志津果と郷子

志津果しずかの睨むような眼を前にして玄狼くろうは慌てたように答えた。



「エッ、あ、ああ・・ほ、ほら高田先生が連休前に言よったやろ。転入生が来るって・・・覚えとる? この子がその子やきん。

名前は浦島うらしま 郷子さとこさん。東京から来たんやて。」



志津果は射る様な視線をそのままに低い声で訊いた。



「ほんで? (それで?)」


「ヘッ ほ、ほんでとは?」


「その転入生の子と松の木陰でなにしとったん? 仲良うに手繋いで。」


「そ、それはあれやが!(あれだよ!) 浦島さんがちょっと気分が悪なって、ほんで転ばんように俺が手引いてあげとったんやが。 そ、それだけの事やん。」


「へぇー、ご丁寧にまで使こて? なんぞ見られたら困る様な事でもしとったん?」


「なっ! 見とったんか!? 

い、いや、それは・・その・・浦島さんは女の子やし気分悪なった顔とか人に見られとないやろし、ほんでそうしたんやんか。

なんちゃおかしな事やらしとらへんよ。」


「・・・・・・」



玄狼の説明を聞いても志津果は無言で玄狼の顔を睨んだままだった。

その時不意にメゾソプラノの大人びたような静かな声が二人の横から発せられた。



「貴女、何故、を知っているの?」



浦島うらしま 郷子さとこが不思議そうな顔で志津果に話しかけていた。志津果は刺すような視線を再び転入生に向けた。



「私は今、玄狼と話しとん。横から話しかけんといて。」



にべもない口調と硬い声で志津果が応えた。吊り上り気味の切れ長の眼が明らかな敵意を滲ませている。

美少女と呼んで差し支えない凛とした綺麗な顔立ちがその分だけ逆に峻烈な雰囲気を与えていた。気の弱い者ならそれだけで黙って引き下がりそうな迫力があった。


ところが転入生さとこ彼女しずかの不機嫌な対応をまるで意に介していない風でそのまま続けて話しかけた。



「ひょっとして貴女も巫無神ミナカミ流神道の関係者なの?」



声と視線に込めたつもりの暗黙の敵意を無視されたと思ったのだろう。志津果の眼付きが更に険しさを帯びる。

志津果の口が怒りの砲撃を郷子さとこ目掛けて放とうとした寸前、それを押さえ込むように玄狼が答えた。



「違うよ! 志津果は巫無神ミナカミ流神道とは関係ない。この子の家はお寺なんだ。本土の禅通寺市に総本山がある真言宗禅通寺派の寺の一つで城岩寺って言うんだ。

実を言うと僕の神社いえの隣にある寺がそうさ。」


「お寺? お寺の子が何故、巫無神ミナカミ流神道の鵺弓やきゅうの技を知っているのかしら?」


「それは・・僕が教えたからなんだけど。」


「教えた!? 玄狼さん貴方、鵺弓やきゅうの技を一般人に教えたの?」


「僕が教えたのは影羽織という名前だけだよ。術の中身まで教えたわけじゃない。」


「でもさっきの私達たちの様子を見て影羽織だと判ったって事は以前に影羽織を見た事があるって事よね。

じゃあやっぱり玄狼さんが見せたってことなんじゃ・・・」


「ねえ、ちょっと・・・」



ここで志津果が突如、会話に割り込んで来た。



浦島うらしまさんやったかな。玄狼の事を玄狼じゃなくて玄狼て呼ぶのは何でなん? 


それから玄狼、あんた何で私と話すときはでこの子と話すときはなん?

言葉使いも私の時は方言やのにこの子と話すときは標準語なのは何でなん?」



まるで強烈な本震の前の初期微動を思わせるような不気味に静かな声だった。玄狼は第二次性徴前の白いなだらかな喉元をゴクリと動かして唾を呑み込むと乾いた声で言った。



「そ、そら、やっぱり相手に合った喋り方ってあるやん。ほら、フランス人やったらフランス語、イギリス人やったら英語とか・・・

浦島さんは東京から来たばっかりやし東京の言葉の方がええかなぁと思て。


自分の事を言うんやったって初対面の人になんて言うの失礼やきんや。(失礼だからさ。) まして浦島さんは女の子やし・・・


その点、志津果とはお互いよう知っとるし、地元の子やし、まるで男の子みたい・・な事はないけんど・・・その三年生ときからの仲間やしな。」


「成程・・・あんたの話を聞いてようわかったわ。

つまりうちは女の子として気遣う必要が無いくらい馴れきって飽きてしもとる存在ちゅう訳やな。」



志津果の声は静かで淡々としているがこういう時はかなり機嫌を損ねている事を玄狼は経験則として知っていた。


ついうっかり、「まあ、そういうこっちゃな」などと言おうものなら大変な事になるのは目に見えている。


彼女が小さい頃から習っているという鐘林寺拳法の関節技の練習台にされるのはもうこりごりだった。実際、関節がどうにかなったんじゃないかと思う様な激痛を味わされた事は一度や二度ではない。


