古き大妖
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玄狼を追い詰めようとしていた部隊員達の前に立ち塞がった集団は異様な雰囲気を纏っていた。左肩から右脇下に掛けた黒袈裟と頭に被った編み笠、左手に数珠を下げ右手には背丈を超える長い錫杖を地に突いている。
今ではあまり見かける事のない托鉢僧の姿をした集団だった。
一瞬、戸惑った様子を見せた部隊員達だが直ぐに戦闘態勢を取った。相手は素性も目的も分からない謎の集団であったが自分達が捕えようとする対象を遮る様に立ち塞がっている以上、それは敵であった。
長い錫杖は厄介な武具となり得るが彼らはそれを素手で制圧できるだけの戦闘技術を身に着けていた。先頭の数人が声を発さずに飛び掛かかる。無駄のない迅速な動きであった。だが軍隊で叩き込まれたその拳法の技は相手に届かなかった。
飛び掛かった先頭の男が背骨を抜き取られたかの様にぐにゃりと倒れ込んだ。続く二人の男女も同じであった。白目をむいて痙攣しながら砂地に寝転がった彼らの貌を既に死相が覆い始めていた。
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玄狼は眼の前にいきなり壁の様に現れた集団を見て驚いた。それは音も立てず気配も見せずまるで闇の中から生まれ出た様に現れたのだ。襲い掛かった中国人達の何人かが突然、毒でも喰らったかのようにバタバタと倒れた。だが謎の集団が何かをしたようには見えなかった。彼らは寸毫も動かず無言でそこに立ったままであった。
残りの部隊員達は素早く引き下がると五メートルほど離れた位置から異形の集団をじっと睨んでいた。獲物を追い詰める猟師のような非情な眼光に微かに脅えの色が浮かんでいる気がした。
托鉢僧の集団は全部で七人。その内、四人が男で三人が女であった。追い詰める側もほぼ同人数の男女の集団だった。どちらも無言で動かないまま向かい合っている。
だが部隊員達の殺気に満ちた剣呑な雰囲気に対し托鉢僧達のそれは一切の気配が感じられなかった。
通常、生き物であればなんらかの気配がある。玄狼は念視のレベルを上げて托鉢僧達を視た。そこで彼が眼にしたのは背筋が寒くなる様な光景だった。彼らは人ではなかった。人の形をした黒くドロドロとした闇の集まりであった。
そこには怒り、喜び、哀しみ、楽しみといった人間らしい念が一切存在していなかった。そこにあるのは近づくもの全ての生気を吸い尽くすかのような
その光景が玄狼に或る記憶を呼び覚まさせた。かなり以前、
厄介な相手だったのよ、と母は言った。県外のとある地方からの依頼で或る怪異の調伏を請け負ったのだがそれが存外に強力な霊の集団だったらしかった。結局、完全に祓い去ることが出来ず封印するのが精一杯だったという。
『 常に七人の集団で現れる妖怪でね。この世に強い未練をもって亡くなった人の霊が一体化して強力な磁場のような負の念の渦を発生しているの。多分、人体に七つあるとされる
出会った人間はその恐ろしい念の磁場に生気を吸い取られて倒れ、やがて死んでしまうのよ。すると集団の一人が成仏していなくなり、入れ替わりに死んだ人間が彼らの一員となる。だから人数は常に七人のままなの。』
『 そんなのどうやって封印したの?』
『強力すぎて祓って消滅させるには時間が掛かりそうだったから前鬼、後鬼と同じに悪行罰示神として式神にしたわ。それしか方法がなかったから。』
それ、前鬼、後鬼よりヤバい奴らじゃん、一体、どんな状況で使役できるんだ? と思った記憶がある。母から聞いたその妖怪の名前は確か・・・・
「この集団はまさか・・・七人ミサキ!?」
七人ミサキとは高知県を初めとする四国地方や中国地方に伝わる集団亡霊の呼び名である。七人同行、七人御先、七人童子など地方によって呼び名や形態は少しずつ違うが集団の人数が七人である点は一致している。この集団を視た者は必ず死ぬ。だから決して出会ってはいけない恐ろしい怪異だと言われている。
だがどうしてそれがこんなところに?
いや、それよりもしコイツラが振り向いたら俺は・・・・・?
