亜節11項「龍崇翼賛教会」
悪友ふたりを外に追いやったラディオは、向かい側のシィバの宿部屋の扉を叩いた。到着早々引っ張り出すのは気が引けるが、広場前に建つ教会は重要な手掛かりになる可能性が高く、それは術式系に関わるものを含むはずなので、やはりシィバの知見(と、シィバの部屋にある荷物の幾つか)が必要だった。
「……っ!?」
部屋の中で何か軽い物が倒れ、息を飲む音が伝わってきた。
「な、なんだ?夕食はまだ先のはずだろうっ……」
「ああ、その前に片付けたいことが……いや」
微かに
様々な種類の薬草を混ぜて焚いた匂い。シィバは恐らく『瞑想』していたのだろう。
「良いんだ。急にごめん。出来れば、あとで広場前の教会に来てほしい。少し気になることがある。それと……測量用の器材が必要だ。青いタグの付いた鞄を……持ってきてほしい」
「……判った。すまぬ。もう暫くは平気なはずだったのだが……」
「気にするな。じゃあ……あとで」
ラディオは幾つかの感情を、一階への階段を下りながら整理した。
一番大きいものは、再びシィバを長旅に駆り出したことへの申し訳なさだ。
尤もらしい理屈で筋を通したと言い聞かせていたが、つまるところ、一言で言えばラディオはシィバを『気にしている』。
それは不安定な机の上でぐらぐらと揺れる花瓶を眺めているような気分に近い。目を離してはいけない。そしてそれが、悪い意味で想像通りの結末へ至るのなら、そうなる前に支えられるかもしれないし、支えなければならないという漠然とした自負があった。
―—傲慢か?
シィバが内包する『問題』は、極めて魔術的な疾患だ。
ラディオにはその知識があった。それは何らかの目的で現代の法術的方法論とは違うアプローチで力の獲得を目指した――勿論シィバ自身が望んだ訳ではない――結果、シィバは『ああなってしまった』のだと推測していた。
扉の向こうのシィバの声は、普通の若い女性となんら変わりがない。ただその『お師匠譲り』の口調だけが硬く古めかしい。意識すれば普通に喋れるはずだし、実際、意識して砕いた言葉で、最高に馬鹿らしい冗談を振りまいたりもする。
しかし彼女は自分の本質を知っていて、恥じていて、呪っている。決して逃れられない――もしくは逃げてはいけない事を知っているから、彼女は彼女らしく振る舞わなければならない。
シィバは恐らく、その”症状”の緩和のために休んでいたのだろう。突発的な発作―—これも想像はつくが、あらゆる痛み、出血、精神汚染をともなうもの―—を起こすことは、彼女との関わりを持った者が最初に知ることだ。
だがシィバ自身は、”腫物扱い”を嫌がる。全てを受け入れていて当然だと言う様に振る舞う。だからシィバへは『普通のひと』の様に接するのが――ラディオにとって、今のところは最も大事だったし、それくらいのことしか出来ないのだ。
だから敢えて連れて来た。その気持ちを伝えたかった。
そしてそれは多分、シィバも判ってくれていると思う。
――傲慢だ。
古ぼけた薄い木扉の向こうに、呪帯を解き、素顔を晒していたはずのシィバの表情がちらついた。
老婦人の「行ってらっしゃい」という声ではっとした。
もう階段は降りきっていた。
―――――――――――――――――――――――――――――
「おまたせ。どうだ?この教会は」
「遅えよ……つうか包帯女は?」
「すぐに来るよ」
教会前で待っていたアクゼルを軽くあしらったラディオへ、教会の建築様式を興味深げに確かめているダードフの背中が言う。
