ネッビオローネで乾杯を
高野ゆり
第1話
手に持ったグラスみなみなみと琥珀色の液体が注がれ、「かんぱーい」と歓声が上がった。ここは外国の高級車メーカーが日本法人の立ち上げの記念式典でのパーティー会場である。
「しっかし、アウエー感半端ないわね」と由美。
「ほんと、来なきゃよかったわ」と私は答える。
「真千子はまだいいわよスーツだから」。
「私なんか見てよ、思いっきり私服で来ちゃった、仕事帰りだからね」と由実。
由美は大手百貨店で販売員をしている、大学を卒業して新卒ではいっていまだヒラで、寿退社や子供ができたのを機にやめていく同僚が多い中、もうお局さんで最古参になっちゃった、と自嘲気味にぼやくことが多くなった。
学生時代からも合コンだ、飲み会と割には未だ縁はないようである、遊び人というわけではないけども何人もの男性との浮き名は聞いてはいたが未だ良縁がないのも不思議だった。
彼氏いないの?、と聞いてみても、いないから婚活してるんじゃないの、と一蹴されてしまった。何人も男と別れてきた由美からすれば結婚の御眼鏡に適う相手がなかなかいないということなのだろうと、思う。仕事もひらとはいえ売り場も任されるなどそれなりに楽しい様子なので満更でもないのだろう。
「そうでもないわよ、もう足が痛くなっちゃって、もうふくらはぎパンパン」。「今日は、販売の応援で一日立ち仕事だったから足むくんじゃってさ」。
「そんなことして大丈夫なの?」。
「うん、体力は落ちてるけどね」。
「でも、疲れは免疫には良くないでしょ?」
「そうだけど、でもようやく仕事できるようになれたんだし」。
「無理しないでね」
由美が本気で心配してくれているのがありがたかった。
桑山真千子。36歳。となりいる由美と大学の同期で学生時代からに友人である。由美は短期大学部で真知子より二年早く卒業し、都内の大手デパートに勤務していた。
「でもさ、こうして飲物も軽食もでてるんだし、少しは食べて帰らないと損だよ」。
まったくこういうときの由美は、肝っ玉が座っているのか、それとも単にがめついだけなのかわからない。と真千子は思う。
何杯目まだろうか、テーブルについた招待客の会話も笑いもはずんでいるころ、律子がそっと由美と真知子に近づいてきた。
「今日はありがとう」。と律子。真知子と由美は手を上げて挨拶を交わす。
「こちっこそ、よかったの、私たちなんか来て」
「ほら、私たちじゃ、アウエー感半端ないって、とてもこんな高級車買えそうも見えないでしょ」。
「いいの、いいの。気にしないで」。
スーツを決め込んだ律子は、招待客の、いかにも高そうなドレスを着た御婦人を見つけると、適当に話を切り上げると、その客と連れ立って飲み物をすすめに去っていった。
田村律子は、この外国車ディーラーの本店の立ち上げを手伝い、会社の広報、ブランディング、営業戦略など広報企画課の課長をしている、真千子と同じ高校の同級生で、部活も同じだった。眞知子とは一番の仲良しで、いつも一緒につるんでいた。都内の国立大学を卒業したあと勤めた国産車の販売店で営業をしていたとき、今の高級外国車の日本法人の新店舗立ち上げメンバーに誘われて転職したのだった。真千子と同じキャリアウーマンとして仕事中心の人生を送っていた。学生時代から夏休みには短期語学留学するなど英語の得意だった律子には、外車ディーラーの仕事はきっと天職なのだろうと思う真千子であった。
「きらびやかでいいわね」と由実がため息をつく。
「何いってんの、憧れても仕方ないでしょ」
「あ、ねえ、あれみて」と由実が私をせっつくようにして律子の背中の後を追っていた。
「どうかしたの?」
「ねえ、あの二人いい感じじゃない?」。
そこにはさっきまで二人と一緒にいた律子と背の高いのブラウンの髪の外国人と仲良く談笑する律子の姿があった。
「まさか!?」
「ただの同僚でしょ」。
「そうかなあ?」「私こう見えても、こういうことには鼻が効くんだ」。
鼻ねえ、と言いかけるが、
「ねえ、もうおいとましない?」と私は言った。
