第4話
戦闘は二十分程で終了した。
驚くべきことに、鉈一本で三十体ばかりいた敵のほとんどをなぎ倒しながら男は無傷だった。軍隊で鍛え上げたコンラッドとリンダがただ驚嘆するしかないほど人間離れした戦闘力でそれだけの戦果を上げながら、何故か男はひどく不機嫌な顔で佇んでいる。
「移動しよう。恐らく次はこれ以上の群れが押し寄せてくるに違いない」
「そうね……ジョンは連れて行けなくてかわいそうだけど」
「仕方ないだろうな……おい!」
コンラッドは振り返り、佇む男に呼びかけた。
「オマエ、何してるんだ?」
「……ねぇ」
雨の音に混じって、男の呟きが微かに聞こえた。
「何だと?」
「もったいねぇ……コイツら、こんな群れで襲ってきやがって……」
コンラッドはリンダと顔を見合わせた。もったいない? この男は何を言ってるんだ?
「こんなにあっても食い切れねぇじゃねぇか……食い物を粗末にしやがって、罰が当たっても知らねぇからな!」
そう吐き捨てた男の言葉が完全に理解の外で、二人はただ唖然とするしかなかった。
「この雨はね、ただの雨じゃないの」
体勢を立て直すため、再び雨を凌げる別の建物に三人は移動した。無人と化した都会では身を隠せる場所がいくらでもあるのが幸いだった。だが、やがて大群で攻めてこられるのは目に見えている……早急に渋谷を離れる必要があるだろう。荷物をまとめながら、リンダが男に向かって語りかける。
「太古の昔、地球に降り立った異界の存在クトゥルフ……眠りについた主の復活を目論んでクトゥルフの眷属どもがこの東京で『儀式』行なっているの。日本を覆うこの雨はクトゥルフ復活の前兆なのよ」
リンダの話を聞いているのかいないのか、男はボロリュックから取り出した砥石で愛用の鉈を研いでいる。さすがに先ほどの戦闘で脂がこびりついて切れ味が落ちてしまったようだ。
「米軍は自衛隊と連携して儀式を阻止する作戦を開始したの。私たちの部隊に与えられた任務はかつて渋谷川と呼ばれていた下水路の制圧……この雨で増水し、『深きもの』の移動経路となっている下水路の封鎖を目的に、私たちは奇襲を行ったのよ」
「見事に失敗したけどな」
濡れたM4の手入れをしながら、コンラッドが不機嫌に吐き捨てた。
「東京各地で一斉に敵の拠点を奇襲する計画だったんだがな、どこからか情報が漏れていたんだ。おかげで敵の待ち伏せに遭ってどこの部隊も壊滅……まったく、機密一つ守れねぇ司令部の無能さには呆れるぜ!」
「……あ、そう」
この日本の、あるいは人類の存亡を賭けた作戦の失敗にも、男は全く関心がなさそうだった。ため息をついて、リンダは話題を変える。
「ねぇ、あなたは何者?」
質問の意味がわからないのか、男は訝しげな顔でリンダを見返した。
「じゃあ、名前は?」
「……キング。ホームレスにも色々あって、仲間を守ってやったりしているうちに気がついたらそう呼ばれるようになってた」
その言葉に反応したのはコンラッドだった。
「仲間? オマエに仲間がいるってのか? そいつらはどこにいる?」
「死んだ」
研ぎの仕上がりに満足したのか、男……キングは平然と言い放ちながら腰にぶら下げた革製のホルダーに鉈を収めた。
「まさかそいつらも食ったってんじゃねぇだろうな?」
「あぁ、食ったよ」
いかにも当然、と言わんばかりの口調にコンラッドは鼻白んだ。
「はっ! 仲間を殺して食ったってのか! 飛んだ殺人鬼だな、オマエ!」
罵倒されたキングは憮然とした表情でコンラッドを見返した。
「誤解するな……俺は人間を殺したことなんて一度もねぇよ。誰かとやりあってもちゃんと半殺しで止めてたさ」
「何だと?」
「人間は人間を殺しちゃダメだって仲間から教わってきたからな」
「じゃあ食うのは構わないのかよ!」
「さっきも言っただろ……食わなきゃ生きて行けねえから食うんだって。でもな」
腰に下げた鉈をポンと叩いて、キングはニヤリと笑う。
「最近はあの……あんたらが言う『深きもの』ってやつらがそこら中にいくらでもいるから人間を食う必要はなくなったな。もっともここいらで人間の姿を見るのもあんたらが久しぶりなんだが」
殺人を禁忌としながら人間を食う……キングと名乗るこの男の倫理観の針がどこを指しているのか、コンラッドとリンダにはさっぱり理解できなかった。かろうじて理解できるのは『敵』ではないということぐらいか……かといって、決して『味方』ではありえないのだが。
「……それで、あなたはこれからどうするの?」
「これから? べつに? 今まで通りここで生きていくさ」
「そいつはムリだな」
残り少ない弾薬をM4に装填し、コンラッドは立ち上がった。
「指令部はもう次の手を進めてるはずだ。次は空爆か、下手をすれば核攻撃まであるかもしれん。どっちにしろ、死にたくなければ東京を離れるんだな」
何しろクトゥルフが復活してしまえばそれだけで人類の敗北は確定的なのだ。東京の一つぐらい、人類全ての損失からすれば微々たるものだろう。迫りくる破滅の足音を前にすればさしものキングもマイペースを貫いてはいられないだろう。
「ふ〜ん、そうなんだ」
しかしコンラッドの予想に反して、キングはそれでも平然としていた。
「……ねぇ、あなたも死ぬのよ? それでも平気なの?」
「どうせ死ぬときは死ぬ。それまでは生きるために食う。ただそれだけだ」
潔く言い放ったキングの視線が自分に向けられていることに気づいて、リンダはドキリとした。その視線に『欲』を感じたからだ。果たしてそれは食欲なのか、あるいは性欲なのか……
「そんなことよりもさ、便利そうだな、それ」
「それって……この銃のこと?」
物欲だった。
「あぁ、そいつがあれば『狩り』が楽になりそうだ」
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