見知らぬ女

玄狼が姿を消した翌日、出張より返って来た理子は我が子の不在に戸惑った。スマホに何度も連絡してみたが繋がらない。

「 お掛けになった電話番号は電波が届かないところに在るか電源が入っていないため・・」 云々というお定まりの案内文句が流れるだけであった。

自分が用意しておいた冷蔵庫の中の食事に手が付けられていない事から昨夜は帰ってきていないということになる。戸惑いは直ぐに不安へと変わった。

彼女はまず隣の田尾家、城岩寺を訊ねた。息子の同級生である志津果が何か知っているかもしれないと考えたからであった。


だが志津果は玄狼の行方については何も知らなかった。昨日は本土の鷹松市で亜香梨と二人で買い物をしていたのだと言う。

理子から玄狼が昨夜から家に帰っていないことを聞いた彼女しづかは直ぐに亜香梨、賢太、団児に次々とスマホで連絡をした。結果は誰も玄狼が昨日、どこで何をしていたかを知らないことが分かっただけだった。


只、亜香梨は他の男子二人とは少し反応が違った。彼女あかりは彼の行方については知らないが昨日彼と行動を共にしていたかもしれない人物には心当たりがあるようだった。


” 確認してみるきん、ちょっと待っといて ”


彼女あかりはそう応えて電話を切った。


理子は続いて玄狼の小学校時の担任であった高田 宇紗美に電話をかけた。ゴールデンウイーク中の午後という社会人にとって最も気怠いであろう時間帯にも関わらずコールが二回目に入るかどうかという速さで彼女は電話に出た。理子は挨拶もそこそこに事のあらましを息子の元担任に伝えた。

本来なら中学校における現行の担任教諭に伝えるのが本筋であろうがこれには理由があった。


理子は高田 宇紗美が単に香河かがわ県の教育委員会の人事によって島の小学校に着任した普通の教師などではない事を彼女うさみの赴任前から知らされていた。知らせたのは日本政府の中に秘密裏に設けられた特殊な組織である。その組織の存在こそが理子と玄狼の親子が八年間に渡る海外生活を捨てて日本国へと回帰することとなった理由であった。


つまり高田 宇紗美は一地方公務員ではなく科学文部省の直接的な差配によって城山小学校へと配属された人物だったのである。その科学文部省さえ彼女にとっては任務の都合上、一時的に所属しただけの仮の後ろ盾バックボーンに過ぎなかった。

理子はその事実を直に高田 宇紗美に確認したことは無い。それはただ、暗黙の了解として二人の間に存在する事象であった。


玄狼が帰ってきていないと言う話を聞いた高田先生が電話の向こうで一瞬、黙り込んだような気配が感じられた。


「直ぐに伺います!」


短くそれだけを伝えて電話は切れた。理子は応対してくれた志津果とその母の信子に礼を言って城岩寺の門を出ると奥城島神社の社殿裏の自宅に戻った。

10分ほどして車の排気音とブレーキ音、少し置いてドアをバタンと閉める音が聞こえた。そして足早に歩く靴音が玄関に近づいたかと思うと呼び鈴チャイムもなしにいきなりシャッとガラス戸が開いた。



「高田です! 水上さん、いらっしゃいますか!?」


何かを抑え込もうとするかのような硬い響きを持った声が土間に響いた。理子は廊下に出ると急いで玄関へと向かった。

そこには玄狼の小学校時代の担任であった女教師、高田 宇紗美が立っていた。しかし理子はそれが誰だか一瞬分からなかった。高田先生のウサギが頬にニンジンを頬張ったような丸っこい愛嬌のある顔が剣呑さを帯びた厳しいものに変わっていた。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




玄関の式台から上がり框を越えて廊下を進んだ直ぐ左手に小さな部屋があった。

普段、居間兼応接間として使われている六畳ほどの部屋である。

今、そこに理子と高田 宇紗美は向かい合ってソファーに座っていた。



「玄狼君は何時いなくなったんですか?」


「私、仕事で県外に泊まり込みで出張に出ていたのではっきりした時間は分かりませんが昨日の夕方までの内だと思います。冷蔵庫に入れておいた夕食がそのまま残っているので昨日の夜以降は帰ってきていないんじゃないかと・・・」


