亜節8項「二つの決着」
長らくの攻防に、いよいよ精根尽きて。
ラディオに代わってリブロ・コロッソを引き付けていたダードフが、唐突に立ち止まった。それまでの威勢はいきなり失せて、弱々しく、情けなく、しかしどこか悟ったような物言いで項垂れて。
「やべえ、もう動けねえ。ラディオ、何とかしてくんね……?」
「……っ!急に何だよ!!」
『何とか』してやった。突然のギブアップにたまげたラディオの方もとっくに限界だったが、残り僅かの力を振り絞って、立ち尽くしているダードフに飛びついて。
振り下ろされた巨人の腕を寸前で避けると、二人は一緒になって石床を転がった。
「……ぐっ……!」
揉みあう様な形で倒れ込んだ二人は呻き、立ち上がることもままならず、ゆっくりと迫ってくるリブロ・コロッソの姿に為すすべなく。
「……しくじった……!」
「ちくしょう……!」
しかし、ラディオは、迫り来る歪な巨人の脚の隙間のずっと向こう側で、最高位の法術式を開こうと集中しているシィバの姿を観た。印を結んだ両手を握りしめ、目を固く閉じ、祈る様に――。
「―—其はアルンより出で、ウパスに芽吹き、フェメルの風に惑う者。其は全て此処に在りや、其は全て外法なりや、其は全て霊葉の落跡を辿るもの、カフヤの月に統べられり……!」
膨大な霊葉を巻き上げて立ち昇る術式の光。
力の奔流に巻き上がる
それは静止を必要とする口語反復による増幅法。つまりは高度な詠唱だ。
法術に用いられる霊葉の中でも最も古く強力な原性の「ことば」をこれでもかと捻じ込み、全霊全力を出力に振り切った攻性法術を発現させるつもり――。
「ダードフ、伏せろ!!」
「ぶあッ!?」
ラディオはダードフを思い切り抱き締めて、押し倒した。
『―—!!』
ただらなぬ術波の予兆をを感知したリブロ・コロッソが振り返った。
シィバとはだいぶ距離が開いている。その術撃を叩き潰そうと、駆け出す。
だが、この長期戦で霊基を削がれ続けた巨人の走速は、隙だらけのシィバに僅か、届かなかった。
「―—
紅眼を見開いたシィバは、全身で支えた片掌を目前のリブロ・コロッソへ向けた。
収束した術式が
発現範囲をまるで無視した火力特化の光焔術だ。
書庫を満たす眩い白光は幾つもの光束となり、巨人を象る書物を悉く焼き、吹き飛ばし。そればかりか内部の霊基にまで到達し、光片を散らして破壊していった。
「ぐぎぎ……!」
『―—!!』
反動で圧し退がりつつも、耐えるシィバ。
光圧を浴びた書庫が次々と吹き飛んでいく。
そしてその光術は、たったの数秒で、あれだけ苦戦していた『巨人』を。
本来の目的を忘れて彷徨い続けた憐れな知の守護者を、跡形もなく葬ったのだった。
「…………!」
書庫に、爆散して焼け散った書物の破片が舞う。
「……あっつ!あちい!どけ、この野郎!」
雪の様に降り注ぐ火の粉と、焼けた書持つの切れ端を顔で受け止めたダードフが、覆い被さって守ってくれたはずの仲間に腹パンを決めてどかす。「うっご!」ラディオは転がって悶絶した。
そしてまだ燻り続ける書庫の惨状をしばらく見渡して、何が起きたのかを悟ったダードフの、ちりちりに焦げた金髪が逆立った。
「てめえ、俺たちを殺す気か!」
「……心外だな。こうでもしなければ二人ともども叩き潰されていただろう。ふたりとも最早打つ手がないように見えたが」
シィバもまた息切れ。誤魔化すような、冷静を装った答え。
「…………」
その顔を覆う呪帯に血が滲んでいることに、ラディオもダードフも触れずにいた。
「そんな切り札があるなら初めからつか……えとは言えないよな」
腹パンから快復したラディオが肩を落として苦笑する。
シィバの一撃は書架の殆どを破壊し、書物を焼き尽くしていた。その多くは三百年以上前に記された貴重な古書である。その文化的価値は勿論のこと、目当ての文献が焼失していては本末転倒も甚だしい。
ただ、長期戦によってシィバ自身の霊力を消耗していなければもっと悲惨な結果が待っていただろう。彼女の『全力』は、特に屋内で発揮してはまずいやつだ。書庫ごと吹き飛ばしていた可能性もある。このタイミングでこそ『丁度良かった』と言えるのかもしれない。
「いやしかし、よくぞ凌いだな。流石ラディオ殿だ」
「それはいいけど、次はやる前に一言掛けてくれますか、シィバさん」
「……お主なら平気だろう」
ラディオは一度、シィバのこの光焔術を目の当たりにしたことがあった。
その術式の暴炎を防ぐための偏向式を被弾寸前に構築し、身を挺してダードフを護ったのだが――
「ああ、知らねえぞ。このことが法皇庁にバレたら退学どころじゃねえ。文化財破壊の咎でウン十年ぶち込まれるか……」
仕方がないとは言え間接的な焚書に震えたダードフは、気に留めていない様子で。
「まあ、重要なものならとっくに
ラディオは溜息をついて、『
それはどうやら、しょうもない空想恋愛小説だったようだ。愛してるだの愛してないだのが稚拙な文章で延々と語られている。「そりゃわざわざ回収しないよな……」恐らくこの書庫はそんなもんばかりを収めている区画だったのだろう。
「とゆーか、黙ってれば良いのでは?」
「……」
「……」
シィバの無垢な物言いに、ふたりは顔を見合わせて。
「……まあ」「うん」頷き合った。