「おい、こりゃ確かに妙だぜ。最初は三皇ファスリア内戦期のものだと思ったが……どうも違う。全く未知の様式だ」
「▽(ナブラ)の印は?」
「勿論探した。無い」
ダードフは少し興奮気味に、言葉を連ねる。
「その辺の住民を捕まえてみたけどよ、誰もこの教会についてはよく知らないらしい。街が出来る前から建っていたのは確からしいが、アトリア教の司祭が入ったこともないようだ。組成は……何だこりゃ。石鉄っぽいけどどうも微弱な磁気を帯びてる。基礎術式が通らない。教会丸ごと未知の鉱物で組み上げられている。すごいぞこりゃ。これだけでかなりの大発見だ」
「基礎術式が通用しないじゃない。全く別の基幹霊葉を含有している。これはもしかしたら……いや、やはり……」
一緒になってぺたぺた石壁を触る男ふたりに、アクゼルが苛々した声を上げた。
「で、結局何なんだよ、このオタクども。勝手に盛り上がってねえで俺にも判る様に説明しろ」
ラディオが振り向きもせずに応える。
「……
「は?」
「簡単に言えば『龍』が作った教会さ。……そのまま受け取るなよ。比喩かもしれない。龍を一種の神格と定めて、崇拝する者たちの
「ええと……」
ダードフとアクゼルが、大丈夫かコイツ?と言わんばかりの顔を見合わせた。
「そんな突拍子もない話、はいそうですかと納得できるか。先ず何でてめえはそれを知ってる?そして何で今になって話す?それがもし本当なら大事な情報だろ」
「昔、何かで読んだことがある。俺自身、ただの
―—中に入って詳しく調べないと。
と言いかけた言葉をラディオは呑み込んだ。
「あのさあ……」
ダードフがその沈黙の代わりに、嫌味を言う。
「つい先日も同じ状況だったような気がするんですよねえ」
未知の建物に無策で侵入して、痛い目を見るのはもう懲り懲りだった。
しかし。
「理屈ばかりガタガタこねてるんじゃねえよ、中に入って調べたらすぐに判ることだろ」
ふたりの話が長いので、飽き飽きしていたアクゼルが肩を鳴らし、教会の古い木扉にあっさりと手をかけてしまった。
「あっおい!」「おぉい!」
止めようとしたが時既に遅し。ラディオとダードフが伸ばした手はアクゼルに届かず、赤髪の男は無防備にも教会の内部へと歩み入って――。
「おい、確かにこれはアトリア教のものじゃないみたいだぜ。こっちに来て見てみろよ」
二人は身構えていたが、教会の中ほどで立ち止まったアクセルは周囲を見回しながら、呑気な声を上げた。
―――――――――――――――――――――
―—もう、だいじょうぶ……。
それはある種の紋様であり、躰の内側から滲む力による崩壊の兆候―—ひび割れの様で。腐敗した
シィバは少し咳込んだ。
悪化すれば臓腑にも影響が及ぶ傷だ。
皮膚だけではなく魂を浸食した呪いは、やがて臓腑に蔓延し、焼き刻む。
それは決して避けられない。いつかは至る病なのだ。
シィバは、洗面所の鏡に映る素顔へ、もう一度、
「もう、大丈夫だ」
症状を抑え込むのに必要な手段は幾つも用意している。それは長年の『学び』で得たもの。例えば常に携帯している薬酒。腐敗を停め、隠す呪帯。そして定期的な瞑想に用いる香。
いずれもファスリアでは入手困難な禁制品であるため、南部での港町の違法な取引に頼らざるを得ないもの。自身の病の正体を突き止め、あわよくば治療を試みるために必要なのは時間よりも資金だった。
ただ、病は、代償に非常に強力な霊力をもたらした。
常人では支えきれない、最も古い霊葉を扱う力だ。
その力が何処までの威力を発現できるのか、実のところ、少し楽しんでもいる。
それくらいは、良いだろう?
見た目も匂いも立ち振る舞いも、他人に忌避され続けながら、世界に呪われながら、それでも生きることを強いられてきたのだから。
しかし、幾つかの出逢いがシィバを変えた。
変わったと思う。変わったと思いたい。
生まれて初めての親友たちと、そして――。
その者たちの為に報いたい。必要とされる限り。
シィバはまた顔を呪帯で覆い隠し、うん、と強く頷くと、部屋を出ていった。
―――――――――――――――――――――――――
龍崇翼賛教会の内装は、一般的な教会の様式とさほど変わらない――とは言っても、アトリア教における建築様式や意匠にそこまで精通している訳ではなく、平均的な教養の範囲での判断だが――朽ちかけた木製のベンチが並ぶ立体長方形のフロアの隅々に至るまで儀式的な装飾が施され、天井いっぱいに描かれた古い宗教画(くすんで判別はできない)。その直下を古いステンドグラス(埃で覆われている)が囲む。
ただ一つ決定的に違うのは、通常、教会の祭壇の中央に鎮座している女神アトリアの象の代わりに、巨大な石碑が安置されていることだった。
板状の石柱は全高およそ八エルタ、全幅およそ四エルタ。恐らく大部分は地面に埋まっており、建物の材質と同じ素材の一枚岩に、簡単な図形を組み合わせて象った龍のから放射状の線―—後光か、或いは翼――の意匠が彫られている。
宗教的遺物として、芸術として、そして単純に巨大である物として、不思議な威厳と神聖な佇まいに、男三人は暫くの間、言葉を失っていた。純粋に圧倒されていた。それに、あっさりと『答え』に辿り着いたのだという確信と奇妙さに怖気立っていたのかもしれない。
「……いくら僻地とは言え、こんな異端丸出しの教会をファスリアが今まで関知してない、ってことはあるか?」
最初に口を開いたのはダードフだった。
「判らない。弾圧を免れたのか、それとも逆に文化財として保護を受けたのか。……そのどちらでもないように見える……しまったな。イータを連れてくれば良かった。あいつなら宗教史に詳しかったのに」
ラディオが続く。
この教会―—というよりもこの石碑こそが本体であり中枢だと思った―—の価値は計り知れない。ダードフの言う通り、破壊なり保護なりが為されていないのは不自然だった。街の人間すらもさして興味を持っていない様に見える。あくまでも直感だが、これはただ只管に『放っておかれた』ものであるように思えた。
「まあ、四の五の言ってても始まんねえな。どうやらこいつは大当たり。ここにはきっと俺達の求めている答えがある」
ダードフは自分に言い聞かせるように呟いた。
「…………」
一方でアクゼルは無言のまま『龍』の彫刻を見上げている。
眉をしかめ訝しむように。嫌悪感を抱いたように。
決して敬虔なアトリア信者ではないが、この『龍』へ湧いてくる得体の知れない畏怖が気持ち悪かった。自分が『恐れている』という事実を認めたくもなかった。
「おーい。誰か。誰か居ないか?おーい。いねえんだな。よーし勝手に色々漁っちゃうぞー。確認は取ったからなー」
空気を塗り替えようと、ダードフが愉快な声を上げる。わざとらしいことこの上ないが、嫌に圧倒されたままの雰囲気を覆すには手っ取り早い。
「あんまり無茶はしないでもらえると有難いんだけどねェ……」
「ッ!?」
唐突にしわがれた女性の声が応じて、全員がびっくりする。
いつの間にやら、杖をついた老婦が三名の(恐ろしく近くの)すぐ背後に現れていた。
例の宿屋の主人だった。
――――――――――――――――――――――
「なっ……何をしておるのだ!」
遅れて教会に入って来たシィバが一番驚いた。
突然の老婦の『出現』に驚いた男たちは皆が皆、振り返り様に身構えて――より正しくに言えば臨戦態勢をとっていた。それほど驚いたらしい。在り得ない程近くの背後に突然老婆が現れたらそれも仕方ないとは言え、アクゼルに至っては剣を抜き放って剣先を突き付けていた。
シィバからすれば三名の男が寄ってたかって、老婦人をどうにかしようとする寸前だったようにしか観えなかった。
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