亜節12項「奇跡の存在証明」

「大の男が三人揃って何をしておるのだ。不様な……」

「仕方ねえだろ、だって突然背後にババアが出たんだぞ」

 どうしようもなく呆れているシィバへ、ダードフが失礼極まりない返事を返す。


「俺よりもこの剣術バカに言え。真っ先に剣を抜いて……危うく真っ二つにするとこだった」


「判ってる。反省してるって……その、これは。この件は、ヴェルには……」

「当然言うぞ。バカがババアを殺しかけたって。見てろよぉ、すんげえ脚色してやるからな。それが嫌なら、これから俺の言う事は全部聞いてもらう」

「……っの野郎……!」


 小声で囁きあうダードフとアクゼルがまた脱線していくので。


「それ以上阿保らしいやりとりを続けるのなら、二人ともどもお仕置きだぞ」

 シィバの声が低くなった。恐らく本気だ。


「はい……」「……」

 宣告に男二人は黙った。この白髪はくはつの包帯女は、やるといったらやりかねないし、やれるだけの力を秘めている。



――――――――――――――


「さて、何から話せばいいかね。聞きたいことはあるかい?」

「いえ、先ずはあなたが話すべきだと思うことから聞かせてください。その後で俺達の質問に答えてもらえれば助かる。ええと――」

「スラーテアと呼んでおくれ。ハーバッツさん」

「ありがとう、スラーテアさん」


 宿屋のカウンターでぼうっとしていた老人と同一人物だとは思えないほどに矍鑠かくしゃくとしているスラーテアだったが、やはり足腰は年相応に衰えており、支える杖がぶるぶる震えて危なっかしい。なのでラディオが近くで一番、まだ丈夫だと思われるベンチへと連れ添って、座ってもらったところだった。


「そうさね……」

 

 スラーテアは龍のレリーフが施された石碑を見上げて、軽く祈る仕草をした。


「ここは私たちにとっては大切な場所……だった。まあでも今は御覧の有様。いけないね、今日あんた達が来ると知ってたら少しは掃除しておいたのに」


「私は、この地に始めて龍が現れた時に造られたこの教会を、代々守り続けてきた一族の……もしかしたら最後のひとり、とでも言えばいいかね」


「それらは星空を巡ることを定められた流星の龍。この地に落ちた時から始まった、永劫の旅の運命に従うもの。旅人を導くもの」


「と、いうのも、私のひいばあちゃんから聞いた話。ひいばあちゃんはまたひいばあちゃんから。そしてまたひいばあちゃんから……ずっと、ずっと昔の話さ」


「昔はね、こういった教会はアラウスベリアのあちこちにあった。人は龍を敬い、奉り、共に生きてきた。でも、三百年前の戦いは全てを破壊した。人は欲張り過ぎたんだ。そしてまた今も……いいや、よそう」


「何百年が過ぎていく間に、伝説は色褪せていった。私も信じちゃいなかった。しかしもう二十年近く前のある日。若者が現れた。車椅子の。彼は本物の龍守だった。彼は龍を識る者だった。そして私も知った。宿縁を。だからその日まで、あのおんぼろの宿で待っていた。この教会が見える場所で。そして今日、あんた達が現れた。何かに導かれて。運命……運命だ。これが運命じゃなきゃ、何なんだい?」


 止め処なく溢れる数十年の思いを伝えようとするスラーテアの言葉は断続的な感情の塊だった。はっきり言ってしまえば、彼女が語る事柄に重要な事実は隠されていない。ただ、それでも伝えたいと訴えかける心だけは純然たる本物だった。


 確かに、此処こそが龍が舞い降りる地。

 そしてそれは、間も無くのことだと言う。


「もうすぐだよ。きっと、すぐだ。私は見届けるよ」


―――――――――――――――――


 語れることを語りきった後、スラーテアは徐々にまた元の『ぼんやりしたおばあさん』に戻っていった。その後は何を問い掛けても「そんな名前の料理はない」と答えるだけ。どうやら夕食の注文か何かだと勘違いしているらしい。


 ダードフとアクゼルは一連の話(の少なくとも一部)を「ボケたババアの妄言じゃないのか?」と疑い、ラディオとシィバも完全には否定できなかった。


 そして。

「何にせよ、あの石碑の存在は有力な証拠だ。この付近に絞って観測と解析を続けよう。あちこち遠出をしなくても良くなっただけマシだと考えればいいさ」

 というラディオの言に、異を唱える者もいなかった。


 すっかり暗くなった宿に戻り、夕食も摂らずに一連の件を話し合った末に導かれた結論はこれ。やること自体は何も変わってないが、着実に真相には近付いているはず。

 ただ、当初は軽い調査だけだったこの滞在は長引くことになるだろう。もし本当にこの街の近辺に龍が現れるのなら、この程度の集落など容易く焼き尽くされる恐れもある。公務執行代理連遊機関として、この調査任務は、何も知らない住人の保護、避難に当たり―—最悪の場合は、戦闘任務へ変わるからだ。



――――――――――――――――――



「……何ですか、これは」

「ん?やーフェイくん。こないだはありがとね。これはねえ、あんたが紹介してくれた人がくれた書類の山。うーんありがとう。見事に仕事増やしてくれたねえ。判る?これ皮肉」


