亜節16項「Close Encounters of the Third Kind.」

「さあて聞かせてもらおうか、お前らの情報源をな。誰からこの件を聞いた?」

「し、知らねえよ……。俺たちはただボスからの指令を受けただけで……」


 ダードフが、手近で呻いていた男の胸倉を掴んで無理矢理に引き起こして凄んだ。

 しかし男は、いかにも下っ端らしい、だいたい予想のつく答えを返してきただけ。


「可哀想に。木っ端の悲哀よのう……」シィバが嘆息をつき。

「こいつなら少しはマシかもな。一応はリーダーなんだろうし」

 ラディオは、鼻血をぼたぼた垂らして涙目で睨み上げるアニー=マートン(兄)の傍に屈みこむ。


「くっ……ひくしょう……覚えへろ。この借りはへったいに返してやるはらな……!」

 鼻を抑えるマートン兄の手には僅かな緑色の光が灯っている。


「あー……、それが済んでからにしようか?」

 ラディオが苦笑した。アーリは(また)やり過ぎたようだ。まともに喋るのもちと辛そうだし、もう少し落ち着いて貰わねば話をする気にもならないだろう。


「待って。私の療術なら、少しは治癒を早められると思うわ」

 ヴェルがおずおずと進み出て、相変わらずの敵愾心と痛みに唸るマートン兄の前に膝をつく。マートン兄の療術はお粗末なもので、治癒の効果は僅かな様に見えた。その痛々しい姿を慮ってたということもあれば、早いところ話を聞き出すための思惑もあると言えばある。

 

 ヴェルは柔らかな緑色の光を帯びる幾何学の花模様を咲かせた両掌を、警戒するマートン兄の鼻へかざす――。

「―—そんな義理はねえだろ、ヴェル。敵に情けを掛けるな」

「……」

 その背後から、険悪なアクゼルの声が響いた。


 アクゼルは両腕を組み、先程まで仲間(ヴェル)に罵倒を浴びせていた敵対者を冷たく見下ろしていた。―—ヴェルは優し過ぎる……いいや、甘すぎる。こういう手合いに慈悲なんて意味はない。徹底的にやらねばつけあがる。そして面子の為なら何でもする。いずれ報復を企てる――。


「……」

 すう、と息を吸ったヴェルがぱっと振り返り。


「そもそも、アクゼルくんが問答無用で殴りかかったのが原因だと思うの!!」

「皆も皆よ!!好き勝手に暴れたい放題!ここぞとばかりに……私もだけど……ううん、とにかく!みんなで反省しなさい!!」

 今日一番の大音声が爆発した。


「うっ」

 アクゼルが怯み。


「まあまあ、ヴェル……済んだことだし?てゆーかさ?ヴェルも結構ノリノリだったじゃん?」

「…………」茶化すアーリを睨んだヴェルの顔は真っ赤。図星半分、お怒り半分。

「うん……ごめんなさい。やりすぎました」

「なら、あなたも他の人の手当てを手伝いなさい。いいわね?」

「ええと――」

 戸惑うア「いいわね?」


 その”お説教”の威圧に、宥めようとしたアーリも一歩後退った。


 

―――――――――――――――――――――――


 これでようやく一段落。


 乱闘の決着を知った街の住人たちが、ちらほらと戻って来ていた。

 広場のあちこちには倒れて呻くジターニ商会の下っ端。無惨に壊されめくれ上がった石畳、装備や荷物の残骸が散らばっており、住人は皆一様に「どうしてくれんだこれ……」という顔でひそひそと囁き合っている。


 それはそれとして。


「そういや、何でヴェルとアーリが……?」

 ラディオはファスリアで銃後を担っていたはずの仲間がこの場にいる不自然さにようやく思い当たった。ただ、当の二人は『犠牲者』の手当てで忙しい様子。というか今は自分も手伝わないとヴェルに怒られそうだし、その話はその後で――。

  

「…………?」

 ラディオはふと、先日と同じように、遥か遠景を見つめているシィバの横顔に気付く。


「またか、今度は何を見つけたんだよ?」

 それは景色を慈しむ様に細めた目ではなく、訝しむように凝らしている目だった。

「……シィバ?」


「……あれは……何だ?空の一部が歪んで……いや、色が……?」

 シィバはぶつぶつと呟いていた。


 ラディオもまた、同じように空の彼方を見る。

 

