亜節7項「それは覚悟か捨て鉢か」

 『この敵』を製造当時の正式名称で呼ぶなら「極所防衛及び警備を目的とする複数形エンティティ無機物理コングロマリット代理構成体」。本来は専用の武装を主とするラングリングパーツによって洗練された兵士の姿を象るはずの術式体は、今は何がどうなったのやら、(守るべきはずの)大量の書物を纏う不定形の人形となって大暴れ。


 その攻撃手段は基本的には殴打のみ。ただ大量の本の塊をぶつけるだけ、という単純な攻撃でも、その質量は凄まじく、直撃を受ければ木製の書架などは言わずもがな、生身の人間の身体などたやすく潰されてしまうだろう。

 重さは強さ。そんな真理を身を以て痛感させられた。


 ただ、どんなに強力と言えど、それを司る知性がポンコツであれば、いくらでもやりようがある。高所に逃れたダードフとシィバに手も足も出ず、眼下でうろうろしているその姿は野良犬同然。その間にじっくり策を練って、有効な解法を導き出してスマートにこの危機を切り抜ける――。


 という、ダードフの算段も、ものの数秒後に破綻した。

「シィバ!ダードフ――?」

 ふたりを見失い、探し回っていたらしいラディオが、書庫に飛び込んできたのだ。


「あ」

「あ」

「えっ」

『!』


 三人が息を呑んだのと、書架の真ん中で立ち尽くしていた『本の巨人リブロ・コロッソ』の頭部がギラリと光って振り向いたのは同時。そして「「この馬鹿!!」」シィバとダードフの悪態が揃った時にはもう、巨人はラディオに向かってまっしぐら。拳の届く範囲に獲物が現れたことが嬉しくて堪らないようにも見え。


 ただ、その対象にされた方は堪ったものじゃない。

「マジかっ……!」

 否も応もなく、絶句したラディオは側方へ跳ね転がり、最初の突進を躱した。


 林立する書架をものともせず、怒涛の跫音きょうおんと共に突っ込んだリブロ・コロッソの暴撃が何もかもを薙ぎ倒し、爆砕する。

 広大な書庫いっぱいに広がる書架群を支える柱もその一つだ。呆気なく崩壊してばらばらと降り注ぐ木片や書物の雨からは逃れようもなく、ラディオは身体中を打たれながら、そしてそれはまるで悪い冗談のように、ラディオが入ってきた通路、即ち唯一の退路を埋めていくのを見てしまった。


「ああもう、何をしておる……っ!」

「ばっきゃろう、状況を悪くさせてんじゃねーよ!!」  

 呻くシィバと、声を張り上げるダードフ。

 

「くっ……!」

 重々承知していても、反省する隙すらない。ラディオは文字通り紙一重でリブロ・コロッソの追撃を躱しながら書庫内を跳ね下がっていくが、次々と倒壊していく書架は足場を埋め、充分な跳躍機動の精度をみるみる失っていく。


「上だ上!登ってこい!」

 呆れも怒りも後回し。ダードフが中二階通路から身を乗り出して、身振り手振り。


「!」

 完全に逃げ場を失う寸前、鋭く方向転換したラディオは、崩れていく書架を足場にして、ひと跳び、ふた跳び――届かない――かに見えたが、すんでのところで伸びてきたダードフの片腕を取り、些か不様に、中二階へと這い上ったのだった。


「たっ……助かった。ありがとう、ダードフ……」

「お前なあ!あんな大声で警戒もせず……このバカ!」

「戦っている気配がなかったんだから仕方ないだろ!」

 まさか悠長にお見合いしてるなんて。

 

「言い訳はよせ、見苦しいぞバカ」

「ぐっ……」

 冷ややかなシィバの一言に、ラディオは喉まで出かけたぐうの音を飲み込んだ。


「とにかく」

 それはそれで、これでまた状況は五分。ダードフはまた溜息をついた。

 振り出しに戻った状況を仕切り直そう。

「あいつには高所への攻撃手段がないらしい。高低差への認知能力も低いようだし、ここで暫くやり過ごしながら、攻略法を練ろう――」


 が。

 上階のやりとりを見上げていたリブロ・コロッソは、盛大に破壊された書架や柱を見て。そしてまた三人を見上げ、また周囲を見て。打つ手を考えているような素振りを見せた。


「まさか」しきりに見比べている巨人の様子に、嫌な予感が湧く三人。

「気付くな、気付くなよ、気付くな……!」


『…………』

「気付くんじゃねえぞ……!」

『―—!』

 気付いちゃったらしい。


 ――ドガン!!


