見知らぬ母娘連れ


再び応接間に戻った後、 瑠利るりが理子に驚くようなことを言った。



「玄狼君は須弥山しゅみせんによって誘拐された可能性が高いと思われます。」


「須弥山?」


「中国の新明解放軍に属する諜報機関の名前です。新明解放軍は五つの戦区に分けられて編成されていますがその中に西部戦区の【崑崙山参謀部】、北部戦区の【蓬莱山参謀部】、そして新明解放軍の中枢である中部戦区の【須弥山参謀部】の三つが存在する事がわかっています。


今まで我が国における中国の諜報活動と言えば殆どが蓬莱山参謀部が主体であったために須弥山参謀部は余り注目されていませんでした。

ただ、李 太龍リ タイロンという人物名だけは度々、公安警察の捜査線上に浮かび上がっていたのです。」



理子はそれが志津果から聞いた ” 李 何とかロン ” とかいう人物の事であることに気付いた。



「その人が玄狼を拉致したと・・・?」


「それはまだ断定できていません。ただ、五日ほど前の出入国在留管理庁の入国記録にその名前がありました。入国目的は団体観光で観光の目的地はこの香河県となっています。

彼は日本に数々の土地や、建物を所有する資産家であり、とある中国企業の総経理、日本でいう所の社長です。日本における余りの資金力に疑問を感じた公安が調査してみたところ素性がはっきりとしませんでした。


小さい頃に来日して十二歳頃に中国に帰ったことは判っていますがそれ以降の経歴は全くの不明です。ただ最近の調査によると彼が須弥山参謀部に存在する忉利天とよばれる特殊部隊の非合法工作員であるという情報がかなりの信頼度をもって確認されています。」


「・・・で、玄狼の行方は?」


「それはまだ分かりません。只、息子さんが商豆島より連れ出されたとすれば恐らくは海上からではないかと推測されます。」


「海から?」


「はい、攫われたのがおそらく夕方から夜間であること、離着陸の場所、飛行機を使用する際の手続きの面倒さを考えると空からという線は消えます。陸からでは周囲を海に囲まれた島であるという地理的条件がネックとなるでしょう。となると残るは海だけという事になります。」


「船で連れ去られたという事ですか?」



理子の質問に対し石川 瑠利は黙ったままスーツの胸ポケットから数枚の写真を取り出して彼女に渡した。その写真には細長い形をした船舶のようなものが写っていた。

船舶と言っても甲板デッキらしきものがどこにもない奇妙な船だった。


胴体の中央部分にコクピットを思わせる透明な半球状のドームが縦に二つ並んでついている。三角型の翼のようなものが側面と後部の左右にそれぞれついており一見すると飛行機の様に見えなくもない。ただそれが飛行機ではなく船だとわかるのは海面に浮かんでいるからであった。



「・・・・これは?」


「某動画投稿サイトに昨日の午前中に投稿された動画の一部をプリントアウトしたものです。撮影場所は香河県 東カガワ市の沖約10キロ、撮影時刻は昨日の早朝三時頃、夜釣りをしていた地元の人間がスマホのカメラで撮影した潜水艇です。」


「はぁ・・潜水艇! 何故そんなものが瀬戸内海に? えっ! まさか玄狼を攫ったと言うのは!?」


「アメリカのディープフライング社が製造した個人用潜水艇 ハイパーファルコン、おそらくそれだと思われます。一億五千万円を超える高価な買い物を出来る人物は限られます。しかし中国政府をバックに持つ資産家の李 太龍リ タイロンなら可能でしょう。」


「なぜ! 何故、こんなものであの子を!?」


「他国の人間、それもまだ十三歳の少年を新明解放軍の特殊部隊が力ずくで拉致しようとしたなどという事が露見すれば国際社会を震撼させる大事件となります。

もしそのようなことになれば中国と日本は決定的に対立する事となり延いては中国が西側諸国からの批判を浴びる事となるでしょう。となれば求められるのは速さよりも隠密性です。


