21 落とし穴
9月6日(月)
放課後。
陽明は豊音と一般社団法人日本エバジェリー協会の関東支部へ向かった。
日本エバジェリー協会は埼玉県熊谷市に置かれた本部の他に、大阪、名古屋、博多、仙台にそれぞれ支部を持っている。地方における練習や大会運営はそれぞれ近い支部が担当していた。
本部の場所は熊谷駅東口のロータリーから歩いてすぐのオフィスビル三階。
陽明は幼い頃から慎也に師事していたし、豊音は中学生で正式や
だが、今日ばかりは違った。
緊張した面持ちで事務所に入り、応接室へと通される。硬い表情で待っていたのは日本エバジェリー協会の長である
「結論から言わせてもらうぞ。このままでは、豊音ちゃんに陽明の
子どもが見たら泣き出しそうな強面の
濃いめにサングラスに、派手な服装。裏社会の重鎮にも見えるその容姿も相まって、張りのある低い声は陽明の心を大きく揺らした。
「……会長、それは協会としての意見ですか?」
「その通りだ、テメェらには申し訳ねぇがな」
弥勒は椅子の黒い
紳士的な態度に、和太鼓みたいに重厚感のある声。知り合いの高校生ではなく一人の交渉相手として見られている。そう察した瞬間、陽明は身が引き締まる想いになった。隣に座った豊音も同様らしく、慌てて居住まいを正している。
「詳しい説明は僕からしよう。二人とも、選手と
バーテンダーみたいな服装をした慎也は、タブレットを操作して
「協会に登録された
エバジェリーでは大会などの公式行事に参加する場合、選手か
継続にはシーズンごとの更新が必要であり、全国大会が八月に終わる関係で九月をシーズンの始まりとしている。
「だが、今更になってこの制度が問題になった。実は三日前の報告会の後から、豊音ちゃんに
「……は?」
「豊音ちゃんは人気者だ。元ジュニア王者の
「いや、ちょっと待ってくださいよ慎也さん!」
渋面を作った陽明は、身を乗り出して詰問する。
「おかしいでしょ、豊音は俺の
「本来ならハルの言う通りだ。豊音ちゃんが複数人の
「事情?」
棘のある声で聞き返した高校生に対して、武人みたいに凛とした協会職員は冷静に告げた。
「ハル、君は昨シーズンの選手登録を行なっていたかい?」
「っ」
さあぁ、と。
顔から潮のように血の気が引いていく。
「……そん、な」
思い出すのは、先週の報告会で貰った冊子。
協会に登録された選手のハンドルネームや『二つ名』が羅列されたページ。
その一覧に、かつて協会から貰った
「君は今年の大会に参加していない。協会が公開している選手一覧にも名前が載ってなくて、世間的には原因不明の活動休止中。それに報告会の最後、表彰式で豊音ちゃんは言ったよね。ハルの事をいつまでも待ち続けるって」
この二つの情報が、最悪な形で繋がってしまったのだ。
「登録がなければ、協会だってハルを選手だったと認識できない。連鎖的に豊音ちゃんも相方のいない
顔を真っ青にした陽明は、何も言えずに俯いた。
紹介制度に文句を言うつもりはない。それよりも自分自身に対して激しい怒りを覚えた。エバジェリーから逃げ出した弱さが、この最悪の事態を招いてしまったのだから。
「(豊音が、俺以外の誰かの
そう実感した瞬間、床や調度品まで含めて応接室が崩壊していく錯覚に苛まれた。魂を構成する最も大切な部分を汚されたような気分。ガタガタと寒くもないのに体が震え始める。
「……でも、少し変です」
気丈を装った声で訊ねたのは、陽明の隣で体を硬くする豊音だった。
「紹介制度については理解しましたけど、たった三日で九件も依頼が集まるなんて……」
「SNSだよ」
慎也はタブレットを操作してSNSのタイムラインを表示させた。検索機能を使ってエバジェリー関連の内容に絞っていく。
『豊音ちゃんがフリーってマジ!? 今なら俺の
『これってもう何人も立候補してるんでしょ? 強い選手の
『紹介制度を利用しました。俺こそが豊音ちゃんのパートナーにふさわしいと思うので、協会の人はよく考えて俺を選んでください笑』
何も、言葉が出てこなかった。
ただ呆然と、ネットの世界に刻まれた匿名の意見を眺める事しかできない。
「きっかけは紹介制度を利用した一人の発言だった」
険しい顔になった慎也は、タブレットの画面をスクロールさせながら、
「念願の
紹介制度は
「人気美少女
「……やっぱり、納得できません」
九高の夏服を着た少女が苦々しい口調で言った。
「そもそも、私は選手の紹介なんて望んでいないんですよ。仮に私が相方のいない
「ああ、その通りだ」
「だったら!」
「だけど、九人の依頼を全て断った上でハルの
制度利用者からすれば、陽明も自分達も立場は同じだと考えているはずだ。いくら元相棒とは言え、一度は理由も公表せずにエバジェリーから姿を消しているのだから。
急に戻って来たとしても、何か権利を持っている訳ではない。制度を無視して豊音を陽明の
「正式な手続きを踏んで制度が利用されている以上、協会としても無視する訳にはいかない。世間様を納得させる為にも、エバジェリーのイメージを守る為にも、然るべき対応を早急に取る必要があるんだ。たとえそれが、君達や僕にとって納得できない方法だとしても」
豊音は反論できずに唇を噛む。長髪がさらりと流れて、横顔に悄然とした翳を落とした。
「……ハル、君」
助けて、と。
そんな声が聞こえた気がしたから。
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