。レインコートはあるがただでさえ視界の悪いこの状況でさらに視界を制限するわけにはいかない。いつ、どこから『深きもの』が現れ、襲いかかってくるか分からないのだ。
目につきやすい大通りを避け、辺りを警戒しながら移動する二人の後を悠々と歩いてくるホームレス……その泰然自若たる態度にはそれこそ『王』の風格さえ感じさせるものがある。もっとも、治めるべき国も民も持たないボロ布を纏った王ではあるが。
「ストップ」
先頭を行くコンラッドの指示で、リンダがキングの腕を引っ張って近くの植え込みの陰に飛び込む。コンラッド自身も焼け焦げ、路上に無惨な姿をさらすワゴン車の陰に身を隠した。その視線の先から、ピョンピョンと跳ねるような奇妙な歩き方で迫りくる一団の姿。
「『深きもの』の偵察部隊ってとこね……五、いえ七匹」
リンダの囁き声には緊張の響きが含まれている。数だけでいえば先ほど襲撃してきたグループの四分の一ほどだが、問題はこの場所だ。目の前にはそびえ立つ六本木ヒルズ……かつて若者で溢れていたショッピングエリアは略奪のために荒廃し、今では辺り一帯が『深きもの』のコロニーと化しているのだ。ここで銃撃戦でもはじまれば次々と増援が押し寄せ瞬く間に圧倒されてしまうのがオチだろう。赤坂方面へ迂回する手もあるが、時間がかかり過ぎるのがネックだった。GPSで自分たちの生存を確認しているはずの迎えのヘリコプターも、そう長い時間を待ってくれるはずはない。
「……つまり、突破するしかないってことだろ?」
「そうね……」
「じゃあ任せろ」
「え?」とリンダが振り返った時には、もうキングの姿は消えていた。慌てて周囲を見渡せば、降り頻る雨を目眩しに物陰から物陰へと素早く移動する黒い影。その動きはまるで……
(そうか……そうなんだ……)
その影の動きを目で追っているうちに、リンダはようやく理解することができた。人間離れした戦闘力の……いや、キングという男の本質を。
『深きもの』の死角に回り込んだキングは、音を殺して最後尾の一匹に襲いかかった。弱点である鰓に鉈を叩き込みながら地面に引きずり倒し、ナイフ……リンダから預かったジョンの遺品……でその喉を深々と切り裂いた。水中用と陸上用の呼吸器を同時に破壊された『深きもの』があえなく生き絶えたのに、仲間はまだ気付いていないようだった。
そして次の一匹、もう一匹……鮮やかな手腕で『深きもの』を葬っていくキングは、仲間が半減したことに気付いてようやく騒ぎだした残りを今度は真っ向から叩き伏せ、あっという間に偵察部隊を全滅に追いやった。その全く無駄のない動きにコンラッドは大袈裟に肩を竦める。
「まるでゲリラ戦のお手本だな……あいつ、もしかしてグリーンベレー出身じゃないのか?」
「そんなんじゃないわ……そもそも、彼の本質は人間じゃないもの」
コンラッドは怪訝な表情で呟くリンダを見る。
「あれは野獣よ。身を隠し、死角から敵の弱点を突く。生きる糧を得るための狩りだから一切の容赦はなく、それでいて不必要に獲物の生命を奪おうともしないんだわ」
「なるほどね……生粋のプレデターってわけだ。だからこんなもののために命を賭けられるんだな」
コンラッドはM4をポンと叩いた。
『深きもの』の包囲網を抜けて日比谷公園に辿り着くまでの間、力を貸して欲しい……リンダが頭を下げたところで、鼻で笑って一蹴されるだけだろうというコンラッドの考えはあっさり覆された。これまで全くと言っていいほど意見の一致を見ることのなかったキングが「あぁ、いいぜ」と簡単に承諾したのだ。その代わり、キングは報酬としてサイレンサー付きのM4一丁と予備の弾薬を要求した。どうやら先の戦闘においてその殺傷能力を確認し、鉈と併用することで『狩り』の効率を上げることができると判断したらしい。生きるために食う、そのために狩る、そのために新しい『牙』を手に入れる……同行を承諾したとはいえ、全てを生きるための『狩り』に傾けるキングの行動理論は、そういった意味では分かりやすい。
M4はジョンのものがあったが、問題は弾薬だった。二人が所持している残弾は残り少なく、あと一回、複数の敵との戦闘が発生すれば尽きてしまうだろう。弾のない銃になどなんの価値もなく、補充のためには日比谷公園に辿り着く必要がある。キングが大人しくついてきているのはそのためだった。
「さあ、行こうぜ。急ぐんだろ?」
一人で偵察部隊を全滅させ、キングは二人の元に悠然と戻ってきた。腕時計に視線を落とし時刻を確認したリンダは小さく息をついた。
撤収のヘリコプターが到着するまであと二十分しかないというのに、日比谷公園までの工程はいまだ道半ばだ。もう、生還は絶望的ではないのか。
顔を上げるとコンラッドと視線があった。そのぐらいのことは彼も理解しているだろう。それでも、その表情にまだ諦念の色はない。
「そうね、行きましょう」
上官の力強い視線に一縷の望みを託して、リンダは大きく頷いた。
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