一難去らずにまた一難、逃げようと思っても右足はまだ硬直したままで身体も思うように動かない。這うようにしてもがく彼の身体を誰かが後ろからグイッと引っ張り上げた。その力強さとは似合わぬ柔らかい感触が玄狼の背中を包む。同時に小さな、それでいて端然とした声が彼の耳元で囁いた。
「声を出さないで‥‥ こっちよ。」
そのままずるずると引き摺られながら少年は思わず首を捻じ曲げて何処か聞き覚えのあるその声の持ち主を見た。
「エッ!・・・石、川…先生? 」
少年の両脇に手を入れて支えながら砂浜を引き摺って行くのは彼の見知った人物、クラスの副担任である女性教師の
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膠着状態となった托鉢僧達と非合法工作員達の二つの集団に今、変化が訪れようとしていた。バラバラに立っていた托鉢僧達がいつの間にか縦一列に並んでいた。それはどろどろと混じり合っていた闇が七つの層にくっきりと分かれたかのような奇怪な動きであった。そして彼らは前に向かってゆっくりと歩き始めた。その進行に連れて錫杖の頭部に通されたいくつもの遊環(ゆかん)がシャンシャンと冷たい音を立てて不気味に鳴り響く。
命令された任務に対しては機械の如く忠実かつ非情なはずの工作員達が思わず後ろに下がった。間合いに踏み込まれれば死ぬ! それは生物が持つ本能的な恐怖がなせるものであっただろう。
その時、死の予感に対する恐怖と任務に対する使命感の狭間で逡巡する彼らの後ろから途方もなく大きな黒い頭がヌウッと出現した。
続いて青黒い鱗に覆われた全長十メートルを超す巨体がズズゥーン、ズズゥーンと砂地にくぐもった地響きを立てながら姿を現した。
「退ケ! ソ奴等ハ人デハナイ。怨念ニ凝リ固マッタ死霊達ダ。」
まるで太古の世界から抜け出して来たような巨大な爬虫類を思わせる存在が異国の言葉を発した。己が身そのものをを生きた符とする外法の符術によって青龍へと
龍は巨大な
同時に発現させた強大な斥力能でその唾液と大気を口腔内で猛烈に圧縮させる。
龍は熱、圧ともに臨界点を越えて圧縮され高温高圧の超臨界流体へと変化したそれを異形の僧の隊列に向かって叩き付けるように吐き出した。
ヴォヴォォォォーーン!!!
一列に並んだ僧の集団は凄まじいまでに圧縮された超臨界流体をまともに浴びてドミノ倒しのように次々と爆散し消失していく。四人目までが実体を失い霞の様に四散した後、残った三人の托鉢僧をドラム缶を束ねたような蒼黒い巨尾が薙ぎ払った。
バラバラになって千切れ飛んだ三人の四肢が赤黒い燐光を帯びた光子へと昇華して闇夜の中へと溶け込んでいく。
托鉢僧の霊集団によって形成された強大な虚無の深淵も圧倒的な質量を備えた青龍の念体による攻撃に抗しきれず
青龍はその巨大な眼球で闇の奥を凝視した。金色の瞳孔が複数の男女によって崖上の道路に吊り上げられようとしている少年の姿を暗闇の彼方に捉える。任務の最命題である対象を視認した青龍はゴゴゥッと地鳴りのような喉鳴りを発するとそこに向かって突進した。だが爆走する重戦車の如きその突進は砂地にのめり込むように押し止められた。
まるで周囲の大気が、足元の浜砂が、突如、何十倍にもその粘度と質量を増したかのようであった。暗い夜気の中でもそれと分かるほどの濃密な青い帳が龍の巨体を包んで絡みついていた。
「!」
もがけばもがくほどに更に手足は重くなり動きが取れない。何者かが張った結界術であることは間違いなかった。しかしいかなる陸上生物をも凌駕するであろう己の膂力を封じ込めてしまう程の術の使い手とは一体・・・・?
