41 クオリア

 だから、なのだろうか?


 ——だったら質問に答えてもらおうか、使徒アポストロ


『彼』の声が聞こえたのは。


 ——戦う理由もなく、ただ飛びたいだけの欠陥品に、空を望む資格はあるのか?


「(理由は貰った。俺は豊音の為に空を飛ぶ。この想いだけは何があっても揺るがない)」


 思うように識力シンシアを制御できないが、氷刀を受けるタイミングで全神経を集中させた。刹那の輝きを取り戻したラバーソードが僅かに珀穂を押し返す。


 ——どうして、そんなに無理をする? 誰かの為なんてお前らしくもない。楽になりたいなら、今までみたいに逃げちまえよ。


「(くしたくないモノが見つかったから。初めてなんだよ、本気で手に入れたいって思ったのは。だから、目を逸らすつもりも、諦める気もない)」


 猛攻をくぐる為に上を取ろうとして宙を蹴る。だが逆に、こちらの意図を悟った珀穂に頭上へ移動されてしまった。


 ——誰かを理由にしないと立ち上がれないのか? お前の覚悟なんて所詮そんなもんだよ。


「(誰かの為に立ち上がる事にだって勇気がいる。その覚悟は否定させない。この気持ちはもう、立派な俺の『意志』なんだから)」


 珀穂は風車ウィンドミルを発動して鋭く回転した。

 遠心力の乗った一撃が頭上から落雷のように突き刺さる。咄嗟に掲げたラバーソードで防御するも、識力シンシア制御が不完全で真下へ叩き落とされた。


 このままでは、墜ちる。

 水面へと一直線に吸い込まれていく。


「(確かに、俺はからっぽな人間だった)」


 歯を食い縛り、全身から識力シンシアを放出して落下の勢いを削り取る。


「(生き方に軸がなくて、自分の意志を生み出せない。何かを変える事が怖くて、自分の気持ちすら他人事みたいに俯瞰してきた。ネガティブで、他人任せ。それが俺の弱さ。えんじょうはるあき死の欲動デストルドーの根源だ)」


 一度はエバジェリーだって投げ出した。

 空を飛びたいと願いながらも、自分の力だけでは翼を取り戻す事ができなかった。


 社会生活を送る上で不必要だと切り捨てた表象イメージの裏側。

 それはきっと、どれだけ願っても自分の中から無くなってはくれない。


「(だったら、俺はそれを否定する)」


 脳裏を過ぎったのは、いつか聞いた言葉。

 死の欲動デストルドーを認めて、否定しろ。お前自身の意志を示す事で。


「(今の俺なら否定できるはずだ! 俺の心はもう空っぽじゃない! 豊音から貰った理由が刻んであるんだからっ!!)」


 叫ぶ。

 拳を強く握って、腹の底から咆哮する。


 胸の奥から湧き上がる想いの丈を言葉に乗せて、自分の弱さデストルドーを否定する。


「馬鹿のくせにゴチャゴチャ考えてんじゃねぇよ!! 初めて本気で手に入れたいモノが見つかった……諦めたくない理由なんてそれだけで十分だろうがあっ!!」


 ——正解だ、使徒アポストロ


 識力シンシアしきが変わる。

 鮮やかな黄蘗色ネープルスイエローから、まるで太陽のような橙色ソレイユに。


 ――弱さを否定しようとする強い意志が、お前の識力シンシアに力を与える。


 進化アセンション

 第六階位レベル6への到達。


「——生の欲動リビドー、解放」


 脳に浮かんできたことばを発した直後。

 陽明の背中で識力シンシアが爆発的に膨れ上がり、一瞬にして姿を変えた。


 それは、翼だった。

 背中から左右に広がる一対の白い輝き。


 落下が止まる。

 軽く羽ばたいた陽明は、水面から一メートルも離れない位置で静止した。一粒の雫が落ちたように揺れる水面。仰向けの状態から、識力シンシア制御でゆっくり体を起こしていく。


 悠然と浮遊するその姿は、頭上の後光輪ヘイローも相まって宗教画に描かれた天使を想起させた。圧倒的な存在感。息を飲むほど神秘的な光景に、しんと観客席が静まり返ってしまう。


「(あの時と、同じだ)」


 ぐっ、と氷の溶けたラバーソードを握り締めた。


「(裏象タナトスを発現した時みたいに、自然と情報が頭の中に流れ込んでくる。)」


 白い羽根を花吹雪みたいに舞い上げつつ、赤い少年は超然と空を見上げる。


末那クオリア昇華サブリメイション』」


 遙か上空で浮かぶ珀穂の顔は驚愕に染まっていた。レンズの奥で盛大に揺れる瞳。わなわなと唇を半開きにして、無意識に距離を取ろうとする。


 残り時間は、あと三十秒。


「行くぜ」


 ゴッガァッッッ!! と。

 両翼で大気を叩いた陽明が、橙色ソレイユの閃光となって大気を穿った。底が見えそうな程に抉れる水面。撒き散らされた衝撃波がソニックブームを伴ってプールサイドに吹き荒れる。


 珀穂は真正面からの斬撃を紙一重のタイミングでなす。だが莫大な衝撃を吸収できず、トラックにでも撥ねられたみたいに弾き飛ばされた。


 陽明は純白の翼を羽ばたかせ、通常の何倍もの精度と規模で識力シンシアを制御する。

 弧を描いて照準を定めると、翼を畳んで一直線に黒い少年へ突撃した。慣性や人間が干渉できる識力シンシアりょうから考えて、普通の選手なら絶対に不可能な速度と挙動。縦横無尽に空を翔るその姿は、まさしく地上の獲物を狩る猛禽類だ。


 珀穂が盛大に目を剥いた。防御に徹するも衝撃に負けて体が錐揉み状になる。すぐに立て直すが、連続して襲い掛かってくる赤い少年の速度と威力に手も足も出ない。


「(これが末那クオリア第六階位レベル6に至った選手にだけ発現する力!!)」

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