第5話 魔王
ティンタジェル神聖王国とフレイア教団による、合同の討伐隊がウチのダンジョンに攻めて来る日が近づく、ある日のこと。
魔王陛下自ら、オレにモニター越しの引見を
1LDKのリビングを片づけ、ソファもテーブルもどかして、カーキ色の正装軍服に着替える。
「正装って言っても、いつもとあまり変わらないね」
「肩章と記章を付けているし、佩刀もしてるだろ。それよりアーサーはこの部屋を出るか、居るならロフトから絶対出るなよ……」
「ボクも魔王を見てみたいのに……。モニター映像は録画できないの?」
「畏れ多いことを言うな。モニター越しに殺されたくなかったら、大人しくしてくれよ?」
アーサーが渋々ロフトに上がり、引見の時間がやって来る。オレは跪いて頭を垂れた。
モニターから青白い光が発して、その光の中に包まれる。
「クムラン・ダンジョンマスター、地竜ディーン。頭を上げよ」
火竜のフラウの声で、俺は伏せていた顔を上げた。見上げるとそこはオレの1LDKではなく、魔王城の謁見の間だった。玉座に座る陛下とその斜め後ろにフラウが立っている。
思わずキョロキョロとしてしまったが、落ち着け! これは幻覚だ。
玉座に長い足を組んで座っている細身の若き王は、滑らかな褐色の肌に切れ長の琥珀の瞳、滝のように腰まで流れるサラサラの銀髪で、こめかみからは捻じれた琥珀の角が二本生えている。
黒の軍服に緋色のマントを羽織って、立襟に金のダブルボタン、タッセルの飾り付き金モールが数本、肩から胸に弧を描いているのがかっこいい。陛下に密かに憧れて、オレも真似して軍服を着ているのは内緒だ。
それに何と言っても魔王さまの容姿が端麗なのだ。母君のハイエルフの血のせいなのか、正直言って、ロキ神よりも美貌では勝ってる。
「そなたのダンジョンに敵軍が迫る中、余の出来る範囲――神々が定めたルール内で手を貸したく思う」
「一臣下に、身に余るお心遣いありがとうございます」
「一つは情報提供だ。此度新しく同盟を結んだ狼人族からの情報で、ティンタジェルで雇われているはぐれ狼人族の傭兵団が、クムラン・ダンジョンの討伐隊に入っているそうだ」
「狼人族……!」
「彼らの戦闘能力は侮れない。また狼人族は集団で行動し、仲間同士の結束が強い。狼人族の長を篭絡してわれら側の味方につけたが、はぐれの傭兵団までは長も掌握出来ていない。彼らとの戦闘に備えるなら、弱点は銀だ。その銀塊で武器を用意するといい」
銀塊を積んだものが、俺の前に現れた。
「万一、敗戦が確実となれば、同盟を結んだこちらのダンジョンに来るのだ。戦死は許さぬ」
「――はい」
だけどその時は身一つで逃げることになる。村里のみんなも見捨てなきゃいけない。オレにはそんなこと……。
「そしてもう一つ。こちらが本題となるが……勇者と聖剣エクスカリバーの件はどうなっている?」
後半のトーンの変わった魔王陛下の声は、もしかすると何かのスキルを発動したのかも知れなかった。耳から脳を侵食されていくような、恐怖と恍惚の感情に翻弄される。
「アーサーは……勇者はオレの幼馴染で友人です。ティンタジェルから追われて、オレのところに来ました。だから敵ではありません」
「ディーン、陛下は君の気持ちは分かっておられる。だが――」
フラウを遮るように手を振り、陛下は微笑んだ。
「そう。いい子だね、ディーン。……フラウ、あれを」
玉座の隣から階段を降りてきたフラウは、蓋付きのクリスタルの小瓶を、オレの手に握らせる。
「これを勇者に飲ませるんだ。二人きりの時、必ず君の前でね。そうすればディーンの思う通りになる」
「それは飲んだ後、初めて顔を合わせた相手に、唯一無二の存在として生涯を捧げさせる薬だ。これは余の慈悲である」
冷や汗が、額や背筋を流れる。フラウがオレの肩に手を置き、言い聞かせるように話す。
「深く考えなくていいよ。要するに惚れ薬だ。魔族側としては、勇者を野放しに出来ないのは分かるでしょ? 君は優しいから隷属の首輪を使うのは酷だろうと、陛下がこの薬を用意させたんだ」
「聖剣は持ち主以外触れないと、アヴァロンの魔女モーガンから聞いた。剣を取り上げると言っても簡単には行かない。なら、勇者をこちら側に引き込むしかない」
陛下から、穏やかな口調なのに、決して有無は言わせないという意思を感じ、頷くしかなかった。
呆然としていると、周囲はいつの間にか1LDKのリビングに戻っていて、銀塊とクリスタルの小瓶もそこにあった。オレは慌てて、小瓶をポケットに仕舞った。
モニターは、いつものうちのダンジョン内の映像に戻っていた。
「ディーン? もう終わった? そっちに行ってもいいか」
「あ、ああ」
二人でテーブルとソファを元の位置に戻す。アーサーは、銀塊の一つを手に取って眺めた。
「この銀は何?」
「魔王様から頂いたんだ」
「ふうん」
「アーサー、今の魔王さまの話、聞こえていたか?」
「いや、結界が張られて何も見えないし聞こえなかった。どんな話だったの?」
「討伐軍の中に、狼人族の傭兵たちが居るから、弱点の銀で武器を作れと、銀塊をもらって……あとは敗戦が確実になったら、逃げて来いって……」
迷いを振り切るように立ちあがって、キッチンに行きコーヒーを入れた。
「アーサーも、飲むか?」
「うん。砂糖なしでミルク入れてね」
ポケットから震える手で、さっきの小瓶を出し蓋を取ると、アーサーのコーヒーカップに薬を垂らす。
あいつを騙してオレに惚れさせて、言う事を聞かせるなんて、卑怯じゃないか……? でも、魔王様の命令を聞かなかったら、アーサーはどうなる? ティンタジェルからも、追われているのに。
それでも幼馴染に対して、あまりにアンフェアだと、泣きたくなる。
守ってやりたい、という気持ちと、こうするしかない、というあきらめと……。
――じゃあ、せめて平等に。オレは自分のコーヒーカップにも薬を垂らした。これで小瓶は空になった。
「ありがと」
何も知らないアーサーが、コーヒーカップを受け取った。ふくっらしたピンク色の唇が、コップのふちに口をつけ、コクコクと薬入りのコーヒーカップを斜めに倒して飲んでいく。
オレも、自分のコーヒーを一気に飲んだ。
「ディーン」
名前を呼ばれて、思い切って顔を上げて、アーサーを見た。
黒曜石のような瞳が、オレの顔を映していた――。
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