亜節10項「グレイプバイン」

 ファスリア皇立アカデミー直轄『公務執行代理連遊機関クーリド・ビー』の調査が本格化するのと並行して、兼ねてより巷に溢れていた根も葉もない『龍のうわさ』は更なる飛躍と熱量を以て、もはや狂乱にも等しい騒動へと変貌しつつあり、その予兆は程無くして実現してしまった。


 大衆による買い溜めの発生である。


 「龍の群れが現れて連星大戦以来の大規模な戦になる」と心底恐れ、武具を取り揃える者。食糧を買い占める者。そしてこの機に乗じて一儲けしようと企み、不安を煽って喧伝する者。一旦動き始めた歯車の力は次々と各方面へと伝播し、遂には法皇庁並びに貴族・皇民議会から連名の声明が出されることとなった。


 要約すると「法皇庁直轄の公的機関を始め、ファスリア各地に派遣されている皇冠騎士団において龍に関するあらゆる類の予兆の観測はされていない」。

 

 但しこれでも皇民の疑心は払えず。民草に広まった不安は閾値を越え、先日は青都最大の商店街で砂糖の売買を巡って不特定多数の者による大乱闘が発生した。

 法皇庁は治安維持の主力である王鶏おうけい騎士団の一中隊を派遣し、これを仲裁(鎮圧)。そして更なる波及に対応する為に全騎士団へ第三級動員令を下達。虚言からなる騒乱には断固とした実力行使でねじ伏せる姿勢を示す。


 しかしこれもまた「騎士団が動き出したのは裏で龍の襲来に備えているからだ」という妄言を産む。もはやこうなると何をどうしても堂々巡りのイタチごっこ。この炎は法皇庁にも消すことはできず、あらゆる形で各地に噴出し、そして人々の反応も千差万別だった。



・ギャワー!龍が出てきて皆食べられるんじゃよー!

・怖いなー、怖いなー。龍がね、空を飛んで来るんですよ。怖いなー。

・でもよう、龍の素材ってかなり希少なんだろ?ひと狩りして一攫千金だあ!

・龍を倒せば名が売れる。戦史に私の名前を刻んでみせようではないか。

・りゅうって、お空をといで火をふくの!かっこいーよねー!

・陰謀論だろどうせ。バカばっかりでうんざりするぜ……俺はいつでも冷静なのさ。

・龍は神の化身、使いなのです。全ては主アトリアの御心のまま。受け入れましょう……。

・非凡な日常には飽き飽きしていたところだ。面白いのでもっとやれ。


 などなどは、情報支援のためにファスリアに残ったヴェルたちが実際に街中で耳にしたものである。


「思ったよりおおごとになってきちゃったわねー」

「ええ。民間の騒ぎに法皇庁が直接介入するなんて、戦後初めてのことだし……」

 楽観的に笑うアーリ対して、ヴェルは不安そうな表情で呟いた。


 街中に伝染した情報は幾つもの憶測と不確かな断定を経て制御不可能な反応として蔓延している。今日もまた青都の往来で騒ぎが起きた。龍を過剰に神聖視する一派の示威活動に一部の住民が反発。軽い衝突が起きたのだ。


 たまたま居合わせたヴェルとアーリは、揉み合いになって激しく罵り合う者たちを遠巻きに眺める。周囲の野次馬たちは面白半分、迷惑半分で見物していた。


 このまま事態が激化すれば治安の悪化、そして最悪の場合は経済活動への打撃にも至り得る。ファスリア法皇庁もこの『回遊龍の渡り』を喫緊の課題として認め、あらゆる選択肢を含む戦略を練り、速やかに実行しなくてはならなくなった。


 この問題に携わる全ての者に共通して不足しているのは『精度のある情報』だ。

 


