42 宣戦布告

「(これが末那クオリア第六階位レベル6に至った選手にだけ発現する力!!)」


 ぼうえいせいという心理学用語がある。

 精神的に苦痛を感じた時、それに伴う不安や不利益を軽減させようと無意識に働く心理的なメカニズム。深層心理学『福木派』においては、死の欲動デストルドーを抑え込む為に働く生の欲動リビドーと定義されていた。


 それこそが、末那クオリアの根源。

 第六階位レベル6に到達した選手が手にする力は、生の欲動リビドーの象徴化。


「(昇華サブリメイション……生の欲動リビドーの根源となった出来事や願望を識力シンシアで具現化する能力、か)」


 陽明にとってのそれが何であるのか、わざわざ考えるまでもない。


 空を飛びたい。

 全ての始まりとなった強烈な欲求。


 溢れ出した識力シンシア生の欲動リビドーによって翼へと姿を変えた。一対の純白で空気を叩く度、自分が思い描いた通りに空を翔る事ができる。

 まるで鳥になったような気分だ。試合中だと言うのに心がかいさいを叫んでしまう。


「(このまま、押し切る!!)」


 識力シンシア制御では不可能な軌道で距離を詰めて何度も斬り掛かる。

 だが、なかなか珀穂を捉えられない。

 少し前まではギリギリで斬撃をなしていたはずなのに、いつの間にか末那クオリアを使った速度と威力に対応し始めていた。


 そして。

 残り時間が、十秒を切る。


 今まで防戦一方だった珀穂が初めて攻勢に打って出た。最大限の加速で突っ込んでくる陽明の懐へ、剣道における突きの要領で氷刀を差し込んだのだ。


 乾坤一擲のカウンター。


 しかし。

 必殺のタイミングで放たれたはずの氷刀は、呆気なく虚空を貫いた。


「更に、速度が上がって……っ!?」

「緩急を付けろってアドバイスしてくれたのはお前だったよな?」


 翼を羽ばたかせて背後に回った陽明は赤いラバーソードを振り下ろす。


 一閃。

 鋭い軌跡が、珀穂の背中を斬り裂いた。


 試合終了のブザーが鳴るのと、審判が白旗を挙げるのは同時だった。


 背面への有効打は二点。試合結果は三対二。

 えんじょうはるあきの勝利だ。


 一瞬の静寂を突き破って観客席が沸騰する。

 プールを包み込むのは地鳴りにも似た歓声と拍手。それが全て自分に向けられた称賛だと認識した途端、肉体から魂が抜けるにも似た興奮が駆け巡った。ぐっと拳を握り締め、勝利の余韻を噛み締める。


「(……珀穂?)」


 黒い少年は数メートル離れた場所で静かに浮かんでいた。俯いているせいで表情まではよく見えない。だけど、その口許は柔らかくほころんでいる気がする。


「おかえり、ハル」


 小さくそう告げると、振り返る事なくプールサイドへと降りて行った。陽明は口の端から小さな笑みを零してから、末那クオリアを解除して珀穂の後を追う。


「いい試合だったぜ、二人とも!」


 拍手と共に出迎えてくれたのは、派手な服装に身を包んだ強面のろうおうと、スタッフ用の黒いポロシャツを着た長身の優男。日本エバジェリー協会の長である弥勒と二人の師匠である慎也だ。


「よくやってくれたなハル、俺はテメェの勇姿に感動したぜ! 文句ねぇ勝利だ!!」


 裏社会の重鎮と言われても信じられそうな風貌の弥勒は、にんまりと相好を崩すと大きな手で陽明の背中をバシバシ叩いた。


「珀穂も、ナイスファイトだった! 大変な役回りだったと思うが、よく全力で戦ってくれたな。協会を代表して礼を言わせてくれ。ありがとう」

「……ども」


 珀穂は軽く頭を下げると、顔を隠すように右手で黒縁眼鏡の両端を押し上げる。


「さて試合直後に悪いが、どうしてもテメェらに伝えたい事があってな。一つだけ俺の話を聞いてくれ。テメェらは『空識道エバジェリー』という言葉の語源を知っているか?」

「語源……?」


 陽明が首を傾げる隣で、珀穂も顔を横に振った。


「聖書において、復活した主は弟子達の前で、神の右の席に着いたとされている。人から神へとる為に召天アセンションされたんだ。この時、主は弟子達にこう言われた――全ての造られたモノに福音を宣べ伝えなさい」


 弥勒は胸元で揺れる十字架のネックレスに触れる。


「福音は、ラテン語で”Evangelii”と表現するんだ。これが空識道エバジェリーの語源。俺は今日の試合を見て確信したよ。テメェら二人がエバジェリーというスポーツに福音をもたらす存在になってくれるってな」

「おめでとう、ハル! 君はまたしても偉業を成し遂げたんだ」


 慎也は爽やかに微笑み掛けると、マンエバの特設ステージへ視線を向けた。現在も生放送は継続中であり、司会の恵美がゲストのお笑い芸人と興奮した様子で話している。


「さあ、勝者インタビューの時間だ。完全復活をアピールしておいで」

「はい!」


 師匠に背中を押され、陽明はプールサイドを歩いて行った。

 その途中でとある作戦を思い付く。実行すればもう後には引き返せない。一年前よりも遙かに世間から注目を浴びて、心にのし掛かる重圧や責任は増していくはずだ。


 それでも全く迷わなかった。

 何故ならば、自分の弱さを否定すると決めたから。


 力には、ノブレス・義務が伴うオブリージュ

 胸のうちで呟いたのは、子どもの頃に憧れた存在の口癖。


 マンエバの撮影スタッフの指示に従って特設ステージへ上っていく。

 すでにインタビューの準備は万端だった。何台ものテレビカメラが、一年振りに復活を果たした元ジュニア王者の一挙手一投足に注目している。連続して焚かれたカメラのフラッシュが視界に白い残像を焼き付けた。


「さて、それでは勝者である遠城選手にお話を聞いていきましょう! まずは、今の気持ちを率直に聞かせてください!!」

「そうですね、じゃあ一言」


 恵美からマイクを向けられた陽明は、中継カメラに人差し指を向けた。フラッシュバックする苦い記憶を打ち消して、自信満々に言い放つ。


「『ぞらあく』に告げる」


 それは宣戦布告。

 いつかの優勝インタビューに対する意趣返し。


 そして。

 自分がエバジェリーというスポーツを背負っていくという覚悟の表明だった。


「エバジェリーをぶっ壊したいのなら、まずはこの俺を倒してからにしな」

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