第20話 日本人

  休みの日、私達はマアディへ足を向けた。今の家から車で約30分弱の距離だ。エジプト人の友人から紹介された不動産屋に向かう。不動産屋の良し悪しは、日本のソレとは比べ物にならない。特に相手が外国人だと思うと、高額な仲介料を上のせしてくる輩が多いのだ。エジプト人の友人から不動産屋に先に手を打っておいてもらうのは必須条件だった。

  マアディの街はやはり美しかった。そもそも道を行き交う人も車も少ないし、道にゴミが落ちていることもなかった。インターナショナルスクールの周辺では、アラビア語よりもむしろ英語が遠くから聞こえてきた。緑が溢れ、お洒落な外観の家やカフェ、雑貨屋が並んでいて、まるで、リゾート地かのようだった。同じカイロでも違うものだな、と改めて感じた。

  紹介された不動産屋に入ると、敬虔なイスラム教徒らしい60代くらいの男性と、20代そこそこの女性がいた。お茶を出され、色々と家の希望や予算を伝え、大学の学期終了の4月に引っ越したいと話し、世間話もした。その2人は親子らしく、父親がここの主人で、娘はアラビア語を主言語としない客が来る時だけ手伝いにきていると言った。娘は日本好きが高じて、カイロ大学で日本語を専攻しているのだと話してくれた。英語が堪能で、軽い会話なら日本語でも可能というのは、不動産を見る時には心強い。


  話がひと段落し、いくつか家を見せてくれるという。見て回る中で、希望にぴったりの場所があった。4階建のマンションの2階で、玄関ドアを開けた目の前が広々としたリビング。その横が、お洒落なパーテーションで仕切られたダイニング。リビングからダイニングまで、ひと続きの大きな窓が印象的な部屋だった。キッチンが玄関横からダイニングまで繋がっている便利な間取り。大理石の白を基調とし、家具も全て白で統一されていて、カーテンだけが淡いピンク色の明るい家だった。窓の外は、広大な未開発の土地で、カイロ中心部へ繋がるハイウェイが少し遠くに見え、緑もあり、開放感があった。全体的な大きさは今の家の半分くらいか。

「楓、ここは?」

「凄く素敵!」

彼女の目が輝いていた。

「でもここ、寝室2つだよ?」

からかうように言うと、

「小さい方の寝室は、ウォークインクローゼットでいいじゃないの。」

と拗ねたように返してきた。

「この家にします。」

私は不動産屋の主人に伝えた。主人は大家に連絡をし、話は纏った。早めに引っ越しても家賃はまけてあげる、と言われ、どうする?と楓を振り向くと、大きな目をさらに大きくして、早く住みたいと訴えていた。

「今の家の解約もあるので、3月からお願いします。」

と、手付けを支払い、契約書にサインをした。


  マアディから自宅まで、行きとは違う道を通った。その途中、一瞬ではあったが、貧しい暮らしを生きる町を見た。高級自宅街の近くには、必ず貧民街がある。高級自宅街で暮らす人々の元で働く人々の町。社会の汚い面を垣間見た気がした。どの国にも、富裕層と困窮層の縮図はある。しかし、発展途上国のソレは比べ物にならないほどの差なのだ。

  なんの不自由もなく暮らすクラスメート達や、家を貸してくれる大家さん。彼らは、上流階級の人間だ。親が外交官、欧米の大学病院の医師、国際弁護士、代々の土地をやり繰りする資産家、IT会社の社長、石油会社の上役...そんな人たちだ。比べて、町中で見かけるのは、学校にも行けずにゴミ拾いをしたり、お土産物を裸足で売り歩いたりする子供、子供3人を連れて遠くの市場まで買い物に行くボロボロの服を着たお母さん、シミだらけの服で野菜を売るおじさん。

  庶民の収入は月平均350ポンド、よくて600ポンド程度だと聞いたことがある。日本円にして、2万円弱。昼食にカフェで20ポンド、つまり500円を軽々と払い、高級車で送り迎えされているクラスメート達は、同じ国籍であっても、違う世界の人間なのだろう。

  日本から逃げるように飛び出した私だが、日本という裕福な国に生まれたことを、有難い、と思った。お金がモノを言うとは思わない。でも、お金が無ければ、この国にも来られなかった。楓にも、逢わなかった。


  自宅に戻ると、現実世界に引き戻されたような感覚があった。まだ今は1月。学期が始まったばかりだ。引っ越すまでにやらなければならないことは沢山あった。

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