―――――――――――――――――――――


 その真贋を追う者たち。


 ラディオ=ハーバッツ、ダードフ=レン、シヰバ=エスカート、アクゼリアス=エイギスの四名は特別に手配した馬車に揺られ、ファスリア北方の湖水地帯で最も大きな湖の畔を望む街、レーテマルドへと到着する。


 数々の山と森を越える旅路は散々なものだった。観測器材や旅具などの大荷物を挟み、対面で座るダードフとアクゼルは旅の間中の殆どを、お互いの眼と挙動を身じろぎもせずに見つめ合って(ガンを飛ばし合って)おり、まさに一触即発の険悪な状況。


「……先に降りろよ」

「てめえがな」


 どっちが先に馬車を降りるか、という程度の話でいちいちこの調子だ。


「まあまあ、そこまでにしておけ。ここからが本番なのにそういがみ合っていては仕事に支障が出る……ヴェル殿ならきっとそう言うぞう」

「うるせえよ、てめえには関係ねえだろ。包帯女」


 大量の荷物をまとめ、降り支度をするシィバにアクゼルが噛み付いた。


 ヴェルがどうしてこの女と『親友』なのか、アクゼルにはまだ理解できなかった。


 その呪帯の奥に潜む紅眼は明らかに異形。深層法術には明るくないアクゼルでも忌避を感じる程で、その顔も隠す必要があるから隠しているのであり、それにしては臆することなく飄々と振舞うという矛盾の塊だった。


「元気はあるようだな。その調子で頑張れ」

 そして何より上から目線の一言が多い。つまりナメられてる。


 そして――ラディオとダードフは言及しないが、シィバと幌馬車の客室という密室に籠ると、彼女特有の香り――異質な香の様な匂いが鼻を突く。如何なる理由で用いているかは預かり知らないが、アクゼルの行商隊の用心棒としての生活で知り得た知識の断片は、その香の元になる香草は、禁制品であると告げている。


「……どうした?早く宿を探さねば日が暮れるぞ」

「……なんでもねえよ」

 

 アクゼルの訝しむような目線に手を止めたシィバが振り返った。


「おおい、早いとこ荷物を降ろしてくれ、宿を取らないと日が暮れる」

 そして外からは、既にとっとと降りていたラディオの催促が飛んできた。


「ああ。すまない」応えたシィバは一際大きな荷物をうんしょと抱え、外のラディオへ放り寄越す。

「だああ!投げんな!!」外で潰れそうな声がした。



「……で、てめーも早く降りろよ。俺の方が四つも歳上なんだぞ、言う事を聞けこの後輩野郎」

「それならそれなりの威厳を見せろ、つーか死ね」


 悪質な先輩風を浴びせてきたダードフへ低俗な捨て台詞を返したアクゼルは、渋々馬車を降りた。


 

――――――――――――――――


 『湖の畔の街』レーテマルドは行政上、街に区分されるが、その規模は『村』に毛が生えたようなものだった。


 周囲をいくつもの湖に囲まれた低い丘に、放牧や耕作で生計を立てる二千人程度の集落が広がっている。山、湖、丘。風光明媚ではあるがその暮らしぶりはファスリア国内における平均的な村と何ら変わることはなく、特筆すべきことはないかと思われたが――


「おンや、あんたらは一体なンだい?こげ辺鄙な村ん来ても観るもンなんてなかんど」


 到着した一行が最初に遭遇したのは、ただの若い観光客だと勘違いした壮年の農夫だった。形容しがたいほどに訛りが激しく、この辺境のファスリアとの交流の希薄性がひしひしと伝わってくる。


「あー。俺たちは――」

 しかし『旅慣れ』しているラディオにとってはこの程度の方言は慣れたもの。

 手際よくコミュニーケションを取り、街で唯一の『旅宿』を確保したのだった。


 宿は、街の中央部、石畳を敷き詰められた広場前に在った。

 主人は八十を越えていると思しき老婦人で、耳も遠いらしくこちらの交渉は難航する。

 宿と銘打っているが内装はほぼ民家。休める部屋もたったの2つ。しかも客が訪れたのは数年ぶりのことらしく、カウンターにおざなりに置かれている年季の入った宿帳には(恐らくは数十年単位で)数名の名しか記されていなかった。