得体の知れぬ術に拘束されていらだつ青龍の眼前に一つの影がスゥッと音もなく立ち現れた。それはほっそりとした一人の女だった。龍は驚いてその姿を見詰めた。
美しい女であった。特に着飾っているわけでもない。長袖の綿シャツにジーンズという普段着の装いにもかかわらずお伽噺の挿絵から抜け出して来たかのように綺麗な女だった。
淡い月明かりを浴びたその姿は月の精霊を思わせる神々しさを放ちながらも白刃のような冴え冴えとした冷たさを纏っていた。
オ前ハ何者ダ? と訊ねようとして龍は声を止めた。女の面貌は己の捕えんとする少年のそれにあまりにもよく似ていた。
「水上 玄狼ノ母親カ?」
「青い龍・・・・・・、 では貴方が
女は逆に問い返して来た。淡々とした声であった。その一声で彼はこの女が只の祓い師などではない事を知った。闇夜に人語を話す巨龍と出会った人間が平然としていられるわけが無かった。この女は彼のような強大な怪異を相手に渡り合い撲滅する人生を歩んできた存在に違いなかった。
彼は今、自分を捕え拘束しているこの不可思議な結界はこの女がもたらしたものだと確信した。龍は後ろに散らばって潜んでいる部下たちに号令をかけた。
「行ケ! アノ少年ヲ取リ返セ! 奪イ返セナケレバ殺セ!」
その途端、龍の背後の夜闇から五つの黒い影が左右に散らばって駆けだしていく。
彼等は龍の周りに発生した青い空間領域を回り込んで避けながら疾風のように少年の元へと迫って行った。
その状況を目の当たりにしながら女は動こうとしなかった。眼の前の巨大な龍を凍り付くような眼差しで見詰めたまま微動だにしない。
その事に違和感を感じた
「あれは・・・・?」
暗闇を裂いて砂上に青白い電光がバリバリバリッと立ち昇った。
部下達の往く手を塞ぐようにまた黒い集団が現れていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
少年の元へと迫りつつあった工作員達の足元を身が竦むような音を立てて紫電の火花が奔る。青白い閃光と白煙が消えた後にはどこから現れたのか再び黒衣の集団が立ち塞がっていた。
剃り上げた青い頭に黒袈裟、左手に数珠、右手には両端が槍の穂先のように尖った法具を持った集団だった。
「何だ、こいつらは?」
「分からない。でも僧の格好をしているわ。」
「さっきの怨霊達の仲間か?」
「違うぞ! こいつらは生きた人間だ! 排除しろ!」
人数的にはほぼ同じ、ならば肉弾戦であろうと得物を使った闘いであろうと自分達が負けることは絶対にありえない。
肩、肘、拳を主体とした強大な打撃力を誇る八極拳の技を簡素化して造られた八極小硬架(軍隊用八極拳)を徹底的に叩きこまれた彼等には戦闘のプロとしての強烈な自負があった。
八極拳は独特の歩法で素早く敵の間合いに踏み込み、纏糸勁と呼ばれる全身を使った螺旋運動で練り上げた推力を至近距離から叩き込む短打を主体とする拳法である。
だが一打必倒の強打を叩き込んだ筈の相手から返って来たのはそれを弾き返す巌の如き防御とそれを上回る猛打、そして蛇の動きにも似た絡みつくような関節技であった。
戦闘が始まって数分を越えた頃には相手が自分達を凌駕する体術を身に着けた存在だと知った。其の後はもう何もわからなくなった。最終的に独鈷杵から放たれた強烈な電撃が彼らの四肢と意識を麻痺させたからであった。
「お仲間は駄目だったみたいね。どうする?
もうじき、警察が動き出すわよ。自衛隊は一部既に動いているけど。
あの子はもう内閣情報調査室の庇護下に入ったわ。これ以上続けるならホントに日本と貴方達の祖国は戦争になるわよ。そこまでやる覚悟はあるのかしら?
