亜節19項「開放」
未だ健在の二つの
結晶質の鱗、棘に覆われた尾での殴打。
自由になった右前脚の質量を用いた踏撃。
石英のような牙での噛み付き。
術翼を変形させて槍、剣、刃を模した半実体の術体による斬突打。
咆哮の所作を模して放つ炎系、雷系の法術。
等々、『騎士』たちが被った損害は(致命的ではないにしろ)枚挙にいとまがない。
加えて、ヴェルの『加護』を受けて(無策で)突っ込んでくるアクゼルから、作戦の要の龍縛錨を守る必要もあった。
「金髪の二人はある程度無視してもいいよ!大した戦力じゃない!」
先程まではじゃれつく大型犬の如く追ってきていたジェナンの追跡が止み、『金髪の二人』ダードフとアーリが合流して、お互いに息を切らして愚痴り合う。
「あの野郎……俺らを、雑魚扱いかよ。まあ、否定もできねえけど」
「私は認めないからね。ちったあプライドを見せなさいよ……」
「いくらヴェルでも複数から集中攻撃を浴びるとまずい。俺らは場を掻き回す。行くぞアーリ」
「嫌がらせ?そう、それなら性に合ってるわ」
よろよろと歩き出し、そして跳ね駆け出したダードフにアーリも続いた。
「―—うおらあァアあァッ!!」
咆哮一喝、アクゼルが渾身の力で振り下ろした赤剣を、ロプタの
「その
「るせぇ、んなの知るか!邪魔する奴はたたっ斬ってやるだけだ!!」
「女の護りに頼りきっておきながら、よくもそう吼えられる!」
―――――――――――――
「こちらは斧槍の
一時的に前線から下がった壮年の騎士の繰り出す指示が途切れた。
再び戦場に躍り出たダードフとアーリが、龍縛錨への接近を試みていると察したからだ。
「訂正。私は鬱陶しい蠅を片付けておく……」
騎士は静かに宣言し、ゆらりと動いた。
『クオォオオォ!!』
「くそおっ、大盾を持ってくれば良かった。いくら防具が丈夫だからって、こう何度も何度もまともに食らい続けちゃあ……!」
F/III旅星龍の乾いた咆哮と共に放たれた、何度目かの『火炎放射』を耐え凌いだジェナンが呻いた。本体こそ無事だが、マントは半分以上が焼け落ちている。
「さっすが、F/III級。そりゃ誰も彼もが血眼になって狙うわな……!」
―—お偉いさん方が何をしようとしているのかは知らないし、知る必要もないし、知ることは認められていないし、そもそもそんなものに興味はない。
ジェナンはただ命令通りに戦うだけだ。それが楽しいだけだ。それだけだ。
先行きの見えない消耗戦、巴戦はじわじわと各々の戦力を削いでいく。空を覆い隠すほどの煙が立ち昇る広場の至る所で、剣と術が衝突する光と音が踊っている。
各々の因子がそれぞれの律に従って動き続けることで、辛うじて保たれている危うい均衡は、小さな綻びでも大きく崩れかねないものだった。
それはきっとこの中の誰かが力尽きた瞬間で。
そしてその天秤は確かに、突然に傾いだ。
――――――――――――
斧槍をなげうち、抜き放った剣にあからさまな憤りを乗せて突っ込んできた壮年の騎士に。
「おーおー、いよいよマジギレか!」
軽口を叩いて向き合ったダードフだったが。
「レン!」
「こいつは俺に任せとけ!アーリ、お前はあのガラクタを止め……」
剣を華麗に躱し――たと思いきや、騎士は空いた腕で、鉄を撃ち止めた革手袋での
「バカなの!?」
綺麗にぶっ倒れて転がったダードフの不様に、アーリが怒鳴る。
「うごご……!」
ダードフが仰向けになり血塗れの鼻を抑える姿に目を留め、立ち止まったアーリは、矛先を変えてマントを翻した騎士の姿を一瞬、見失ってしまった。
「……ッ!」
ぶわりと舞ったマントの奥から閃いた銀光に、アーリは本能的に跳ね下がろうとした。しかし、刹那の動揺と長期戦で削がれていた集中力は跳躍術の制御を乱した。
足がもつれる。階段を踏み外した時のような感覚。体勢が崩れる。
「あ」
騎士の剣が、すとん、とアーリの左胸を貫いた。
――衝撃で弾き飛んだ身体が宙を舞って、落ちて。
そしてうつ伏せになって、動かなくなった。
「……てめえ」
ダードフの血の気が引き、三白眼が見開く。
「何してやがんだ」
アーリを倒した騎士はダードフの殺気を感じたように、向き直った。
ゆらりと立ち上がったダードフの声が、震えた。
「やりやがった。やりやがったな……!」
――その後の暫くを、ダードフ自身、よく覚えていない。
恐らくはアーリの元へ駆け付けて療術を施そうと考えたのだろう。
その為に、立ちはだかる壮年の騎士へと飛び掛かった。
―――――――――――
「……あ」
「アーリ!!」
”見てしまった”ヴェルも短い悲鳴を上げた。
「ヴェル……?……!くそっ、畜生!!」
ヴェルが編み上げていた『結界』が、恐怖と共に掻き乱れ、崩れていく。
分解に気付いたアクゼルも振り返って、何が起きたのかを悟った。
―—手こずらせたな。喰らえ!
ようやくの好機を捉えたロプタは、動きの緩んだアクゼル――というよりもヴェル目掛けて、槍斧を大振りで振り上げる。
ヴェルが立つ地面の周囲にいくつかの光筋が立ちあがり、そして地が爆発するような衝撃が、石畳の破片と共に炸裂した。
「……ぐッ……!」
辛うじて残っていた術壁の一部で身を庇ったヴェルは、しかし大きく跳ね飛ばされて、石垣に強く身を打ち、地面へ崩れ落ちた。
「ヴェ――」
「―—これでようやく貴様の頭を割れる。女への止めは後だ……」
大きく息を吐いたロプタが、再び槍斧をアクゼルへ突き付けて、構えた。
赤髪の青年が防御や回避を顧みずに猛攻を仕掛けられたのは、緻密且つ強固な防壁の援護があってこそだ。その戦いぶりはまるで女王に良い様に使われる下僕……情けない。如何に強力な剣を振るおうとも、”保護者”を遂に排除した今、片付けるのは容易い。
――――――――――――――
「…………!」
仲間の窮地に身を強張らせたラディオは。
「ッ!!」
その動揺を見切ったエルクリムトの突撃の初動を見逃して。
しかし辛うじて躱した。
―—……速い!!
耳元を掠めた剣の切っ先が、銀髪を散らす。
その見るからに『重い』装甲にも関わらず、強力な跳躍術での前進速度は恐ろしく速く、もし瞬きの一つでも遅れていれば首を突かれていた。
しかし対応もする。追撃を避けるために身を斜めに落としつつ、その慣性を乗せた左手で、開いた雷掌をエルクリムトの素顔に叩き込もうと――だが、それを読んでいたエルクリムトも、左腕のアームガードで難なく払い除ける。
―—まだだ!
