第2話 悪夢
耳を澄ませば、微かに話し声が聴こえる。
あの事故から、俺は聞き耳を立てて生活することに慣れていた。
「ルシウスってさぁ、魔法使えなくなったらしいぜ」
「まじかよ。あんなに優秀だったのに」
「日頃の行いってやつだよな。ちょっと人より成績がいいからって調子に乗ってると、あんな目に会うんだよ」
机に突っ伏して眠ったフリをする。こんなこと聞きたくもないのに、こうやって他人の会話を盗み聞きしている。
「魔法が使えない人間っているのか?下級氏族でも使えるぜ」
「いうねぇ。確かにこの学校にいる資格もないし、最悪の場合は天空都市に居られなくなるかもしれない」
「どういうこと?」
「噂は本当にあるってことさ」
クラスメイトは立ち上がると、そのまま教室を出ていった。俺は誰もいなくなった教室でひとり座っている。
力を失ってからというもの周囲の人間は変わった。いや、変わったのは俺の方かもしれない。成績さえ良ければ、誰もが認めてくれる。他人と会話をすることも、媚び諂うこともしなくていい。誰かと一緒にいなくていいとさえ思っていた。事故の日までは。
「いい加減に俺も帰ろう。妹が待っている」
ため息をついて、教科書を鞄のなかに入れていると、杖が無くなっていることに気がついた。師匠からもらった大切な杖だから失くす訳にはいかない。たとえ、もう使えなかったとしても。
クラスメイトの荷物入れや、机の下を隅々まで探した。まさかと思いゴミ箱をひっくり返しても見つからない。
「魔法使いにとって杖というのは分身。力の象徴であり、誇りであり、決して傷つけてはならず、失くしてはならない。それは魔法使いとして失格であることを意味し、それすらも守れないということは、人間ではないということだ」
これは、師匠にも、学校の先生にも、親にも言われること。絶対に、なにがあっても、失くしてはならない、傷つけてはいけないもの。
どこかに置き忘れたのかと思い廊下に出た。授業も終わり、誰もいない廊下は寂しく、夕焼けに染まり赤く濁っている。
ほかの教室へ向かい廊下を歩いていると、廊下の隅に黒い何かが落ちている。
しゃがんで見ると、探していた杖が中ほどから折られていた。
そっと拾って、誰にも見られていないことを確認すると、急いで鞄の奥にしまいこんだ。
「おい、起きろ」
「起きろって言ってんだよ」
顔に激しい痛みを感じて意識が急浮上した。見覚えのない男に足で蹴りつけられていた。
「なんだ、お前やんのかよ」
手足を動かそうとしても身動きが取れず、見ると緑色の植物のような紐状のもので拘束されており、立つこともできない。
「焦らせやがって。不思議な力でも使うかと思ったじゃねぇか」
「不思議な力。魔法のことか?」
「しらねぇよ、そんなことは。お前は黙って族長を待ってればいいんだ」
男は捨て台詞の代わりに腹を蹴り上げると、そのまま檻から出ていった。学校では殴られ慣れていたから、これぐらいの痛みは耐えられる。
魔法を知らないということは、あれが伝説の地の民なのか。天の民とは違い肌は浅黒く日光を気にもしない。筋肉があるため身体能力では圧倒的な差があるだろう。
天空では運動をしないということはないものの、線の細く肌の白い身体を目指していた。肌が白いということは肉体労働をではなく頭脳労働、すなわちいい職に就いているということ、筋肉がないのは、魔法の力に優れているから。クラスメイトたちも同様に、みんな線の細い、青白いまでに白かった。
それが、ここでは全く違う。
檻の外では先程の男が女性に囲まれていた。どの女性も布を巻いただけという簡素な格好をしている。肌は一様に浅黒く、見分けがつかない。
いま思えば、あの女の子は肌が白かった。
少し疑問に思ったものの、他人のことを気にしている余裕はない。伝説では地の民は人間を食べると言われていた。それが真実なら、そう遠くないうちに堕ちて死ぬよりも残酷な、拷問じみた殺され方をすることになる。
檻の周囲は開けた場所にあり、この拘束を解いて逃げ出せたとしてもすぐに見つかってしまう。身を捩って檻の壊しやすそうなところを探してみても、思いの外頑丈に作ってある。ひとつひとつの隙間は大きくても人は通れるほどではない、結局、何かが起きるのを待つしかなかった。