 シィバが感じているらしい違和はラディオには捉えられなかったが、その代わりに目撃したのは、一つの影。


 山々の稜線をなぞるように飛ぶ影は、夥しい規模の光跡を引き、青空を貫いて。その飛跡ひせきが放つ、幾つもの波紋が散っていく。


 高まり、近付く共鳴音に、その場の一人、また一人と空を見上げ、一人、また一人とその正体を探り、一人、また一人と事実を知る。


 少ない羽撃きの度に散る星屑のような光片。白昼であるにも関わらずはっきりと視認できるほどに青く閃く飛翔術式―—それら全てが、その場の誰もの目を奪った。



 ――凄まじく、美しい。


「……龍……」

 誰かが畏怖に駆られた声をあげた。


「……なあ誰か、そうじゃないと言ってくれ、冗談じゃねえぞ。あの軌道はまさか。まさかだよな。まさかじゃねえよな」ダードフの呟きは、祈りに縋るように掠れて。


 しかしそのまさか。大きく弧を描いた光跡はその鋭い飛翔術式の閃光、炸裂音と共に、明らかに加速して、獲物を見定めた猛禽の如く、こちらに向かってきていた。



「やばいぞ、皆、ここから離れ――」

 ダードフが叫んだ――

 ――ジターニ商会の面々は、少なからずの負傷にも関わらず、全員がさっさと起き上がり、すたこらさっさと逃げ始めていた。どこにそんな体力が――逃げ足の速さは評価したい――いや、それならそれでいい。問題はパニックを起こした街の住人たちだ。宿の入口には恍惚と見上げているスラーテアがぼけっと突っ立っている。


「おいばあさん!離れろ、アレはまずい。明らかに……ばあさんよ、聞いてんのか……おいコラ、ババア!!」


「ちょ、どうしよう。私たち、どうするの!?」

 アーリが周囲を見回す。どよめき、混乱する街の人々がそれぞれ家に隠れたり逃げたり。通常、この様な場合は避難誘導を補助するのが規定、義務だ。しかしこんな状況で――思索を巡らせる間も無い。龍の飛翔速度は逡巡の間隙すらも許さなかった。


 降下体勢を取った龍の光翼が器械的に変形していく。術翼発生器官たる『翼』から放出される術式光が龍崇翼賛教会の尖塔の先端に触れ、尖塔は積み木の様に激しく破砕されてばらばらと散る。


 そして龍は、今は空っぽになった広場のど真ん中に、その巨体には似つかわしくない程に静かに鮮やかに、華麗に、滑り込むように着地した。


 姿形の特徴は一般的に想像されているであろう龍と概ね一致する。体長はそこらの家屋程もあり、恐らく十一エルタほど。翼長は倍はあるだろう。刺々しい爬虫類的な角、爪、牙。ガラス質を思わせる滑らかな鱗に覆われた体表は基本的に黒く、銀と濁った白で彩られていて、何処となくしゃちを思わせる彩色パターンだ。



 逃げ損なったクーリド・ビーの面々は周辺の石垣の影に飛び込むのが精一杯だった。(因みにスラーテアは龍の着地直前でダードフが宿の中に強引に押し込んでおいた)これほどまでに身が竦む理由が、ティムズから託された書類にあった『高位の龍特有の威圧感、畏怖』であることは既に知っている。しかし今はそんな知識など比べ物にならない実感を、誰もが肌で、心で感じていた。


 今まさに目の前にいるものこそが、未知の法術式で生体学的な制限を超えた推進力と挙動に拠る飛翔を可能とし、様々な現象を司る高位霊獣―—F/IIIクラス。




―――――――――――――――


『グルルルッ……』


 F/III-第二種四項「旅星龍トラエヴストル」は低く唸りながら首をもたげ、周囲の様子を観察している様子。幸いにも蜘蛛の子を散らすように逃げ去った住人たち、そして周囲の物陰で息をひそめるクーリド・ビーの面々に気付いている様子はなさそうだ。


「全員、動くなよ……」

 石垣だか柱だかのどれかが囁いた。それが龍に対してどれ程の効果があるのか根拠もクソもないが、こういう時はそうするものだ。


 だが、龍はまたひと唸りすると、畳んだ「翼」を舐め始めた。それはまるで長旅を共にした仲間を労わるように。ようやく休めることに安堵したかのように。その穏やかな表情と仕草は――そうであってほしいという願望ではあるが――思いのほか”リラックス”しているようですらある。


