亜節18項「Radical note」
「お前は何を知っている?何故知っている?何故隠していた?それを知りたい。そしてお前は、俺がこうやって質問しても答えない。だから俺は実力行使でお前に喋らせらせようとしている……と、お前も判っている。その立ち姿。何気なく力を抜いた覇気の欠片もない緩さ。しかし重心は常に揺らいでいる。いつでも動けるように。いつでも俺を止められるように。いつでも始められるように」
エルクリムトの朗々とした語り口が陶酔、恍惚を交えた熱を帯びていく。
その豹変に違和と、僅かな嫌悪を覚えつつも、ラディオは肩を竦めてみせる。
これほど「何言ってんだこいつ」と言いたくなる相手もそうはいない。一笑に付したつもりだった。
「すごいな。見事にまるまる全部大外れ。単なる学生を思い違いで買い被るなよ。部下を率いる立場の癖に人を見る目がないんだな」
「それに、随分とお喋り――」
――エルクリムトが背にした鞘から長剣を抜き、ラディオの笑みが引いた。
「ほら。半歩下がったじゃないか。想定していた間合いを無意識に修正した。お前の目はこの剣の性能を測っている。俺の部下たちが振るう得物のような特殊な効果を疑っている。読んでいる。そしてお前は安心した。そう、この剣にそんな小細工は仕掛けていない。だからお前は動かない」
そう言って、エルクリムトがゆっくりと歩き出す。円を描くように横へ、時折距離を詰めるように前へ。緩急をつけて。広場の炎を受けて鈍く光る長剣が不気味に揺れている。光圧と風を受ける深紅のマントがたなびく。鉄靴が砂利を踏みしめる音が不規則に続く。
エルクリムトの言う通り、思惑通りにラディオも動かざるを得なかった。
「……そうだよ。俺はあんたの動きを計っている。あんたは俺を一発で仕留めるつもりなんだろ?だけどお前はこの状況を楽しんでいる。だから一撃で終わらせたくはない。少しでもこうやってしゃべくり合いたい。俺が隠している何かを確かめて暴いてやりたい。そう考えている」
半ば諦めたかのように、ラディオも口応えを始めると、エルクリムトの声が上ずった。
「ああ、やっぱり!そうだ。俺たちの勝負は一瞬だ。それは余りにも勿体ないじゃないか」
「俺は心の底からダルいと思ってるよ。でもこうしてお前を引き付けておけるなら、いくらでも付き合ってやるさ」
揺らぐ剣先、足運び。重心の流れ、間合いの測り方、交錯する目線、筋肉の緊張、脱力。言葉への反応、選び方。思考の癖、推察、術的予兆。殺意の強度、息遣い。駆け引き。方法論。
一つ一つは些末な要素に過ぎなくとも、その組み合わせは無限。それらを諳んじる者同士の戦いは冗長な探り合いに過ぎないものかもしれない。だが、それはその先に来たる、とある一瞬へ向かう為に共有しなければならない儀式だった。
「俺がいつ斬り込むかを警戒していながら未だに手の内を明かそうとしないのは、お前の切り札が術剣だから。そしてその威力と発現速度に相当な自信があるからだ。俺が先に踏み込んでも間に合う。その右手は常に、腰に隠している術符へ伸びようとしている。どうかな」
「俺は敢えてそう見えるようにしている。それにお前はそう言いながら、俺の切り札が一つだけだとは考えてない。今はまだそれを探っている。お前の目線は追えなくとも、意識が何処に向いているかは判る」
「それは強がりだな」
「いいや?その兜はゴツすぎて、お前の本来の動きを妨げている。お前は擬装だと言った。慣れていない。ほんの僅かなぎこちなさが見え見えだ」
「ああ……やはり見込みは正しかった。こんな会話が交わせる相手がほしかったんだ。俺を理解し、同じ認識で事物を捉える奴を。そして俺はそいつを上回って殺す。俺が優れていると証明できる。俺はやっと出会えた……真の友に……」
エルクリムトの声がますます怪しい吐息交じりになっていく。
どう考えてもまともじゃない。何かが根本的に歪んでいる。
「……なんだ、ただの変態か」
ラディオはエルクリムトの不穏な言動を斬り捨てるように言い放ち、広場全体の戦況に目を走らせた。
龍縛錨は未だ健在で、真の力を発揮できずに苦戦している龍。
反撃を受けながらも連携を維持して攻めていく四名の騎士。
アクゼルとヴェルは完璧な防御と鮮烈な赤剣を見事に組み合わせ、ロプタの光槍を真正面から受けながら戦っている。互角以上だ。
アーリとダードフは口論しながら、それを見てどうも笑っているらしいジェナンと戦っている――追い回されている。たぶん大丈夫だと思いたい。
「―—つれないな。折角の出逢いを楽しんでいるのに他に目移りするだなんて」
エルクリムトがそう言いながら、唐突に
「やはり直接、自らの目で見るのが一番だ。何でもな」
片手で器用に留め金を外し、兜を傍らに投げ捨てる。
素顔を曝したエルクリムトは思ったよりも若かった。歳は恐らく二、三ほど上。ラディオと同様のくすんだ銀髪はより長く、細めた瞳の色は深い紫。細くも精悍な顔立ち。そして満面の――どこか歪な笑み。
「ほら、似ていないか?」
「髪の色くらいじゃねえか」
「これで俺もきちんと観ることができる。お前の挙動の全てを。感じられる。術の色を。匂いを。それが俺たちだ。龍礁の奇跡の後に産まれた、新しい世代の戦士の資質」
「……何を言ってるのかさっぱりだ。面白そうな話ではあるけど」
「そうなんだ。まだ誰も知らない。知ろうとすらしない。この事実がどれほど世界に変革をもたらすものなのかを。誰も使いこなせていない。この力を。お前たちはまだ気づいていない」
―—いかにもな誇大妄想のご高説お疲れさん……。
鼻で笑ってやろうとしたラディオは、しかしその時初めてぞっとした。
でまかせでもハッタリでも妄想でもない。
ラディオの姿を見舐めるエルクリムトの紫眼は、確かに、言い様もない光を宿していた。何をどう誤魔化そうとも、観られているという実感が襲ってきた。
その乱雑で脈絡のない言動が、いつの間にかまるで無数の冷たい手のように伸び、捕らえられて這い回り、撫で回されているような感覚だった。
「本気になったな。それこそが紛れもない証拠……」
思わず一歩下がって腰を落としたラディオに、エルクリムトは更に嬉しそうに口角を上げる。
「急に無口になるなよ。付き合ってくれるんだろ?」
――――――――――――――――
広場の戦いは更に苛烈に、混迷を極める。
嬉々として無邪気に槍を振るうジェナンの追撃に、ダードフとアーリは追い立てられて。
お互いの長所を重ね合わせた連携を駆使するアクゼルとヴェルはロプタを追い立てて。
尚も抵抗する旅星龍と騎士たちとの交戦に、それぞれの組み合わせが乱入することで最早誰がどの相手とどう戦っているのか、戦況を正確に把握している者は皆無だ。
そんな中、再度の『狙撃』が龍の頭部を撃つ。
街外れの丘からの光筋、着弾。閃光。爆発―—しかし龍は揺るぎもしない。
『駄目だ!とても霊基が足りない。そっちでもう少し体表結界を削ってくれないと――』
「ならば予備弾倉を全て連結しろ。最大出力だ!」
『……了解。ただ時間は掛かるからな』
「急げ。この龍は……ぐっ……!!」
丘の射撃陣地からの伝信に応え、龍の炎術を凌ぎ、槍での反撃を構えた騎士の前を、追い縋るジェナンから逃れるアーリがさっと横切る。続いてジェナンも。「ジェナン!?邪魔だ!」「わりい!」
「何をしているんだあの若造……!」憤った騎士の後頭部に(ぱちんっ)本来ジェナンを狙っていたらしいダードフのワイヤーが当たる。「あっ」「……!」振り返った騎士のキレっぷりに怯んだダードフが跳ね下がる。すると「だああ!どけこのボケ!!」ヴェルの援護を受けた猛攻でロプタを追い詰めていたアクゼルの真ん前に飛び出てしまった。
「馬鹿めっ……!」「うわっ」「危ない、ダードフさん!」目当てとは違うが隙丸出しのダードフを仕留めようとロプタが槍柱が放つ――慌てたヴェルが術壁を編み上げるも、とにかくその場から逃れようとしたダードフは思い切り術壁に思い切りぶち当り、弾き飛ばされた。「いッてぇ!」
「ロプタ!危ない!」ジェナンが叫ぶ。ちょこまかと動き回るアーリが
動きを止めていたロプタの直上から連星龍の尾が叩き下ろされる。ロプタは回避した。むしろロプタを狙っていたアーリの方が危なかった。「危なっ!」転がって起きたアーリへ、最早もう誰かも判らない騎士が斬りかかる。「何してんだよっ!」一番近場にいたアクゼルの赤剣が、その斧槍を受け止めた。
叩きつけられていたトラエヴストルの尾が持ち上がる。「伏せてアクゼルくん!」アーリが叫ぶ。「え!?」「!?」アクゼルと騎士は同時に伏せた。ともども尾撃でぶっ飛ばされるところだった。
「くだらん、ふざけるのも大概にしろっ……!」
ロプタの声が怒りに震えている。
これには
片や、クーリド・ビーの一同は、この混戦の中で一縷の可能性を見出していた。
連星龍の『真の実力』を封じている龍捕錨の解除、破壊、無力化である。
「住人達はジターニの連中が避難させてくれた。もう遠慮はいらねえ、この際この龍には思いっきり全力で暴れてもらおうぜ!」
「い、いいのそれで……?」
「じゃねえとどっちみち俺らも龍も殺されるんだよ!!」
というのがダードフの理屈だった。
だからと言って、龍が解き放たれたとてクーリド・ビーが無事で居られる保証もない。事態を余計に悪化させるだけなのでは――というアーリの懸念は、速やかに解決した。
騎士との交戦の最中、広場に点在する鉄器を目標に定めたクーリド・ビーの面々をどうやら連星龍は『援護』するような反応を見せたのだ。
龍からの攻撃には高い耐性を持つ特化型の機構―—複雑な形の杭を組み合わせた構造体体―—は、人の扱う法術で容易く無力化できるはず。
既に効果を失ったものを除けば、広場に残る龍縛錨の主基は残り三つ。当然騎士たちもその防衛、或いは妨害に回るも、それを意図的に狙う龍の攻撃がそれらを凌駕する。
「調子に乗るなよ!そう簡単にやらせない……うわッ!?」
龍縛錨の一つを守っていたジェナンが、向かって来るアクゼルに吼える――次の瞬間、旅星龍が放った、術翼を変形させた槍のような術体の直撃を受け―—貫通こそしないが、凄まじい勢いで弾き飛ばされた。
そしてがら空きになった異形の鉄杭を、アクゼルの赤熱の剣が”叩き切る”。
「―—あと二つッ!」
砕かれた鉄杭が光を失い、ばらばらと石畳みに散り落ちた。
―――――――――――
一変した戦況に、ラディオがくつくつと笑い出す。
「やばいんじゃないか?あのオモチャがあるからあんたたちは龍とまともに戦えてる。俺と喋ってないで止めに行かなくちゃいけない。例え建前でも立場上、任務は果たさないといけないんだろ。あんたは」
「…………」
エルクリムトの紫眼が肩越しに背後を探り、その横顔に滲んだ苛つきと葛藤を読んだラディオが、嘲る。
「お前が行けばあっさり解決だ。お前はその気になれば邪魔者をすぐに殺せる。作戦を台無しにしようとしている俺たちを」
「…………」
エルクリムトの長剣を握る指先に、僅かに力が籠もった。
「でも」
ラディオは息を継ぐ。
「行かせねえけどな」
そして限りなく静かに、術剣を開いた。
基本的な薄青の細刃とは異なる、深い青の平滑な光式。更に漆黒の式が入り交じる二種の霊葉がちらつく光刃。そして何よりもそれは『術符を介さずに独力で形成するもの』だった。
「……お前、
手札を曝け出したラディオへ向き直ったエルクリムトが訝し気に目を細める。
全く異なる思索や術式と潜在的認知を並列処理する展開方式。その難易度は――乱暴に例えるなら、右手で明日を、左手で昨日を記すようなもの。
従前より一部の術士によって用いられていたが、およそ感覚的であり過ぎるがため、常用に足る理論化には未だ至っていない、クオリアの一種だ。
――それだけのものを術符の補助無しで発現するとは。この男、本当に、本当に……面白い。
エルクリムトがまるで理想の玩具を詰め込んだ宝箱を前にした子供のように身震いして、それにしては醜すぎる笑顔を浮かべる。最高に壊しがいがある。主神アトリアよ。この
「良いのか。脳が焼けるぞ」
「持久戦向きじゃないことくらい判ってる。ただ今はもう少しお前の足止めを――興味を引いておきたい。ほーら、これ、面白そうだろ?」
ラディオがまるで子供に玩具を見せつけるように、揺らぎ散る光刃を揺らしてみせる――いや、比喩ではなくまさにそのつもりでやっている。
「馬鹿にしているのか――」
「バカにしてんだよバーカ。熱を噴くのは勝手だけど延々と喋りを垂れた挙句一人で納得して自分だけが何もかも判っていますみたいなツラしてんじゃねえ。大体、初対面でキモいんだよ」
「判っている。そうやって煽りながら探っている」
「もちろん。てめえの頭に血が昇るのを待ってる」
―――――――――――――
「龍縛錨ばかりに気を取られるな!最低二名は龍自体への攻撃を優先しろ――」
「結界士を狙え。あの女の防壁さえなければ確固の防御は脆弱だ!」
優先目標を完全に見失いつつある騎士たちの怒号が飛び交う。
旅星龍に対応にすれば『蜂』が。
『蜂』を相手にすれば旅星龍が。
片方へ意識が向けばもう片方にやられ放題。どちらへも集中できず、同時に対応しようとしてもただ後手に回るだけ。いつの間にか、守勢を強いられているのは『秘匿特務隊』の方になってしまっていた。
―—たかが学生に毛が生えた程度の連中相手に……!
そんな焦りと屈辱。
「……エルクリムト!何をしているんだ。あなたならこんな雑兵、一息に撫で斬りにできるはずなのに……!」
残りの龍縛錨は二つ。尚も暴れる旅星龍を挟むように繋がる光鎖はまだ耐えているが、構築を保つ光式は危うく散り、欠け始めてもいた。
その内の一つを死守しようと構えていたロプタが、猛火の向こうで立ち尽くす『隊長』の後ろ姿を見つけて呻いた――誰と対峙している?吹き荒れる煙で良く見えな
い――。
気が逸れたロプタへ、旅星龍が放った術槍が撃ち下ろされる。「………!」
身を捩ったロプタがバランスを崩し、仰向けに倒れる。
そして。
光鎖からの開放で幾分身動きが自由になった旅星龍の――間近で見れば巨大な柱にも想える――前脚がふっと持ち上がり、渾身の力を以て踏み降ろされた。
「……っ!」
その最期を目撃したクーリド・ビーの面々が戦慄する。
彼女は命を狙ってきた敵ではあるにしても、あっさりと下された鉄槌の質量で、その身体がどうなってしまったのかは想像に難くない。ロプタは肉と血の染みと化し――
――てない。
「うぐぐッ……!」
踏み潰されたかと思われたロプタは、少し呻いて、何事もなかったかの様に上身を起こした。
「……あの装甲のおかげか?なんちゅう硬さだ。いったい何で出来てんだよ」
ぎょっとしてほっとしたような、残念なような、不思議なような。ダードフが恐れ入った、という表情をした。そしてなるほど、あの重量にも耐えられる程の鎧なら龍族と真正面からやり合えて当然だと納得する。
だがそれは問題の再確認でもあった。やはり
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます