「落」

しょう君の様子がここ2ヶ月くらいおかしかった。

通話してても会話がかみ合わなかったり、デートに行ってもどこか遠いところを見ているようだった。

でも、その理由がなんとなくわかった。


職場で流れているテレビで見覚えのある写真が出ていた。

モザイクが多くて勘違いだと思ったけど、その後に続く女性の情報で確信に変わった。


しょう君の知っている女の子が死んだんだな。

私はしょう君の全てを知っているわけではもちろんない。

だから、この女の子がどこまで近い子なのかもわからない。

しょう君は優しい人だからきっと今頃、悲しみに暮れているに違いない。

どこかでしょう君はこの女の子が死んでいるかもしれないと感じて生きていたんだろう。


どうやって?


そんな疑問がむくむくと膨らんできた。

どうして彼は、彼女に対して敏感になっていたんだろう。


「SNSでこの女性は遺書を残していたみたいです」

「こうやって弱者がどんどん生きにくくなっている、こうしたところに光を当てる上でこの事件は意味を持ちますね」

「そういうツールとしてのSNSが今後広まっていくことも懸念されますが・・」


お昼の情報番組のコメンテーターたちが自由に感想を述べる。

この子が死んでから早1月半くらい経つが未だに話題としてあげられている。

それくらいこの事件は世の中の関心を惹いているみたいだ。

なんとなく職場で話題には上がったことがあったので、耳にはしていたがここまで近い話だとは思っていなかった。


SNSを開いて投稿を見てみる。

こういうのは運営に消されるモノではないのか。


自分が見ている間も、いいねとリツイートの数は増えていった。


職業柄、こういう状況にある人たちを相手にすることが多い。

こうした人たちが何かしらのメッセージを発さないと世間は気付いてくれない。

しかし、こうした人たちが発せられるツールというのは限られているし、その声が届くのもほんの一部分である。

普段のメッセージに隠された些細なSOSを掴むことが重要と昨今は言われている。


こうした人たちに必要なのは意見ではなく、同調なのだともいう。

こうした人は現状をどうにかしたいとは思っているけれど、どうにも出来ないことを知っているから、ただ辛いと言うことをわかって欲しいそうなのだ。


「瀬川さん、電話が入ってます」

「はーい。」


あぁ、来週のデートどうしようかな。

なんだか、行きづらくなっちゃった。

でもなぁ、自分から断るのもなんだか変だしなぁ。


開いていたSNSを閉じて、仕事を再開した。

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