亜節13項「パラグラム」

 極所的な決定論の歪み。結果のために目的がある。過程が結末へ辿り着く。手段が現象に変化する。人は応える。積み上げていく。自由因子の逆流。非現実性の増加。散りばめられる虚構。現実は破壊されていく。現実は侵されていく。現実は変わり果てる――。


 誰が、何の為に?


―――――――――――――――


「法術とは現実性エントロピー縮退における認識確率分布を恣意的に拡張する、一つの方法論だ。情報不足に比例した不確実性を含む、現実レベルへ作用する虚構性の全ての要因をモデル化するための確率変数、より正確には仮定の霊葉を用いることで成り立つ事象の遡及的顕現を伴う」


「要するに世界は、判らないものは判らないものままとして、それらを『埋めうる』仮定の言葉や認識で成立している。それらを正しいもので補完すれば世界はより現実に近付いていくし、不足すればあらゆる法則が自壊していく。『正しくない』ものであった場合、世界は未知の現実―—非現実。虚構、といった曖昧な定義に支配されていく。これはある時点、あるイベントによって左右され、やがて決定される――」



 人目を避けるために手近な教室を見つけたヴェルたちは、書類の封述を再び開いたフェイが複雑かつ膨大なサイン図案グリフがひしめく術式陣の間をうろちょろ、興奮気味に熱弁する姿を目で追っていた。


「ねえ、盛り上がってるとこ悪いんだけどさ、そーゆーややこしいのはよしてくんない?……もっとこう、フツーの人間にも判るように言いなさいよ。端的に」


 十五歳のガキの難解な用語の羅列は、ヴェルやアーリにはさっぱり――断片的に何を言いたいのかは判らなくもないが、それは法術理論とはまた少し違う、ひねくれた哲学の領域だと思える。


「―—つまり、龍は現実性を破壊することで生きている。言い換えればエントロピーの綻びを喰らう者、更に言えば非現実性―—可能性の守護者。龍脈とは非現実性の無意識集合体が創る複合次元。もしかしたらそれそのものが知性を保有する……いや、それは良い。とにかく、龍が存在するという事実そのものが一つの奇跡なんだ。俺たちの可能性なんだ。俺たちの辿ってきた道だ。標だ。その喪失は、過去や未来にも波及する」


 フェイは全く聞いてない。熱に浮かされている様でもあった。


「それは前提でしょう。それで結局きみは、何を言いたいんですか?」

 唯一、フェイの論述に食らいついていたイータが口を挟んだ。フェイは往々にして、ある特定の結論に至るまでに長々と語る悪癖がある。

 時に衒学的とも思えるその言語回路は一体誰に似たというのか。親が一体どんな教育をしたら、こんな理屈っぽいガキに育つのだろう。


「あ、ああ……うん、ええと」

 フェイは指で額を抑える仕草をする。


「これは、ファスリアが……デトラニアも?……法皇庁がある程度の事実を把握していることを示唆している。いや、法皇庁じゃない。しかしそれに近しい組織が。彼らも龍を追っている。何を果たそうとしている?目的までは判らない。ただ、そいつらは手段を選ばない。だからこれらは隠されなければならなかった。そいつらは龍を狙って……どうするつもりだ?法術を飛躍させて、奇跡を起こそうとしてる……?」


「あのねえ!!」

 まーた始まったフェイの自問自答に、アーリが爆発した。

「端的に、って言ってんでしょうが!要点を言ってよ要点を!!」


「ああのののすすすいませせんやめやめめめ」


「アーリ!ちょっと!やめなさい!そんな風に胸倉を掴んで揺さ振っちゃだめ!」

 ヴェルが慌てて止めて。


 嵐を浴びたように紫髪がほつれてぐらんぐらん揺れるフェイの頭部が、ようやく短い結論を絞り出した。


「お、俺たちの他にも龍を追っている者たちがいる。複数の。そいつらは危険だ。あらゆる手段……殺人も厭わない。ラディオたちが真相に近付いているのなら、身が危ない。警告する必要がある」



