第20話 心の支え

 戦いの後に美術室に集まるのは、天音にとって救いであった。

 停止世界での出来事を誰かと共有できるだけで肩の荷が下りる気がするし、一人で戦っているのではないと安心するのだ。

 だが、同時に殺しに慣れていく自分にも気付いていた。現実世界では決して罪に問われなくとも、殺人を犯すのは精神的な負担が大きい。体の傷は停止世界の終わりとともに消えても、記憶も感触も残っている。

 それを考えると、奏や冬矢は多くの戦いを経験しているはずなのに、普段と変わらないように見える。天音から見ると、心の負担を乗り越えているように思えてしまう。


「どうしたらお二人のようになれますか?」

 思い切って聞いてみることにした。

「え、私たち?」

「え、俺たち?」

 奏と冬矢は同時に声を出した。

「それってどういう意味?」

 紅茶を淹れながら、奏は言った。

「私から見ると、二人は停止世界での戦いに慣れているように思うんです。戦い方もそうですけど、精神的にって意味で……」

「人を殺しているのに、何も感じていないように思っている、と……?」

「はい……いえ、そんな風に見えるってだけですけど……だから、どうやって現実を受け止めているのかと……」

「受け止めているってわけじゃないの。私だって、停止世界に巻き込まれた直後は取り乱すこともあったし、悩んでいた時期もあったわ」

「でも、今は落ち着いているんですよね……?」

 奏は何かを言い掛けて口を閉じると、再び話し出す。

「そうね……やっぱり慣れかな」

 一瞬、彼女が冬矢を見たが、彼は視線を逸らしていた。


 ——あまり立ち入らない方がいいのだろうか。


 誰にだって、踏み込んでもらいたくないことはある。例え相手を心から信用していたとしてもだ。

「私、今日敵を倒したんです……それも相手は子供……男の子でした。別に大人だったら殺してもいいって思っているわけじゃないんですけど、さすがに子供を殺すのはショックが大きすぎて……」

 授業中にも、目を閉じれば少年の死体を思い出した。憎しみを込めた目で、死してなお天音を睨み付けていた。

「香坂さんの気持ちは分かる……」

 奏は近付き、天音の肩にそっと手を置いた。

「望んでこんな戦いしているわけじゃない……訓練を受けた軍人だって、度重なる戦闘で精神を病むことも珍しくはないそうだから、私たちなんか余計につらいのは仕方ないよ」

 そう聞いても、天音の不安は拭いきれなかった。


 * * * * *


 学校からの帰り道、奏と冬矢は並んで歩いていた。

 普段は一緒に下校する二人ではないが、今日は奏から言い出したことで一緒に帰ることになった。

「今日の話か?」

 冬矢が呟くように言った。

「ええ、思い出しちゃって……」


 今では冷静に判断し、仲間の相談にも乗れるほどになっているが、それは戦い始めたときからではない。精神を病んだこともあり、苦しみから逃れようと自殺を図ったことだってある。

 それでも今まで生きてこられたのは、冬矢の存在が大きい。同じタイミングで停止世界に入り込み、同じ悩みと苦しみを共有してきた。他に仲間がいたかどうかは覚えていないが、二人だけが生き残った。

 彼がいなかったら、どうなっていただろう。そう考えると怖くなる。


「今でも思い出すの……私も一歩間違えていたら、立ち直れなかったかもしれない」

 淡々と戦うから、天音からは冷酷な人間であるように誤解されているかもしれないが、決してそんなことはない。

 殺した敵の顔を毎日夢に見るし、その度に飛び起きている。逆に自分が殺される夢だって何度も見た。殺人に何も感じていないのではない。毎回なんとか乗り越えているだけなのだ。


