22 無謀な作戦

「……ハル、君」


 豊音はしなれ掛かるみたいに顔を上げる。前髪に透けた瞳が潤んでいると気付いた瞬間、陽明の全身を電流よりも激烈な感覚が走り抜けた。


 助けて、と。

 そんな声が聞こえた気がしたから。


「(……ああ、そうだ)」


 取り戻した翼は、自分一人だけの希望ではないのだ。


 だったら、履き違えるな。

 今するべきことは、下を向くことでも、諦める為の理由を探すことでもない。


「(俺は豊音を失いたくないんじゃない――!!)」


 ――そうやって、誰かを理由にしないと立ち上がれないのか? お前の覚悟なんて所詮そんなもんだよ。


 不意に頭で鳴り響いた言葉。

 高温に熱したやきごてを脳へ押し付けられるにも似た不快感を無視して、陽明は立ち上がる。


「——お願いしますっ!!」


 硝子ガラス製の座卓を額で叩き割らんばかりに頭を下げた。


「無理は承知しています。子どものわがままだって事も十分に理解しています。でも、どうしたって納得できない、このままじゃ引き下がれない! 俺は豊音に調律師ビショップをやって欲しい……いや、豊音じゃなきゃ駄目なんです!! 俺にできる事だったら何だってします、だからっ!!」

「顔を上げろ、陽明」


 遠雷にも似た低い声で、裏社会の重鎮みたいに見える弥勒は告げる。


「別に俺達はテメェらを言いくるめようとしてる訳じゃねぇ。むしろ、テメェらと協力して事を丸く収めようとしてるんだからな」

「……?」

「今回の一件は完全なる例外だ。後々の事を考えれば、下手に対処して前例を作っちまう方が厄介な禍根に繋がる。それによ、応募してきた九人の優先順位はどう付ける? そもそも九人全員を紹介するのか? 人選の方法は? 必要な事を考えるだけで頭が痛くなる」


 顔の皺を濃くすると、深い溜息を吐いた。


「ハルと豊音ちゃんの事だってガキの頃から知ってるんだ。無下にはしたくねぇと思うのが人情ってモンさ。だから俺としては、紹介制度が不成立で応募は無効って事にしちまいたいんだよ。それも世間を炎上させないような上手いやり方で」

「そんな事が、可能なんですか?」

「ああ、だからこそテメェらをここに呼んだのさ」

「はあぁー……」


 陽明がヘナヘナと崩れ落ちる。


「始めからそう言ってくださいよ……会長も人が悪いなぁ」

「脅して悪かったな、テメェらにも事態を重く受け止めてもらう必要があったんだ。だが安心したぜ陽明、テメェのおとこはしかと見させてもらった。男の下げた頭を無駄にはさせねぇよ」


 弥勒は張り詰めた表情を和ませると、「……それにな」と口籠もった。


「何年か前に紹介制度を残せって言ったのは俺なんだよ。だから、少し責任を感じてるって理由もある」

「どうして、そんな事を? 今はほとんどの選手が汎用型スタンダードタイプを使っているのに」

固有型ユニークタイプの使用者が減少し続ける現状が気に食わなかったからだ」


 難しい顔になった強面のろうおうは、唸るように重たい息を吐き出す。


「やれSNSだ、やれリモートだ、インターネットの発展で人の繋がりは随分と様変わりしちまった。別にそれが悪いって言うつもりはねぇよ。生活が便利になるのはいい事だ。でもな、変わっちゃいけねぇモンまで変わりそうになってるなら話は別だろ」

「変わったら、駄目な物……?」

「ネットを介した繋がりはキッカケでしかねぇんだ。それだけじゃ本当の意味で他人と繋がる事はできない。実際に会ってみて、長い時間をかけてお互いの長所も短所も受け入れて、初めて他人は友人になるんだからな。今の若者は誰かと繋がるという結果だけを焦り、面倒な過程をすっ飛ばしたがっているように思えてならねぇんだ」


 サングラスに透けた瞳を細めると、胸元で揺れる十字架のネックレスに軽く触れた。


汎用型スタンダードタイプが選ばれる理由はよく分かる。固有型ユニークタイプが面倒な機械だからだ。性能には個性みたいにバラツキがあって、調律師ビショップとの相性が悪けりゃ使い物になんねぇし、面倒でも定期的に調律しないと駄目になる。まるで、人間関係その物だとは思わねぇか?」