――――――――――――――



 ティムズが記したのは、龍の本質的な正体と、既知の法術が達成しうる限界についての推論だった。しかし、それも決して明確な答えではない。


 ただ一つ明らかにしたのは、法術が物理法則に干渉し捻じ曲げるものなら、龍の存在はそれそのものが物理法則を置換する――揺らぎそのものだということ。


 龍礁事変は、その過程と結末において、龍脈を媒介にした幾つもの『奇跡』の実在を証明した。


 或いは、世界がそうであるように、または今までもそうであったように、もしくはそうでなくてはならないように、書き換えたのだ。


 その事実を知る者はまだ限りなく少ない。しかし彼らは、奇跡が人の手で起こせるものなのだと識ってしまった。

 そして、それこそが霊葉を用いる法術パラグラムの到達点の一つであり、ことわりの全てを覆す何かを創造できるのだと。

 

 龍は解き放たれた。奇跡は解き放たれた。

 その片鱗を拾い集めた者が、次の願いを叶えられる。


 

――――――――――――――



「―—磁場や霊子に異常は見られない。この土地に特有の要因がある訳じゃねえのかもな。もしくは観測器材がポンコツか、他にもっと調べるべき何かがあるのか」


 ダードフたちはレーテマルド付近に点在する幾つかの湖を回り、幾つかの理術的、法術的な調査を続けている。


 龍崇翼賛教会で発見した幾つかのオブジェクト、また老婦人からの”情報提供”は大きな手掛かりであり、概要は既に学院へも伝えているが、また新たな指示が下るまでの間を使って雑多な検証を進めておくことにしたのだ。


 それは周辺の地質や水質や動植物の棲性など、細緻かつ多岐に渡る。

 但し、その何れも、龍がこの地に惹き付けられる決定的な要因ではないように思えた。


 彼らが目にしているのは、ただ――丘を覆う深い森。樹々を縫うような清流。周囲の山々から注ぎ込んだ雪解けの水を鏡のように湛える湖。

 春を祝福する鳥たちのさえずりと、咲き誇る花々。そのざわめきを謳歌する鹿や森牛たちの群れ。


 連星の戦禍を逃れたこの地には、龍どころか魔性の類の気配や痕跡すら無い。


 戦中から異常発生した魔物の派生種が生まれるのは、概ね法術的な要因で説明づけられている。戦場で行使された禁術が周囲の動植物へと波及し、変容を促す場合が殆どで、国内外の武装組織がその”処理”を担う場合が殆どである。


 そんな危機の兆候もなく――言わばこの一帯は、想定外に、ひどく平和だった。


「やっぱりあの婆さん、ボケてたんじゃねえか……?」


 調査上の懸念の一つは解消された訳だが、それも言わば肩透かし。本来『用心棒』として連れて来られたはずのアクゼル=エイギスにとってはあまり面白くない。

 一番盛り上がったのは調査中に野生の熊に出くわして、面目躍如と言わんばかりに斬り伏せようとするアクゼルを、他の全員で止めた場面である。


「はあ。ここも外れか。いつまでこんな地味な作業を続けなくちゃいけねえんだ……。あの婆さんの話を聞いたときは真相に辿り着けたと思ったのに」


「いつものことだろ。焦ることはないさ。その内にまた何か見つかるって」

「てめえはいっつもやる気ねえな」


 観測術具の一つ―—霊的力場の歪みを計測する木杭―—を次々と引き抜きいていくダードフの三白眼が、悟ったような物言いをするラディオへ「お前のせいだぞ」と言いたげに向く。


「さて、次だ次! 日が暮れるまでにあっちの丘まで片付けちまおう」

 ダードフは苛立ちと焦りに任せ、やや雑に器材を片付けて革袋に押し込んだ。いちいち正規の取り扱いなど続けてられるか。時間の節約だ。例えこの備品がらくたどもがそれなりに値が張る物であってもだ。


「行くぞホラ」

「おう……」

「ああ」

 とっと歩き去ったダードフに、すっかり熱を失ったアクゼルが続いて。


 ラディオも地図を押し込んで、鞄を背負い立ち上がったが。

「シィバ?」

 樹々の間から見える湖を見つめたまま、立ち尽くしていたシィバの背中に声をかけ。


「シィバ」

「……ん。いやなに、折角来たのだから風情を楽しまねばと思ってな」


 シィバはその何の変哲もない森と空と山々と、それらを映す湖に、何かしら思うところがある様子で、立ち尽くしていた。



 ラディオは、シィバ越しに見える景色に目をやる。

 