確かに改造した高速船で海上を突っ走れば十余時間で我が国の主権が及ばない公海域まで抜けることができるかもしれませんが間違いなく海上保安庁か海上自衛隊の監視網に引っ掛かります。


我々にとって幸運だったのは彼らが貴女が不在であることをおそらく知らなかったという事です。貴女が在宅であれば拉致は数時間で発覚し我々の機関に連絡が入る。そうなったら如何な高速船であろうと逃げ切ることは難しくなる。そのため彼らがこのハイパーファルコン潜水艇を使ったのではないかという可能性があります。」



理子は絶望的な気持ちになった。玄狼がいなくなってからもう既に四十時間近くが過ぎている。潜水状態で移動すれば発見する事は困難だ。であれば息子は今頃、中国軍の偽装工作船に乗せられて外洋を航海しているのではないか?



「それではあの子は既にもう・・・?」


「調べたところ、このハイパーファルコンはリチウム電源によって動き、二時間の充電で水深120メートルまで潜ることが出来ます。瀬戸内海の深さは平均で約38メートル、最深部で105メートルですから何処へでも行けることになります。


只、航続時間と速度は限られており最大6ノットで六時間、乗員の健康状態、バッテリー容量を考慮に入れると実際には四ノットで三時間程度だと思われます。

現にこの動画の撮影された時点ではまだ鳴門海峡を抜けていません。もう一つの幸運として丁度、鳴門の渦潮が発生する時間帯に引っ掛かったためでしょう。」



鳴門海峡の潮流はこの時期、大潮時に最大となり、直径20mにも達する渦潮が数時間に渡り発生する。例え潜水したとしても船体に影響を受ける可能性はある。万が一を考えた場合、土地勘のない異国の軍人にとっては避けなければならない自然現象であったのだろう。



「乗員の食事や排泄、エコノミー症候群の発症、リチウム電源の充電などを考えれば数時間ごとに浮上し補給を受ける必要がある筈です。


海上で充電となれば相当に目立つうえ時間もかかり捕捉しやすくなりますが敵は動力システムをバッテリー駆動から念能駆動に改造しているかもしれません。それであれば充電は不要となり僅かな時間で補給が可能です。また水中電場センサーや聴音ソナーなどの探索システムにも引っ掛かりにくくなります。


更に同乗する搭乗員は医学、操縦、戦闘等の高度な訓練を徹底して受けた念能者である可能性が高いです。」


「ではどうやって潜水艇を確保するのですか?」


「機動性の貧弱な潜水艇でそのまま外洋を目指すことはあり得ないでしょう。一旦、何処かに上陸してトラックなどにハイパーファルコン潜水艇を回収する必要があります。そしてクルーザー等の長時間の航海が可能な船に乗り換えて中国の南部もしくは東部の沿岸を目指して出航するのではないかと考えられます。

その上陸する場所を押さえれば彼らを制圧し玄狼君を奪還できます。」


「その場所がどこかというのは分っているのですか?」



石川 瑠利はその問い掛けにしばし沈黙した後、ゆっくりと言葉を紡いだ。



「残念ながら分かっていません。徳縞もしくは高地県沿岸の個人所有の船舶ドックのいずれかだろう事は推測できますが具体的な位置は特定出来ていないのです。

李 太龍リ タイロン名義の不動産リストを洗い出して調べた結果では該当しそうなものはありませんでした。

ひょっとすると別人の名義を使って登録しているのかもしれません。」


「ではどうすれば?」


「今現在、警察、漁協、港湾関係に連絡してしらみつぶしに海岸沿いの倉庫やドックを捜索しています。ただ・・・猶予時間がない事は事実です。」


「何時位までに見つけなければいけないのですか?」


「恐らく日の明るい内はハイパーファルコン潜水艇の陸上げはしないと思います。それでも今日の夕刻ぐらいまでに場所を特定できなければ間に合わないかもしれません。国家の主権が及ぶ領海は沿岸から12海里です。無害通航権により通常の船であれば出航してから三十分少々で領海を抜ける事になります。一旦、領海の外に出られてしまえばEEZ排他的経済水域の中を航行しているだけでは違法性を問えなくなります。そして公海に到達されてしまえばもう打つ手はありません。」


