第3話

 一時間ほど後、昏倒していたコンラッドは目を覚ました。リンダとしてはあの男がコンラッドのことまで食おうとするのではないかと気が気でなかったのだが、男の意識は食い損なった料理を作り直すことに向けられているようだった。気がつけば怪物は両腕を失い、右足の太腿の肉まで削がれた無惨な姿に成り果てている。


「ひでぇもんだな」


 脳震盪のせいでまだふらつくコンラッドは瓦礫に背中を預けて座り直した。その視線の先で、男は残った左足の太腿からまだ肉を切り出している。辺りにたちこめる生臭さのせいで胸が悪くなりそうだった。


「おまえ、その怪物が何なのか知ってるのか?」

「さぁね……何だって構わないさ。大事なのは食えるかどうかだ……しかも、魚が混ざってるせいか人間より旨い」


 ぶっきらぼうに答えながら、男は切り出した肉をコンビニエンスストアのビニール袋に放り込んでいく。


「そいつをどうするんだ?」

「保存食にする。寝ぐらに帰れば燻製が作れるからな」


 コンラッドはあきれ返って天井を仰いだ。


「それは『深きもの』よ」


 残された僅かな装備品をチェックしながらリンダが言った。


「邪神クトゥルフに仕える海神ダゴンの眷属……異世界の神の血を引いた人間の成れの果て……そんなものを食べていたらあなたの身体だってどうなるか分からないわ」

「へぇ」


 リンダの注告に、男はどうでもよさそうに言葉を返す。


「じゃあ、そっちのをくれよ」


 男が鉈で指し示したのは上半身にリンダの戦闘服を掛けられたジョンの亡骸だった。


「……殺すわよ」

「ふん、代わりの食い物も寄越さねぇクセにゴチャゴチャ文句ばかり言いやがって。俺が何を食おうと勝手だろ」

「おまえ……本当に人間を食ったのか?」


 コンラッドの言葉に男はこともなげに頷く。


「あぁ、食った」

「……何故だ! 何故そんなことができる!」

「何故?」


 男は心の底から不思議そうな顔で首を傾げた。


「食わなきゃ生きられないんだから食うしかないだろ? 別に他の食い物がありゃ俺だって人間なんて食わねぇさ。でも、なければ人間だろうがそこの魚人間だろうが俺は食うね」


 男は荷物をまとめたリュックを背負って立ち上がった。


「食わずに死ぬぐらいなら食って死ぬよ。じゃあな」

「ちょっと! どこへいくの?」

「帰るんだよ。肉が傷む前に燻製を仕込む必要があるんでね」


 男はまるで散歩にでも出掛けるかのようにビルの外へ……出る寸前に足を止めた。


「あちゃあ」

「どうしたの?」

「いやぁ、囲まれてるわ」


 ハッと顔を見合わせたコンラッドとリンダが、それぞれ自分のM4を手にシャッターの陰に飛び込む。顔だけを出して外の様子を窺えば、確かに男の言う通り周囲を異形の魚人間……『深きもの』たちに取り囲まれている。


「ちっ! 後をつけられたか、それとも血の臭いに引かれて集まったか……」

「どうする? コンラッド」

「突破するしかないだろう。おい、おまえ!」


 コンラッドは男に向かって怒鳴り声を上げた。


「なんだよ、でかい声出すな」

「いいから、その辺に隠れていろ! 俺たちがカタをつける」


 一方的な指示、いや、命令に男の表情が途端に不機嫌なものになる。


「そんなこと言って獲物を独占する気だな。そうはいかねぇぞ」

「独占? ……冗談じゃない。だれがあんな……って、おい! こら!」


 コンラッドがいい終わる前に、男はリュックを放り出して豪雨の中へと駆け出していった。その手にあるのは男が武器兼調理器具として使っていた鉈一本だ。


「あいつ……無茶苦茶だ!」


 コンラッドが怒鳴りながらブーツの爪先で壁を蹴りながら吠える。


「私たちもいきましょう」

「あんなヤツ放っておけばいいんだ!」

「どのみち私たちだけではここを突破するのはムリだわ。二人よりも三人の方がマシでしょ!」


 コンラッドはうめいた。確かにあの男は自分を殴り倒せるほどには強いが、それぞれが連携して作戦行動をとる兵士として使えるかどうかは別の問題だ。あの得体のしれない、無軌道な男を制御できる自信はコンラッドにはない。


「……わかった」


 それでも、そう言うしかないのが自分たちの現状であるのは分かっていた。


「突入する。援護してくれ!」

「了解!」


 リンダの応答を背に、コンラッドは滝のように叩きつける雨の中に躍り込んだ。



「おらあぁっ!」


 次々と迫りくる異形に向かって男は容赦も躊躇いもなく鉈を振るう。すでに食用として何体もの『深きもの』を解体している男は、その経験からどこが一番刃が通りやすい部位かを熟知していた。そこがすなわち弱点だ。

『深きもの』は、言ってしまえば魚類と人間とのあり得ざるべき交雑種だ。その首筋には水中での呼吸を可能にする鰓があるのだが、体外に露出し、呼吸器とダイレクトに繋がる器官は当然、硬い鱗に覆われた身体の中で最も脆弱な部位である。

 そのことを熟知している男は次々と『深きもの』の首筋に鉈を叩き込み、抉っていく。ダメージを受けて動きを鈍らせた怪物に容赦なく鉛玉を撃ち込み、トドメを刺していくのは出遅れたコンラッドとリンダの役目だ。制御ができないなら援護に徹して動くしかない……決して本意ではないが、それがコンラッドとリンダの導き出した答えだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る