第2話

凡ながら恵まれているというのは、学級の中でも負い目を感じさせ罪悪にさえ感じさせた。それでいて反抗しグレるということもなかった。それが退屈で息苦しさを時折感じさせてもいた。ただ一度だけ、いつだったか夕飯時、「成績が少し伸び悩んでいるようだけど、大丈夫かしらね…と母が呟いたのに腹を立て、そんなこと一番言われたくない、と、母の顔を思いっきりにらみつけると、持っていた湯呑のお茶を母の顔にかけたことがあった。母はびっくりして何も言えないでいたが、それ以上は何も言わず、うつむいて背を丸めると、涙を流していたようだった。それは楽しげだった、家族の夕飯の団らん時に不気味な沈黙が流れた。しかし母が席を立ち、胸の動機が高鳴っていた真知子も少しばかりの後ろめたさに手早く食事をすませて、席を立つと自分の部屋にこもった。

とはいえ翌日から何事もなかったように再び元の日常に戻り、家庭内に不和は起こらなかった。


律子は、学級委員長であり、生徒会の副委員長であり。軟式テニス部の部長をしていて、クラスの人気者。ホームルームのまとめ役も得意で、女子生徒にとっても憧れのような存在だった。それに比べると、真知子は目立つことのない地味な存在、ユーモアのセンスもあるわけでなく、公平で健全、まっとうだったが、つまらないやつ、という評判でさえあった。




時は、1990年。世間が空前のバブル景気に浮かれる真最中であった。


就職売り手市場といわれ、多く企業が学生の目を惹き付けるために、一部上場企業の多くは広告を派手に行い、立派な企業パンフレットを作成して学生の確保に走っていた。指定校制度をとっていたこともあり、有名私立大学の学生だった真知子は苦もなく。大手化粧品会社に就職した。同級生の律子は、国産自動車メーカーに就職し、ディーラー勤務となっていた。


真知子は、心のなかでは反発しながらも、母親の期待する通りの人生を歩んでいた。親の意図に反したのは東京の大学に入り、東京の会社に就職したことだろう。


特にやりたいことのなかった真知子は化粧品会社の面接を受けてみようと思ったのも、高校時代、親や学校が厳しく禁止されていたこともあり、化粧をすることで親に反発したつもりでもあった。それまでの真知子は、あまり服装にも気を使うことなく至って質素なおももちであった。しかし入社後の新人研修の一週間後だった。就業後の更衣室、先輩女子社員数人から服装チェックを受けた。就業時間中は制服のため、その先輩社員はさほど本気のつもりではなかったかもしれないが、学生時代の延長で綿のシャツにパンツ、青の上から安物のジャケットを羽織った出立ちだった真千子は、先輩社員数人から、あなたももう日本でも名のしれた一流化粧品会社の社員になったのだからもっと服装にも気をつけたら、と言われた。その自覚が足りないのだとも。こんな姿で会社を出ていくところを見られたら会社の名折れよと、今度からはもっと一流化粧品会社にふさわしい格好をしてきて、と言われた。


そういわれて先輩社員に連れて行ってもらい高価なスーツを買った。私服にも、コムサ、ワイズ、ロペ、ニコルといったブランド品を買った。靴やバッグ、腕時計、財布といった身に付けるものまでブランド品で揃えた。メイクや身だしなみに関しては化粧品会社とあって会社で教わった。

会社を出れば、どこの会社の社員なのかわからないのだからという気もしたが、半面ウキウキと舞い上がる気持ちの自分がいたことも確かだ。今持っているバッグもその時買ったものだった。当時、馬の蹄をあしらったブランドマークを眺めてはひとり悦に感じていたものだった。


そうなると先輩たちに連れて行ってもらい華やかな場所にもでかけていった。世間はバブル経済の真っ只中、消費は加熱していた。ディスコや夜の娯楽もこの世を謳歌しており遊ぶところには事欠かなかった。


慎吾と再会したのはそんなときだった。先輩がセッテングした異業種交流会という名のコンパの席でだった。会社の先輩から、男子が足りないから誰かいない?、と聞かれ、高校時代の彼氏だった慎吾を誘ったのだった。高校時代テニス部で1年先輩だった慎吾は東京の大学をでて、やはり一部上場の酒造メーカーの営業マンをしていた。いわば親の期待に答えるにはぴったりの相手だったろう。慎吾とは高校のテニス部で出会い、高校生の時には付き合っていたが、1年早く東京の大学にでてきて、大学も違ったことから、真知子が大学に入学してからは、いつの間にか疎遠になっていた。その慎吾に電話をしたのも大学時代の彼氏と別れたあとだったからだった。


一流企業のサラリーマンをしているにもかかわらず、高校時代と変わらぬ、飾るところもなく真面目そうな人柄に、真千子はすぐに惹かれ始めた。いわば焼けぼっくりに火がついた形だった。


「ねえ、今日の律子のことだけど、あの外国人の人と仲良さそうだったよね」

「そうなのかな?、ただの同僚でしょ」と真知子はあいまいに答えた。

「社内恋愛じゃない、自然なことよ」

「そう?、仲の良い同僚といったとこじゃないの?」

「そうかな、ただの同僚なのかな?」といって由美は話すのをやめた。


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