 だがそれも、周囲の者の畏怖や緊張感を完全に拭い去るものではない。


 柱の影に隠れた誰かが言う。

「参った。手掛かりどころかそのものが飛んで来るだなんてなぁ……」


 石垣が憤慨する。

「笑ってる場合かタコ。どうする?接近遭遇プロトコルではとにかく接触を避けろとしか決められてねえぞ」


 別の石垣から二人ぶんの声。

「あの龍は一体だけじゃないわ。下手に刺激したら仲間が集まってきて……」

「―—それはそれはとんでもないことに。どうなるかは考えたくもないわー」

 後者の声が少し小さくなって。

「さっきのヴェルの大声に反応したんじゃないの?」

「そんな馬鹿なことっ……!……あるのかしら……」


 その近くの何処かから声がした。

「その線で言うならば、儂等が派手に法術戦をやらかした所為であろうな」

 

「龍はそういった類の異常、乱れ、揺らぎに敏感だと書いてあったし」

「シィバさん何処に隠れてんの……?」

「ふふふ、お主らのすぐ後ろで先程の連中が逃げ捨てた天蓋の下に潜り込んでいるのだ。どうだ見事だろう」

「ふざけてる場合じゃないでしょ!」

「……いや、恐らくは平気だよ。あの龍はそこまで危険な者ではないと思う。ただ――」


  

―――――――


 ―—作戦開始。


――――――――


 突然、街の路地のあちこちから出現した十数本もの光の鎖が鋭く伸びて、隙だらけの龍の四肢へ絡みつく。


「ッ!?」

 その直後、広場に隠れているクーリド・ビーよりもずっと巧みに、そして恐ろしく巧妙に、それまで街の隅々に潜んでいた者たちがざわざわと、蠢く蟲のように湧き出して来た――七名の『騎士』だ。


「皇冠騎士団!?」

 その重装備を一目みたアクゼルの顔が強張る。


 洗練された白鋼のフルプレートアーマー。顔を完全に覆い隠した全面兜アーメット。軽装と機動戦を旨とする術剣士とは一線を画す、重厚な鎧と剣で正面戦を担うファスリア正規軍における純然たる戦闘単位だ。


『クオオォォォッ……!』


 龍は藻掻いた。しかし対龍兵装の不意打ちは完全に龍の体躯を封じており、僅かに身じろぐだけに留まる。数名の騎士たちは術鎖の先端に連結された杭のような鉄器を地面に次々と突き立て、捕縛を更に強固にしていった。


 ラーガストン龍縛錨りゅうばくびょうと呼ばれる対高位龍戦に特化した龍器は、龍礁事変の後、各地へ散逸した龍の捕縛を目的にファスリア理術局が独自に開発したものだ。従前の簡素な術縄に改良を加え、結界を模倣する『いかり』を地面に穿つことで対象の術翼や体表結界の生成などを阻害する効果を発揮する。


「それにしても……」アクゼルが独り言ちる。

 ――用意もタイミングも、都合が良すぎる。



 F/III龍の行動不能を確かめた一人の『騎士』が、唖然とするクーリド・ビーの面々に歩み寄ってきて(恐らくは)朗らかに笑った。

「さあ、もう安全だ。出ておいで」

「余計な邪魔を排してくれて感謝する。おかげで我々の任務に集中できる」


 他の騎士たちと同様の白甲を身に纏っているせいか、背はだいぶ高いように見える。兜から漏れるくぐもった声から察するに、だいぶ若い――少なくとも二十代―—の男なのだろう。


 その声調は滑らかで、爽やかで、何処か心地よい、穏やかな響きだった。


「君たちはクーリド・ビーの所属だね?あとの始末はこちらで済ませる。一応、念の為にこの場から離れておいてくれ」


「助かった……」

 畏怖と緊張から解放された面々は口々に安堵を口走り、物陰からよろよろと立ち上がる。九死に一生だ。突然の飛来もさることながら、まさかここまで強力な龍だとは予測してなかった。しかしこの騎士団は完璧なタイミングで現れてくれた。まるで全てを予測していたかのように――。


 ―—完璧すぎる。


 それに装備も万全だ。あんな龍をあっと言う間に捕らえ――。


 ―—捕らえて、その後は?

 ―—そもそも、皇冠騎士団が間に合うはずはないのでは。


「貴方たち……」

 ヴェルの声が震え始め。

「……あんたたちが」

 アーリは確信していた。


 この『騎士を装う者たち』こそ、ティムズ達がずっと警戒していた勢力だ。

 


―――――――――――――――――



「どうした?二人とも……」

 シィバが、青褪めたふたりの様子を訝しむ。


 先程までの龍への畏怖よりも怯え、距離を取ろうとじりじり後退るヴェルとアーリを、他の面々も不思議そうに振り返る。


「…………」

 ヴェルとアーリは応えない。

 ――この者たちの存在をダードフたちに警告するためにレーテマルドまで訪れていたのに。余計な連中ジターニ商会のせいで気を逸らされてしまった。しかし、それすらもこの『騎士ではない者たち』の目論見の一つだと思えた。雑多な事実で真実を巧妙に覆い隠す方法を知っている者たちだ。