 間髪入れず、上階通路を支える柱をブン殴り始め。


「あああ、もう……!」

 もはや話し合いどころではなくなった。


 ズシン!ドビシ!バゴン!

 巨人の拳一発ごとに、危うく揺れる中二階通路。強木の支柱もまるで飴細工の様に砕け散っていく。もうダメだ。悠長に議論を交わしている時間はない。しかしどんな窮地でも、やるべきことはきっちり共有しておく。人生を生き延びるコツでもある。


 

「―—表体への攻撃を繰り返しても焼け石に水。理想は霊基構造体の基礎式に直接介入して、構成体を維持する霊基そのもの崩すことだが、それには装備も術符もまるで足りねえ」すげえ早口のダードフ。

「あくまでも探索のつもりだったしなぁ……」ラディオがぼやく。

「うーん、役に立ちそうなものは見当たらぬなあ……」

 シィバは鞄をごそごそと探る。

 その間も巨人の連撃は途切れることなく続いている。

「とは言え再生するごとに霊基を消費していくのも確かだ。つまり……」

「持久戦。狙いは霊基切れ」


 ダードフの言葉を受け継いだラディオが息を整えつつ、嫌気が差したように天を仰ぐ。小手先の作戦も何もあったもんじゃない。結局、最後は度胸と根性がモノを言うのだ。


 ――ドガァン!!


 いよいよ致命的な破壊音が炸裂した。あともう一撃で中二階通路は崩れ散るだろう。


「俺たちで肉薄する。攻撃を散らしつつ波状攻撃。いいな?ラディオ」

「ああ。シィバ、きみは中距離から援護を」

「承知した」


 それぞれの持ち札を確かめ、覚悟を決めた三人は、支柱を失って落下する通路を滑り、蹴り。再び雄叫びを上げたリブロ・コロッソを取り囲むように着地した。


 ラディオが腰背に隠していた短剣を抜き、それを媒介に短い光刃を開いた。術符を用いずに展開できる武装としてはこれが限界。威力も間合いも恐ろしく足りないが、素手で飛び込むよりは遥かにマシ。身を低くして初手を探る。


 その挙動を察知したリブロ・コロッソはラディオに釣られ、突撃しようと踏み込んで――背後からダードフのワイヤーが鋭く鞭打ち、体表を覆っていた書物の幾つかを弾き飛ばし――鋭く振り返った巨人の死角から更に、虚空から現れた幾つかの細い雷光が落ちて、更に無数の書物を焼き散らした。ラディオたちの攻撃に合わせてシィバが放ったものだ。


 ――効いている。このままじわじわと嬲り殺しにしてやる!

 割と物騒な文言が三人の頭に浮かぶ。


 しかしそれも束の間。直撃をものともしない巨体は轟音を立ててダードフの方へ駆け出し、周辺に散らばっている大量の書物が巻き上がると、その骨格たる霊基構成体から漏れた光が閃き、纏わりつくように『傷』を塞いでいく。


「ちくしょう、怯みもしねえのか!」

 怯んだのはダードフの方だった。

 荒れ狂う象の如き突撃と早鐘を打つ心臓の鼓動が同調する。


 その圧に屈したダードフは堪らず駆け出すも、猛然と追うリブロ・コロッソは太い両椀を駆使して、その巨躯にしては恐ろしく俊敏な動きで切り返して、追う。


「シィバ!」

「判っておる、行け!」

 その背後から鋭く跳ね寄るラディオに応えたシィバが、再び雷術を開いた。


 簡素略式による即時発動では有効な威力は望めない。更に、それなりの効果を発現するのなら座標演算系も含めた複数の術式を同時に走らせる必要があり、動き回る目標へ直撃させるのは難しい。

