第7話 憧れの火竜

 トントントントン……。


 まな板の上でネギを刻むリズミカルな包丁の音と、お味噌汁の匂い。


 ソファベッドの上で起き上がると、アーサーがキッチンで朝ご飯作ってる。



「おはよ、いい匂いだね」


「今日は、異世界食にしたよ」


「やった、楽しみ!」



 数世紀前、ティンタジェル神聖王国の初代建国王は、異世界から召喚された勇者だったという。


 その王は日本という国から来て、この世界にお米を始め、異世界の様々な食文化を広めた。


 まあ当時の魔族は、召喚勇者が強すぎて、虫の息だったらしいけどさ。その後は神々も色々考えてくれたらしく、今は魔族と人族はいい感じに均衡を保っている。

 


「卵焼きだ!」


 顔を洗ってテーブルに座ると、炊き立てのホカホカ白ご飯に、豆腐とネギのお味噌汁、お漬物、海苔、厚焼き玉子のお皿には右端に、しょうゆを垂らしたおろし大根が三角の山になって添えられている。


 ふわっとした卵焼きを口に入れて噛むと、だし汁の旨味がじゅわっと広がった。


「うまいっ」


「ディーンは人族のご飯、大好きだよねえ」


「……うん」


 人族のご飯が好きだと言うのは、恥ずかしいような気がした。竜は魔素さえあれば活動できるから、こうして人化してご飯を食べるのは、嗜好品をたしなんでいるようなものかもしれないけど。


「あのね、昨日、草原エリアの村里でゴブリンやオーク達に、少し稽古つけてみたんだけど」


「ああ、あいつら、もう少しお手柔らかに頼みますって言ってたよ……」


「それで、装備が全然整ってないんだよね。棍棒と竹やり、布の服じゃ、本当の戦闘になったら、すぐヤラれちゃうよ?」


「強そうな奴が来たら、逃げろって言ってあるけどな」


 ウチのダンジョンは初心者から中級冒険者推奨になってるけど、ろくなお宝がない(失礼な!)と言われていて、あんまり高ランクの冒険者は来ないんだ。


「全員に装備を整えるのは、一度には無理としても、見回りとボス部屋当番には、ちゃんと装備しよう。あと訓練設備も必要だ」


「その通りなんだけど、今までは資金繰り――というかDPが厳しかったんだよ。これからは少しずつ、やってくつもりだった」


 うむ。これじゃあ、親に言いつけられたことを言われて「今やろうとしてたのに!」って、ムッとする子供みたいだな。ヤレヤレ。オレは大人だ、というところを見せてやる。


「分かった。じゃあ、その辺の装備とか備品とか、アーサーが見繕ってくれるかな? 対人族の戦闘とかは、オレより分かってると思うし」


 オレの戦い方は、竜化してユニークスキルで地震を起こし、尻尾で横殴り、爪と牙で引き裂き、足で踏みつけの肉弾戦だからな。鬼どもに剣だの槍だの、対人への武器の使い方を教えてくれるなら、感謝しようじゃないか。


 アーサーにタブレットを渡して、鬼族たちの装備やら訓練に必要な備品をDPで交換してもらった。


「あ、ディーン。メールが届いているよ」


 誰だろう。アーサーからタブレットを受け取って、メールを開いた。


「わぁ、火竜のフラウからだ! モニターにダンジョン間の遠距離通話通信機能があるから、会談しようって!」


 さっそく、OKの返信を送る。


「へぇ、火竜って魔王城の、ダンジョンマスターだよね。すごいじゃん」


「うん、年に一度のダンジョンマスター会議で、会ったことはあるけど、二人でさしで話したことなんかないから、ドキドキする!」


「じゃあ、ボクは草原エリアで鬼たちに、装備や備品の使い方とかこれからの訓練のこととか、打ち合わせに行ってくる。あと、火竜にはボクのこと黙っていてね。あちらは魔王のダンジョンマスター、こちらは勇者のダンジョンマスターなんだから」



 えええぇぇぇぇぇぇええええええええええええええ?!


