亜節亜項「エンドオーダー」
「久しぶりだな。足の具合はどうだ?」
「やあ。……おかげさまで変わりはないよ。そういうあんたこそ、だいぶお疲れみたいだけど」
「今の役職に就いてからというもの、国内を飛び回る日々が続いているからな」
「魔資官法務部の局長だっけ?なんでもかんでも史上最年少の記録を塗り替えてくよな」
二人の男が、通り一遍の挨拶を交わした。
「私が来た理由は判っているな」
「……最高機密の漏洩。約律違反の検知。情報集積機構ってのはホントすごい代物らしい。拘束と極刑は覚悟の上だ」
文机で本を閉じた車椅子の男の背中が、書斎の入口に立つ紫色の長髪の男へ笑って応えた。
腕を組んだまま紫髪の男は動かず、厳格な表情で目を瞑る。
「何故だ?」
「……本当の意味で、世に解き放つ時が来たと思っただけさ。再び龍が現れるのなら、俺たちの禁識は、次の誰かに伝るべきものだから」
「……」
暫くの無言。
「……僕は、お前を捕えに来た訳ではない」
紫髪の男の口調が、少し和らいだ。
「友人として、世間話をしにきただけだ」
「あんたらしくないな。面白い土産話でも?」
「ロンカサートの件で」
「……」
車椅子の男は、次の言葉を待った。
紫髪の男が、静かに話し始めた。
「……初めは逐一、お前には僕たちが知り得る限りのロンカサートの情勢を伝えていた。しかしいつしか、お前は知りたがらなくなった……彼女のことも」
「諦めるのも大切だろ。忘れることも。彼女は忘れたんだ。だから俺もそうしなくちゃいけなかった」
「ロンカサートの君主は戦死した。名君らしく、華々しく散ったという」
「そんなことくらい知ってる。だから何だって言うんだ」
「だから……」
紫髪の男は、一度大きく息を吸う。
「彼女は、跡を継いだ。卓越した才覚と比類なき魅力で、民と兵たちを鼓舞し、未だロンカサートの独立を守り通している」
そして力強く。
「今も、たった一人で」
「……」
車椅子の男は、唱えるようにぶつぶつと呟き。
「それも知ってる。知っていた。あいつらしいよ。今も昔も、ずっと。あいつは……あいつのまま……」
文机から車椅子の向きを変え、紫髪の男と正面から向き合った。
「結局、何が言いたいんだ。本当にあんたらしくない。言いたいことがあるならさっさと言えよ」
「……これは伝聞に過ぎないし、未確認の情報だが」
紫髪の男は、慎重に言葉を選んでいた。
事実と虚構の狭間で、言葉が生きるように。
「彼女は、亡き夫に代わり兵を率いて戦線に出撃する様になり……そして、ある種の力を行使した。数週間前の話だ」
「それは……恐らく……いや、間違いなく、龍の力だと思う」
「……」
車椅子の男は眉を吊り上げ、呆然とした。言葉の意味が分からなかった。
「まさか」
そして笑った。在り得ない。
「詳細までは我々も確かめられない。デトラニア側の作戦記録からの推定だ。しかし確かなのは、彼女は、また。守るべき者たちを護る為に、再び目覚めた」
「そして」
紫髪の男はまるで、自身も疑っているかのように小さく呟いた。
「きっと、思い出したはずだ。全てを」
「お前は、もう一度、彼女を追うべきだと思う」
「今、彼女は待っている」
共に立つ者を。傍らに立つ者を。
言葉はまた、断絶した。
「何を。今更……」
ようやく口を開いた車椅子の男が、声を絞り出す。
「今の俺に何をしろって?こんな身体、こんな足で。全ては、全部、あの時、あの場所へ置いてきたんだ。そう……そう決めたんだ」
「今のお前には、あの時よりもずっと豊かな知見がある。龍に関する文献を調べ尽くし、その正体と本質……そして危険性を、誰よりも理解している。それは机の上だけで学んだ者とは違い、実際にあの地で龍たちと共に生き、共に駆けたお前だけが持ち得る、生きた記憶と経験だ」
