第5話
かばんを置いて、ステレオに手を伸ばすとCDのスイッチを入れた、流行っているアイドル歌手の歌が流れてくる。みんなと別れたあと、真知子は、律子の家に遊びにきていた。数え切れないほど何度めかの律子の部屋だった。
「そういうあんたはどうなのよ、好きな人いいるの?」
律子がふと顔をそらした気がした。
「あ、ごめん。いやならいいよ」
「あ、それ、どうしてすぐにひっこめるかな?」
「え……」
「う~ん、気になってる人ならいるかな?」
「気になってる人?」と眞知子。
「うちの学校の子?」
「違うわよ、うちの学校にそんな子いるわけないじゃん」
「ふ~ん。じゃあ、その人とはもうキスした?」
「え、さっきの話?」
「違うってば」真知子は、律子の性の欲求は感じているのだろうか?、と思って聞いてみた。まさか夜一人で自慰行為をしてる?、なんて聞けるわけがなかった。性の欲求はあるのか、聞いてみたい気がしたからだった」
「ないわ」
「真知子はどうなの?」
「残念ながら、私もございません」真知子は赤くなりながら小さく言った。
「大野くんとも?、ほんとにないんだ」
「…… うん。意外だった?」
「ううん、ぜんぜん。真知子って嘘つけないもんね、私は男なんってみんな経験済みです」みたいに言えないじゃない」
残念ながら、すべて言うとおりだった。嘘をつけないことも、引っ込み思案でそんなカッコもつけられないことも。ついでにキスをしたこともないことも。でも、性的な経験をしていなくても性欲を抱くことはできる。
男とするキスはどのような感じなのだろうか?。と眞知子は思った。セックスがあんなに気持ちいいものなら、キスはどうなのだろうか?。
律子はそれっきりこれ以上聞こうともしなかった。二人の間にしばし沈黙が流れた、律子はそんな話題にさほど興味があるふうでもなく、音楽に夢中だった。
「ねえ、してみない?」とふいに真知子は言った。
「え ……」
「キス」
「女同士で、私、そういう趣味ないよ」
「私もよ」
「……」
「ただ、試してみたいだけよ、どんな感じかなと思って」「だってこんなこと律子にしか頼めないもん」
「うう~ん、わかった、いいよ。他ならぬ真知子の頼みだ」
「それ、じゃあ…」
真知子は、律子の肩に手を置くとそっと唇を近づけていった。律子の顔を真近に感じられる。二人にとってはこの距離になるのは珍しくもないことだった。それでも真知子の唇が触れそうな距離になったとき、律子は急に顔をそむけると吹き出すように笑った。
つられて真知子も笑った。2,3度こんなことを繰り返したあと、「やっぱり、むり、ごめん」と律子は言った。
「そうだね…」律子とぴったり並んで座っていた真知子もつぶやくように言った。
「だいたいおかしいよ、ファーストキスをねだるんだったら相手は彼氏でしょ?。なんで私に頼むかな、大野くんに言えば」。
「そうなんだけどね…、言えなくてさ…」
「また、それだからいけないんだよ、そんなにもやもやしてるんだったら、もうさ、やっちゃいなよ」
「なにを?」
「きまってるでしょ、A、B、CのC、セックス」
「え~、そんなムリムリ、うちの親厳しいし。そんな無責任に言わないでよ」
ほんとうは性の快感を覚えている自分を、セックスのことなんて考えたこともない、というようなふりをする演戲をする自分がいた。
ねえ、アレをするとすごくイイ気持ちになれるんだ、毎晩のように気持ちよくなってるんだと。
みんなも同じことしてるのかなと、いっそ律子に聞けたらたらどんなに気持ちが楽になるだろうかと思った。
「ばかね、そんなの親の許可得てするバカいますかって。愛し合ってるなら当たり前だと思うけど」
「う~~ん、でも、大野のことほんとうに好きなのか、まだわかんないんだよね」
「そうなの?、つきあってれば分かるでしょ?、自分の気持ぐらい」「大野くんって学年ひとつ上だよね、進路はどうするんだろうね?」
「え、」
「大学に行くにしても、地元とは限らないでしょ?。だからさ、東京とか行ったら今みたいに会えないよ」
「そうか。あまり考えてなかった」
「バカね、離ればなれになったらどうするつもり?、遠距離恋愛でうまくいけばいいけど?」
「そうなったら、私も東京に行く、かな?」
「できるの?、親厳しんでしょ?」
「うん、親とはなれるいいチャンスだし」
「律子は?、もう考えてる?」
「外国に行く」
「え、外国の大学に行くの?」
「うそよ、まだ語学とかできないし。行けたらいいなと思ってるだけ」
「律子はいいよ、国立でもどこでも入れるでしょ?」
「あんただってそうでしょ?」
「私は、猛勉しなきゃいけないけど。律子は勉強しなくてもできるでしょ」
「何言ってるの、勉強してないわけ無いでしょ」
「そう?。ねえ、私も律子と同じ大学に行っちゃ駄目?」
「え、駄目じゃないよ?」
「ホント、よかったもっと律子と一緒にいたかった」
「それを言うのは大野くんにじゃないの?」
「そうか?」と真知子は答え、律子が「また」といって、二人は笑いあった。
律子はヘッドフォンから流れる音楽にすっかり夢中になり、その話はそれっきりだったが、そんな律子を見ながら思った、そうなのだ覚悟を決めてしてみればいいのだ、と思った。もしそれを自分の母親が知ったらどんな気がするだろうか?、きっと目をむきだして怒るだろう?。親への精一杯の反抗のような気がしていた。真知子は、慎吾の厚ぼったい唇、爽やかな眉、細やかで繊細な手を思い浮かべてみる。もう迷うことはないと、心に言い聞かせた。男の子とキスをしてみればいい。子宮の奥から湧き出るような狂をしいほどの要望を感じて震えた。そしてその機会は意外と早く訪れたのだった。
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