どっちにしても貴方達の計画は失敗だけど。」
女がカラカラと笑いながら青龍に語り掛ける。だがその眼はゾッとする様に冷たいままであった。
「ソノヨウダ・・ダガ逆ニヒトツ手ニ入レタモノモアル。」
「あら、それは何かしら?」
「オ前ダ。オ前モアノ少年ト同ジ念能ヲ持ッテイル。サッキ俺ヲ足止メシタノモソノ念能ダロウ? ナラバオ前ヲ祖国ニ連レ帰レバヨイ。オ前ヲ押サエテオケバ先々ニハアノ子ヲ捕エテ引キ込ムコトモ出来ル筈ダ。」
「え、私? 私なの! ・・・・成程、悪知恵が回るものねぇ。でも言っておくけど現時点ではあの子の何倍も私の方が手強いわよ。あの子一人すら押さえられずに逃がしてしまった貴方達に私を捕えて連れ帰るなんてことが出来るのかしら?」
「心配ハ 要ラン。我ラ四人ガ揃エバオ前ヲ押サエルコトナド容易イコトダ。」
「四人・・・・?」
首を傾げる理子の所作に合わせたかのように青龍の後ろからゆっくりと三人の人物が現れる。それは
三人は衣服の襟を開いて胸の上部を外気に晒すとそこに彫られた絵文字の刺青に掌を押し当てて呪文のような物を唱えた。忽ち彼らの身体を白、赤、暗緑色の燐光が取り囲んだ。それらは互いに干渉しながらメキメキと巨大化した。
林 宗虎は巨大な白虎、朱 媛雀は孔雀に似た紅色の巨鳥、趙 真武は漆黒の大亀に
やがてそこには西の白虎、東の青龍、南の朱雀、北の玄武と呼ばれる四頭の霊獣達が巨体を持て余すようにして鎮座していた。
「そう、分かったわ。石川先生が言っていた
ま、どっちにしても私の可愛い大切な息子をあんな酷い目に合わせた罰は受けて貰わなきゃね。じゃ、さっそく準備しなくちゃ!」
そう言うと理子は右手の人差し指と中指の二本を真っ直ぐに伸ばして残りの薬指・小指にて親指を包み込むようにして造った剣印で神道九字を切った。
「 天 、地、 元、 妙、 行、 神、 變、 通、 力 」
そして口決を唱えた。
神代、日神・素盞鳴尊、
剣玉盟誓の時、剣を真名井に振濯、
かみにかみて吹棄 気吹の狭霧に、
神霊の現れ玉ふの道理・事相を能思奉べし。
直後、彼女の握り込んだ右手の拳から金色の光粒が立ち昇りその中から光り輝く白銀の剣が現れた。握りの部分が魚の背骨の様に節くれだった刃渡り80センチほどの剣だった。そして何とも言えぬ妖しさを秘めた剣であった。
それを見た青龍が割れるような大声で叫んだ。
「ソンナ貧弱ナ剣デ我ラヲ切ルツモリカァァァ!」
理子はうっすらと口角を上げて答えた。
「これは式神を使役する為の憑代よ。言ってみれば式神のコントローラーね。
その名を
少年期を日本で過ごしたのなら知っているんじゃないかしら?。」
そして彼女はその剣を高々と空に差し上げながら朗々と声を上げた。
~其は遙けき昔、連なりし頭もて
~その咎もちて黄泉の底にさし込められし
~今、我この剣もてその縛めをほどきて汝を
~山を割き河を堰く血爛れた大身もて我に仇為す輩共を 討ち滅ぼせ~
急 急 如 律 令!
冷たく暗い夜空より微かに振り注がれていた月光が突如、遮られたかのように辺りが真っ暗になった。月が雲間に隠れたわけではない。よく見れば月はその姿を雲の隙間から僅かに覗かせている。
では何故?
その理由は空にではなく四神達の直ぐ目の前の海にあった。彼等の正面に位置する海面が広大な範囲にわたって赤い墨を流し込まれたかのように紅く染まってきているのであった。
紅い墨を佩いたかのような巨大な
海面を覆い尽くすかの如く大きく広がったそれはやがて中心部より幾重もの巨大な波紋をうねらせながら更にその赤味を強めていく。
海が
やがてパリ、パリという乾いた異音と共に無数の紫電が触手の様に絡み合いながら海面を覆う真っ赤なベールの周りに渦巻きだした。その海面より途轍もなく巨大な質量と大きさを持った何かが現れ出でようとしていた。
凄まじいエネルギーの奔流を海水内部に滾らせながらそれを物質へと変換しているかのように紅く濁った海面はそれ以上に巨大な何かを吐き出そうとしていた。
ゴゴォッ、ゴゴッという海鳴りのような不気味な音が海を揺らせている。いや海ではない、海水を含む空間そのものが震えているのだ。
それはあたかも自然状態では決して起こり得ない異常な現象にこの世界の
どのくらいの時間が過ぎたであろうか。急速に海が本来の静けさを取り戻し不気味な震動音も無数のクラゲの足の如き紫電の蠢動も何処か別の世界へと消え去っていた。
そして血の海の如き真っ赤な海面に山のように
青龍が地の底から響くような唸り声を上げて
「コイツハ・・・ヤ、
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