影羽織

三年前の想い出から我に返ると志津果しずかは再び海沿いの通学路を歩き始めた。玄狼くろうの姿は未だ見えてこない。島の西側を通って来る三人との合流地点までは後、五分ほどだろう。

ひょっとすると玄狼達はもうそこに着いてしまっているのかもしれなかった。


三年前から毎朝、玄狼とは一緒に登校している。通学路が全く同じであるからだ。志津果の家は玄狼の神社のすぐ隣にある城岩寺と言う名の寺である。

聖徳太子の時代に起きた神仏習合と明治時代の神仏分離を経てそのような形になってしまった神社と寺院は少なくない。


家が隣同士という事もあって志津果と玄狼は一緒に遊ぶ事が多かった。当然、他の子供達や時には大人達からもよく揶揄われた。


「アオハルかよ!」、「結婚式はいつなん?」、「ゴムは忘れるなよ・・」


などと一部、二人には良く判らない事も言われたりした。

しかし玄狼はそうした事を気にした様子はなかった。聞けば彼は生まれてからの大半を海外で過ごして来ていた。


日本人の少ないコミニュティからインターナショナルスクールに通っていたのだと言う。そのためか生活文化における彼の感覚は日本の子供のそれとは少々違っている様だった。


日本語については母親との日常会話や週末には日本人を対象とした補習授業校に通っていたためほぼ普通に読み書きや会話が出来る。

日本的な慣習や文化の理解については少し不十分な所もあったがそれもこの島に来てからの三年間でかなり差を埋める事が出来た。


日々の学校生活を一緒に過ごしてみれば彼は全く普通の子供であった。但し容姿は除いての話だが・・・


皆と一緒に走ったり、泳いだり、勉強したりする上で何の問題もなかった。ゲームや漫画が好きで賢太や団児達と馬鹿な悪戯をしてはよく先生に叱られていた。

けれども志津果は彼が決して他の子供達と同じではない事を薄々気付いていた。


玄狼は念能者だった。

女性と違って男性の念能者はあまりいない。元々、男性が少ない事に加えて男性全体の三割程度しか念能を持たないからだ。

女性の九割が程度の差こそあれ念能を持つのに比べると圧倒的な差があった。


それでも玄狼がその三割の中に入るのは充分あり得る事である。問題はその念能力の強さであった。はっきりと確かめたわけではないが彼のそれが質、量ともに人並外れて高いことを彼女はこの三年間で感じ取っていた。


玄狼本人はその事を隠そうとしているわけではないが余り見せようともしなかった。だから他の六年生の三人も彼の事をどことなくおかしいな、ぐらいには感じているのかもしれない。


しかし彼が念能者、それも飛び切りの能力者であることを知っているのは三年間ずっと身近で彼を見て来た自分位の者だろう。

その考えは何故か志津果の心を熱く弾ませた。


『ほんだって彼奴くろううちのお供やきん!』

(だって彼奴くろううちのお供なんだから!)


彼女は口元ににんまりとした微笑みを浮かべながらふと前方二十メートルほど先に立っている大きな松の木の木陰に眼をやった。

次の瞬間、彼女は驚愕に眼を奪われる事になった。


何故なら何もない木陰の奥の薄暗い空間から突然一組の男女が現れたからであった。それはまるで異界とこの世界を隔てる壁の裂け目からズルリと抜け出て来たかのように見えた。


現れた男女は少年と少女であった。仲睦まじそうに手をつないでいる。

まだ思春期前に見える子供であるにもかかわらず二人共、思わず目を奪われるような美しい容姿をしていた。


そしてその少年の方が玄狼であることが分かった時、志津果はその松の木目掛けて突進した。



― ― ― ― ― ― ― ― ―




「もしかして君が転入生? で、今のはまさか・・・影羽織?」



呆然としたような玄狼の問い掛けに少女は薄い微笑みを浮かべながら答えた。



「ええ、そう。私が転入生の浦島うらしま 郷子さとこ、宜しくね。

で、今の技は貴方の言う通り巫無神ミナカミ流神道 初伝 影羽織。」


「それあっさり言っちゃって良いんだ? で、君は何処から来たの? 目的は何?」


「住んでたのは東京。巫無神ミナカミ流 鵺弓会東京本部ビルの中。目的は・・未だちょっと秘密ってとこかな。

と言っても私はお父さんについて来ただけだから。只の小学生の女の子だし。」



いや、只の小学生の女の子がを使えたりしないだろうと玄狼は心の中でツッコミを入れながら曖昧に頷いた。

そうして浦島うらしま 郷子さとこと名乗った少女をまじまじと見た。


見た目の可愛らしさもさることながら随分背の高い娘だなと彼は思った。ここ数年で自分もかなり背が伸びた方だ。


この島に来た頃は百二十七センチしかなかった身長が今では百五十二センチある。それでも目の前の少女は彼が見上げる程に背が高かった。

多分、百六十センチは優に超えているだろう。ちょっと見には中学生どころか高校生に見えるかもしれない。


本人の前では言えないがワンピースの胸部分を硬式テニスボールを二個潜り込ませた程に押し上げているそれがソフトボールくらいまでに成長すれば文字通り "JKです" と騙れるんじゃないかと玄狼は思った。