「昨日の朝は居たんですか?」


「ええ、居ました。友達とどこかへ出かける予定があったみたいで昼食は外で食べるからということでお金をくれと言われて渡しました。私もそのまま急いで家を出てしまったのでその後は連絡を取っていなかったんです。」


「夜も連絡はしなかったんですか?」


「ええ、あの子、仕事で私がいない夜はいつも携帯電話の電源を切ってしまっているんです。たぶん、羽を伸ばしてゲームをするのを邪魔されたくないからだと思うんですけど・・・だから連絡はしていません。」


「その友達というのは?」


「わかりません。賢太君や志津果ちゃんの内の誰かだろうと思っていたんですけどそうじゃなかったみたいで。さっき志津果ちゃんの家に行った時、あの娘しづかが確認してくれたんですけど誰もその事を知らないということでした。

だから中学校で出来た友達かもしれません。本土の友達については私もよく知らなくて・・・」


「・・・・・・」


「それで警察に連絡する前に高田先生に連絡した方が良いかと思って電話させてもらったんです。」



行方不明と言っても半日から一日の間、音沙汰がないと言うだけで何か事故や事件があったかどうかはわからない。その友達とやらの家に泊まり込んでいるだけかもしれないしもうすぐひょっこりと帰ってくる可能性だってある。

今の時点でいきなり警察に連絡すると言うのは些か躊躇われる状況ではあった。

だがもし、玄狼の身に何かがあったのだとしたら・・・・


警察どころか可能な限りの手段を使ってその行方を追及しなければならなくなるかもしれない。

万が一、想定される事態が最悪の物であった場合、警察を含むあらゆる国家機関の総力を投入する状況になるであろう。水上 玄狼という少年は日本という国家においてそれだけの価値をもつ存在であった。


そしてその責任を負っているのは監視及び護衛役として政府より派遣された自分自身なのだ。高田 宇紗美が決断を迫られているその時、理子の携帯電話が突然、激しく鳴った。慌てて液晶画面の応答ボタンを押した彼女みちこの耳に田尾 志津果の声が聞こえて来た。



「もしもし、おばさん? 亜香梨から今、電話があったきん。玄狼は昨日、一個上の先輩と一緒におったらしいて。うちら以外で連休中に一緒に出掛けるとしたらその人しか思い当たらんなとおもたらしい。

偶然、亜香梨と同じクラスの女子にその先輩と家が近い子がおってその子から先輩の電話番号教えてもろた言うとった。


ほんでその先輩に連絡とって見たら昨日、商豆島へ一緒に瀬戸芸を観に行っとったと言われたんやて。その先輩は先に井家田いけだ港からフェリーで本土に帰ったらしいんやけど玄狼は向こうで知り合った人に私有のクルーザーで殿庄とのしょう港から奥城島まで送って貰う事になって港で別れたちゅう話なんやけど。」


「えっ! 殿庄とのしょう港? 私有のクルーザーで送って貰った? その知り合った人ってどんな人なのかしら?」


「何か中国からの団体客の案内で来とった中国人や言うとったけど。李 何とかロンとか言うとったかな? 確かそんな名前の・・・」


「中国人・・・? 李・・ロン?」



電話から洩れる会話に耳を澄ましていた高田先生が強く反応した。いきなり上着の胸ポケットから武骨な造りの黒っぽい携帯電話らしきものを取り出す。

それは携帯電話というより一昔前の携帯無線機トランシーバーを薄く押しつぶしたようなごつい形状を持っていた。


彼女はそれに素早く長いコードを打ち込むと耳を当てて会話を始めた。理子より少し離れた位置まで移動した後で小声で電話向こうの相手と何事かを囁いている。

理子は志津果に礼を言うと電話を切って高田先生の会話が終わるのを待った。


しばらくしてそのヘビーデューティないかつい電話機から耳を離した高田先生は思いつめたような様子でこういった。



「お母さん、申し訳ありません。かなり不味い事態が起こっているかもしれません。まだ確証はありませんがもしそうならこれは全てこちら側、延いては私の責任です。

現状の危機に対しての認識と危機管理が甘すぎたとしか言いようがありません。


これからすぐに本部に飛んで情報を収集して玄狼君の行方を追います。

最低半日から一日程度の時間は頂くかもしれませんが何かが分り次第、即座にお伝えします。ただ傍受される可能性があるため通常の電話連絡は出来ません。何か他の方法を考えます。後、お母さんはくれぐれも単独での行動はしないでください。

