第13話 脱落
嫌々ながらも断り切れず、結局椅子に腰掛けてしまった。
正直なことを言えば、今日は美術室へ行きたくなかった。
停止世界での戦いを終えた真帆は、元の世界へ戻ると強烈な吐き気を催してトイレへ駆け込んだ。空の胃からは胃液しか出てこず、喉が焼けたような不快感だけが残った。
今の真帆からすれば、美術室のメンバーは平気で人を殺せる者としか映っていない。
こっそり帰ろうと思ったが、その行動を先読みされたように冬矢に見つかり、美術室へ向かう羽目になった。
それでも帰ろうとしたが、奏の真剣な表情に圧倒され、その迫力に抗えなかった。
「佐倉さんと香坂さんにとって、今日の停止世界での戦いは二度目になるけど、どうだった?」
ストレートな聞き方である。回りくどくても、それは嫌であるが。
「武器と能力が出せました……」天音が言った。「そして、バンディットを刺しました」
いつもしっかりしている雰囲気の天音だが、戦闘のことを思い出したのか声のトーンは低い。
「停止世界で武器と能力があるということは、とても重要なの。それがないと戦うことができないからね。初めて自分でバンディットを傷付けたから戸惑うのは仕方ないけど、ひとまず生き残れておめでとう……と言うべきかな」
すると、奏が真帆を見た。
「で、佐倉さんは? 二度目の戦いを経験してみて、どうだった?」
戦いの記憶が蘇る。
「目の前で……人が死にました……」
真帆にとって、初めて見る人の死であった。それも自然死などではなく、無惨にも殺された者の死である。一人は血を噴いて死んでいき、もう一人は首を切り落とされた。
女の首が地面に落ちるとき、目が合った気がした。恨めしそうにこちらを睨みつけていた。人間は首を切り落とされても数十秒間は意識があるらしい、と何かの本で読んだことがある。断頭台で首を落とされたにも関わらず、生首が瞬きをしていたと言うのである。通俗的な本だったから真帆は大して信じていなかったが、今ならよく分かる。
「この戦いはね……」奏が言う。「大変なのは二度目の戦いなの。最初は巻き込まれたから混乱してるけど、ある程度冷静さを取り戻した状態で挑まなければならない二度目は、敵の死を受け止めてしまう」
冷静だからこそ、首を落とされた女と目が合ってしまったのだろう。怖がって目を閉じれば見なかったのに。
「佐倉さん、これから不規則に停止世界に巻き込まれていく……それは避けようがないの。それで、今のうちに聞いておかないといけないんだけど……」
奏は言いにくそうにしていたが、やがて意を決したように尋ねる。
「このまま戦っていける?」
「ど、どういうことですか……?」
「停止世界の武器や能力は、自分で望まないと手に入らないの。自然と手に入るものでもなく、押しつけられるものでもない。武器がなければ戦うのは難しいの。だから、ここで佐倉さんに戦い続ける強い意志があるかどうかだけ聞かせて」
目を閉じても、女の生首の視線がこちらを見ている姿が浮かぶ。
今後もあんな光景を見ることになるのだろうか。だとしたら、とてもではないが耐えられない。
「私には……無理です……」
しかし、自分だけドロップアウトするような気がして、今まで言い出すのを躊躇っていた。同じタイミングで停止世界に巻き込まれた天音は、現状を理解して前向きに立ち向かおうとしているのが余計に真帆を焦らせた。
「でも、逃げられないんですよね?」
最初に奏に言われた。避けることはできない、と。
「一つだけ……逃げる方法があるわ」
「あ、あるんですか? 教えてください!」
そんな方法があるならどうして最初から教えてくれなかったのか、という怒りよりも、現状から逃げ出せるならどんなものにでもすがりつきたい気持ちでいっぱいになった。
「でも、それは最終手段なの……」
「それでもいいんです!」
卑怯者と思われてもいい。どうしても助かりたい、という一心であった。
「いいわ、教えてあげる」
「お願いします!」
「死ぬことよ」
何を言われているのか、一瞬分からなかった。
「死ぬ……ってどういうことですか?」
「どういうことって、言葉通りの意味よ」
「でも、停止世界で死ねばこっちに戻れないって……」
「いいえ、この世界で死ぬの。この世界で死ねば、私たちの記憶にも残ったままになるの。だから、もし本当に無理だと思ったら、自殺しなさい」
それ以上、真帆は言い返せなかった。
下校の時間となり、美術室の集まりは解散となった。
自殺。その言葉が真帆の心に暗い影を落としていた。それまで自殺なんて考えたこともなかったのに、今では選択する一歩手前まで追い込まれている。
——自殺をすれば救われる。
だが、死ぬということは一時の逃避ではない。本当に死んでしまうのだ。そんな子供でも理解できそうなことが理解できないほど混乱している。
死ねば戦いからは助かるが、現実では死ぬ。戦いの中で死ねば現実でも死ぬ。
——どちらにしても死ぬ。
戦い続けるという選択もないわけではないが、いつ終わるかも分からない。それはつまり「いつ死んでもおかしくない」ということである。
——いずれ死ぬ……きっと死ぬ。
停止世界でも足手まといだった自分を思い出す。怯えて逃げ回って守ってもらってばかりである。
もし両親が待っている家へと帰ってしまったら、きっと決心が鈍る。もう一日だけ生きてみよう、と考えてしまう。
——人生つらいことばっかり。
不意に自らの過去を振り返る。
思い返してみれば、保育園から中学まで、ずっとクラスメイトからいじめを受けてきた。
小学校の頃、担任に訴えたものの、クラスメイトをホームルームで名指しで言え、と言われた。仕返しが怖くて結局言えず、その後のいじめもエスカレートした。
中学では二年のときにクラス替えがあり、小学校のいじめグループを同じクラスになったことで再び地獄のような日々を送る羽目になった。
それでも一生懸命勉強して、別の高校に入ることができ、ようやく苦しみから解放されたかと思ったが、停止世界に巻き込まれてしまった。
――パパ、ママ……ごめんなさい。
自然と涙が溢れてきた。愛情を注いで育ててくれた両親には申し訳なく思うが、今後の過酷な現状を考えると、とてもではないが耐えられない。
真帆は家とは逆の方向へと歩いていった。
* * * * *
翌日、真帆は美術室にも来なかった。学校にも来ていないらしい。放課後になると、制服警官の姿を学校内に見かけた。
——佐倉さん、決断したのね。
その決断が正しいのかは、奏にも分からなかった。
しかし、自殺を促したのは奏である。直接手を下したわけではないが、どうしても責任を感じてしまう。
みんなの記憶に残ったまま死ぬのと、誰にも憶えられずに死ぬのでは、どちらがいいのだろうか。明確な答えなど出ないはずなのに、どうしても考えてしまう。
——それでも、前に進むしかない。
後戻りも途中でやめることもできない。目の前の戦いに全力で勝ち抜いていくしかない。
落ち着こうとカモミールティーを淹れてみたが、どうにも美味しくない。一人の人間の命を、間接的にとはいえ奪ったのだ。
——私にもまだ人間的な感情が少しはある、ということね。
無理矢理にでもそう思うことで、気持ちを落ち着かせる。
それでも涙が溢れてきた。
——ごめんなさい、佐倉さん。
みんなが集まる前の美術室で、奏の嗚咽だけが響いていた。
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