共犯関係が成立したところで、大図書院全体が揺るぐような震動と轟音がした。
守護兵を倒したためか、それともシィバの霊撃が
平衡感覚の変動と眩暈をやり過ごした三人は、エメルティナス図書院の構造が元に戻ったのだと納得した。
「はあ。さて……仕事に戻るか」
ダードフが衣服にたっぷり浴びた灰を払う。
立ち上がるのも億劫なほどに疲れ果てていたが、本来の目的は歌龍に関する文献を集めること。ならば尚更、さっさと終わらせて帰りたい。
―—また別の相手と戦う羽目になりませんように。
そう祈りながら、また三人は、ひっそりと静まり返る図書院を徘徊するのだった。
――――――――――――――
一方その頃。
「ふああ……」
アリエスタ=ハンスがだらしない大欠伸をかまし。
「もう限界。ねむい。ねえヴェル。何か判った~……?」
「うーん……」
ヴェルダノート=ウリエスも、眠い目を擦りつつ応える。
「アラウスベリアにはかつて、第一から第七までの龍礁が存在していた、ということだけ。肝心の龍族の生態については何も……」
イーストオウル宅での『調べもの』も深夜に及び、あれでもないこれでもないと開いた書物は、書斎のあちこちに無造作に散らばっている。
「……ぐー……」
初めはインテリぶりを発揮して、ヴェルたちにも口うるさく蘊蓄を垂れていたイーシャ=タレージはもうとっくに脱落し、分厚い書物を枕にして討ち死にしていた。仰向けになったその顔を覆う書からイビキが貫通している。
「とんだ期待外れねコイツ……」
本の事なら任せろ、と息巻いていたイータの体たらくを、アーリがひと睨み。
「まあ……うん。そうね」
滅多に人を腐さないヴェルも、眠気のあまりか、フォローする気力はなかった。
その時、書斎に車椅子姿のティムズが進み入ってくる。
「まだ起きていたか。頑張るね」
「あっ……す、すいません。散らかしちゃって!あとでちゃんと片付けますから」
「気にしなくていい。アカデミー時代を思い出すよ。昔は僕らもよくこうして徹夜したもんだ」
荒れに荒れた書斎の惨状の主犯のアーリ。眠気も一気に吹き飛び、跳ね起きて謝るも、ティムズは咎めることもなく笑う。「どうせ大したものじゃない」
「あの……」
「うん?」
「龍礁って、どんな所だったんですか?」
バツの悪さを誤魔化そうとするアーリは、思わず問うた。
「……ひとことじゃ言い表せられないな」
「……すみません。何か……言い辛いことを聞いてしまったみたい」
「いや、そういうことじゃない。ただ、あまりにも多くのことがありすぎて、何をどう答えれば良いのか迷ってしまっただけさ」
突然の問いに軽く驚き、それ以上に動揺したようにも見えたティムズは自嘲気味に笑うと、窓の外の星空に目を剥けた。
「限りなく美しい場所だったとも言えるし、数多の命を呑み込んだ地獄だったとも言える。龍を巡る多くの物語が生まれ、龍を巡る多くの戦いが起こった地。皆、多かれ少なかれ龍というものと関わり、共に生き、そして去っていった思い出の碑そのものだから」
「…………」
「……っと、悪い。回りくどい感傷だった。どうもおっさんになるとこうなっちゃうんだな」
ヴェルとアーリにとっては想像も出来ない世界の話をどう受け止めればいいのか戸惑っているだけが、ティムズにとっては、ただ単におじさんの自分語りで若者を困らせてしまっているだけに過ぎない。
「さて、ところで……これをどうぞ」
ティムズは独り笑うと、膝に乗せていた書類の束を手に取り差し出した。
「……?はい」
受け取ったヴェルは、その重みと量と内容の濃さを訝しむ。
「これは……?」
「ここからは俺の独り言だ。もう夜も遅いし、寝ぼけて口を滑らせても仕方ないってことで」
「え?」
ティムズの口調が、何かを面白がるように変わり、ヴェルとアーリはまたきょとんとした。
「それはファスリアの勢力圏における龍脈の残滓を記した地図。龍礁事変以降の龍の行方を探るため、魔資管が極秘裏に行っていた調査や観測の記録。古い友人がこっそり俺に流してくれたものだ」
「ファスリアは、第四龍礁での戦いで解き放たれた龍たちを追っていた。それはデトラニアに対抗するために楊空艇を建造しようとする計画の一部……」
「経緯は省くけど、俺や昔の仲間はそれを妨害しようとして……まあ、裏で色々とやってたってワケ」
「それって……」
「そ。簡単に言えば国家機密ってヤツかな。悪用はしないでくれよ」
ティムズの唐突な告白に、ヴェルとアーリはただただ困惑していた。
「龍を見つけ出すなら、きっと役に立つ」
「そんな重要なものを、何故私たちに?」
「……きみたちになら任せられると思ったからさ。直感だよ」
ティムズは軽く笑って、あっさりと言い放った。
その理由はティムズ自身が語ったように、一言では言い表せるものではない。
ただ強いて言うのであれば、この日突然現れたこの若者たちが、且つての自分たちと同じ様に集い、龍を追おうとする者であったから。懐かしい面影に且つての意思を思い出したから。その姿を重ねたから。その助けになりたくなったから。
そして、かつての仲間たちがそれぞれそうしてくれた様に、その意思や知識や想いを誰かに託す時が来たのだと確信したからだ。
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