 それはラディオにとっては何の変哲もない、ただの『自然』だ。

 故あってファスリアへ至るまでの間に、様々な地で、ずっと壮大で神々しい景色を幾つも目にしてきた――つもりだ。それらは時に陰惨な戦場であったり、容易く行われた悪と愚かな蛮行であったりもした。そんなものに塗り潰された世界は、いつしか気に留める程の価値があるものではなくなってしまった。

 

 だが、シィバは時、そんな何気ない光景一つ一つを目に留めようとする様な振る舞いをする。たった今も、ありふれた風に吹かれ、異国の装束が旗めくのを楽しんでいる。


 それはたぶん、ラディオがいつかの何処かへ置き忘れてきた感覚だ。

 その『いま』を真っ直ぐに見届けようとする姿を見ていると、何となく心が安らぎ、そしてほんの少し、騒めく。


「……どうした?」

 返事がないことの違和と視線を感じたのか、振り返ったシィバの横顔を覆う呪帯の奥、異彩の紅眼こうがんと目が合った。

 ……お互いに、出自や経歴を詳しく尋ねたことはない。

 大まかには語りこそすれ、たぶん、いつもの様な冗談交じりの軽口で誤魔化すのだろう。


 そうすることを選んだ者と、そうしなければ耐えられない者。

 理由こそ違えど、ふたりはとてもよく似ている。

 

「俺も少し疲れたし、もう少しここに居るよ」

 ラディオは応えた。


 この感情が、儚い背中が背負う影への憐憫に過ぎないものだとは思いたくなかった。この気持ちはただの憐れみじゃない。絶対に。



 シィバが目を細める。

「もう根を上げたのか。この間の戦いと良い、全くだらしないなあ。もっと鍛えろ」


 口調は冷めている。でもたぶん、悪戯ぽく笑っている。


「……まあよい。まだ先は長いしな」

 そう言うとまた、湖と山々の方を向いた。




 ――風が少し吹き、シィバの白髪はくはつが僅かに散り揺れる。


 手入れなど無意味だととうに諦め、かさついた異質の印は、揺らいだ梢から漏れる光の断片を受けて、月夜を受ける雪のように、仄かに灯った。


 言葉が漏れる。

「……ありがとう、ラディオ殿」

「え?」

「あ、いや、その。ええと……」

 思わず口走ったことに、本人自身が当惑しているように上ずって。


「その……連れて来てくれて」ようやく探り当てたものを呟いた。


「ああ。……うん。こちらこそ」

 淡然としたラディオの返事。


「お主がまた儂を名指しした本当の理由は判っている……たぶんな。それが当たっていると儂も嬉しいのだが」

「たぶん、当たってるよ」

「……答え合わせをしてくれるか?」

「どうかな。君が必要だと思っているのなら、そうする」


「……それは……」

「……」


 

 言い淀んだシィバの次の言葉を待っていたラディオが、やがて、笑う。

「シィバらしくないな。いつかみたいに怒られると思ったのに。本来なら俺たちだけでやるはずの仕事をこんなとこまで手伝わせるとは何事だ、って」


「……そうだ。儂の助けがなければお主はどーしようもないぐうたらだしな」

 ラディオの軽口に、胸に滲んだ想いを払われたシィバが、思いっ切り皮肉っぽく返してやった。


 その方がやはり自分らしいし、そうすれば疵が暴かれずに済む。


 それに、この臆病さを、この出会って半年近くの仕事仲間で、同僚で、学友の銀髪の男が、確かに汲み取ってくれていると思えるのが少し嬉しくもあった。




 そして、益体もない会話は、がさがさと梢が揺れる音で遮られる。


「―—おい、何してんだ。ダードフがキレてるぞ……結構マジで。早く来いよ」

 なんだかんだで話し込み、遅れている二人の元へ戻ってきたアクゼルが木立の間から現れた。


 そのいつになく神妙な表情から、が本当にマジで怒っているらしいことが伝わって来た。行ってやらねばまた機嫌を損ねるだろう。拗ねるとまたいつもの愚痴を延々聞かされる羽目になる。


「あ、ああ。今行く――」


 はっとしたラディオとシィバは一瞬目線を交すと、ふっと笑い合ってから、割と本腰を入れた速足で、先行していくアクゼルの後を追った。

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