蜘蛛から蝶へ

Ley

   

 どこから、いつから歪みはじめていたのかは誰にもわからない。ふと気づいた時にはもう取り返しのつかないことになっていて。生み出されたひずみは自身とその周りの人を巻き込むには十分すぎるほどだった。

 この自分語りは誰かの目に留まることはない。

 救いようのない君に返す、哀れで惨めでどうしようもない私の話。





 私の家はよくある一般的な家庭だったように思う。話すこともないくらい普通だった。若干毒親気質のある親ではあったが愛情というものを沢山与えてもらい今まで生きてきた。だから、愛の与えられ方が間違っていたわけではないと思う。

 気づいた時にはこうだった。長い年月をかけてじっくりと狂い始めていた歯車は一つ一つが壊れていて修復しようがない。もう手遅れだった。

 自分が歪んでいると認識したのは中学の時。ネットという世界に飛び込んで、広い世界で自分を知った時。愛され方がおかしいことに気づいた時。

 愛し方も十二分にずれていたが、愛され方は比較にならない程に狂っていた。自己顕示欲故か自己肯定感の低さ故か。


 私は昔から一人で立っていることができなかった。自分を肯定して生きるのではなく自分を自分で否定して、他者からの肯定感だけで生きていた。他者からの肯定は即ち自身そのものの肯定。他者からの否定は即ち自身そのものの否定。そんなとち狂った生き方をしていた自分に選択肢なんてものは存在しなかった。貪るように他人からの認識を求め、限界のない肯定感を欲していた。限界が無いのなんて当たり前で。本来なら自分が自分であるために自身のアイデンティティなんかを認識しそれに拠り所を作るのだろうがその対象を相手からのものに限定して仕舞えば、その人が今この一瞬もその感情を抱いている保証はどこにもなく、常にその気持ち内をさらけ出して貰って居なくてはまともに立つことすら出来ない。常に流動する可変の愛を注ぎ込み続けなくてはいけない。そんな私は必然的に、多くの人間からの認識を求め続けた。

 多くの人間が自身のことを見ていてほしい。認識してほしい。優先してほしい。愛してほしい。愛してほしい。愛してほしい……。

 一人の人間だけでは到底供給できないような量の愛を欲しがった。自分でもそれが分かっていたからネットに逃げた。リアルの人間にはこんな底なし沼のように愛を注ぎ続けることは出来ない。そうやって、ちょっとずつちょっとずつを多くから貰って生きてきた。

 

 自分の『生き方』を恐れ、自分の『依存性』を恐れた。


 あの供給が止まれば自身は歩み続けることができない。ぬいぐるみに綿を詰めるように、自身に薄っぺらい他者肯定を詰める。

 ネットは別れが激しいところだから、もっとたくさん作っておかなくては。薄くて儚くて目を離せば消えるような細い細い糸を縒ってキャラという自分を生き長らえさせていた。

 それは彼女が自身の前に現れてからもそうだった。










 あそこに居場所を作ったのも紛う方なく自身が生きるためであり、その前に作った居場所が崩壊し始めていたからだった。

 そこにいたのは多くの人で。自分の溢れかえった愛を送れる人たちで。私はそこで生きた。彼女はその中の一人だった。どろどろで粘着質の愛を持った人だった。

 歪を眼下に晒されて、これを表層に出すか問われたのはあの時だっただろうか。

 ただただ運が良かったのだと思う。偶々同じコミュニティにいて、偶々仲良くなるきっかけがあって。そして彼女の歪を見た。というより、もう少し前から察していた彼女の歪んだ一面。人より強い、独占欲。


「嫉妬する」


 その一言を聞いた時私は恍惚そうな笑みを零した。嗚呼、この人は自分のことを見続けている。やっと、やっと聞けたその言葉。ずっと待っていた。彼女がもっと前から持っていたであろうそのどろどろとしたその愛を。こびりつくようなその愛を。

 もっと自分に溺れてほしい、救いようのない私に。こんな私なんかに嫉妬する彼女は酷く驚いたような顔をした。彼女が、彼女自身が私のいびつな気持ちの悪いような部分を引っ張り出してきたというのに。



 彼女の愛は重かった。粘着質だった。ぬいぐるみである私に注ぐ愛はこびりついてなかなか取れそうになかった。熱々で触れない程の感情を注ぎ込まれるたびに私は満面の笑みを浮かべる。端から流れていく愛に見ないふりをして次を求める。サラサラとして一瞬でいなくなるような他者肯定は目にも入らなかった。


 彼女が逃げようとしたのは分かっていた。自分の注ぐ愛に恐怖を抱き、熱過ぎて溶けやしないかと心配になっていた。だから私は、言ったのだ。

 呪いのような一言を。雁字搦めにするようなその言葉を。的確に彼女の欲する言葉を、彼女には察せられないように。自身の多少の好奇心も含ませて。

 そうしたら一層逃げようとした彼女。それでも蜘蛛に捕らえられた蝶は、甘い蜜をちらつかされた蝶は逃げることは出来ない。

 私はこの甘美な餌を逃すわけにはいかなかった。


 自分の愛に怯えるどころか、愛を与えられてこなかった彼女は愛を与えられるというそのことにも恐怖を抱いた。私にはこれは愛なのかどうかの区別はつかない。赤黒くってこびついた血のような感情。愛と形容したのは好奇心。逃さないのは利己心。きっと彼女の愛は紛い物。狂った共依存。それでも勘違いする彼女を利用しようと企む蜘蛛は、囁き続ける。

 そのまま自身に身を委ねろと。壊れてしまえと。







 骨の芯まで食らいつくすか、一口で吐き出すか、さあさ皆さんとくとご覧あれ。もしかしたら、蝶は壊れる前に息絶える前に最後の力を振り絞って逃げるかもしれないね。




 さあ、儚く綺麗な蝶々はどう動くかな。蜘蛛からの返事はこれでおしまい。

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