第10話 天音の加速

 それは突然の出来事であった。

 仲間と合流しようと一階へ階段を下りていたとき、壁が裂けてコンクリート片が飛んできた。

 普段であれば起こるはずのない現象に対して、先に反応できたのは斗亜であった。天音の前に出て、飛来する破片から彼女を守ろうとした。

「斗亜!」

 天音はとっさに叫ぶ。

 裂けた壁の先に見覚えのある男がいた。斧を持った男である。


 ——死んだはずじゃないの!?


 真っ先に疑問に思ったが、それを突き詰める時間はない。

 男はさらに斧を振るう。すると、まるでバターでも切るようにコンクリート製の壁を裂いていく。

 あれが男の能力なのだろう。普通の斧にそこまでの切断能力はない。爆薬が仕込まれているわけでもないから、能力の秘密は斧の構造ではないだろう。武器の切断する能力を上げるのか、壁を破壊するという能力なのかは定かではないものの、警戒しなくてはいけないのは武器である。


「怪我は?」

 そう言う斗亜の額からは真っ赤な血が流れていた。

「斗亜、どうしたの!? まさか今の破片で……!」

「大丈夫、このくらい」

 血を拭うこともせず、斧の男と向かい合う。

 裂いた壁を乗り越え、男がゆっくりと近付いてくる。

 ジェットブーツという武器があるとは言っても、斗亜の攻撃範囲は生身の状態と変わらないが、その分スピードに優れている。斧よりも早く攻撃を当てることができれば、勝機はある。

 最初に動いたのは斗亜であった。左足で一歩前に出るとともに床を踏み込むと、ブーツが火を噴いて彼の右足が持ち上がる。斧を振るわれるよりも早く、蹴りを当ててしまえばいいのだ。


 男は蹴りに対して反応していた。ただし、避けるわけでもなく、防御するように蹴りの先に斧を配置したのである。

 斗亜の足が斧と触れたときである。彼の足が吹き飛んだ。弾かれたのではなく、唐突にされたのである。

「ぐッ……!」

 痛みを堪えながら、斗亜は倒れるように男との距離を取った。

『あの……誰か!』

 彼に駆け寄りながら、他の仲間へ連絡をする。

 今の天音には、とにかく誰かに助けを求めることしかできなかった。

『奏よ! 何があったの!?』

『斗亜が……!』

 そうしている間に、男は天音を見て向かってくる。

 武器さえ持っていない天音は、彼にとって容易く狩れる獲物なのだろう。じっくり追い詰めるように近付いてくる。

 だが、天音はこの場を離れるわけにはいかない。負傷した斗亜を守れるのは、天音しかいない。


 ——私に力があれば戦えるのに。


 こんなところで死んでしまうのだろうか。天音が死ぬと言うことは、斗亜も死ぬと言うことである。


 ——まだ死にたくない!


「……強く……念じろ……」


 斗亜の声がかすかに聞こえる。

 言われた通りに、天音は念じた。


 ——私は生きたい……力が欲しい!


 斧が振り下ろされる。


 ——間に合わなかった……!


 思わず目を閉じたが、しばらく経っても何も起こらない。

 おそるおそる目を開くと、男の動きは遅くなっており、斧はゆっくりと天音に向かってきていた。


 ——時間が遅くなっている?


 だが、体は素早く動かせる。

 何が起こっているのかは分からないが、どうやらまだ生きているようだ。それを確認した天音は、斗亜を引きずって下がる。

 三十センチほど動かしたとき、男の斧は急激にスピードを増して床に食い込んだ。


 ——私の武器は?


 右手をゆっくり握り締めながら念じると、手の中に突如ナイフが現れた。刃の長さは約二〇センチ、リーチは短いが立派な武器である。


 ——これで戦える!


 再び男の動きが遅くなった。今回も、天音の動きは変わっていない。斗亜の方を見ると、彼の動きも遅い。時間の流れ方が変わっているのだろうか、とも考えたが、それでは自分の動きに変化がないことに説明がつかない。

 そして、ある考えに至った。


 ——私がしている?


 ならば、今がチャンスである。男は天音の能力を知らない。今なら不意を突くことができる。

 天音は走った。

 能力の持続時間すら把握できていないのだ。いつ元に戻るかも分からないなら、すぐにでも倒さねばならない。

 体ごとぶつかりながら、男の胸にナイフを突き立てた。肉を突き刺す感触、骨を砕く感覚が手から伝わってくる。

 時間の流れが元に戻ると、男は胸に刺さったナイフに慌て、後退る。斧を落とし、足がもつれて倒れ込む。


「大丈夫か!」

 冬矢が真っ青な顔をしてやってきた。斧の男、斗亜、天音の順に見る。

「如月、無事か?」

「すごい痛いですが……生きてます」

「そうか」

 安心したようにそう言った冬矢は、斧の男へ近付くと迷うことなく首をねた。


 不意に体が軽くなる。

『終わったのね。また放課後、美術室で』

 頭の中で、まるでエコーがかかったように奏の声が響いたかと思うと、天音は教室にいた。午前の授業が終わり、生徒たちの表情に安堵と喜びが浮かんでいる。昼休みだ。

「天音、ご飯食べよ?」

 クラスメイトにそう声を掛けられたが、目の前で首を刎ねられた男を見てしまったショックからなかなか立ち直ることができず、食欲は湧かなかった。

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