亜節9項「一つの始まり」

 エメルティナス大図書院の探索と央都での情報収集組に別れ、それぞれ『(片方は文字通りに)書物との戦い』を終えた面々が皇立アカデミーへ帰還したのは翌日の日暮れこと。


 豊かな森に囲まれ、多くの術式灯が灯る六華庭園は丁度、夕食を楽しむ学院生たちでごった返しており、合流した彼等は、各々の成果を持ち寄って早速情報交換を交す……はずだったのだが、毎度の事ながら、先ずは食事にありつくのが先決だった。


「ほんっと大変だった。もう暫くは本の表紙すら見たくねえ」

「まったく同感~。けっきょく央都観光もできなかったしぃ……」


 普段の不仲はどこへやら、一様に愚痴が駄々洩れのダードフとアーリは全く同じ姿勢でを葉物のサラダをフォークでつっついている。

 形こそ違えど、夜を徹して本との格闘に当たり、そのままとんぼ帰りしたのだから文句の一つや二つ垂れるのは当然の権利だ。


「で、どうだったのそっちは」

「これといった収穫無し。やっぱり重要な文献は既に法皇庁の連中が全部回収済みなんだろ……いや訂正、このバカはどさくさ紛れに色々拾ってきた模様」


「ん?」

 何の革だか得体の知れない革表紙の、カビと埃まみれの古書から、ラディオが顔を上げた。悪口バカに反応したらしい。

「良いじゃないですか、なかなか興味深い記述でいっぱいですよ、これ」

 その横から古書を覗き込んで眼鏡をくいくいしているイーシャが代わりに応え。


「それも良いけどさあ、食事中にそんなもん開かないでよ……」

 アーリが眉を吊り上げて抗議した。


―――――――――――――――――


「―—こっちも駄目だ。皇冠おうかん騎士団に問い合わせてみたけど、やはり大戦以前の出撃状況なんて残ってねえし調べようもねえ、だってよ」と語るのは、仕官院所属のアクゼリアス=エイギス。


 鮮やかな深紅の長髪を背で束ねた、細身ながらも凛々しい青年だ。鋭い切れ長の眼はその性格を、粗野な振る舞いはその経歴を体現している。


 彼は以前、各国を巡る行商の若き"用心棒"を生業としていたが、とある事情と紆余曲折を経てファスリアの軍司を学ぶ仕官院に編入し、現在はファスリア正規軍に当たる皇冠騎士団の徒衆かちしゅうとしても従事していた。


「ありがとう、アクゼルくん」

「お、おう。ヴェルの頼みならなんだってするさ」

 アクゼルの顔が、一つ年上の麗人ヴェルの微笑みに(その髪色程ではないにせよ)真っ赤になる。


 これまで金と血の世界の中に在って剣で語ることしか出来なかったアクゼルにとって、ヴェルダノート=ウリエスは、初めてそれ以外の感情を芽生えさせてくれた人。


 術剣士としての力量は確かで、故にどんな相手にでも高圧的な態度をとる生意気な十八歳の若者も、ヴェルにだけはとことん弱い。ふたりのやりとりは一事が万事、この調子。

 しかも滑稽なことにアクセル自身はヴェルへの恋慕を上手く抑えて隠し通せてると思っており、それは学院生たち全員が知る、公然の秘密だった。



(……ほんっとヴェルったらヒドいわあ。いい加減アクセルくんの気持ちに応えてあげたらいいのに。ねえ?)

 二人の様子を横目で眺めていたアーリが小声で、隣で薬酒をちびちびち啜っているシィバへ囁き。


「そーか?アクセル殿のほうもどうかと思うぞ。男なら男らしく、びしーっと気持ちを伝えればよかろう。アレでバレてないつもりなのか、ツンデレめ」

 シィバは事も無げに放言した。


 

――――――――――――――――――


  

 ”いつもの”円卓を囲む一同の”いつもの”雑談交じりの食事はようやく、昨日までの成果を確かめ合う本題へ。


 彼等は、市井に溢れる『龍のうわさ』からは何も得られないと切り捨て、一次二次資料から有用だと思われる情報の取捨選択に徹すると決めていた。

 あーでもない、こーでもないと論議こうろんを交している間にも、食事を終えた周りの学院生たちは次々と庭園を去り、まだ庭園に残っているのは彼等だけになっていく。


「これは古い行政の会計に関する論評のようですね。どういう訳か912年に多額の使途不明金が計上されていて、全市民を対象とする臨時の徴税が行われたと……」

「ファスリア周辺の龍っぽい地名をリストにしてみるか。大事件なら古い地名に残ってたりするし――」

「そのイーストオウル、っておっさん?がくれたっつう龍脈図はホンモノなのかよ」


 一つ一つの事柄は細切れで、根拠も希薄。

 しかしそれぞれを紐づけて知恵を合わせることで、朧気ながら輪郭を描く。

 

 各地の伝承や公的な記録、噂。今も姿を消しつつある龍の生態。そしてヴェルたちが入手した『龍脈図』。それらの欠片は、龍脈という線で確実に結ばれていき、やがて一つの仮説が浮かび上がっていた。