ジャフレアムの口調は熱を帯びていった。言葉を紡ぎ出していく度に、それが正しいものだという確信が強まっていく。友人を説得しようとしているのか、自説の論理を証明したいのか。或いはその両方だった。
「彼女を知っているなら、判ってもいるだろう。彼女はきっとまた無理をする。自身を捨てて誰かの為に身を投げ出してしまう。いつだって。とんでもない方法で」
「その果てに起こるものを、誰かが止めなければならない。それが人ならざる力であるなら尚のこと、その力の制御を知る者が傍に助けにならなければならない。龍を助け、
「……少し、考える時間をくれ」
「いいや」
思索を、ジャフレアムが鋭く遮った。
そして、書斎の様子を見回した。不自然な程に『片付いている』。
判り易い身辺整理。こういう行動を取る人間を何人も見てきた。
自らの足跡を辿り、確かめて、そして役割を終えたと納得して、去ると決めた者。
しかし、だからこそ『丁度良い』とも言える。
旅立つ用意を終えていたのだから。
もう、この故郷に縛られる意味もないのだから。
あとは、自分の心に従うだけなのだから。
「もう時間は無い。ティムズ。だから僕は訪れた」
「……で、計画は?」
ティムズは俯いたまま苦笑した。
この優男は全てお見通し……昔から。
そしてこういう時は決まって、次の手を用意していてくれる。
誰よりも法を尊びながら、その抜け穴をつく。
優雅で鮮やかで、もしかしたら都合の良い、乱暴な手口で。
ティムズは、この場で即断する必要があった。
且つて
――――――――――
「―—用意は良いか?ったく、あのカマ野郎。特赦を餌にすりゃ何でも言う事を聞くと思いやがって」
黒のニット帽を目深に被った壮年の男の口ぶりは相変わらずだ。
以前と違うのは、多少太ったこととくらいか。指摘すると判り易くキレていた。
あとたぶん、ニット帽の中身はハゲている。
且つての仲間の頭髪を散々からかってきた報いだろう。
『彼』が、この車椅子での長旅を助けてくれる。
港には、とある男が手配してくれた船が待っていた。
ある造船技士の設計による、世界に一機だけの術機船で、持ち主の『船長』の為に特別に建造されたものらしい。所々が青に塗装され、銀の装飾を施されている。
遠目に見える懐かしい色影に、ティムズの、長旅への不安は薄らいでいた。
ファスリアより遥か北西の港町へ上陸し、そこからはロンカサートへ向けて徒歩で北上だ。周辺は封鎖され、依然包囲中のデトラニア軍の辺境警備を掻い潜り、突破するには、高山や峡谷を抜けるこのルートしかないという。
厳しい旅になる。これまでよりもずっと、長く遠く険しい旅路だ。
しかし何にせよ、もうティムズにファスリアでの居場所は無い。法皇庁への妨害は遂に露見した。これまでのジャフレアムの庇護には心から感謝している、だけど、それももう……。
しかし、だからって尻尾を巻いて逃げるんじゃない。
向かうべき場所に行く。そのためにまた、もう一度。
その為に、ジャフレアムは『手を打ってくれた』。
「―—昔よりよっぽどひでーな。あの時でさえただのボンクラと第四龍礁のアイドル。今度は両脚の無い車椅子のおっさんと、小国でありながらデトラニアとも互角にやり合う程の五貴族いちのおてんば、ときたもんだ。どうにかなるのか?その関係」
「改めて言うなよ。それにそのために行くんじゃない」
現実を突きつけて笑う黒帽の男に、ティムズは少し情けなくなった。
確かに分は悪いし、正気の沙汰ではない。
だいたい、再会していったい何を話せばいいだろう?
あれからもう、二十年が経った。
お互いにお互いの知らないことが、あまりにも多すぎる。
それでも本当に、助けになることは出来るのだろうか?