本土の田度津町という処に総本山を構えるその武道は方々に道院と呼ばれる道場を持っている。奥城島にも道院は在ってそこには支部長と呼ばれる指導員がいる。

志津果もそこに通う女拳士の一人で有段者だ。


鐘林寺拳法は突いたり蹴ったりする剛法と呼ばれる打撃技と関節や急所を捻ったり極めたりする柔法と呼ばれる組技の双方を包含する総合武道である。


その柔法の中の何とか小手とか何とか落としといった逆関節技を闘争心の育成と称して志津果にしょっちゅう掛けられた。

結果、育成されたのは闘争心ではなく逃走心だった。


あの地獄のような痛みを避けるためにはどうすべきか? 事の真偽はさておきここは否定するしかあるまい。


そしてなんでもいいから彼女を褒める! わざとらしかろうがあざとかろうがとにかく褒めるのだ。

それがこの三年間の付き合いの中で玄狼が学んだ志津果の正しい取り扱い方だった。



「そなんわけないやろ。

そら初対面の頃と比べたら多少扱いがぞんざいになっとるかもしれんけどな。ちゃんと気遣っとるわ。

どよん言うたって志津果はやっぱ、女の子やし可愛いし俺らの御姫様やし・・・」



少し拗ねた口調で憤慨したような声を出して反論する。たったそれだけの事だが効果覿面こうかてきめんだった。

玄狼の言葉を聞いた途端に志津果の尖った視線と表情が眼に見えて柔らかくなった。硬く引き締められていた口元が緩んで心なしか頬が上気している様にも見える。



「フ、フンッ! そ、そなんうまたげなこと言うたって(うまいことを言っても)うちは誤魔化されへんきに・・・・・まぁ、ほんでも、ほんまはそうやろうとは思とったけどな。(まぁ、それでも、本当はそうだろうと思っていたけど)」



どうやら裏工作は成功したらしく玄狼はほっと胸を撫で下ろした。

只、郷子さとこが彼にだけ聞こえるような小さな声でボソッと



「ふーん、随分チョロいんだ。」



と呟いた時は少し焦った。



「それで影羽織の話はどうなったの? どうしてお寺の娘である貴女がそれを知っているのかまだ聞いて無いんだけど。」



今度は郷子が志津果に問い掛ける事になった。

すると志津果は黙ったまま両手の平を胸の前で合わせると静かに眼を閉じた。次の瞬間、郷子は驚きに目を瞠った。


合掌した志津果の姿が不意にピントがずれた双眼鏡を覗いたかのようにボウッと不鮮明になったかと思うと暗くなって木陰の中に溶け込んでしまったのだ。

それはまさしく影羽織の技だった。


暫くすると霧が晴れるように暗闇が薄くなってそこに再び志津果の姿が現れた。ニンマリとした得意げな笑みを浮かべている。所謂ドヤ顔である。



「これはどういう事? いくら初伝だといっても何故、お寺の子が神道の念技を使えるの? えっ・・・あ、まさかひょっとしてその寺って呪術師シャーマン系の裏組織を持ってるやつ?」


「そう、そのまさかさ。志津果の家は真言宗禅通寺派の裏天部に連なる寺の一つなんだ。で寺の住職である志津果のお父さんは裏天部の中の独鈷衆どっこしゅうと呼ばれる集団に属する僧の一人らしくて・・・

巫無神ミナカミ流神道で言えば鵺弓やきゅうみたいなものなのかな?


それで今の影羽織にそっくりな技は独鈷衆に伝わる闇袈裟と言う名前の技なんだって。だからこの子は僕が教えたんじゃなくてそれを最初から自分で使えたっていう事。これでわかった?」


「うん、よくわかった。要するに父親が仏教系の祓い師って事なのよね。

父親が祓い師ってところは私や玄狼さんと同じなんだ。」


「あー、そう言えばそう・・なのかな? まぁ、僕の場合は母さんがだけど。」


「あ、そうか。 じゃぁ、お父さんは違うの?」



それは話の流れの中で何気なく出た問い掛けであったのだろうが玄狼は何故か表情を曇らせると薄く凍った様な声で応えた。



「ごめん・・・父親の事は良く知らないんだ。会った事も無いし・・」



郷子はそれを聞くと小さく ”ゴメンね” とだけ言って黙ってしまった。どうしてか志津果まで黙ってしまったので三人の間で奇妙な沈黙が生まれてしまった。

その沈黙を破ったのは志津果の少し焦った様な高めの声だった。



「ほんなら今度はうちが訊く番やで、浦島さん。

なんで玄狼を付けやなしに付けで呼ぶんか未だ答えて貰って無いけんな。

同級生の男子にさん付けなんてちょっとおかしない? それとも東京の方ではそれが普通なん?」


「ウーン、特に深い意味はないかな? 私の気まぐれみたいなものだし。

この人にはこれが合ってるなと思う呼び方で呼んでるだけだよ。」


「ほんなら付けで呼んどる男子の同級生も結構居るっちゅうこと?」


「それは・・・あんまり居ないかな? ていうか殆ど居ないね。玄狼さんは久し振りの例外って感じ?」


「ハァッ! 何なん、それ。絶対気まぐれちゃうやろ? あんたが玄狼にはさん付けが合うなと思う理由は一体何なんよ?」



何時の間にか怪訝そうな顔をして少女たちのやり取りを聞いている玄狼にちらりと眼をやった後で郷子は志津果に向かってニッコリ笑いかけながら言った。



「ごめんね、それは・・・乙女の秘密。フフッ。」



玄狼は志津果の細く引き締まった薄桃色ペールピンクの可憐な唇からギリッという音が洩れた様な気がした。


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