 それはファスリア北部とザッグル領の境に跨り、夥しい数の湖が群在する『流星の墓場』と呼ばれる地。



―――――――――――――――――― 



 ファスリア皇国と同盟関係にある北方の自治区、ザッグル領は、アラウスベリア大陸を南北に二分するカレッドレイト山脈の間に広がる丘陵地である。

 様々な地形を擁する広大な自然は天然の要害として、デトラニア共和国、ファスリア皇国、両軍の侵入を拒んできた歴史を持つ。


 大陸全土に及んだ連星戦争の影響を(比較的にではあるにしろ)免れたザッグル領の南部の湖水地帯には、遥か昔、流星の雨が降り注ぎ大小様々の湖を造り上げたという伝説があった。それが事実だとしても、龍を誘引するものであるかはまだ不確かだが――。


 しかし、あらゆる手掛かりが、この北方に群在する『湖』こそ龍の回遊地の一つであると示してもいる。過去に何が起きたのかまでは断定できないものの、イータの「恐らくこの古書に記されている莫大な財政出動は旧皇国軍の出動に伴う経費、そして龍の到来による周辺の住民への被害補償なのでは?」という推定も、あり得ない話ではなかった。



「……で、どうするよ?学院うえに報告するか?」

「そうねえ……でも確証はないわ。あくまでもまだ私たちの仮説だし……」

 声を低くしたダードフに、ヴェルも困り顔で。


「どちらにせよ、現地に行って調査しなきゃなぁ……」

 達観したようなラディオの答え。


「………………」

 これには全員が頭を抱えた。ザッグル領はファスリアに隷属する地域とはいえ、領境りょうざかいを跨いだ活動にはとても煩雑な手続きが要るし、滞在費などの経費もバカにならない。『クーリド・ビー』として正式な任務命令が下るなら予算は約束されるが、この時点ではまだ憶測の域を出ず、もし『大外れ』なら活動費の大半は自腹になってしまう。半官半民の『公務員もどき』であるクーリド・ビーの運営状況は常に火の車なのだ。


「噂や伝聞で動くバカが多すぎるんだよ。だから本部の財布の紐も固くなるんだ。あちこちにお宝が眠ってるだなんて夢物語を追う冒険者気取りが好き勝手やりやがるから……判るか?何をするにも元手が居る。もとで。おかね。よさん。先立つもの」

 

 食後のワインでべろんべろんになったダードフの論説がその背景を物語っている。

 誰も聞いていないけど。


 そもそも『龍の飛来地がファスリア国内の人口密集地でなければ問題ないのでは?』論も巻き起こるも、それはそれで確実であるという証拠がまた必要だ。


「でもさ、行かなきゃ話になんないんでしょ。てことでラディオくん、あんたが適任だ。頑張ってきてね」

「へっ!?」

「そりゃ言い出しっぺだし」

「いや、そらそうだけど」

 

「ラディオさんなら旅慣れしてるでしょうし、私も賛成かな」


 さも当然と言わんばかりのアーリの唐突な宣告に戸惑ったラディオへ、ヴェルがとどめを刺した。


「……」

 ラディオは反論を呑み込み、幾ばくか思索を巡らせて。

「……せめて五……いや四人。現地っつったってザッグル湖群はだだっ広い。何をするにも人手がいる。なあ?ダードフ。……おいダードフ」

「ぐおー」


「じゃ、あと二人で」

 隣席のダードフに話を振るも、酔いつぶれてテーブルに突っ伏し大いびきをかいてやがるので、勝手にカウントしてやった。


「ん-……」

 そしてラディオは円卓を囲む一同をそれぞれ一瞥して唸る。


 同じ古学科で様々な遺跡潜査せんさを共にしている同僚バカは当然としても、他に現地で必要な人材は――。


「解析応用室から一人。できれば地質系の心得があるやつがいい……シィバ、悪いけど……また頼めるか?」


「え?」

 ラディオの呟きに反応したのはヴェルとアーリだった。


 ふたりを顔を見合わせる。図書院での大立ち回りは概ね聞いていた。ザッグル地方への遠征となれば数日に及ぶ長旅になるだろう。相当な力を振るった昨日の今日で、シィバにまた無茶をさせるのは――。


 だが。

「承知した」

 当の本人はあっさりと引き受けた。


 ラディオはそのまま、ちらちらとヴェルの戸惑い顔を気にしている赤髪の男に向く。

「そんで……アクゼリアス。お前も」

「は?……あァ?何でだよ」

「俺たちの中で一番強いからだよ」

「な、なんだよ急に……」

「あの辺は未踏の地も多い。鬼が出るか蛇が出るか、もし俺たちの手に余る相手が現れたとき、頼りになる剣士がほしいからさ」


 方便である。ぶっちゃけたまたまアクゼルがここに居合わせたからというのが大きい。但し半分は本心でもあった。先日の図書院での突発的な遭遇戦の反省もある。念には念を入れるに越したことはない。


