見知らぬ女
玄狼が姿を消した翌日、出張より返って来た理子は我が子の不在に戸惑った。スマホに何度も連絡してみたが繋がらない。
「 お掛けになった電話番号は電波が届かないところに在るか電源が入っていないため・・」 云々というお定まりの案内文句が流れるだけであった。
自分が用意しておいた冷蔵庫の中の食事に手が付けられていない事から昨夜は帰ってきていないということになる。戸惑いは直ぐに不安へと変わった。
彼女はまず隣の田尾家、城岩寺を訊ねた。息子の同級生である志津果が何か知っているかもしれないと考えたからであった。
だが志津果は玄狼の行方については何も知らなかった。昨日は本土の鷹松市で亜香梨と二人で買い物をしていたのだと言う。
理子から玄狼が昨夜から家に帰っていないことを聞いた
只、亜香梨は他の男子二人とは少し反応が違った。
” 確認してみるきん、ちょっと待っといて ”
理子は続いて玄狼の小学校時の担任であった高田 宇紗美に電話をかけた。ゴールデンウイーク中の午後という社会人にとって最も気怠いであろう時間帯にも関わらずコールが二回目に入るかどうかという速さで彼女は電話に出た。理子は挨拶もそこそこに事のあらましを息子の元担任に伝えた。
本来なら中学校における現行の担任教諭に伝えるのが本筋であろうがこれには理由があった。
理子は高田 宇紗美が単に
つまり高田 宇紗美は一地方公務員ではなく科学文部省の直接的な差配によって城山小学校へと配属された人物だったのである。その科学文部省さえ彼女にとっては任務の都合上、一時的に所属しただけの仮の
理子はその事実を直に高田 宇紗美に確認したことは無い。それはただ、暗黙の了解として二人の間に存在する事象であった。
玄狼が帰ってきていないと言う話を聞いた高田先生が電話の向こうで一瞬、黙り込んだような気配が感じられた。
「直ぐに伺います!」
短くそれだけを伝えて電話は切れた。理子は応対してくれた志津果とその母の信子に礼を言って城岩寺の門を出ると奥城島神社の社殿裏の自宅に戻った。
10分ほどして車の排気音とブレーキ音、少し置いてドアをバタンと閉める音が聞こえた。そして足早に歩く靴音が玄関に近づいたかと思うと
「高田です! 水上さん、いらっしゃいますか!?」
何かを抑え込もうとするかのような硬い響きを持った声が土間に響いた。理子は廊下に出ると急いで玄関へと向かった。
そこには玄狼の小学校時代の担任であった女教師、高田 宇紗美が立っていた。しかし理子はそれが誰だか一瞬分からなかった。高田先生のウサギが頬にニンジンを頬張ったような丸っこい愛嬌のある顔が剣呑さを帯びた厳しいものに変わっていた。
― ― ― ― ― ― ― ― ―
玄関の式台から上がり框を越えて廊下を進んだ直ぐ左手に小さな部屋があった。
普段、居間兼応接間として使われている六畳ほどの部屋である。
今、そこに理子と高田 宇紗美は向かい合ってソファーに座っていた。
「玄狼君は何時いなくなったんですか?」
「私、仕事で県外に泊まり込みで出張に出ていたのではっきりした時間は分かりませんが昨日の夕方までの内だと思います。冷蔵庫に入れておいた夕食がそのまま残っているので昨日の夜以降は帰ってきていないんじゃないかと・・・」
「昨日の朝は居たんですか?」
「ええ、居ました。友達とどこかへ出かける予定があったみたいで昼食は外で食べるからということでお金をくれと言われて渡しました。私もそのまま急いで家を出てしまったのでその後は連絡を取っていなかったんです。」
「夜も連絡はしなかったんですか?」
「ええ、あの子、仕事で私がいない夜はいつも携帯電話の電源を切ってしまっているんです。たぶん、羽を伸ばしてゲームをするのを邪魔されたくないからだと思うんですけど・・・だから連絡はしていません。」
「その友達というのは?」
「わかりません。賢太君や志津果ちゃんの内の誰かだろうと思っていたんですけどそうじゃなかったみたいで。さっき志津果ちゃんの家に行った時、
だから中学校で出来た友達かもしれません。本土の友達については私もよく知らなくて・・・」
「・・・・・・」
「それで警察に連絡する前に高田先生に連絡した方が良いかと思って電話させてもらったんです。」
行方不明と言っても半日から一日の間、音沙汰がないと言うだけで何か事故や事件があったかどうかはわからない。その友達とやらの家に泊まり込んでいるだけかもしれないしもうすぐひょっこりと帰ってくる可能性だってある。
今の時点でいきなり警察に連絡すると言うのは些か躊躇われる状況ではあった。
だがもし、玄狼の身に何かがあったのだとしたら・・・・
警察どころか可能な限りの手段を使ってその行方を追及しなければならなくなるかもしれない。
万が一、想定される事態が最悪の物であった場合、警察を含むあらゆる国家機関の総力を投入する状況になるであろう。水上 玄狼という少年は日本という国家においてそれだけの価値をもつ存在であった。
そしてその責任を負っているのは監視及び護衛役として政府より派遣された自分自身なのだ。高田 宇紗美が決断を迫られているその時、理子の携帯電話が突然、激しく鳴った。慌てて液晶画面の応答ボタンを押した
「もしもし、おばさん? 亜香梨から今、電話があったきん。玄狼は昨日、一個上の先輩と一緒におったらしいて。うちら以外で連休中に一緒に出掛けるとしたらその人しか思い当たらんなと
偶然、亜香梨と同じクラスの女子にその先輩と家が近い子がおってその子から先輩の電話番号教えて
ほんでその先輩に連絡とって見たら昨日、商豆島へ一緒に瀬戸芸を観に行っとったと言われたんやて。その先輩は先に
「えっ!
