第9話 ズルい

「きゃああああ」

楓はバランスを崩し、私の上に悲鳴を上げながら倒れ込んできた。

「ちょ、声上げすぎ!」

腕を掴んだことで余程驚いたのか悲鳴を上げた楓の口を慌てて塞いだ。もう!と私の手を振り解き、私の上から飛び退いた。

「ごめんね?そんなビックリするなんて思わなかったから。」

「普通、暗闇で引っ張られたら、ビックリするでしょ!危ないじゃん!」

奈津の期待するような良い雰囲気なんて遠いな、と苦笑した。

「で、何よ?」

「え?あ、えーと...ほら、上見て。」

奈津が勝手に呼んだせいで、用事は無かった。だから、先程まで眺めていた星空を見せるしかなかったのだが、空を見上げた楓は息を飲んだ。

「凄い、こんなに見えるんだ!」

機嫌は一気に治ったらしかった。私の横でごろんと仰向けに寝転がって空を見上げた。扱いやすいなぁ、とクスクス笑いながら、私もまた元の体制で寝転がった。

「街中じゃ見られないよね。砂漠でも、あの車やキャンプの火の近くじゃ、ここまでは見えない。」

「うん。それに、空が...近いね。流れ星、見えるかな。」

「見えるんじゃない?何をお願いすんの?」

「夢が叶いますように。」

「夢?...ああ、キャビンアテンダントか。でも、お願いを私に言ったら駄目じゃない?」

「じゃあ聞かないでよ!」

他愛もない会話だった。私は...何をお願いするんだろう。楓と一緒にいられること?楓の気持ちを手に入れること?それとも...?


  無言で星空を見上げていた。5分くらいだったのか、30分は経ったのか、日常から離れた大自然の中ではわからなかった。流れ星は見つけられなかったけれど、全ての星が降ってくるような、不思議な錯覚に襲われていた。手が届きそうなくらい近くて、でも届かない星。まるで、楓みたいだな、と思った。

「レイはズルイね。」

楓が突然そう言って起き上がった。

「どういうこと?」

その時、ご飯ができたよ、と私達を探す桜子の声がした。

「行こ!お腹すいた!」

楓は車に向かって走って行った。


  トマトで煮込んだチキンとバターライス、チーズとキュウリとトマトのサラダ、それにアエーシというパン。ベドウィンのご飯だよ、とドライバーが言った。砂漠で食べる食事は旨い、と経験者は皆口を揃えて言うが、確かに、同じものでも砂漠のキャンプで食べるものは、格段に美味しく感じるのだ。自然がそうさせるのだろうか。

  食事の後は、のんびりして、眠たくなったら眠るだけ。ドライバー達は車の運転席で寝るのが定番。私達四人はテントに潜り込んだ。疲れていたのか、私はすぐに眠りに落ちた。

  

  夜中、話し声で目が覚めた。テントの外で話しているらしい。また眠りに落ちそうになる微睡の中で、ぼんやり会話を聞いていた。

「桜子ちゃん可愛いよね。これぞ女の子って感じ。」

「お酒さえ飲まなければね...」

笑い声が聞こえてきた。

「モテるでしょ、桜子ちゃんって。」

「確かにモテる!でもねぇ...好きな人は振り向いてくれないんだってさ。」

「えー切ない。」

話しているのが、楓と奈津だということはわかった。

「楓ちゃんだってモテるでしょ。綺麗だもん」

「そこそこ...かな?」

「言うねぇ!」

「で、今は?好きな人いないの?」

「え、うーん...」

そこで私の意識はまた遠のいた。


  旅の最終日。目覚めて、テントの隙間から外を見た。外は真っ白に光っているように見えた。テントの中にいて、横には3人がまだ眠っていた。起こさないよう、外に出た。目の前に広がる、眩しく光るような白砂漠。目に染みる白だった。

  ひんやりした空気と、強い日差しの中で深呼吸をし、ミネラルウォーターのペットボトルをドライバーから受け取ると、浴びるようにして顔を洗った。砂漠はシャワーもトイレもない。全ては大自然の中。それがまた、心地よいサバイバルな時間だった。まだ朝食までだいぶ時間があるからノンビリしてこい、とドライバーに言われ、キャンプを離れた。

  少し離れた場所で、真っ白な岩に登り、煙草に火をつけた。ふぅ...と煙を吐きながら、今日の夜にはカイロに戻ってるのか、とか、昨日楓が言った「ズルイ」という言葉は何だったんだろう...とか、微睡の中で聞こえた楓に好きな人がいるのかどうか、聞きそびれたなあ...とか、そんなことをぼんやり考えながら、景色を眺めていた。

  あの日、私は、好きになってもらうように努力する、と彼女に言った。でも、何も変わらない、同じ毎日だけを繰り返している。楓は何も言わないし、私も敢えて、それまでの日常を作ってきた。彼女が変わりたいと思わないなら、変えるべきではない、と思った。

「それで良いんだよね?」

誰もいない空に問いかけた。遠くから、私を呼ぶ楓の声がし、私は煙草を消すと、岩場から降りてキャンプに向かって歩き始めた。

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