 固有型ユニークタイプに比べて、汎用型スタンダードタイプは運用が非常に楽だ。何せ、心の内側を晒したり、他人の支離滅裂な欲望を理解したりする必要がないのだから。誰かと深く繋がる事なく、自分一人の世界で完結できてしまう。


汎用型スタンダードタイプは便利だが、どうにも大切なモンを軽んじてる気がしてならねぇのさ。だから、固有型ユニークタイプを守りたかったんだ。人の繋がりは、便利さと引き替えに薄れていいモンじゃない。『ぞらあく』とだって、腹を割って話し合えば分かり合えるって俺は信じてるよ」


 一度言葉を区切ると、弥勒は隣に座る慎也へと視線をやった。


「さて、ここからが本題だ。紹介制度が不成立だと証明する為に、俺はとある作戦を考えた」

「ハル、次の『マンエバ』が二週間後の日曜日に更新される事は知っているかい?」


 慎也は座卓に置かれたタブレットに指を滑らせて、定額制の動画配信サービスで公開されている『マンスリー・エバジェリー』の特設ページをスクロールしていく。次回予告の欄には『てんじゅつ』ことかわはくの写真と黒いシルエットが並んで表示されていた。


「次回のマンエバでは、番組最後に特別試合エキシビションマッチが行われる予定になっている。珀穂君には了承を得ているんだけど、実はまだ相手が見つかっていないんだ」

「……まさか」

「ハル、君にはてんじゅつと生放送で戦って欲しい」


 どくんっ!! と。

 心臓が大きく跳ね上がる。


「生放送で、試合……?」


 思い出すのは、昨日の練習試合。

 手も足も出ずに惨敗した苦い記憶。


「現時点でもある程度は言い訳が利く。選手登録の有無や大会への不出場については家庭の事情だって言えば踏み込まれないし、事前に協会へ打診があったと嘘を吐けば最低限の筋は通るはずだ。こうすれば、豊音ちゃんの待ち続けるって発言も別に不自然じゃないからね」


 陽明が『悪魔』に敗北してエバジェリーをやめた経緯を知っているのは、協会関係者と限られた人だけだ。よって協会が家庭の事情だと発表してくれれば、誰もそれを嘘だと疑う事はできない。


「だけど、それだけじゃ熱くなった世間は納得してくれないだろう。実際に、協会の中からも豊音ちゃんをハルの調律師ビショップから外せという声が上がっているんだ。『悪魔』の件で世間を騒がせたばかりだから、余計な炎上のリスクを負いたくないのさ。話し合う中で、彼らは例外を認める為に一つの条件を出してきた」

「……条件?」

「生放送でハルが勝つこと」


 鋭い言葉の切っ先が、真っ直ぐ胸に突き刺さる。


「協会としても『悪魔』を倒すかもしれない選手を失いたくはないんだ。一年間のブランクがあったとしても、ハルが昔みたいに強いままなら手放したくないって考えたのさ。それに全国ベスト四に勝てばハルの言葉に箔が付く。今更になって実は二人の関係が継続していた、なんて発表しても誰も文句を言われにくくなるはずだよ。炎上のリスクだって最小限に抑えられる」


 雰囲気や空気といった曖昧な『流れ』を黙らせるには、目に見える結果を叩き付ければいい。


 それは分かる。

 問題は、その方法が限りなく困難である点だ。


「――神は誠実である。貴方達が耐えられない試練に出会わせる事はないばかりか、それに耐えられるよう逃げ道も備えてくれる」


 謳うように告げたのは、胸元で輝く十字架のネックレスに触れた強面のろうおうだった。


「聖書の一節さ。どんな理不尽にだって可能性は残されてるって事だよ。これが会長として可愛いお前達の為にしてやれる最大限の譲歩だ。少年マンガみたいな熱い展開でいいじゃねぇか。男を見せろよ陽明、テメェの大切なモンを護る為に」


 そして、日本エバジェリー協会の長は鋭い眼差しで問い掛ける。


「この勝負、受けるよな?」

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