「大丈夫、俺がいる」

 そう言うと、冬矢がそっと手を握ってきた。

「誰かに見られたら……」

「こんな時間だから、誰も見てないさ」

 奏はいつの間にか自分の手が震えていたことに気が付いた。きっと彼はそれを知って触れてきたのだろう。

「今までは何とかなってきたけれど、今後はどうなるかなんて分からない。私たちはいつか、本当に壊れてしまうかもしれない。今だって壊れていないなんて保証はない……」

 街頭に照らされ、手を繋いだ影が伸びている。

「もし私が……」

 本当に壊れてしまったら、そのときはあなたが殺して。

 そう言おうとしたとき、地面に伸びた影が重なった。


 * * * * *


 天音は斗亜と一緒に帰っていた。

 あと何回弱音を吐けばいいのだろう。自分はなんて弱いのだろう、と思い知らされる。

 だから、斗亜が「一緒に帰ろう」と言ったときは内心嬉しかった。


「斗亜はもう戦いに慣れたの?」

「戦いには慣れたよ……ただ、気持ちの面ではまだまだだよ」

 僕が守る、と言った斗亜の言葉とは思えない。

「そうなんだ……ちょっと意外」

「ただ、堂々と構えていないと、新しく戦いに参加した天音が戸惑うだろ?」

「確かにね……」

「僕だって超人じゃない。現実世界にはジェットブーツもなければ、運動神経だって並。心だって特別強くないんだ」

 彼の中学時代は、それほど目立つ存在ではなかった。特別何かに秀でた才能があったわけでもない。どこにでもいる男子、という印象だった。


「そうだね……中学までは全然目立ってなかった」

「そんなに目立ってなかった?」

「うん、全然ね……でも、そんな人が今じゃ戦ってるんだから、分からないね」

 天音は斗亜の背中を叩く。

「ま、期待してるから、いざってときはちゃんと守ってよね」


 ——頼りにしてるから。


 そう思っていたが、恥ずかしさもあって、天音はあえて口にはしなかった。


 斗亜と別れると、夜道がいつも以上に暗く感じる。

 まるで、今の天音の心境と重なっているようでもあった。

 今はただ、前に進むしかない。例えそれが真っ暗な道であっても、今にも崩れてなくなってしまいそうな危うい道であってもだ。


 ——敵はなぜ戦い慣れているのだろう。


 不意に思った。

 天音たちは、停止世界で新入りを見つけて守らなければならず、新しく巻き込まれた人たちはすぐには戦力とならない。

 しかし、敵側には新しい人が追加され、それらは武器と能力を使いこなしているように思える。

 敵がどこから来るのかも分かっていない。

 両陣営は同じ条件下で戦っているわけではないようだ。


 ——この戦いが発生したことに関係しているのだろうか。


 まさか、こちらの世界に攻め込んでいるのか。いや、いくら何でもそれは考え過ぎだろうか。だが、停止世界を経験している以上、そんな突飛な想像もあり得そうな気さえしてしまう。


 ——考え込むのは止めた方がいいかも。


 考えれば考えるほど、思考がぐちゃぐちゃになってしまう。今は一度考えることを止め、明日美術室で話してみるのがいいだろう。笑われたり否定されるかもしれないが、一人で考えるよりはいい。もしかしたら、同じように疑問に思っている人がいるかもしれないし、有意義な意見交換ができるかもしれない。


 前方から男が近付いてくる。

 周りをキョロキョロと見回しながら、歩いている。

 道に迷っているのだろうか。それにしてはスマホや地図のようなものを見ているわけでもない。

 背も高く、体格もいい。下手に声をかけて何か面倒なことに巻き込まれたら、天音の力ではどうしようもないだろう。こちらの世界では、能力を使うことができないのだ。


 ——あまり関わらないようにしよう。


 そう思って、天音は少し距離を取って、足早にすれ違おうと思った。「ここで戦うのか……見通しが悪いな」

 すれ違う瞬間、男が言った。


 ——戦う?


 普段なら気味悪がって駆け足で立ち去ろうとするが、今の天音にとってはどうしても気になってしまう言葉であった。

「あ、あの……!」

 勇気を出して振り返ったが、そこには男はいなかった。立ち去ったわけでもなく、まるで最初からいなかったように姿を消してしまっている。


 ——疲れているの?


 きっとそうに違いない。

 天音は強引だとは思ったが、そう結論づけた。きっと考え過ぎて、幻覚が見えたのだろう。

 そうでなければ、をした人間などいるはずがない。

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