Lost Boy 2

轟ッ!!! 


青龍の右前脚の巨大な爪が夜気を切り裂いて赤鬼目掛けて振り下ろされる。パワーショベルの切削バケットに匹敵する重量と大きさを持ったその掌を前鬼は半畳ほどもある斧で迎え撃った。ツルハシを三つ束ねて広げたような三本爪の龍掌と馬鹿でかい斧頭が烈しく衝突する。


ゴォーンッと丸太で鐘を突くような鈍い音がして二つの巨体が膠着した。体格の差から考えれば跳ね飛ばされるはずの前鬼の身体は巌の様にびくともしない。すかさず青龍の左掌が前鬼目掛けて襲い掛かった。


鬼はその攻撃を上半身を反らせただけで素早く躱すとドン!と地を蹴って高く飛び上がった。紅い玉鋼たまはがねを打って叩き出したような剛体が空中で弓の様に蝦反えびぞる。そして細めの丸太ほどもある黒い柄を両手で握り込んだまま龍の頭部へと斧刃を叩き込んだ。


ザンッ!!


龍の角の片方が根元から斜めに切り飛ばされて地に落ちた。



『グオォウッ!』



龍が烈しい怒りと苦痛の入り混じった声を上げた。だがその動きにはいささかの怯みも見られない。角痕から蒼黒い鮮血を振りまきながら巨大なあぎとが鬼を呑み込まんとするかのように喰らいついた。紙一重の差で鬼は飛び下がりその致命的な咬撃を回避した。バクンッ!というゾッとするような大気の破裂音が響き渡る。


突然、白虎が側面から前鬼に飛び掛かった。アフリカゾウに匹敵するサイズと体重を備えながらいつ動き出したのか分からないほど俊敏かつ気配を感じさせない襲撃であった。大人一抱えほどの太さを持った白虎の強靭な前足がしなやかな曲線を描いて赤鬼に叩き付けられる。鞭の閃きの如きその一撃を前鬼は斜め後ろに跳んで躱しざまに空中へと飛び上がった。


二匹の鬼は玄狼の念能によって実体化はしていても完全に物質化したわけではない。その分重力の影響を受けにくいため動きが速い。反面、巨躯に作用する重力エネルギーを活かした攻撃は出来ないが文字通りの怪物じみた筋力がそれを補って余りある威力を斬撃に与えていた。


空中へ飛び上がった赤い巨体が再びバネをたわめた様にグンと蝦反り返った。

先程青龍の片角を刈り飛ばした必殺の斧刃が今度は白虎の額目掛けて振り下ろされようとした瞬間、白虎の口から凄まじい咆哮が発せられた。念によって極限まで圧縮され剛性化した大気と共に放たれたそれは猛烈な圧力波となり瞬時に音速を越えて衝撃波を生じながら空を奔った。


滞空状態の前鬼は一切の物理的支点を持たないが故に身を躱すことが出来ない。その為、その衝撃波をまともに浴びる事となった。

ドドドォーンッ! という物凄い轟音が夜闇を震わせ真っ赤な巨体が砂浜を転がりながら吹っ飛んでいく。やがて鬼の身体は波打ち際近くの大きな岩礁にぶつかって止まった。鬼は満身創痍の身体から夥しい血を滴らせながら斧を杖代わりによろよろと立ち上がった。


おぼつかない足取りでフラフラと進もうとする前鬼の前方からゴォーッという風切り音を立てて舞い上がる浜砂の壁が迫る。小さな砂嵐の如きその砂塵の幕の裏側から現れたのは蒼黒い鱗に覆われた龍の巨大な尾であった。


疾走する乗用車を押し止めるほどの破壊力を持ったその一撃が容赦なく前鬼に叩き付けられる。波打ち際から陸に向かって十メートル近く跳ね飛ばされた鬼はピクリとも動かなかった。それは玄狼が思わず眼を覆いたくなるほどの惨状だった。


赤鬼の右の角は折れ曲がり、片目は飛び出し、牙は砕けて斧を持った手は半ば千切れかけている。大人の腕ほどもあるごつい肋骨が脇腹の赤いゴムタイヤのような分厚い皮膚を突き破って飛び出していた。

だがそれでも前鬼は生きていた。怪物の名にふさわしい恐ろしいまでの生命力で尚、起き上がろうと千切れかけた四肢を捩らせていた。耳まで裂けた口角から血の混じった泡状の涎が滴り落ちる。


白虎と青龍が低い唸り声を轟かせながら止めを刺そうと鬼に向かって前足を踏み出しかけた時、蒼い巨影が稲妻の様に瀕死の鬼に走り寄った。その影は前鬼の妻である後鬼だった。後鬼は手にした瓶を振りかざすとその中身を前鬼の身体にザァッと振り注いだ。果たしてそれは薄金色に澄み渡った液体であった。伝説において後鬼の持つ瓶の中の液体は理水と呼ばれる強力な霊水であるとされている。

次の瞬間、劇的な変化が前鬼の身体に生じた。


千切れ砕けた無残な四肢がたちまちのうちに元通りに再生されていく。折れた角と牙がゴロリと抜けて真新しいそれに生え変わり空洞となった眼窩の血溜りの中からは強烈な眼光を湛えた金色の眼球がせり上がって来る。潰れかけた身体は元通りの玉鋼から鍛造たんぞうされたような赤光りする剛体そのままに戻っていた。それはまるで逆再生されたスローモーション動画を見ているような光景だった。


後鬼が凄味を帯びた微笑みを浮かべながら更に瓶の中の液体を前鬼に振りかける。すると前鬼の赤い巌のような体が一回り大きくなったかのように膨れ上がり強靭さを増した。

大量の理水を振りまいたにもかかわらず瓶の中の液体は満水を湛えている。術者くろうの持つ莫大な念能力が続く限り理水も式神の肉体も限りなく実体化され再生されるのであった。



『ヴァオォォォォーーーーン!』



前鬼が人の頭ほどもある拳を握った両腕を左右に広げ伸ばすと闇空に向かって雄叫びを上げた。更に上下に突き出た獰猛な牙をガッガッと打ち合わせ激しく牙鳴りをおこして威嚇する。

そして馬鹿でかい斧を肩越しに翳すと二匹の神獣目指して駆けだした。


林 宗虎びゃっこ李 太龍せいりゅうは緊張した面持ちで身構えていた。符術によって創り出したこの神獣体であれば相手が史上最強と言われるアフリカ象であろうと恐れることはない。

大概の怪我は念を喰わせることで治癒できるし首を切り落とされるとかの場合でない限り欠損部位の再生も可能だ。


だが少年が召喚したこの二匹の妖達おには別であった。

あの化け物サイズの大斧と怪力で脳天を打たれれば如何な神獣体も現世うつしよにおける死は免れまい。

そうなれば彼らしんじゅう幽世かくりよに戻るためにあらゆるエネルギーを取り込もうとするだろう。結果、術者の本体、つまり李達の肉体を念によって非物質化させ神獣体と融合した部分、さえ喰い尽くそうとするに違いなかった。


勿論、自分達の物理的な攻撃によって妖達おにを倒すことは可能だ。現世に顕現している以上、奴らおにも肉体を持っているからである。現に先程は赤い方のおにを殺す一歩手前までいった。

しかし青い方のおにが持つあの不可思議な液体れいすいは全くの想定外であった。九割方、死にかかっていた筈のおにが立ちどころに復活するのであればこれはもう不死身という他は無い。

如何に神獣化の符術によって強大な戦闘力を得た李達でも不死身の妖達おにを相手にして勝てる見込みは薄かった。


ところが事態は思わぬ方向へと転がった。凄まじい闘いの影で王 美雨ワン メイユイが波の浅瀬に漂っていた例のスケートボード状の板にそっと両足を乗せた。そのまま音もなく砂浜の上を滑空して玄狼の背後に近づくと彼の首筋に注射針を突き立てた。

少年は驚いたような顔で後ろを振り返り彼女に掴みかかろうとしたが足をもつれさせて転倒した。直ぐに立ち上がろうと上半身を起こしたがその目の焦点は虚ろなものに変わっていた。そしてそのままグニャリと崩れ落ちると砂の上に突っ伏した状態で動かなくなった。

途端に李と林を目掛けて疾走して来ていた前鬼の身体がバチバチと青い火花を発したかと思うと空に開いた灰色の空間へと呑み込まれて消えてしまった。同様に後鬼の方もその姿を消していた。


しばらくして青龍がズゥン、ズゥンと地響きを立てて王 美雨ワン メイユイに近づいた。そして大人一人を楽に呑み込めそうな巨大な顎を微かに開くと異国の言葉で訊ねた。



『ソノ少年ニ何ヲシタ?』



喉や舌などの発声構造が変形しているせいか聞き取りづらい声であった。

王は脅えた様子もなくはっきりと答えた。



「鎮静剤を打ちました。」


『鎮静剤・・・ソレハドンナ種類ノモノダ?』


「チオペンタールナトリウムを主成分として他の鎮静剤を少量混ぜたものです。」


『首筋ナドニ打ッテ問題ハナイノカ?』


「通常はチオペンタールを静脈注射以外で使用する事はありません。さっきは緊急の場合だったためやむなく首筋に打ちました。

首筋は腕などと違い動きが少なく背後から狙いやすいので・・・

後、心臓や脳に近いため静脈以外であっても効果は得られると判断しました。」


『ソウカ・・ヨクヤッタ。ソレデ、コレカラドウスルツモリダ?』


「この少年にもっと作用時間の長い麻酔薬を投与した後、念能の発現を阻害する為の金箍児キンコジを嵌めます。あのような化け物を海中で召喚されてはたまりませんから。

後は潜水艇にてこの瀬戸内海とやらの海底を数日間掛けてゆっくりと進み太平洋側に出るつもりです。」


『一度モ浮上セズニカ?』


「それは無理です。食事や排泄の問題もありますし潜水艇の動力部自体が六時間以上の連続潜航に耐えられません。途中、忉利天特務機関の同志達と無人島などで何度か合流して補給を受けながら潜航することになります。

最終的に四国の太平洋側の海岸のどこかで漁船等に乗り換えて日本の領海とEEZを抜けて公海域を目指す予定です。そこで我が機関の回収船とランデブー出来れば任務は無事完了となりましょう。」



王の説明に李 太龍せいりゅうは鷹揚に頷いた。軽自動車ほどもある巨大な頭部がゆっくりと上下に振られる。

そして龍の放った遠雷のような声が夜気を震わせて暗い砂浜に低く轟いた。




『偉大ナル祖国ノ為ニ!』




この日を境に一人の少年が島から姿を消した。




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