 しかし、アクゼルは眠り込んでいるダードフの頭頂部を見つめ、今にも噛みつかんばかりに歯を剥いていた。アクゼルはダードフの事が大っっっっっ嫌いなのだ。

 常に尊大で口汚く、女にもだらしなくて(特にヴェルに対してのあれこれ)粗暴な振る舞うこの金髪の野郎と共に旅をするなど、決して許せないし考えただけでも怖気と腹が立つ――とその燃える様な赤眼が言っている。


 だが、こうやって真向からその腕前を褒めれば……。

「……判ったよ」ちょろい。

 ヴェルの手前、断れないだろうという打算にまんまとかかってくれた。


 ラディオは終始真顔だったが、内心では笑っていた。

 


―――――――――――――

 

 ザッグル領、湖群地帯への出立は三日後。

 今後の方策の骨子もまとまり、深夜に及んだ打ち合わせは一旦終わり。

 一同は解散し、ヴェル、アーリ、シィバは連れ立って、学外に点在する院生用の寮への帰途についていた。


「ったく、アイツら人使いが荒いんだから。最初の予定では面倒な仕事は全部押し付けようって話だったのにさあ……」

「仕方ないわ。やっぱりお仕事ですもの、簡単に済ませられちゃう方法なんてそうは無い、ってことよ」

「そこは判ってるけど、またシィバさんを便利に使うつもりなのが腹立ってるの私はっ!応用解析室ならもっと他にも旅向きの子居るでしょ!!」

「大きい声出さないで……ご近所の方々に迷惑でしょ」


 夜更けの街に木霊するアーリの怒号ぷんすかをヴェルが窘めた。



 彼女らが所属する法術院応用解析室は、文字通り既知の法術の基礎解析と応用発展を研究、または未知の法術式の発見と確立を旨とする部門である。

 連星戦争で急速に理論化が進んだこの学問は、三百年前以前に存在した強力な法術式の再現を念頭に、ラディオらが属する古学室と連携して当時の遺物や遺構に用いられている霊葉の再構築を目指すもの。そしてそれらは人々の暮らしを豊かにする為に求められているものであると同時に、連星戦争以後、冷戦状態にあるファスリアとデトラニアの今後を、そしてアラウスベリアの覇権を占う重要な国策でもあった。


 龍がある種の法術式に拠る者であるなら、その回遊地には何らかの痕跡が残っている可能性が高い。そしてその詳細な分析は応用解析室の者の領分。故に、ラディオは再びシィバの助力を求めた――。


 ―—のだが。


「大丈夫?シィバさん。へろへろじゃない。今夜も妙に大人しかったし……」

「へーきへーき。ちょっと酔っただけだ」

「すぐ平気だって即答する人は大抵、平気じゃないのよ」


 ヴェルとアーリの背後から静かについてきていたシィバの声色は、明るくも細い。

 訝しむアーリへ冗談めかしてみせる。


「出発まで二日。それだけ寝込めば充分だ。それに今回はアクゼル殿も居ることだし、戦いとなれば全て丸投げすればよい」

 更に、アグゼルの名前を引き合いに出した流れで、ヴェルをからかいたくなったらしく、口調を砕く。

「それにぃ、ヴェル殿が認めたという歳下のカレシ↑の腕前、儂も見てみたいしー」


「な、何よそれ。私たちはまだそんなのじゃ……」

「へー、なんだ?」

「アーリまで!!」

「はいご近所迷惑」

「うっ……」


 乗っかったアーリの追い打ちに今度はヴェルが頬を染めて吼えた。

 んでアーリの皮肉に黙らせられた。


「……ま、人をおちょくる元気があるなら心配しなくても良さそうね」

 自分のことは棚に上げ、普段のシィバらしい様子にひとまず安堵したアーリの表情が硬くなる。

「でも、この二日間はしっかり休みなさいよ」


 些か厳しめの物言いだった。シィバには念を押しておかなければまた結構な無茶をしでかしかねない――というのはシィバ自身も自覚するところであり、素直に甘えることにする。

「そうさせて貰うよ。報告書の裏取りに加われないのは気が引けるが……」


「気にしないで。言ったでしょう?それもお仕事。私たちに任せてゆっくりしてね。……約束よ?」

 

 そんなふたりのやりとりに、気を取り直したらしいヴェルが微笑む。

 口調こそ異なるが、釘を刺すという意味では同じ。


 ザッグルへの旅で全てが明らかになるとも限らない。不確定要素の精査も地味なフィールドークながらも検証の鉄則。ヴェルやアーリを始めとするファスリアに残る面々もまた、各地に散って情報の裏付けを行う予定だった。


「判っておる。そんな二人して子供を宥めるような言い方はしないでおくれ」

 その上で、堂々とサボれと宣告する親友ふたりの心遣いはありがたくも、少し情けなくもある。そこまで分別に乏しい女でもないと、シィバは苦笑した。

  



―――――――――――――――――――


 こうして、龍を追う者たちの夜は更けていく。

 少しずつ、ちょっとした寄り道をしながら、しかし着実に歩み続けながら。

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