43 九高新聞
9月29日(水)
「なあ、御波」
「何よ」
「いや、これって何の嫌がらせかなと思って」
放課後の学校だった。
一年生の教室がある校舎三階の階段前。影が濃くなってきて電灯を点けたくなる頃、陽明は掲示板の前で隣の女子生徒に眠そうな目を向けていた。
しかし、小柄な少女は全く意に介した様子もなく告げる。
「口じゃなくて手を動かす。ほら、ちょっと左側が下がった。ちゃんと水平を意識しなさい」
「へいへい」
陽明は両手で掲げている大きな印刷紙の角度を調整する。「そこでいいわよ」と許可を貰い、画鋲を使って四隅を緑色のスポンジフォームに留めていった。
陽明が掲示板に貼っているのは九月号の九高新聞だ。紙面の大半は約一ヶ月間の取材を元に御波が執筆したエバジェリー特集で埋まっている。
「てかさ、どうして俺が新聞部の仕事を手伝ってるの? いや、
「ふンッ!!」
「おごぉっ!?」
腰の捻りが加わった鋭い蹴りが
「何しやがる、事実を口にしただけだろうが!」
「言葉に悪意があったから暴力で返したのよ。等価交換じゃない」
「お前の価値基準はどうなってんだ……」
「文句を言う暇があったら仕事をしなさい、私はアンタに嫌がらせをしたいだけなんだから」
「遂に白状しやがった、素直に言えば許されるって訳じゃないぞ」
「そう言うアンタだって、色々と言う割には手伝ってくれるじゃない」
「女子から頼み事をされて悪い気になる男はいないの、その辺の男心を分かって」
陽明は足元に飛び散った画鋲や両面テープを広い集めながら、
「にしても、何が悲しくて自分の特集が組まれた新聞を学校中に貼って回らなくちゃいけないんだ」
「いいじゃない、悪い事は書いてないんだし」
「だとしても恥ずかしいんだよ、まるで自分の選挙ポスターを貼ってるみたいで」
ぐちぐちと陽明が気にしているのは、内容よりも書かれ方だった。なにせ『
ただでさえ、真人を始めとしたクラスメイトからは「よ、
「今更文句は受け付けないわよ、アンタには事前に内容を確認してるんだから。協会にも許可を取っているし、何なら感謝されたくらいよ」
「まあ、俺としても助かってるけどさ」
本来なら誰にも注目されないはずの九高新聞だったが、今回ばかりは少し事情が異なる。
「それからどう? 豊音先輩の件、丸く収まりそう?」
「ああ、お陰様でな。大方は協会の目論見通りになったよ。試合の後、会長が正式に発表してくれたからさ」
ポスターみたいに丸まった九高新聞を持った陽明は、御波に従って次の掲示板へと廊下を歩いていく。窓の向こうに広がる空は茜色に染まっていた。日が暮れるのも早くなり、否応なく夏の終わりを感じ取ってしまう。
「今年、俺は家庭の事情で選手登録をしてなかった。事前に相談を受けた協会はその旨を了承。よって
実際は少し揉めたらしい。
対岸の火事を眺めていただけの大多数はすでに興味を失っていたのだが、一部の目立ちたいだけの連中が詭弁じみた苦言を呈してきたのだ。結論から言えば無事に退けられたのだが、最後まで面倒を掛けた協会には申し訳ない気持ちで一杯だった。
「でも実際、御波からすれば今回の九高新聞はどうなんだ? 理由があるとは言え嘘の内容を記事にしてるけど」
「何も問題ないわ、むしろ最高の結果よ。記事の評判は上々で、学外組織であるエバジェリー協会ともコラボできた。お陰で新聞部内で私の株は上がったし、ついでにアンタの助けになったんなら言う事なしじゃない。内容の真偽なんて興味ないわね」
「ブン屋が口にしていい言葉じゃないんだよなぁ」
「ふふん、頭が硬いわよ陽明。前に言ったでしょ? 大衆が求めているのは、退屈な真実よりも程良く脚色された虚構なの」
少し先に進んだ御波が振り返り、自信に満ちた笑みを浮べる。窓から射し込んだ西日が、柔らかそうなショートカットの上を滑り落ちていった。
「私はね、どんな時でも私自身に完璧で
「そりゃよかった」
「アンタは?」
「ん?」
「だから、アンタは満足してるのかって聞いてるの」
「……そうだな」
御波を追い越した陽明は、目的地である掲示板の前で立ち止まる。
「もしまだ満足してないって言ったら、どうする?」
「その猫背を蹴り飛ばして気合いを入れ直してあげる」
「なら、蹴り飛ばしてもらおうかな」
「?」
首を傾げる御波の前で、陽明は丸まった九高新聞を引き伸ばしていく。
まだ、終わっていない。
陽明にとって、今回の物語はまだ完結していない。
全ては、今夜。
エバジェリーの練習後に決まる。
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