「魔法が使えれば。こんな檻なんて簡単に壊して逃げ出せるのに。さっきの男だって簡単に殺せる」
仰向けになった。拘束された腕が下敷きになって痛い。
頂点にある太陽はじんわりと地上を焼いている。黄色い。ここに堕ちてきているのか、次第に大きくなり、巨大な光の球体になって、迫ってきている。
料理下手な妹が食材を焦がしてしまったときの匂いがする。木々は燃え盛り、灰色の煙を吐き出しながら空に向かい嘆いている。
鼻先にまで太陽が近づいたときにはもう、涼しい夜の風が肌を撫でていた。
眠りに落ちていた。砂が口に入ったのか、じゃりじゃりと音がする。
「天の民を食せば、不思議な力が得られるらしい」
「なんでも力が強くなり、走るのも速くなるとのこと」
「隣村の族長は弓の達人と言われておるが、こいつらを食ってから急に上手くなったらしいの」
「あー早く食いてぇなぁ」
異様な光景だった。人間を檻に入れて、しかも食べたいと言っている。
「逃げないと。けれど、戦う術がない」
明かりもない真っ暗な環境は初めてだった。天空都市では魔法による光源が常に灯されていて、暗い場所はあっても、ここまで真っ暗になることはない。吸い込まれるような闇、無限に続いているような、底の知れない暗闇が辺りを充溢していた。
「おい、族長様が出てこられたぞ」
「早く行かないと俺らまで殺されちまう」
見ると松明を持った一団がこちらに向かい悠々と歩いている。
地の民たちが離れていった。
「へぇーお前がこいつを連れてきたのか?」
檻に手を掛けて、赤い髪の男が覗き込んだ。
動物の皮で作ったのか、上下に服を着ており、ほかの地の民と比べると一目で族長だとわかる。
頑丈そうな身体に整えてある髪型、剣のような鉄製の武器を腰に抜身で差しており、時折、炎に反射して闇夜に光った。
「はい。森に隠れていたところを捕まえました」
「あとで褒美をやろう。おい、鍵をあけろ」
族長と呼ばれた男はそのまま檻の中に入ってきた。
「どいつもこいつも細い身体をしてるよな。ちゃんとご飯食べてんのか」
この男の息からは血の匂いがした。濃厚な鉄の匂い。
「なぁー食べられるってどんな気持ちなんだろうなぁ?」
目があった。髪と同じ赤い瞳は血のように鮮やかな色をしている。
「いままで何人も殺して食べてきた。お前ら天の民を。その数だけ俺の力は強くなり、力の強くなった俺は、ありとあらゆるものを食してきた。男も女も子供も年寄りも。空から降ってきた沢山のお前たちを食べてきた」
「けど、俺は食べられたことがないんだ、当たり前だが。お前たちの死ぬ直前のあの表情は、本当に気持ちよさそうなんだ。なにを見ているんだろうなぁ。気にならないか?」
「いや、気にならない」
「せっかくだからお前にも俺の気持ちがわかってもらえればと思ったんだが」
残念そうに目を伏せると、立ち上がり松明を受け取った。
「次に太陽が昇り落ちてから7回、その日にお前を食すとしよう」
男は剣を抜くと上段に構えた。
殺される。
喉が締まって声が出ない。この期に及んで命乞いもできないのか。
天空都市に残してきた妹の顔が浮かんだ。まだ死にたくない。もう一度、ジリヤに会って、仲直りをするまでは、兄として向き合えるようになるまでは、まだ生きていたい。
「まだ殺すわけないだろ。腐ったらどうするんだ」
振り下ろされるはずの剣は直前で止まっており、身体にあたっておらず、腕と足を拘束していた緑色の植物だけが綺麗に斬られていた。
「なぜ、拘束を解いたんだ?」
「血が固まったら肉は腐るからな。それに逃げられるわけがないだろう。周りを見てみろ。たとえ、檻を抜けられたとしても、絶対に捕まる。お前に居場所はないからな」
剣を腰に差し檻から出ていった。従者の一人が葉っぱに包まれた何かを顔のそばに置いていった。
「安心して食せ。毒なんて入れたら、こっちが危ないからな。あと、その桶は糞をするときにでも使え」
檻を再び閉じると、一団は戻っていった。
鳥の鳴き声がする。いままでの人生で聞いたことのない細く儚い音だ。ジリヤは生き物が好きだった。もう逢うこともないけれど。
暗闇はすべてを包んでいるように、視界も音も真っ黒に塗り替えた。
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