それは自分自身、まだ良く判らなかった。
しかし、ティムズはこれまでにない程に清々しい気分でいた。
「どうにかするさ。俺たちはいつでも……そうしなければならなかった。そうやってきた。あんただってそうだ。だろ?エフェルト」
ティムズは自力で車輪を回し、船の傍まで来た。
「カッコ悪いよな。俺はまだ……また、あいつの後ろ姿に追い付こうとしてる」
「別れは告げたつもりだった。全てを自分の手で終わらせたつもりになっていた」
そう言いながら、船の甲板を見上げた。
春の西陽と風を受けて立つ二人の姿影が共に、こちらを見下ろしていた。
老齢になり少し背の曲がった船長と、綺麗な赤茶の長髪をなびかせた女楊空艇技士だ。
「でも、俺はもう一度、会いにいくよ。ミリィ」
「今度もまた、仲間たちの力を借りて」
―――――――――――――
拘束命令
この令書は法皇庁の正規手順に従わず、また如何なる公的機関へも帰属しない。
対象、ティムズ=イーストオウル
1・元第四龍礁の
2・必要な情報を引き出す為の尋問は、手段と生死を問わない。禁則事項は第四種特例に基づき、全て無視される。
3・央都南部の居宅へ第二秘匿特務隊が踏み込んだがもぬけの殻。二日前に失踪したものと思われる。書斎にて『遺書』を発見。その場で自筆であると確認された。自死を仄めかす記述が含まれている。「さようなら、ファスリア」。対象が収集、隠匿していた龍族に関する情報を含むあらゆる物的証拠は未発見のまま。残された書への封述も見当たらないことが確かめられた。
4・追跡調査に移行。速やかに関係者や交友関係の確認を徹底すること。
5・対象は死亡と断定。命令の破棄。
――――――――――――
「―—やけにあっさりしてますね。重要人物だったのでは?」
「魔資管法務部の横槍が入ったからな。あの若造、やはり手強い」
ファスリア央都、大通りの一角、ごくごく普通のカフェテリアで(些か場違いな)二人の男性が向かい座っている。老若男女の喧噪に紛れてそ少しだけ肌寒い春の午後をの珈琲を楽しむフリをするのは、片方の男にとっては普通のことであり、片方の男にとっては苦痛であった。
濃いコーヒーを飲み交わす二人が挟むテーブルには、少し焼け焦げた羊皮紙が雑に広げられている。重々しく不穏な『命令書』に、公的であることを示す印は何もない。
「で、どうしますかね。彼が失踪直前に皇立アカデミーの学生と接触していたのはこちらも確認済みです。あっちが乱暴な手を使う前に手を打ちますか」
「いいや、恐らくこれすらもダミー。既に必要な情報は入手している。手を引いたと見せかけて潜伏。奴等の常套手段だ」
「じゃ、一応あいつに警告しておくべきか」
「……随分と奴に肩入れしているのだな。命を救われた恩義か?クライン」
「それもありますが、あいつは……とにかく便利だ。学院の近辺を探るのに役立ってくれている。適任ですよ」
クラインと呼ばれた男が『上司』の厳めしい物言いに、ふ、と笑う。
黒い短髪を雑に後ろにかき上げた背の高い青年で、歳は二十六。
その顔立ちは周囲の女性が必ず一目は留める程に凛々しく、整っているが、些かへらへらと笑う表情は、若干頼りない印象を与える。
「ともかく、法皇庁が動き出したのなら俺達も忙しくなりますね」
「ああ。我々が追っている者たちも炙り出せるだろう。旗幟鮮明にする良い機会だ」
「……苦いな」
クラインはすっかり冷えてしまった珈琲を啜り、顔をしかめた。
そしてその後も暫くあれこれを語り合った二人の男はやがて立ち上がると、それぞれ別の道へ、群衆の中へと溶ける様に消えていった。
―――――――――――――――――
物語は巡る。
限界まで膨れ上がった『龍の渡り』の噂は、様々な方面の様々な立場の者へ伝わっていく。そしてそれは、それぞれ別々の、各々の動機と理屈と願望と、打算と目的と手段として絡み合い、全てが一つに交わる渦を描き、一つが全てに広がる曼荼羅を創り上げていく。
龍が再び人々の前に姿を現すとき、それは無数の物語の再生と始まりを告げる。
世界を巡る龍は、様々な形で『帰還』した。
龍とは、物語を紡ぐ全ての人々にとっての標であり、その象徴なのだ。
これまでも、これからも。
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