ふと気が付くと浦島うらしま 郷子さとこが形の良い眉根に皺を寄せて不審そうな眼で彼を見ていた。ちょっと睨まれている様な感じだ。

ひょっとすると無意識の内に胸元をガン見していたのかもしれない。

不味いと思った彼は慌てて声を出した。



「ヘ、ヘェー・・そうなんだ。だけどが使える小学生なんてそうはいないと思うけどな。」



すると転入生は表情を緩めて今度はにやりとした笑みを浮かべながら揶揄うように訊いてきた。



「あら、貴方も出来るんでしょ? 影羽織。」


「えっ、いや、まぁ・・出来るっちゃ出来るけれど・・・」


「じゃ、やって見せてよ! 同い年の子がやるのを見た事ないもの。ぜひ見てみたいわ!」



好奇心丸出しで無邪気そうにはしゃぐ少女を前に玄狼は呆れた様なため息をついた。


影羽織は空間の光に対する吸収率や屈折率を念能を使って制御する事で周囲の光度を減少させ自分の姿をその光度以下に同調させる技である。


物質の種類によって決まっている光の吸収率や屈折率をどうやって変えるのかというと非物質である念を半物質化させて自分の周囲の空間を満たす事でそれを可能にしているのだ。


念能の中でも特殊な部類で精霊鉱と念能があれば誰でも出来るというものではない。この技が人を選ぶ所以であった。

そのため念能の発現率が低い男性にこの技が使える者は稀である。更に念能は男女を問わず第二次性徴以前には殆ど発現しない。したとしても微弱なレベルに過ぎなかった。


そうした意味では思春期に差しかかったばかりの浦島うらしま 郷子さとこがここまで見事な影羽織を使えると言うのは驚愕に値する事だった。

ましてや男子である玄狼がこの技を使えたとすればちょっとした異常事態と言って差し支えなかった。


ところが少女さとこの目の前で大きくため息をついた少年の周囲がにわかに薄暗くなったかと思うとそれはあっという間に巨大な闇となって彼女自身をも呑み込んでしまった。


突然、鼻をつままれるのもわからない様な漆黒の闇の中に取り残された彼女は恐怖に固まった。

取り残されたと言っても物理的に外界と遮断されたわけではないから何メートルか歩けばこの闇から脱出できるはずである。


そう頭では理解していてもどの方向に向かって進めばいいのかが分からない。地面すら真黒であるのだ。踏み出した途端に奈落の底へと堕ちるような気がして怖くて足が踏み出せなかった。

どちらへ進もうとこの暗闇は永遠に続いているのではないか?

そう思わせる程に深く暗い闇だった。


外と内の両側からじわじわと浸み込んで来る真黒な恐怖に耐え切れず泣き声を上げそうになったその時、突然目の前に白い物が差し出された。

それは細く繊細な指を備えた少年の手だった。何も見えない筈の漆黒の闇の中でそこだけがポウッと和らかな光に包まれたように白く浮かび上がって見えた。


その手の向こうを眼で追うと玄狼の申し訳なさそうな含羞はにかんだ笑顔が現れた。



「ごめんね、最初に驚かされた分のお返しに同じ悪戯を仕掛けようと思ったんだけど・・・ちょっと驚かせ過ぎたかも? ほんとにゴメン!

ほら、もう大丈夫だから。直ぐに明るくするから。」



すると少女は薄っすらと涙を溜めた眼で彼を見ながら何ごとかを囁いた。



「・・・を・・って・・」


「え、何? 何て言ったの?」



声が小さすぎてうまく聞き取れなかった玄狼は思わず聞き返した。

すると少女は先程より少し大きめの声ではっきりと告げた。



「手を握って・・。ちゃんと手を握って元の世界に連れ戻して頂戴。」



そう言うと彼女は彼の手をギュッと握った。冷たくてか細い手だった。

背は高いのに手はずいぶん華奢でちっちゃいんだな、と玄狼は思った。


二人が手をつないで歩き始めると同時に周囲を覆い尽くしていた真黒な闇は陽を浴びた朝靄の様にチリヂリになって消え去った。

気が付けばそこは元の海岸沿いの白いコンクリートの道だった。初夏のうららかな日差しが二人を優しく包んでいる。


少年と少女は暫く互いの顔を見つめ合っていたがやがてどちらからともなく視線を外した。二人共、薄っすらと上気した顔で視線を地面に向けたまま黙って佇んでいる。何故か手は繋いだままだった。


まるで昭和の恋愛映画のワンシーンのような切なく甘酸っぱい雰囲気が漂い始めたその時であった。


少し離れた道の向こうから灰色のコンクリートの上に薄く積もった白い浜砂を蹴散らしてドドドドッと駆け込んで来た者があった。

その人物は二人の近くまで来て立ち止まった。そしてハァハァと息を切らしながら二人を睨むように見て言った。



「ちょっと玄狼! その娘誰なん!?」



男の子のようなベリーショートの髪型にやや吊り上がった涼し気な切れ長の眼で挑むように転入生さとこを睨む凛々しい少女、それは志津果しずかだった。

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