第3話――幼馴染みと精霊と
一時間半後、僕らは家を出て一路森林公園に向かった。
梅雨の中休みといったところなのか、空には雲一つ無い。
雨音はどこからか出してきた白の日傘をさして、僕の右隣を歩いている。
左隣にはイラスト入りのTシャツに白のショートパンツにスニーカーというカジュアルな出で立ちのひなたが陣取っている。
女の子二人と並んで歩いているというのに、僕はちっとも嬉しくない。むしろ全力でこの場から逃げ出したくなるのは何故だろう。
しかし、こうして雨音をみると、まるでどこかいいところのお嬢様のようだ。
だが、雨音は人間じゃない。正真正銘、雨の精霊だ。
信じられないような昨夜の体験を思い出す。あれをすんなりと受け入れられた僕という人間は、実はすごく器の大きいヤツなのかもしれない。
などと思っていると、雨音が日傘をくるくる回しながら問いかけてきた。
「そういえば……最後の願い事、決まりましたか?」
「いや、まだだけど……。急がないとダメ?」
「いえっ! ゆっくり考えていただいて結構です」
そういうと、雨音は柔らかな笑顔を僕に向けてくれた。
最後の願い事。
いい加減なことだと雨音は却下するだろう。でも、そこそこの生活に満足してしまっている僕には、『何でも叶えるから言ってくれ』といわれても、思い付くことがない。
「みーくんもさっさと願い事を決めちゃいなさい。そしたらこの子も私たちの前から居なくなってくれるんでしょ?」
ひなたはとことん雨音を敵視しているようだ。僕を挟んで反対側を歩く雨音にビシビシと音が出そうなほど敵意に満ちた視線を浴びせている。
雨音はすました顔でその視線の暴力を受け流している。
間を歩いている僕の方がヒットポイントを削られている感じだ。何で僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
理不尽すぎる。
やがて、道は上り坂へと姿を変えていく。軽いハイキングコースのような遊歩道を上っていくと、眼下に街の風景が広がり始め、前には森林公園の入り口が見えてくる。特に遊ぶ場所があるわけでもなく、ただ自然が豊かに残っているというだけの公園だ。そのてっぺんにある展望広場は見晴らしが非常にいい。三人分の入場料を支払って、僕らはゲートをくぐる。この時期だと紫陽花が綺麗ですよと券売所のおばさんが教えてくれた。
雨の精霊の雨音と、紫陽花の取り合わせ。そして今日は抜けるような青空。カメラを持ってくるんだったと後悔したが、そもそも精霊は写真に写るのだろうか? でも、券売所ではちゃんと雨音の分の料金取られたしなぁ。
園内に入ると、早速色とりどりの紫陽花が僕らを迎えてくれた。一体何本くらい植えられているのだろう。
順路にそって、森林公園を散策する。樹の葉がが日の光を遮ってくれるので、雨音は日傘を畳んでいた。
木漏れ日が時折雨音の白い肌を照らし出す。それが何故か僕にはとても眩しく感じられた。
「ずいぶん熱心にその子の顔を見てるようですねぇ」
ひなたの冷たい声が僕に投げかけられる。
確かに抜けるように白い雨音の肌に見とれていたのは事実だが、決して変なことを考えて居たわけじゃないぞ?少なくともちょっとドキドキしただけだ。
「みーくん、やっぱり最後の願い事はエッチなことにしようとしてるんじゃないの?」
「そ、そんなことないぞ! 大体、僕にそんな度胸があると思ってるのか、ひなたは!」
ひなたは一瞬ぽかんと惚けた顔をしたあと、大口を開けて大爆笑してくれた。
「そりゃそうだわ! みーくん甲斐性なしだもんね! そんな大それた願い事なんて無理だよね」
「わたしには彼がそんなに甲斐性がないとは思えないんですが……」
「騙されちゃダメよ。みーくんは優しい男の皮を被った単なる優柔不断男なんだから」
「そうなんですかっ? それにしては昨夜初対面で激しいSプレイを私に……」
「Sプレイってなんだよ! それは、やりどころのない怒りを極厚の雑誌に乗せて頭を叩いただけじゃないか! 人聞きの悪い事いうな!」
「そうやって言い訳するあたりが男らしくなーい」
僕はがっくりと肩を落とすと、「もう好きに言っててください」とつぶやいた。
何だか目の前が霞んでいるけど、これはきっと汗が目に入ったからであって、決して涙ではないはずだ。
***
「さて、そろそろお昼にしませんか?」
太陽が僕たちの真上で輝きだしたころ、雨音がそう提案した。
「ふふふ。望むところよ。私も腕によりをかけてお弁当を作ってきたわ!」
芝生の広場にレジャーシートを敷き、その上に腰を下ろす。雨音とひなたはそれぞれ弁当の包みを僕の前に置いた。
雨音の料理の腕は今朝の朝食で確認済みだ。何の問題もない。