そうね、と相槌を打つ由美と揃って、おちつかない由美と真千子だった。
宴も進み、ビールが飲み干す音がするようだった。アチラコチラで談笑するスーツ姿のビジネスマンやお金持ちそうな着飾った中高年の紳士然とした人たち。
私は、そうした人達を脇目に見ながら、向かいに立つ由美に目配せした。そして、そんな私を察したか、すっと律子が脇によってくる。この三人は学生時代からの友人である、卒業して別々の会社に就職してからもこうして時々は誰からともなく誘い合っては飲み会をしている。今日は、飲み会ではないが、律子が立ち上げに参画した高級外車の販売店の新店舗の開業レセプションのパーティーだった。
結婚や出産で疎遠になっていく学生時代の友人が多い中、こうして何の気兼ねもなく付き合える気さくな友がいるのも貴重だと思う、いわゆる腐れ縁というやつかもしれないが。今回も由美が間際までお見合いパーティーが入りそう、と直前まで返事があやふやだったことを思えば続いていることのほうが不思議なくらいであった。
真千子と由美が帰ろうとドアに向かっていたときだった。二人を呼び止める声がした。
そこにはスーツ姿の若い男性が立っていた。
「これ、今日のお土産です」。と言って、自動車のロゴが大きくあしらわれた小さな手提げ袋が差し出された。
「よろしいの?」。
「はい、ご遠慮無く」。
「課長のお知り合いの方ですか」。
「課長?、あ、律子のこと?、ええ、まあ。腐れ縁というやつかもしれませんけど」と真知子は答えた。
「そうですか、課長に働きすぎだから少しはセーブしろってって、いっといてくださいよ」「ここ2,3ヶ月、帰宅するのはほとんど毎日午前様ですよ」。
「まあ、そうなの」と由美。
「なら、まあ一応、でも言って聞くような律子でもないけど。それでは途中ですが失礼させていただきます」と真知子は言うと。重いガラス戸を開けて外に出る真千子だった。湿った空気が真千子の頬を撫でる。
「ねえ、すてきだったわねえ」
「え…」
「なに見てたのよ、女捨てた?」「イケメンで若くて、もう少し背が高いと文句なしよ」。と後ろ目に、ガラスのドア越にさっきの男性の背に目をやる由美だった。
「そうね、なんなら顧客にでもなってあげたら、付き合えるかもしれないわよ」。
「ばかね、どこにそんな金あるのよ、デパートガールの私に」。
と、由美の発した言葉が、夜の街のに雑踏に消えていった。ふと手にしたバックに目が落とすと、このバックもそろそろくたびれてきたな、とふと思った。
由美の手が真千子の腕をとるように歩みを促す。
「ねえ、これから二人で飲み直さない?」と由美。
「ん、いいわよ」
「あ、でも今日、真千子の彼氏、来てるんじゃない?」
「ううん、平気」
そう真千子はこたえると、夜の帳に歩き出した。晩秋の初冬に差し掛かろうとする、肌寒さを感じさせる夜風が真千子の首すじを撫でるようにかけていった。
「今夜は時間ある?。せっかく六本木まできたんだからさ少し飲んでかない」
「いいわよ」
六本木の地下鉄からほど近いビルの3階にあるバーのドアを二人は開けた。週末の夜ともなると多くのサラリーマンやOL風の男女で賑わっていた。テーブル席はどこも満席で二人はカウンター席に腰を下ろすと、真千子は来ていたコートを脱いで椅子にかけた。
窓際の席からは夜の六本木の交差点を行きかう人々や車の流れがよく見えた。
運ばれてきたカクテルグラスには青い液体にパイナップルが浮かんでいた。グラスを傾けると甘さが口に広がった、炭酸にフルーツの香りが心地よかった。
「ねえ、彼氏とはうまくいってるの?」
「ううん、もう別れた」
「ほんとに、どうして?」
「うん、退院して、家で抗がん剤飲みながら療養してるときにね、早く結婚したかったんだって」
「それってひどくない?」
「ううん、仕方ないのよ。病気なんだから」
慎吾が、真知子の元を去ってから、もう1年はたっただろうか。あのときもこんな夜の帳がはじまる時刻だっただろうか。
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