 突き出した左手で目一杯に開いた座標演算式に意識を集中するのが精一杯。

 計り間違えば味方にも被害を与えてしまう。法術は都合良く味方を避けてくれるような『魔法』ではないのだ。


 だがラディオは鋭く方向転換しながらリブロ・コロッソの周囲に降り注ぐ無数の雷柱の間を跳ね抜け。そして雷光の一部が巨人の後頭部、首筋を覆う書を破り。一際強く跳んだラディオは宙で身を捩ると、正確に、露出した霊基構造体の延髄への一太刀を入れた。


 だが、普通の生物とは全く異質な身体構造。急所への一撃かに見えた攻撃もやはり無意味。両椀の届く範囲で隙を晒したラディオへ、リブロ・コロッソは間髪入れず反撃。その細身の身体を掴み取ろうと腕を伸ばす――。


 ―—バチン!再びダードフが振るう術縄が、その腕を鞭打った。


 衝撃で逸れた巨人の腕から逃れたラディオは着地して転がり、体勢を立て直す。

 ワイヤーを引き戻したダードフが次の動きを見定めようと身構える。

 シィバは弓を番える様な恰好で、新たな法術式を開く。


 誰か一人でもミスればその時点で終わり。一蓮托生の連携戦は、まだまだ始まったばかりだ。



――――――――――――――


 ――で、その戦いはかれこれ一時間強は続いた。


 目論見通り、リブロ・コロッソの動力源たる霊基はだいぶ削れており、纏う書物の鎧の結合も眼に見えて緩み、動きもだいぶ鈍っている。

 但しそれは、立ち向かう三名も同様だった。もうしんどい。としか言い様がない。巨人コロッソがぶんぶん振り回す拳の速度も低下してはいるが、それでも直撃を貰えば依然、圧死かミンチか。やはり一発たりとも喰らう訳にはいかなかった。


 当初の精彩を全く欠いたラディオとダードフは共に、肩でぜえぜえと息切れして。

 回避しては一息、攻撃しては深呼吸、と、攻防の合間を休み休み、なんとかまだ動けているという有様だった。


「くっ……!」

 そうこうしている内に、牽制しつつ中距離を保っていたシィバも、たびたび標的になり始めていた。

「ええい、二人して何をサボっておる!散々カッコつけておいて何だ、その体たらくは!」

 

 アラウスベリアの法術文化圏では、白兵戦を主とする者も、術を扱う者も、全員が等しく『法術使い』とされ、故に剣士も術士も基本的には足周りで発現する『跳躍術』を用いた機動戦を旨とする。ただ、その練度にはやはり得手不得手もあり、その点においてはやはり、高度かつ複雑な霊葉を用いる法術士は『動きが鈍い』のが一般的だ。


 それでも後方へ滑るように巨人の追随を避け、牽制の霊撃で退けながら、跳ね下がるシィバ。

 そりゃあ、最初の威勢は何処へやら、息も絶え絶えになって動けずにいる男ふたりに悪態をつきたくもなる。


「判ってるって、今行くから……!」

 銀髪から滴る汗を腕で拭い捨てたラディオ、そして全く同じ仕草をしたダードフがシィバを追うリブロ・コロッソの背後へ跳ね迫っていく。


 ラディオの短剣から伸びた光刃が巨人の足首を裂き、動きを鈍めたところにダードフの鞭打が一撃。振り返ったリブロ・コロッソはまたゆっくりと二人を追い始める。


 全員が全員、疲労の極地に達した攻防は全く終わりが見えず。もうばてばてだ。

「あと少し、あと少しのはずだっ……」

「あと少しなのは俺らの方だろぉ!」

 作戦通りと言えば作戦通り。しかし思っていたより体力が続かなかった。


 この状況を覆せる決定的な手は無いかと思えたが。

 死物狂いの巨人の猛追を避け続けるラディオは、なんとなく嫌な予感がした。

 痺れを切らしたシィバがを出すのではないかと。

 

 そしてその予感は当たっていた。

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