 ”いつもの”六華庭園の円卓で『車椅子のおじさん』に託された数百枚の書類の束をテーブルいっぱいに広げて、その上で突っ伏していたアーリが、よだれで書類がひっついた顔を上げた。


「こんにちは、フェイくん」

「やあ、フェイ」


「どうもヴェルさん。イーシャ」

「イータと呼べと何度言えば判ってくれるんですか」

「女々しいから呼び名を変えろというその精神こそが軟弱なんだ」

「ぐっ……」


「これは第四龍礁に生息していた龍族の記録。階級や生態についてとても詳しく書かれているの……今回の件の手掛かりを探しているのだけど、記述が多岐に渡り過ぎていて、ちょっと苦戦してるところ」


 どうせいつもの益体のないやりとり。

 睨みつけるイーシャ=タレージを見事に無視したフェルナンド=イアレースと、華麗にスルーしたヴェルが、初めの問いに応えた。


「へえ……俺にも見せてください」

 興味を惹かれたフェイは、手渡された書類をざっと(その場の誰よりも素早く)見通す。

「……面白い。こんな多種多様な龍が混在する地で親父は働いてたのか。そんなの一言も……」


「そー言えばお父さんからは何か話は聞けたの?」

 ヴェルとイータが書類を確かめている間、充分に寝たと言わんばかりのアーリがのそりと起きる。話し相手にしてやろうと思ったらしい。


 フェイは書類に目を通したままおざなりに答えてやる。

「いいや、出張から帰っては来たけど、相変わらず肝心なことは教えてくれなかった。ただ……」

「ただ?」

「仲間が龍を追っている、と伝えたらひとこと『そうか。ならお前も手伝ってこい』とだけ。だからこうしてやってきた。まったく。意味が判らん」

「はー、フェイくんそっくりなのねえ……」

 

 アーリが目を擦りながら、呆れついでの欠伸をする。

 しかしフェイはそれを無視して、手に持った書類をじっと見つめたままだった。

 

「何だこれ?……重いぞ」

「へ?」

「いや、重いんだ」

「いくらひよわなお子様でもさあ、流石にそれはなくない?紙一枚で」

「いやだから……」

 

「―—実際の表記よりも情報体積が大きい?」

「そう、それだ。尋常じゃない量の霊葉が使われている」


 突然、不明瞭な違和感を言い出したフェイを、イータが翻訳した。


「どゆこと?」

「……封述のことでしょう?それは私達も確かめたわ。色や音を込めた文字で表記以上の情報を付与するすべ。確かに龍の詳細に使われているけど」


 戸惑うヴェルの横顔と書類を見比べたアーリは、俄然興味を惹かれたよううに緑眼を輝かせた。

「ほほう……面白いじゃん。そういうことなら私に任せてよ。術的倫理のパズルの解析と書き換えは私の専門なんだから!」



 それから暫く、四人掛かりでああでもない、こうでもないと試行錯誤を続けた末、宣言通りにアーリが『鍵を開いた』。

 それは、紙の側面のごく僅かな領域に封じ込められたもの。表と裏の境界、髪一本よりも遥かに細い記録。且つての龍礁で用いられた秘匿のための秘術だった。


「よーし判っちゃった。いくわよう。御覧あれ!」

 アーリが意気揚々と快哉を上げ、まるで紙の側面で指を切るような仕草で(実際に指を傷付け)それらは展開された。


――バチン!!


 凄まじい音がして、数十人を収められるだけの円卓の数がある六華庭園を一杯にする程の情報の羅列、様々な幾何学模様や数式、文章などが青い立体的術式光となって広がり。

 庭園にまばらにいた学院生たちはそれぞれ、突如として湧いた円環状の『法術陣』にたまげてお茶を噴いたり椅子ごとひっくり返ったり、全員が度肝と腰を抜かした。


「なっ……何これっ……!?」

 一番驚いたのはその渦の中心にいたヴェルたちだ。

「わっ……あ、あはは!ごめんごめん!すぐ閉じるからっ」

 アーリは周囲で何事かと目を丸くしている他の学院生たちに平謝り。とは言え周囲の者たちも最初こそ驚いたものの、原因がアーリたちであると判ると「またあいつら何かしてんのか……」程度の溜息をついただけである。


「……禁識龍、F / Vクラス……。龍脈の散逸、自由因果律。非現実汚染……?」

 アーリが慌てて封述を閉じる間、フェイの目は鋭く、記されていた切れ切れの情報を見定め、繋いでいき、そしてその幼い顔が、みるみる青褪めていった。


「あーびっくりした。今の何?これだけの情報が紙一枚に含まれてたってこと?こんなのがあと何百枚もあるってこと?ウソでしょ……」

 更なる膨大な仕事量の予感にげんなりしたアーリの言葉で、フェイは更に顔を強張らせる。ヴェルたちはまだ気付いていない様子だが、彼女らが託されたのは龍に関する事象、法則、理論―—ばかりではなく、それらを内包する、または介在する法術理論の根源と『その先』に言及するものであると考えられるからだ。


 恐らく、これを記した――または記されたが成し遂げ、辿り着いたのは、奇跡の存在証明。 


 フェイは思わず呟いた。悟った。納得した。戦慄した。震えていた。


「親父……確かにこれは、親子の会話には相応しくない」

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