 

 その一方で。

「アンタら、どこの所属だ?その装備……」

 徒士かちとは言え一応は軍属の末端。騎士師団の編成や装備には明るいアクゼルの目が『騎士』たちの装備をあらため、声を低くしていく。


「……それに、その隊章。王鶏騎士師団は首都の治安維持を担う部隊だ。こんな場所で、こんな任務を担うなんてあり得ない。てめえら、一体何だ?」


「……!?」

 アクゼルの言葉に、他の者もまた緊張し、空気が張り詰める。


「…………」

 疑いの目を向けられた『騎士らしき者』は小首を傾げ、そして何事かを言おうとして、結局諦めたように、わざとらしく溜息をつくような仕草をする。


「……これだから擬装にも予算を割けと、常日頃から進言していたんだ」


 男の何かが変わった。

 それは滑らかで、爽やかで、何処か心地よい、穏やかな物言い。

 ただ、ひたすらに冷たい。


――――――――――――――――――――


 クーリド・ビーの者たちが警戒するようにそれぞれ身じろいだのと同時に。

 

『グオオォォッッッ!!』

 完全に抑え込まれていたかに見えた龍が、口元を封じていた術鎖を弾き飛ばすと、轟くような咆哮を上げ、四肢を絡め取っていた術鎖の数本を噛み千切り始める。


「所詮は戦時中の骨董品か……。やはり生け捕りは無理だな。各員へ告ぐ。作戦甲は中止、作戦乙へ以降する」

 広場中央を振り返った『騎士』が舌打ちし、呆然とするクーリド・ビーの戦慄などまるで無視するように、仲間への伝信を送った。


『―—了解。座標演算。誤差修正……完了。射出指示を請う。いつでも撃てますよ、エルクリムト』

 切れ切れの掠れた応答が『騎士』の兜から漏れる。兜に内蔵された伝信機構のようだ。


「これから使うのは、最新の法術理論で造られた術弩の発展形。もちろん楊空艇の主砲には及ばないが……と、言っても君達には判らないか。まあ、なかなかの見物だ。折角だからご覧にいれよう」

 クーリド・ビーにまた向き直った『騎士』―—エリクリムトの声は何処までも静かで。しかし何処か楽しんでいるようで。


 そして小さく。

「撃て」

 呟いた。


 街全体を見下ろす丘の斜面から一閃。


 エルクリムト率いる秘匿特務隊の部下の一人が、狙撃用の光砲を携え、広場を狙える位置に潜んでいた。


 その一撃は落雷の如く、一瞬、景色を全て白く染め上げる。


 街の上空を裂く、ぴんと張り詰めた光糸の切れ切れの瞬き。半固定式の光術砲から放たれた狙撃の光筋が、龍の頭部を直撃して――


 ―—しかし、術鎖の幾つかを噛み千切ってその影響から脱したF/III龍の周囲には、高位の龍が生来生まれ持つ防壁、体表結界が発現していた。

 

 夥しい数の表象、六角形や円などを現した凄まじい術式防壁が走り、光閃の威力をほぼ完全に相殺する。代わりに散ったのは恐ろしく複雑な図案の波紋だった。


「……ちっ……!」

 『騎士』が大きく舌打ちする。


 明確な攻撃を受けたF/III『旅星龍』の体表結界、そして術翼の様式が変化していく。飛翔ではなく攻撃を目的とした爪、槍、剣―—その何れか、或いは全てへ。


 龍は周囲の群像を、自身を脅かす敵だと認めたのだ。



「……!?……!!」

 状況に翻弄されるクーリド・ビーは一歩も動けずにいた。


 ―—いったい何が起きている?こいつらは何だ?

 ――どうする?

 ――どうすれば?

 ―—どうすべきだ?

 

 混乱するクーリド・ビーを尻目に、『秘匿特務隊』エルクリムトは尚も冷静に、仲間への指示を下していく。

 

「作戦要項を前倒しだ。皆、全龍葬戦器りゅうそうせんきの開放と無制限使用を解禁。全力で対象を殺害だ。だが想定以上に手強い。注意を怠るなよ」


 そして、必死に思索を巡らせるクーリド・ビーに向けても『作戦の前倒し』を、冷酷に告げた。


「ついでにもう一つの作戦を済ませておこう。ロプタ、ジェナン。手を貸せ。目撃者を始末する。こいつらは知るべきでないことに勘付いた」


 その声は滑らかで、爽やかで、穏やかで心地良い。

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