奇妙な観光者達

最新のエアコンによって空調された車内は暑すぎず寒すぎず驚くほどに快適だった。窓の外には瀬戸内海の波が穏やかに揺蕩っているのが見える。周りの乗客たちは黙ってその春の海を眺めながら時折、小声で囁き合っていた。


その眠気を誘う様なゆったりと寛いだ雰囲気とは逆に玄狼は居心地の悪そうな表情で隣の少女を見た。

彼女は座席のひじ掛けに頬杖を突いて窓の外を黙ったまま見詰めている。気怠げに薄く開かれた眼は常人には見えない何かを見ているかのような趣があった。


今、二人が乗っているバスは路線バスではない。船着き場近くで声を掛けて来た中国人、李 太龍リ タイロンが案内人を務める中国の企業の用意した貸し切りバスであった。



〈 どうせなら一緒に乗って行かないかい? 勿論料金なんて要らないさ。島の観光場所や瀬戸芸の作品についてちょっと説明をしてもらえればそれでいいから。〉



玄狼達はこの島の住人ではないし瀬戸芸の作品についても詳しい事は知らない。自分達に出来るのはせいぜい作品に付設された説明書きに書いてあることを読んで教えることぐらいだ。だが李 太龍リ タイロンほど日本語が達者ならその必要はないだろう。

そう思った玄狼は李 太龍リ タイロンの誘いを最初は断った。すると李はこう言った。



〈 いや、それがそうでもないのさ。何しろ副社長と幹部連中の数人は英語とカタコトの日本語なら話せるが他の従業員は北京語しか話せない。

おまけに二十名近い人数だ。それが好き勝手にバラバラに動かれると私一人じゃどうにもならないんだ。

迷子にならないよう連れて歩くのさえ大忙しという状態になってしまう。


申し訳ないがトイレ誘導するだけでもいい。協力してもらえないかな? その代わり島内での移動や食事はこちらで持つし帰りのフェリーまでには責任をもって港へ送り届けるから・・・どうだろう? 〉



そこで先輩の安里紗と相談した結果、李達のバスに便乗させてもらう事になったわけである。そして現在、何ヶ所かの作品を見た後、瀬戸芸の作品が展示されている最終地へ向けてバスに揺られているところだった。



「福田先輩、このバスに乗せてもろたんはひょっとして迷惑やなかったですか?」



見知らぬ異国の人達に囲まれて行動したことで気疲れしたのではないかと気遣った少年は彼女にだけ聞こえるような小さな声でそう囁いた。

それに対し少女は何も応えずただ窓の外を静かに眺めている。


不意に安里紗の視線が玄狼の方を向いた。目頭と目尻が逆方向に小さくはねたかのように滑らかに湾曲した長細い目が彼をじっと見た。正統派美少女の象徴とも言える所謂、パッチリとした眼ではないがしっとりとした妖しさを帯びた魅惑的な瞳であった。



「えらい大人しいな・・・」


「はぁ?」



大人しいとはどういう意味なのだろう? 玄狼が元気が無いという意味だろうか?



「えっ、俺、充分元気ですけど・・」


「ちゃうちゃう。水上君の事とちゃうよ。このバスに乗っとる人の事やがな。」



二人が座っているのは最後尾の右側の二席である。通路を挟んだ左側の二席は空であった。その席から玄狼はそっと首を伸ばすとバスの前方をゆっくりと見回した。左右両側二列ずつの座席配置で補助シートは付いていない。自分たち二人を入れると約二十人程の人数が座っていた。サイズで言えばマイクロバスよりワンランク上の小型バスと言った辺りだろう。


他の乗客は全て ” 忉利トウリ 有限公司 ” とかいう中国の企業の社員である。李から聞いたところでは食材を中心とした商品を扱う商社であるらしい。

社長が李の友人であることから社員旅行のガイド役を引き受けたという事だった。

社長は此度の旅行には参加していないとのことで副経理長(日本で言う副社長)の

林 宗虎リン ヅォンフー、その秘書の朱 媛雀ジゥ ユァンチャオ、董事長(日本で言う取締役)の趙 真武ジャオ ジェンウーを紹介された。


林は四十代の筋肉質な体の精悍な男、朱は三十代前半のスラリとした美女、趙は五十代後半のどっしりとした貫禄の大柄な男と言った感じであった。三人ともにこやかな笑顔で玄狼達に握手をしてくれた。



「大人しいって・・それが何か?」


「いや、中国の人はもっと騒がしいてゴミの後片付けなんかもせえへんて聞いとったんやけど全然違うなとおもてな。」



確かにこの団体客達の行動は噂に聞く彼の国の団体客のマナーの悪さとは無縁の静かで節度のあるものだった。

李 太龍リ タイロンが心配していた勝手な個人行動をとる者など一人も居らず玄狼が少々、拍子抜けに感じたのも事実である。



「でもそれってええことやないですか? この忉利 何たら言う会社の教育がそれだけ行き届いとるゆう事やと思うんやけど・・・」


「会社の教育なぁ。ほんでもどっちか言うたら会社の教育というよりむしろ・・・」


「むしろ?」


「軍隊みたいやなという気がするんやけどな。」



軍隊?!・・・・成程そう言われてみればそういう感じがしないでもないなと玄狼は思った。彼らが無駄話を全くせずに隊列を組んでキビキビと機械の様に動く、というわけではない。現に今も抑えた声ではあるが談笑しながら窓の外の風景を楽しんでいると言った風情で普通の観光客の様に見える。

だが何となくそこにはのびのびとした寛いだ雰囲気が薄いような気がした。


更にもう一つ奇異な点があった。普通の人達が団体行動をするときは必ず何人かは遅れる人が出る。ところがこの団体の中にはそれが無かった。

食事の時も歩いて移動する時も作品を鑑賞するときも通常在るはずの個人単位の動きのムラが無いのである。全員が淀みなく同じペースで動いて次の行動へと移っていく、そんな感じがあった。

気のせいだろうと思ってさほど気にも留めていなかったが安里紗にそう言われるとそんな気もする。



「水上君、この人たちを念視して見てん。(念視してご覧。)」


「え、念視するん?」


「そう。やって見てん。」



玄狼は彼女に言われるまま意識を集中してバスの中をゆっくりと見回した。光による通常の視覚と念による視覚とが合わさって情報量の処理に手間取る感じはあったが特に変わったところは見当たらない。



「いや、別におかしな点は無いと思うけんど。特に目立った念の様な物は見当たりませんよ。」


「それ自体がおかしいと思わん?」


「えっ どういう事?」


「これだけの人が居るのにまるっきり念を持った人がおらんというのは逆に変なんと違うん?」



中国、つまり中華新明共和国ちゅうかしんみんきょうわこくは日本の十数倍の人民数を持つ共産主義国家である。古来より男子誕生を尊ぶ伝統的風潮があったためか男女比が他国に比べ均等に近かったがそれでも最近では女性数が男性数をかなり上回って来ているらしい。特に若い世代においてはその傾向が顕著であると言われている。


このバスの中を見ても玄狼達を除いて男性7人、女性11人といった女性優勢の構成であった。女性であれば程度の差こそあってもほぼ全員が念能を持っている筈である。それが薄っすらと立ち昇る僅かな念気さえ見当たらないと言うのは確かに奇妙な話かもしれない。


しかしそれも絶対あり得ない話とは言い切れないだろう。気候や社会環境が違えば体質や気質も変わる。民族が違えば遺伝子も変わって来る。そういう事もあるんじゃないかなと少年は思った。



大陸ちゅうごく島国にほんでは体質や気質も違うきんでしょ? 気にするほどの事はないんと違うん?」



少年の返事に少女は微かに眉根をひそめると呟いた。



「危なっかしいな。」


「えっ 皆さん、物静かで落着いた人ばっかりやけど。」


「ちゃうちゃう。今度は水上君の事やがな。」



そう答えたきり安里紗はまた窓の外を黙って眺め始めた。玄狼は俺の何処が危ないんだろう? と考えながらシートに背を持たせかけるとそのまま目をつむった。




― ― ― ― ― ― ― ― ―




「福田先輩、今日はお世話になりました。そしたら気を付けて帰ってください。」



井家田いけだ港のフェリー乗り場で玄狼は安里紗に向かってそう言った。殿庄とのしょう港ではなく何故、井家田港なのか、どうして乗るのが安里紗一人なのかという理由は李が玄狼にある提案をしてきた事にあった。その提案とは次のようなものだった。


忉利トウリ 有限公司の社員達は今日、商豆島のホテルに宿泊するが案内役の李 太龍リ タイロン副経理長ふくしゃちょう林 宗虎リン ヅォンフーの二人は鷹松市に渡って顧客を表敬訪問する事になっている。流石に都合の良いフェリーの便は無いだろうから小型のキャビンクルーザーを手配してあるのだが鷹松市に向かうついでに奥城島に寄って降ろしてあげるから同乗してはどうかというものである。


玄狼は漁船には何度も乗ったことがあるがキャビンクルーザーなどと言った高級船舶には乗ったことが無い。雑誌やTVで視るそれには強い憧れがあった。更に殿庄とのしょう港からフェリーで鷹松港に行き安里紗と別れてそこから船を乗り換えて奥城島に向かうとなると数時間はかかることになる。だが商豆島から高速クルーザーで直行すれば数十分で着けるだろう。

それらの理由から彼はその提案を受けることにした。


母の理子にスマホで連絡しておこうかと思ったが彼女は神事のお祓い仕事で県外に出掛けていて明日にならないと帰ってこない。食事は冷蔵庫に入れておくからレンジで温めて食べるようにと言われていた。なら電話をかけても意味はない、そう思った彼は電話スマホをかけるのをやめた。


この時間に鷹松港に行くには殿庄とのしょう港より井家田いけだ港から乗った方が便が早かった。そこで井家田いけだ港から福田 安里紗一人がフェリーに乗ることになった。


そして今、フェリーに乗り込もうとする安里紗に玄狼が別れの挨拶をかけたところだったのである。

安里紗は軽く頷いて手を振り返したが何故か彼のそばに戻って来た。そして肩に掛けた可愛らしいデザインのポシェットから何かを取り出すと少年に差し出した。



「これ持っとき。」



それは翡翠色をした勾玉だった。太くなった先端部分に穴が空いていてそこに朱い網紐が通されている。まさか本物の翡翠ではあるまいが安物のプラスチック製とも思えない。何となく由緒のありそうな一品であった。



「これは?」


「母さんが御守りやゆうてウチに呉れたやつや。母さんの守護霊である天狐様の霊力が宿っとるらしいから何かあった時には水上君を守ってくれるかもしれんきん。」


「いや、それやったら福田先輩が持っとかないかんの違うん?」


「ウチは守護霊の相模坊さがん様がついてくれとるから心配ないきん。水上君は何にも加護が見当たらんしな。逆にお障りもないみたいやけど・・・・

正直言うたらな、この人達は何か胡散臭い気がするんや。まぁ気のせいやとは思うけんど。とにかく、それを持っといたらええきん。


あ、それからこれはウチからの御守り・・・」



少女は少年の頬に素早くチュッと口付けをすると前を向いたまま手を振りながらフェリーの中へと消えて行った。


少女の懸念がこの後、現実のものになることなど玄狼は知る由もなかった。









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