それでは失礼します。」



そう告げるが早いか彼女うさみは来たときと同じく玄関のガラス戸を一連の動きでシャッと開閉するとそのまま音も立てずに走り去った。数秒経たずにイグニッションキーによってエンジンが起動する音と排気音が連続して起こる。やがてそれは直ぐに遠ざかって消えて行った。その去り際はまるで風のようであった。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




高田 宇紗美の代理人と称する見知らぬ女が理子を訊ねて来たのは玄狼がいなくなってから二日目の朝の事であった。


高田先生から単独行動はしない様に言われはしたが何もせずに待つ時間はどうしようもなく長かった。胸を無数の焼けた針で突き刺されるような焦燥感に耐えられず当日、息子と一緒にいたと言う先輩の事を訊くために亜香梨の家へ向かおうとしていた矢先に玄関のチャイムが鳴った。


急いで玄関に出てみるとそこに立っていたのはチャコールグレイのスカートスーツ姿の若い女性だった。身長は160cm前後、色白で細面の顔に黒い金属製のボストンタイプの眼鏡をかけている。



「初めまして。石川いしかわ 瑠利るりと申します。高田 宇紗美からの依頼でこちらへ伺わせていただきました。」



石川 瑠利と名乗ったその女性は玄狼の通う本土の松島中学にこの四月に赴任してきたばかりの教員だった。玄狼のクラスの副担任を受け持っているのだと言う。

理子は彼女を例の応接間に案内した。



「お分かりだとは思いますが私は高田とに属するものです。ご子息が本土と島の二つに跨って生活されることとなったため高田では目の届きにくい本土での生活状況を確認する役目を受け持つことになりました。

要するに玄狼君の島での生活は高田が、鷹松市における生活は私、石川がそれぞれ分担して危機管理するという事です。


ただ、この度は十連休ゴールデンウィークという稀な長期休暇の始まりであったことから管理体制に緩みがあったかもしれません。

まず今までの調査で分かった事をお伝えしますがその前に・・・」



彼女るりは手に下げたアタッシュケースの中からトランシーバーによく似た形状の黒っぽい機器を取り出した。それは高田先生が持っていたあのヘビーデューティな携帯電話らしきものとも違ったものだった。

長方形の本体にアンテナやコード付きのセンサー、ファインダーのような計器が所狭しと取り付けられたそれを右手に持って翳しながら部屋全体を探る様に向ける。

その行為をしばらく続けた後で彼女は ” 特に問題は無いようですね ” と言った。



「この部屋に盗聴器等が仕掛けられていないか確認させていただきました。どうやら大丈夫なようです。」





続いて石川いしかわ 瑠利るりは玄狼の部屋を見せて欲しいと言った。理子に案内されて部屋に入った彼女は応接間と同じように先程の機器を翳して部屋の中を探る様に動かした。果たして今度は反応があった。


四畳半の狭い部屋にピィーーーーッというアラーム音が鳴り響く。彼女るりはベッドの片隅に近寄ってしゃがみこむと何かを抜き取った。ベッドの裏側にあるため死角なって見えないコンセントに刺さっていたらしい。差し込み部分の金具が間接駆動するよくあるタイプの平べったい電源タップだった。彼女るりはそれを理子に見せながら言った。



「多分、この中には盗聴用の基盤が組み込まれています。

ほら、裏面に空いたこの小さな穴、これで電話の会話を拾って当日の息子さんの行動予定を知ったんだと思います。」



石川いしかわ 瑠利るりの指し示すそこには直径一ミリほどの小さな穴が空いていた。誰が何時、そんなものをコンセントに刺したのかは分からない。少なくとも理子には覚えが無かった。


理子は背筋にゾッとしたものを感じた。盗聴盗撮などという非日常的なスパイ映画もどきの行為が自分の生活の中に入り込んでくるとは考えてもいなかった。

かく言う自分も一般の人達から見れば十分、非日常的な存在に関わって生活している人間ではあろう。だが彼女るりの言葉はそれとは違った意味で得体の知れない恐怖を感じさせるものであった。



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