 なんだよ、その勇者のダンジョンって!!


 アーサーは呆然としている俺を置いて、さっさと草原エリアに出かけてしまった。


 あいつのことは、人族から隠れていたいなら匿ってやろうとは思っているけど、魔王さまや魔族、火竜のフラウと事を構える気なんてねぇ。


 オレは朝食の後片付けをしながら――作ってもらったんだから、後片付けはやることにしている――これからのことを考えた。


 取りあえず火竜にはアーサー、つまり勇者がここに居ると、まだ知らせないでおこう。もう少し、あいつと話し合う必要がある。聖剣エクスカリバーのことも、まだ聞いてないし。


 ピロローン、ピロローン。


 火竜フラウからの通話会談の申し込みだった。

 憧れの竜からの突然の申し込みに、オレは緊張のあまりカチンコチンになる。震える指で、リモコンの受信ボタンを押した。


 大型モニターが切り替わって、うちのダンジョン内の映像から、魔王城の人化したフラウの姿になる。

 大画面に、燃えるような緋色の巻き髪を後ろに束ね、黒地に赤のラインが入った軍服姿の美しい青年が映し出された。


「やぁ、ディーン。モーガンから最新モニターを設置したと聞いて、早速話してみたくてね。ダンジョン運営もうまくやっているようだ」


「あ、ありがとうございます」


「それに……モーガンが、ね。どうやらディーンは、僕に相談しなきゃいけない事態が起きている、と言うんだ。アヴァロンの魔女をこちらとしては全面的に信頼している訳じゃないが、かわいい後輩竜のこととあっては、ほって置けない」


 ま、まさか……アーサーが勇者だと、もうバレてしまったのか? 勇者を匿った裏切り者として、モーガンはフラウに知らせたのか? じっとりと手に汗が滲んでいく。



「回りくどい言い方は、苦手なんだ。単刀直入に聞く、嘘はつくなよ? 正直に答えて欲しい。さもないと、的確なアドバイスなど出来ないからな」


 火竜の縦に割れたような細長い瞳孔の金色の目が、モニター越しにギラリと輝いた。


 心臓が激しく鼓動を打ち、まるで時が止まってしまったかのような錯覚に襲われる。


「ディーンは――もうその子とヤったの?」


「はいぃ? なんのことですか」


「照れることはない。誰でも経験することだ。ただ、異種族間の交配は困難も付きまとう。失敗も戸惑うこともあるだろう。最初からうまく行くと思うな。具体的なアドバイスについては、口頭では年若い君に刺激が強すぎるだろうから、エロ本、じゃなくて、教本を送るからそれを参考にするといい」


「あ、あの」


「礼などいらないよ。困った時は遠慮なく相談してくれ」


「いや、なんか勘違いされてます。オレたちはそんなんじゃ、あいつもそういうのは」


「――なんだ、まだ童貞なのか。相手も初めてだと、大変かもしれないな」


 その時、急にモニターの中のフラウに、小さな赤い塊が飛びついた。


「うわぁ、ユリア。今、大事な話をしているところなのに」


 赤の塊に見えたのは、子竜だった。フラウの腕の中に納まっている。


「娘だ」


「か、可愛いお子さん、ですね」


 憧れのフラウが、デレた顔になっている。


「ああ。ユリアには一人と言わず、大勢の配偶者を持ってもらいたい。ディーンもがんばれ」


「えっ? あ……はい」


 モニターの中から、「ユリアー? どこに居るのー?」と遠くから子竜を呼ぶ声が聞こえた。


「ここに居るよ! ……じゃあ、ディーン、ユリウスが呼んでいるから、またな」


 フラウは火竜の子を抱いたまま、あわただしく立ち上がると、画面ごしにこちらに向かって片手を上げ、通信を切ったのだった。



 テーブルの上には、フラウが転送してくれたエロ本、じゃなくて教本『竜と薔薇色の活』が置かれていた。



「これ、どこに隠そうかな……」



 アーサーが帰ってくる前に、安全な場所に移して置かないと。



 思わず、はぁ、と深いため息をついた。

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