「何か中国からの団体客の案内で来とった中国人や言うとったけど。李 何とかロンとか言うとったかな? 確かそんな名前の・・・」
「中国人・・・? 李・・ロン?」
電話から洩れる会話に耳を澄ましていた高田先生が強く反応した。いきなり上着の胸ポケットから武骨な造りの黒っぽい携帯電話らしきものを取り出す。
それは携帯電話というより一昔前の
彼女はそれに素早く長いコードを打ち込むと耳を当てて会話を始めた。理子より少し離れた位置まで移動した後で小声で電話向こうの相手と何事かを囁いている。
理子は志津果に礼を言うと電話を切って高田先生の会話が終わるのを待った。
しばらくしてそのヘビーデューティないかつい電話機から耳を離した高田先生は思いつめたような様子でこういった。
「お母さん、申し訳ありません。かなり不味い事態が起こっているかもしれません。まだ確証はありませんがもしそうならこれは全てこちら側、延いては私の責任です。
現状の危機に対しての認識と危機管理が甘すぎたとしか言いようがありません。
これからすぐに本部に飛んで情報を収集して玄狼君の行方を追います。
最低半日から一日程度の時間は頂くかもしれませんが何かが分り次第、即座にお伝えします。ただ傍受される可能性があるため通常の電話連絡は出来ません。何か他の方法を考えます。後、お母さんはくれぐれも単独での行動はしないでください。
それでは失礼します。」
そう告げるが早いか
― ― ― ― ― ― ― ― ―
高田 宇紗美の代理人と称する見知らぬ女が理子を訊ねて来たのは玄狼がいなくなってから二日目の朝の事であった。
高田先生から単独行動はしない様に言われはしたが何もせずに待つ時間はどうしようもなく長かった。胸を無数の焼けた針で突き刺されるような焦燥感に耐えられず当日、息子と一緒にいたと言う先輩の事を訊くために亜香梨の家へ向かおうとしていた矢先に玄関のチャイムが鳴った。
急いで玄関に出てみるとそこに立っていたのはチャコールグレイのスカートスーツ姿の若い女性だった。身長は160cm前後、色白で細面の顔に黒い金属製のボストンタイプの眼鏡をかけている。
「初めまして。
石川 瑠利と名乗ったその女性は玄狼の通う本土の松島中学にこの四月に赴任してきたばかりの教員だった。玄狼のクラスの副担任を受け持っているのだと言う。
理子は彼女を例の応接間に案内した。
「お分かりだとは思いますが私は高田と同じ任務に属するものです。ご子息が本土と島の二つに跨って生活されることとなったため高田では目の届きにくい本土での生活状況を確認する役目を受け持つことになりました。
要するに玄狼君の島での生活は高田が、鷹松市における生活は私、石川がそれぞれ分担して危機管理するという事です。
ただ、この度は
まず今までの調査で分かった事をお伝えしますがその前に・・・」
長方形の本体にアンテナやコード付きのセンサー、ファインダーのような計器が所狭しと取り付けられたそれを右手に持って翳しながら部屋全体を探る様に向ける。
その行為をしばらく続けた後で彼女は ” 特に問題は無いようですね ” と言った。
「この部屋に盗聴器等が仕掛けられていないか確認させていただきました。どうやら大丈夫なようです。」
続いて
四畳半の狭い部屋にピィーーーーッというアラーム音が鳴り響く。
「多分、この中には盗聴用の基盤が組み込まれています。
ほら、裏面に空いたこの小さな穴、これで電話の会話を拾って当日の息子さんの行動予定を知ったんだと思います。」
理子は背筋にゾッとしたものを感じた。盗聴盗撮などという非日常的なスパイ映画もどきの行為が自分の生活の中に入り込んでくるとは考えてもいなかった。
かく言う自分も一般の人達から見れば十分、非日常的な存在に関わって生活している人間ではあろう。だが
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます