亜節17項「位相の群像」

 それからの全ては余りに目まぐるしく、一瞬ごとが絶えず変遷する。


『―—―――!!』

 音を遥かに凌駕する鳴動、空震、咆哮を上げた旅星龍を取り囲んでいた『騎士』たちは、一斉にそれぞれの得物を――槍斧を構えた。


 しかし四名の騎士たちはすぐに仕掛けるほどに愚かでもない。まだ幾つか残る龍捕錨りゅうばくびょうで龍の”全力”を抑え込んでいることもあり、この龍がどんな能力を保有するものなのかも未知数。じりじりと間合いを詰め、攻撃の機を伺った。

 

 ――『トラエヴストル』は、思い通りに術翼が開かないことに戸惑い、警戒している様子だった。周囲を取り囲んでにじり寄る人間に怯え、後退りたくて堪らないように身を捩って――。


――――――――


「何がどうなってやがるんだ。つまりこいつらはどこぞの秘密の特殊部隊か何かで、俺達を皆殺しにしようって訳か?」

 苦虫を噛み潰したようなダードフの呻きは、皆の混乱の代弁だった。


「いいや全員じゃないさ。運が良ければ一人か二人は助かる。こいつらだって俺達が持ってる情報を知りたいはずだから――」

 ラディオの声が沈んだ。運が良ければ――というのは多分間違いだ。この手の連中相手に”生き残る”のは、むしろ最悪かもしれない。


 ただ一つ、紛れもない事実、解決すべき問題は、今、眼前に立ち塞がった三名の騎士がクーリド・ビーの面々を逃すつもりはない、という一点のみ。


「つまり――」ダードフの顔が歪む。

 ――逃げる?


 いや無理だ。こいつらは俺達の退路を断つ様に前に立っている。訓練されたプロの動き。どうする?背後の宿に飛び込んで裏口から逃げ……いいやあのボロ宿は狭すぎる、ラディオが言う通り、逃げられてもせいぜい一人か二人。それに宿ではまだスラーテアばあさんがまた呆けてやがるだろう。ならば俺だけでも……逃げるだなんてそんな卑劣な真似できるか。舐めんじゃねえぞ。正体は知らねえが、やるっつうのなら受けて立ってやる。待てよ?これってさっきのジターニ商会の連中の台詞じゃ?なんだよ結局俺も奴等と同じ穴の貉か。立場が違うだけ――


「―—何笑ってんのよ。レン」

 忍び笑うダードフの背中に、アーリが囁いた。

「余計なことを考えてる時間はないわ」


 アーリの言う通りだ。ほんの僅か許された思索の束の間。エルクリムトの手合図ハンドサインと共に、その両翼を固める二人の騎士が重厚な槍斧を突き付けた。


―――――――――――――――


 旅星龍の背後を取った一人の騎士が動いた。


 側方後面から射程に侵入したところで槍の先から鋭い光穂を放ち、龍の背を狙う。彼等が用いる武装は単なる武器ではなく、龍を葬るための義器と言えるものだ。


 その突光は先程の”狙撃”で剥がれた龍の体表結界の数層を砕くも、本体へは至らず。

『―—――!!』


 身じろいだ再び龍が咆え、周囲に膨大な攻性法術陣が広がった。その光閃は広場の空中に円輪となって散り、次の瞬間、広場を取り囲む建物が続々と、連鎖的、断続的に爆発、炎上する。


 その凄まじい爆風と光圧に騎士たちは腰を落とし、防御態勢を取る。


―――――――――――


「……っ!」

 クーリド・ビーの者たちも迸る光と熱から身を庇い、そして青褪める。もしやまだ逃げきれずにいた住人たちが巻き込まれていないことを祈る――しかし、確かに、間違いなく、少なくない悲鳴が爆炎の向こうで上がったのを聴いた。


 ――が、その動揺を機としたエルクリムトの部下二人が槍撃を仕掛けてきた。


 その跳躍速度は重装備にも関わらず一般的な術剣士にも等しく、素早い。そして鋭どい槍の突き。更に術的拡張性による威力強化、射程延長。

 即応したヴェルの”結界”がなければ、先頭で身構えていたアクゼルとダードフの胸には大穴が開いていたかもしれない。即席で構築した術式防壁は槍の一撃に耐え切れず砕けたものの、勢いを削がれた穂先をアクゼルは剣で逸らし、ダードフは身を翻して躱す――槍光はその背後に居たアーリへ――しかしアーリも既に動き出していた。  

 全面兜フルフェイスの弱点は視認性の悪さと、可動域の狭さ。横へ横へと回り込めば目だけではなく首、肩、そして全身で追わざるを得ない。そうすれば更なる死角が産まれ、他の角度からの攻撃を与える隙を――捉えたダードフの”ワイヤー”が騎士の背後から打ち付けられた。それは確かに騎士の背に直撃した――が、騎士たちの白鋼の装甲にもある種の術式防壁が施されているらしい。僅かな光式が散り、そして赤色のマントが僅かに破れただけだった。


「またこれか!!」ダードフが嘆き叫ぶ。

 例の『本の巨人』ほどではないにしろ、またもやクソ硬い相手とやり合う羽目になってしまった。だから苦手だっつってんだろ!


「っ……!」

 ダードフの追撃をアテにしていたアーリが、跳ね迫ろうとして急制動を懸けた。怯んだ隙に次の一手を狙っていたのに――逆手に持った一対の短剣に付与した光刃も消える。

 

「ちょっと!全然効いてないじゃない。アンタのそれどうなってんの!」 

「うるせえ俺はガチのどつき合いは専門じゃねえんだよ!」



「やっかましいなあ……ま、いっか、さっさと済ませちゃお」

 怪訝な仕草をした騎士―—近衛騎士エル・クジェナンが、いかにも軽薄そうな調子の、少年のような声で独り言ちた。


―――――――――――――


 猛炎と煙に覆われた広場で繰り広げられる黒龍と白装の騎士の戦いは、さながら神話か寓話の一場面にも等しく、苛烈になっていった。飛翔を封じられた龍に襲い掛かる騎士たちが振るう龍葬の器はその威力の多寡とは無関係に、不落と思われた体表結界を次々と砕いていく。だがやはりF/III級の膨大な霊基を破るまでには至らず、致命的な一撃を入れられずにもいる。


 龍は群がる者たちを追い払おうと、咆哮を模した所作―—つまりは『炎を吐く』ようにして構築した霊撃射出機構を以て発現した『炎雷』や、術翼の不完全な応用系である翼槍で対抗していた。

 しかし龍捕錨での発現性の弱体化に加え、対法術への耐性に優れた騎士たちのサーメット製の装甲の防御力は恐ろしく高く、今のところは優劣は拮抗し、互いに攻め手をこまねいている――


 水平に薙がれた龍の尾が騎士の一人を直撃し、重装甲ごと軽々と吹き飛ばされた。


 宙を舞った騎士の身体が、アクゼルとヴェルが対峙する幾分小柄な騎士との丁度中間の地面に落ち、転がって――。


「―—ヴェル、逃げろ!」

「いいえ絶対に逃げたりしない!この人たちを止めなきゃ!」


 小柄な騎士が多少驚いた様子を見せ、その一瞬の間隙に叫んだアクセルだったが、ヴェルは不退転の覚悟を決めていた。 

「あの龍は敵じゃない。説明できないけど……判るの。こんなのは間違ってる。お願いだから、私を信じて」


「止めるっつったって」

 アクゼルが言い淀む。確かにあの龍を助けたいという気持ちも判る。しかしそんなのは自分たちの仕事ではないはずだし、こんな得体の知れない連中と争い、身を危険に曝してまで為すべき使命でもない。このような格上が相手なら尚更だ。


 世の中には道理が通じない連中がうようよといる。結局、力を持つ者が場を統べる。アクゼルにはそれが痛いほど判っている。


 ヴェルは甘すぎる――しかしそれは、いつだって正しい。


「……判った。援護してくれ」

 アクゼルも腹を括った。ヴェルが願うなら、その助けになれるなら。

「ありがとう。でも約束して。例え敵でも、殺すのは駄目」

「そりゃ難しい注文だな」

 ――やはり甘い。それにちょっと我儘だ。アクゼルは薄ら笑った。  

 


「……逃がさない。邪魔もさせない」

 二人に対峙する『小柄な騎士』―—エル・ク=ロプタの全面兜サーメットから少し掠れた、無機質な女性の声がした。


 その傍らで、龍に弾き飛ばされて倒れていた騎士がむくりと起き上がる。

「大丈夫か?ボアネロ」ロプタが振り向かずに問う。

「ああ。そのガキ共は?」騎士が立ち上がった。

「見た通りだ。それよりも貴方はあの龍を」

 騎士はロプタに無言で頷き、また広場の中央へと跳ね駆けだした。


「女……?」アクゼルが眉を吊り上げる。

「だから何?」ロプタが槍を振り上げた。


 すると足元から幾つもの柱の様な、槍を模した光撃が立ち上がり、アクゼルとヴェルへと向かっていく。既に破壊し尽くされている石畳の残骸が更に粉々に砕け、散って――しかしヴェルが扱う織物の様な術壁はそれらを全て、難なく弾いて掻き消した。


「……鉄壁の護りと無頼の剣。いい組み合わせだ。楽しめそうね」


 煙とつぶてを切り裂くように、赤熱の剣をひと振りしたアクゼルの姿を認めたロプタの囁きが、少しだけ熱を帯びた。



――――――――――――

 

「部下の相手は定まったようだな。つまりお前たちの相手は俺になる訳だ」


 交戦に入ったジェナンとロプタを横目に、エル・ク=リムトがまた朗らかに言う。その表情は確かめようもないが、確かに笑っている。


「…………」

「……!」

 ラディオが無言で立ち尽くしたままエルクリムトを見据える一方で、法術の履行体勢を構えたシィバの視線は揺るいでいた。

 炎と煙が吹き荒れる広場。中央で戦う龍。攻め立てる騎士。焼け落ちていく家屋、お互いを支え合いながら逃げ惑う住人。戦う仲間たち。眼前の敵―—。


 その時。


「な、なんだこりゃ……!何か飛んで来たのが見えて、すげえ音と光がしてるからどんなドンパチが始まったんだと様子を探りに来たら……!?」

 広場の向こう側から、ついさっきまで聞いていたような気がする素っ頓狂な声がした。


「兄弟。見ろ!龍だ。戦っているのは皇冠騎士団……と『ハチ』ども……?」


 逃走したかと思われたジターニ商会の一味が、戻ってきていたのだ。

 その理由はご親切にも全部自分で言ってくれた。


 彼等は戦場と化した広場の異様な光景―—当然、彼らも初めて見る龍の姿に驚き、それと闘っている騎士団を警戒し――そしてその騎士と、ついさっきまでやり合っていた『ガキども』が戦っていることに困惑する。


「……!」

「…………!?」



「あんのバカたち、なんで戻ってくんのよ……!」

 迫るジェナンの槍から逃れたアーリが歯噛みする。

 この混乱にまた更なる厄介ごとを持ち込んで来るなんて。


「いいや、あいつらは……!」ダードフが呟いた。

「奴らだってそれくらいは……!」アクゼルが。

「お願い、今はあなたたちしか……!」ヴェルが。


 騎士を相手どるクーリド・ビーの面々は半ば祈るような気持ちで、炎と煙の向こうで狼狽する、マートン兄弟を始めとするジターニ商会の呆然とした表情を見つめた。


「……?……!……!!」

 当惑するジターニ商会はやがて、広場の方々で動けずにいる住民たちの姿に目を留めた。そこには、焼け落ちた木材に行く手を阻まれる者、怪我人を運び出そうと支える者、炎や煙に巻かれつつあり、泣く子供たちを庇う親たち――突然の事態に狼狽えて、怯える市井の人々の姿だった。


「…………!……!!」


 その葛藤は刹那よりは長く。逡巡よりは短かかった。


「……野郎ども。住人連中を避難させるぞ。家屋に残されてる連中も一人残らずだ!」

 アニー=マートンが大仰な身振りで叫んだ。


「兄貴、いやでもそれは……」

「うるせえ、やれっつったらやれ。これもジターニ商会の業務の一環だ」

 オットー=マートンが有無を言わさず唸る。

 

 規模を増したシンジゲートは大抵の場合、地域に浸透するために様々な慈善事業を展開するものであり、ジターニ商会も例に漏れず――それは単なる印象操作、偽善。更なる悪行の隠れ蓑とは言えども――時に善行をバラ撒くことも仕事の一つ。当然、こういった事件事故、災害時の救助活動のノウハウも(下っ端であればあるほど)共有しており、法皇庁や皇冠騎士団が安易に介入できていない大きな理由だった。


 そしてそれ以上に、小悪党にも譲れない矜持がある。


「いくら何でもこの状況でカタギをほったらかして逃げるほど堕ちてたまるか。なあ兄弟」

「ああ兄弟。それこそジターニ商会のカンバンに泥を塗ることになる。いくぞ野郎共!」


 わっと散ったジターニ商会の一同が、炎を掻き分けて住人たちの下へ駆け寄っていく。些か乱暴な救助が始まった。

 その闖入には騎士たちも当然気付いてはいたものの、荒れ狂う龍への集中を切らす訳にもいかず、看過せざるを得なかった。


「……見直した。なかなかいいとこあるじゃん。ごめんね、散々酷いことして……!」

 一部始終を横目で見届けていたアーリが、複雑な笑みを浮かべた。

 

 

―――――――――――――――――――――


「……茶番だな。まったく、賤民の考えることは読めない……それが面白いところだけどね」

 ジターニ商会の介入を鼻で笑ったエルクリムトの口調には、その言葉の裏腹の苛つきが滲んでいた。


「…………」

 エルクリムトの一挙手一投足、一言一句、そして広場での事態の推移を伺っていたラディオが、徐に口を開く。


「シィバ、宿にはまだスラーテアさんが居る。裏口から連れ出してあげてくれ」

「!?しかし……」


 シィバはラディオの後頭部、エルクリムト、街の様子、背後の宿の入口へ次々と意識を移し、最後にまた銀髪の男の、観えない表情に応えて頷いた。


「……判った」

 シィバの技能は、こういった乱戦では役に立たないどころか、更なる混乱と致命的な被害をもたらす恐れすらある。それは誰よりも自分が――もしかしたら彼の方が正しく理解している。この条件では、自分の方が足手纏いだ。

 それにラディオはシィバの前で”本気”を出したがらない。互いが互いに隠したい事があるのを、互いによく知っている。


 シィバは素早く従い、エルクリムトを警戒しながら二、三度後方に跳ね下がって身を翻すと、降りしきる火の粉を浴びて火の手が上がり始めた安宿の中へ飛び込んでいった。


「…………」

「止めないのか」

 シィバの離脱を何もせずに見送ったエルクリムトへ、ラディオが問い掛けた。


 エルクリムトはまた小首を傾げるような仕草をする。

「正直に言うと、俺にとってこの任務は割とどうでもいいんだ。立場上、冷徹な指揮官を演じないといけないだけでね」

 その口調はまるで世間話をするように軽い。

 

「随分とぶっちゃけるんだな。それも打算の内なんだろうけどさ」


「面白そうな遊び相手を見つけただけだよ」 

 エルクリムトの無機質な仮面が、銀髪の優男の風体を吟味するように動いた。


「……俺には判るぞ。その空色の眼が常に何かを探っていることを。お前はずっと観察している。俺たちが正規の騎士師団ではないことに最初から気付いていただろう。それでもお前は黙っていた。お前はたぶん――そうであってくれると嬉しいのだが、俺と似ている」

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