第2話
「さてと」
ジョンと折り重なるように倒れた怪物の死骸を蹴って床に転がした男はまだ若い……二十代の半ばから後半というところだろうか。
(ホームレス……?)
急な出来事に思考が追いつかず、ただ茫然と男を見上げるリンダがそう思ったのも無理はない。
浅黒い肌、垢じみたボロボロの服、左右互い違いのゴムサンダル……見るからにみずぼらしいその姿は決して真っ当な生き方を送ってきた人間のそれではなかった。
「へぇ、大漁じゃねぇか」
倒れたままの怪物とジョンを見下ろして、男は凄絶な笑みを浮かべる。
「ジョン!」
我に帰ったリンダが駆け寄るが、ジョンはピクリとも動かなかった。
「もう死んでるよ」
平然と言い放った男はしゃがみ込んで怪物の観察を始めた。蒼黒い体液に塗れる鱗に覆われた身体。異様に長い腕。鉤爪と水掻きのある手。無惨に叩き潰された頭部からでろんとこぼれ出した眼球は野球のボールほどもある。明らかに人類とは異なる生命体でありながら、それでいて全体的なシルエットは悍しいほど人類に酷似している。
そのような、常軌を逸した異形の存在を前に、男は驚くべき言葉を呟いた。
「塩焼きかな」
手にした鉈を怪物の亡骸へと勢いよく振り下ろし、再び蒼黒い体液を全身に浴びた男が立ち上がった時には、その手に肩から切断された怪物の右腕をぶら下げていた。
男はそのまま破れたシャッターから外へ出て、豪雨を物ともせずに『作業』を始める。鱗を落とし、切れ目を入れて一気に皮を剥ぐと今度は三枚おろしの要領で肉と骨を分離しはじめた。
「何をやってるんだ、アイツ……」
放心したように呟くコンラッドのことなど意にも介さず、ずぶ濡れのまま戻ってきた男は瓦礫の中に放置していたリュックの中からフライパンとカセットコンロを取り出した。小瓶のサラダ油をフライパンに引き、熱が通ると削ぎ落とした怪物の肉を放り込む。ジュワッと湯気が立ち昇り、香ばしい匂いが立ち込める。
「おい! おまえ何をしている!」
コンラッドが日本語で叫ぶと、男はゆっくりと振り返った。
「騒ぐなよ。おまえらのはそっちにあるだろ」
「そっち……?」
振り返ったコンラッドの視線の先には倒れたままのジョンと、なんとか心臓マッサージで蘇生を試みようとするリンダの姿。
「何のことだ?」
「食い物だよ」
コンラッドは再び振り返った。蘇生はムダだと判断したリンダが彼を見返してゆっくりと首を振る。食料なんてどこにも……
「まさか、ジョンのことか……?」
「ジョンだかポチだかは知らんが、どっちにしろ死んだらただの肉だろ? ちょっと脂っこいがそこそこいけるぞ……もっとも日本人と同じ味かどうかは知らんがな。まあ皮膚の色が違ったところで中身はそうそう変わらないだろ」
言いながら、男はリュックから塩と胡椒の小瓶を取り出した。
「食わないなら俺がもらうぜ。食い物はどれだけあっても困らねぇからな」
「ふざけるな!」
仲間を庇って戦死した部下を食べ物呼ばわりされて、コンラッドは激怒のあまり男のフライパンを蹴飛ばした。程よく焼けた肉が瓦礫だらけの床に落ちて埃にまみれる。次の瞬間、男は跳ね上がるように立ち上がってコンラッドに襲いかかった。
「てめぇ! 俺の食い物を!」
野獣のような咆哮を上げる男に向かってコンラッドは渾身のパンチを放った。かつてボクシングの州チャンピオンとして、幾人もの屈強な男たちを叩きのめしてきた必殺のストレートだ。
ブンと音を立てて拳が空を切る。次の瞬間、男の蹴りがコンラッドの脇腹にヒットした。
「ぐ、ぐふっ」
鍛え上げてきたはずの腹筋を貫くようなダメージにコンラッドの身体がぐらつく。ジャブを連発し、牽制しながら距離を取ろうとしたコンラッドだったが男はその全てを器用にかわし、一気に懐に潜り込んでくる。
(ヤバイ!)
そう思った次の瞬間、マトモに男の頭突きを顎に食らったコンラッドは埃を巻き上げながら仰向けに倒れ、そのまま意識を失つてしまった。
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