今そこにある危機は、ひなたの弁当の方だった。
ひなたは、家事全般がとことん苦手だ。
ことに料理に至っては、殺人芸術のレベルにまで昇華されている。僕はひなたの用意したタッパーを、脂汗を垂らしながら凝視した。果たしてどんな恐ろしい物体がこの中に詰まっているのだろうか。
「どうせ毒物でも入ってるんじゃないかって思ってるんでしょ。心配しなくても、お母さんに味見してもらったから大丈夫よ」
その言葉に、僕は思わず安堵の息をついた。ひなたの母さんは料理上手だ。その人が味見してOKを出したということは、とりあえず人間の食べ物になっているということだ。
「さ、わたしの方は冷蔵庫の中にあった食材を適当に見繕って、行楽弁当に仕上げてみました。いかがですか?」
雨音が三段の重箱の包みを解き、ふたを取る。色とりどりのおかずに、たわらおにぎり。これだけで十分三人分はあるだろう。
「ふ、ふふふ……な、なかなかの出来じゃない。私のはサンドイッチよ」
ひなたがタッパーのふたを取ると、そこには確かにサンドイッチらしき物体が詰まっていた。お世辞にも見栄えがいいとは言えない。
「なによ。見てくれが多少悪いかもしれないけど、ちゃんと食べられるわよ」
あ、見た目が悪いことは自覚してるんだ、ひなたのやつ。とりあえず僕は安全な方からいただくことにしようと、雨音の作った弁当の方にてをのばした。途端にひなたの表情が悲しげなものに変わる。うっ、その表情は卑怯だぞ、ひなた。
僕は一旦雨音のたわらおにぎりに伸ばしかけた手を止めて、恐る恐るひなた作のサンドイッチ(?)を一切れつまんだ。
途端にひなたの表情がぱっと花が咲いたように明るくなる。僕はそのお世辞にも綺麗だとは言えないサンドイッチに、意を決してかぶりついた。
「……ふ、普通だ」
そう。みてくれは確かに良くはないが、味そのものは至って普通のハムとレタスとトマトのサンドイッチだった。
あのひなたが、人の食べられるものを作ることが出来るようになるとは。これを奇跡と呼ばずしてなんと呼べばいいのか。
「ふふふーん。私にだってサンドイッチくらいは作れるわよ。どう? 見直した?」
「ああ、正直食べたら寿命が縮むと思ってたからな。普通のサンドイッチでびっくりした」
「それはどういう意味かしらね」
「これまでの自分の食材に対する罪を一つ一つ数えてみれば、自ずと僕が言いたいこともわかるんじゃないかな」
そう。ひなたは家庭科の調理実習でも、家で料理に挑戦しても、普通の食材を得体の知れないものに超進化させて食べられなくする天才だったのだ。
「今までのことはいいのよ! 問題は、私にも料理が出来るということが証明されたことだわ。どうだ、参ったか!」
「サンドイッチを不味く作るのは、それはまた一つの才能だとも思うけどね」
「うぐぅ……」
「さ、わたしのお弁当も食べて下さい。あまり凝ったものは作れませんでしたけど……」
三段の重箱には、綺麗に握られたたわらおにぎりや、とても間に合わせで作ったとは思えないおかずが詰められている。
僕は雨音から紙皿と割り箸を受け取ると、早速きつね色に揚げられたトンカツと、きんぴらごぼう、そしてたわらおにぎりを皿に取った。
ひなたも雨音から紙皿をもらい、おかずを山ほど皿に載せていた。なんて食欲だ。それでも年頃の女の子か。
僕はまずトンカツを一切れ口に放り込んだ。さくさくの衣と、噛めば噛むほどあふれてくる肉汁が渾然一体となって、口の中で踊っているようだ。
「うん。美味い。こんなに美味しいトンカツ食べたのって、もしかしたら初めてかもしれない」
「ええっ? そ、そんなこと言われると照れちゃいますよ。それに、このくらいは女の子として当たり前です」
雨音が頬を染めつつ、ひなたへの最大級の攻撃を放った。
『女の子として当たり前』
つまり、このレベルの料理が出来ないひなたは、雨音にとって『女の子』ではないということに他ならない。
僕の左隣で猛烈な勢いで雨音の弁当をかき込んでいたひなたも、雨音の言葉に隠された対抗意識に気づいたようだ。ひなたの箸がぴたりと止まる。
「ふ、ふふふ。言ってくれるじゃないの。確かにあんたの料理は美味しいわ。最高よ! でもね、私だって女の子なんだから! いつか、この料理に負けないくらい美味しい料理が作れるようになってみせるわ!」
ひなたの雨音に対する対抗意識は燃え上がり、ついにある種のライバル宣言にまで至ってしまった。
雨音はといえば、そんなひなたの燃えさかるような宣言もどこ吹く風。水筒で持ってきたお茶をゆっくり飲みながら静かに微笑んでいた。
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