 

 そのような状況で経営は立ちゆくのか――。


「で、どうする?」

「何が」

「何が、って部屋割りに決まっておるだろう。ふた部屋しかないぞ」

「そりゃあ……」


 シィバの指摘については、極めて紳士的かつ合理的な解決がなされた。

 男三人でひと部屋、シィバ単身(と、荷物)でひと部屋だ。


「なーんだ、つまらぬ……」

 シィバの呟きは本気か冗談か判らない。


 ダードフとアクゼルは共にシィバとの同室を嫌がっている。

 ならラディオがシィバと……となれば、密室で一夜を過ごすダードフとアクゼルは二人きり。明朝どちらかが(高い確率でダードフが)死体――良くても病院送り――になっている恐れがある。


 馬鹿馬鹿しい杞憂かもしれないが、部屋に入るなりベッドの扱いに関して口論を始めたふたりの剣幕からして、決してあり得ないことではないとは言い切れなかった。



「やめてくれよ。折角静かで長閑ないい村なのにさ……」

 流石に呆れてきたラディオが、通りに面した窓を開け放ち、街の様子を眺める。


 ちょうど、夕陽が沈みかけていた。


 小高い丘に広がる街並みの向こうに、夕陽を映す美しい湖と、遥か遠方にカレッドレイト山脈の霊峰が連なっている。夕陽は稜線に輝く線となっていた。


 広場に群れ立つ古い柱の術式灯がぽつぽつと灯り始め、薄暗くなり始めた広場を行き交う人々が家路を急いでいる。質素な家々の煙突からは夕餉だろうか、湯気や煙が昇り始めていて、この地方独特の煮込み料理の香りが広場にも満ち始めていた。


 ラディオはただ純粋に、良い光景だな、と思った。

 平和という言葉を表すのに、これ以上のものはない。

 のある人が、それぞれ待つ家族の元へ帰っていく。

 そしてそれを羨ましいと思える自分がまだ居ることに、少し笑った――


「―—ざっけんな!!そっちのベッドの方が上等だろ、俺のもんだ!譲れ!!」

「てめえが勝手に手前のベッドを選んだんじゃねえか!何でもかんでも事あるごとに歳上ってだけで決めやがって!」


 ダードフとアクゼルのベッド争奪戦がヒートアップしてきた。


 感傷を台無しにされたラディオは広場から目を離そうとして、とある建物に目を留めた。


 教会だ。


 街の広場に建つ教会。特に不自然なことはない。むしろ教会を中心に集まった人々が街を造り上げる、というのは集落の成り立ちにおいて普通のことだ。

 それは周囲の質素な家よりも古く小さく、しかし、アラウスベリアで最も普遍的なアトリア教の様式ではない様に思えた。


「……夕飯の前に調べたいことがある。ふたりとも手伝ってくれ――」


「―—上等だッ!てめえ表に出やがれ!今日こそ実力で格の違いを叩き込んでやる!」

「おーおー吼える吼える。やれるもんならやってみろ。ヴェルが聞いたらさぞ幻滅するだろうな。キレて先輩をボコボコにしたなんて聞いたら!!」


 ―—バチン!!


「ッ……!」

 すわ衝突、ダードフとアクゼルは、突如として部屋を満たした激しい閃光と炸裂音に顔を背ける。


 ラディオが、開いた光術を握り潰していた。

 その左手からは光粒の残滓が蛍の光の様に揺らぎ散り、突然のことに呆然としたダードフとアクゼルの顔を鈍く照らした。


「頭を冷やせよ。いいか?気になることがあるから手伝ってくれ」

 戸惑う二人へ、ラディオはわざとらしく大きく溜息をついて見せた。

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