更に勢いを利用して一回転、左側から術剣を横一文字に薙ぐが、エルクリムトは持ち替えた長剣で軽々と受け止める。
澄んだ金属音と、術式が弾ける鈴のような音が響き、二人は互いに、一旦距離を取って構え直した。ラディオは腰を落とした豹のように。エルクリムトは尊大な石像のように。
「くそっ……!」
「ダブルどころじゃない。お前は
ラディオが舌打ちし、エルクリムトは牙を向くような笑みを浮かべる。
「初めて出逢った。噂には聞いていた。物質に干渉するほどの高次の術式を、出力を保ったまま使い分けている。それが、お前の、本当の、切り札」
「…………」
「手の内を見せたな。仲間が倒れた程度で冷静さを欠くか。俺の友として認めるにはまだ青臭い」
「そろそろ黙れ。望み通り全力でやってやる……!」
「そうこなくては」
――――――――――――
「……う……」
暗闇に落ちていた意識に、炎と光が散っている。
アーリはむくりと起き上がった。
「……ッ、いたたた……」
激しい痛みに怯み、左肩を押さえて、応急的な療術を施す。
騎士が突いた剣は、僅かの瞬間に辛うじて身を捩り、左肩へと逸らしていた。
ぼんやりする頭では周囲の状況をなかなか把握できずにいた。しかし衝突する金属音と怒号で、まだ戦いは終わっていないのだと思い直した。
左肩からの出血は酷く、血を吸ったジャケットが重くて濡れて、気持ちが悪い。弱々しい緑色の術を、左手を半ば押し付けて捻じ込むようにしてみるが、出血を緩めるだけで精一杯だった。
「治癒系統はいつもヴェルに任せっきりにしてるからなあ。訓練をサボっちゃ駄目ねー……」
「……アーリ。起きちゃ駄目。待ってて、私がいま――」
ロプタの槍術で倒れていたヴェルがアーリの無事を知り、そしてその負傷も悟り、立ち上がろうとするが。
「―—アクゼル君……!」
更なる危機に慄く。
援護を失ったアクゼルが、今度は一方的にロプタから攻められていた。
直撃こそ免れているものの、槍斧と剣のリーチ差、そして法術を介した範囲攻撃能力の差は圧倒的で、既に身体のあちこちに裂傷を負っている。派手に攻め込むのは得意なぶん、地味な回避や防御は不得手な、
「―—こっちは大丈夫。ほら、アクゼルくんを助けてあげなきゃ」
目線をヴェルに向けつつ、誰にも届かない程に弱々しく囁いたアーリが薄く笑って立ち上がり、ぼたぼたと血の跡を引きながら覚束ない足取りで歩き出す。
向かう先は、がら空きになっている龍縛錨だ。
「あいつ……!?」
「放っておけ、あの負傷で何ができる!」
数名の騎士がその姿を確かめるも、尚も吼え猛り、暴れ回る龍を抑え込む方が重要だ。
「……何が出来るって?」
仄かに光って唸る、鉄杭の寄せ集めの様な――傘の骨組みを逆さに突き立てたような『錨』に辿り着いたアーリが、朦朧としながらも、右手で撫でるように触れた。
「言ったでしょ。私はこういう術的パズルの解析と書き換えが専門なの……!」
龍縛錨の機能を司る術式の一切合切が開き、アーリの眼前にぶわっと広がった。
両手一杯よりも広い光の図形と数式の窓だ。
龍を封縛する程に強力で、ましてや未知の術式。
制御を完全に掌握する時間はなくとも、ただ止めるのであれば『スイッチ』を見つけるだけでいい。
「ふ、ふふふ」
痛みに歪む顔に、狂気じみた笑いが浮かぶ。
その中で、緑眼だけが爛々とした輝きを取り戻していった。
「うふふふふふ、複雑じゃないの。たっぷり可愛がってあげるわ……!」
―――――――――――
「あの女っ……!」
旅星龍と応戦していたジェナンが、アーリの狙いに気付き、身を翻して駆け出した。「させるか……ぶわッ!?」そして思いっ切り前方につんのめり転倒した。
「させるかこのすっとこどっこい!」
振り返ると(どうしてそうなったのかは不明の)ぶっ倒れていたダードフが放ったワイヤーが足首に巻き付いていた。「んの野郎……ッ!」
そしてその瞬間。
「解けたっ!ざまあみろ!!」
アーリが高らかに、快哉ついでの悪態を吼え、そして龍縛錨を司る術式の一つを握り潰すような所作をした。
――バシャン!!
展開していた『錨』の傘が一斉に閉じ、帯びていた光、そして先端から伸びていた光鎖も散り散りになって消えていく。
「やったぜ。アーリ……!」
にやりと笑ったダードフががくりと力尽きた。
しかしアーリは、まだ残存しているもう一基の龍縛錨を睨みつける。
「……あと、一つ……!」
しかし、強引に『錨』の作動術式を停止して消耗したアーリも、鉄柱にしなだれるようにしてその場に崩れ落ちた。「ああダメ。もう動けないわこれ」
ここまでに死力を尽くしたクーリド・ビーに、最早その『あともう一つ』に至る余力はない。そしてそれは、秘匿特務隊にとっての『まだもう一つ』でもある。
『―—全術符の連結完了!座標再演算良し、収束率上限!射程2.3ルム!十秒後に最大出力で射出する。耐衝撃体勢を取れ!』
騎士たちへ、丘の狙撃拠点からの伝信が入る。
――急造の陣地では一人の砲兵が伏せながら、人の身長の倍ほどもある長射程の術弾射出機構を構えている。予備の術符弾倉の全てを強引に接続した『術弩のオバケ』は現状で最高の火力を叩き出せる計算だ。これで効かないはずがない――。
『九、八……!』
砲兵のカウントが始まり、騎士たちが身構える。
しかしその瞬間。
張り詰めた弦が弾け飛ぶ瞬間の何倍もの危うい、バチン!!という音が掻き消した。旅星龍が、自らの力で『あともう一つ』を引き千切ったのだ。
焼き切れたと言った方が正確かもしれない。既に過負荷は――所詮、人が見様見真似で作り損ねた神器の紛い物の――限界に達していたのだ。『残り一つの龍縛錨』は赤熱し崩れて、灰の様になって自壊して。
「なっ……」
絶句する騎士たちの目の前で、F/III『旅星龍』は本来の戦翼を開いた。
F/ IIクラス以下の生物学的実体との明確な差、決定的な隔たり為る半実体の法術論的翼が、悍ましい速度で書き変わり、変容していく。
――それは遥か高空の更に天、深く黒い空への到達をも可能とする術翼で。
凄まじく複雑な、ともすれば魔術の領域に近い幾何学模様が何重にも連なって。
その一対の翼面に、それぞれ巨大な瞳のような表象が現れる。
「…………」
全員が完全に未知の術式に怖気立つ。蛇に睨まれたなんとやらだ。
『―—二……一!行くぞッ!!』
「待て、こいつは――」
そして、丘の一点が煌めいた。
光術砲の射出を察知したトラエヴストルが鋭く振り返り、咆哮の所作を経て――一瞬の無音―—何度か撃ち込まれたものと同様の――それよりも遥かに強力な光閃を放った。それは開いた術翼面の全体から放出された光の束のようですらあった。
互いに干渉した光筋同士は互いの射線を歪め、弾かれて逸れた二つの光線は街に、丘に、湖に、山に、それぞれ一列の巨大な爆柱を作る。
大地の全てに稲妻が落ちたような閃光、激しい霊震、地響き。
「……ッ!」
劈くような光と音の奔流に、その場の誰もが平伏した。
一度白く染まった世界は、その衝撃が過ぎ去っても、残雪のように白い余波の残響で満ち。
『―—!……だ……破壊され……不能。撤収……る!―—』
直撃を免れた砲兵からのノイズ交じりの伝信がその霊震の凄まじさを物語っていた。
―――――――――――――――
「イデオルダ・クラス……斯くも美しく、斯くも素晴らしい……」
広場を埋め尽くす光の暴圧を浴びながら、唯一動じることもなく真っ直ぐに立ち、恍惚としているエルクリムトが溜息交じりに独り言ちた。
「……!」
ほぼ這う様な姿勢で身を庇っていたラディオへ、肩越しに語り掛ける。
「フレイガートスケールでは計れない龍たち。もしかすればアラウスベリアの旧文明よりも古く、より原初の
エルクリムトは空を見上げ、胸に手を当てて祈るような仕草をしていた。
―—またかよコイツ。だから一人で意味不明の演説をキメて悦に入るなっつってんだろ――隙だらけの背中に全力の蹴りでも入れてやろうと立ち上がりかけたラディオもまた、空の彼方を見て、固まった。
トラエヴストルが頭を上げて、鼻を鳴らす様に天を仰いでいる。
光術砲の”相討ち”による衝撃波で、一斉に晴れた煙の向こう。
旅星龍が現れた時と同様の軌跡で、新たな龍の一群がレーテマルド上空に現れていた。その数およそ二十弱。神々しい術翼を
―—そうだ。そもそもの話の発端は、『龍の一群の飛来という噂』。
一体であるはずがなかったのだ。
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