「たとえ自国の国民が拉致されているのだとしてもですか?」


「明確な証拠がない限りそう言う事になります。政府が国家間の武力衝突を辞さないというのであれば話は別ですが・・」



理子は時計を見た。現在時刻はAM10:00を過ぎたところだった。後、八時間ほどの内にその場所を特定する事はほぼ不可能ではないかという気がした。彼女はギリッと奥歯を噛みしめると絞り出すような声音で言った。



「もし玄狼を奪還できなかったときは私が単身、中国に乗り込んでもあの子を取り戻してみせるわ!」



石川 瑠利は少年の母親の言葉に込められた狂気を帯びたような情念に思わず身をたじろがせた。この女性の事は高田 宇紗美より何度も聞かされていた。


神道界では中堅以上の団体規模を持つ巫無神流 神道において次期総帥と噂され開祖の再来とまで呼ばれた伝説的な念能者。二十二歳で突然、日本を出て欧州へと渡りそのまま消息が途絶えたままだったという。そうなる前に巫無神流の最上層部と何らかの軋轢があったらしいがはっきりしたことは分っていない。



《 何があってもあの子くろうに危害が及ぶような事態だけは回避する事。

もしそんなことになったら彼女みちこは相手が国家や軍隊であっても殴り込みをかけるかもしれないわ。


現在は巫無神流と絶縁状態になってはいるけど古くからの鵺弓師の中には未だに彼女を巫無神流の真の後継者と仰ぐ人達が一定数存在するの。

私たちの組織にも何人かは巫無神流出身の人がいる。その人達が強力に彼女を支援している事は事実よ。


でもそれとは関係なく彼女がその気になればとんでもない災厄がこの世に振り撒かれることになるでしょうね。幽世かくりよから呼び寄せられた数多あまたの妖、式神達を相手にするって言うのは御免こうむりたいもの。 》



愛嬌のある外見とは裏腹に組織の中でも筋金入りの武闘派エージェントとして恐れられる彼女がそう言うからには途轍もない通力の持ち主であるのだろう。

そして事態は今まさにその回避すべき状態そのものになりつつある。


如何に強大な念能力を持っているとは言え中国新明共和国という巨大国家を相手に個人が勝てよう筈もない。だが怪獣のような超絶的なパワーを振りかざす共産党上層部の急所に一太刀くれるぐらいのことはやれるかもしれない。

そうなった時、日本と中国の間にきな臭い不気味な狼煙が上がることになりはしないか? 


石川 瑠利が状況への対応に焦りを感じ始めた時、いきなり玄関の呼び鈴チャイムがなった。

その眼に薄く狂気を溜めた理子がのっそりと立ち上がって玄関へと向かう。

玄関には二つの影が立っていた。


一人は理子と同年代か少し上と思われる大人の女性、そしてもう一人は中学生ぐらいの少女だった。一目で母娘とわかるよく似た顔立ちをしている。

妖しげな美しさを湛えた見知らぬ母娘であった。



「水上玄狼さんのお母様ですか?」



母親と思われる女性がそう訊ねて来た。



「はい、そうですが・・・どちら様でしょうか?」



女性は尖ったように見える細い両の口角をスッと持ち上げて微笑んだ。

しっとりと紅く濡れたような唇が開いて細く白い八重歯が艶めかしく覗く。



「初めまして。私、福田 柴乃しのと申します。こっちは娘の安里紗です。

今日は御子息の玄狼さんの行方についてお話に参りました。」



見る者の心を見透かすような妖しい微笑みだった。











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