亜節6項「それぞれのよる」
「―—確かに僕は昔、第四龍礁で働いていたよ。アラウスベリアの各国が参画して人工的に構築した龍族の保護区域。色々あって解散してしまったけど、龍と呼ばれるものたちと関わる仕事だった」
三名から事の経緯を聞いたティムズが、口元に拳を当てながら、物思いに耽るように当時の記憶を一つ一つ手繰り寄せていく。
「そして、渡りをする龍が居るのも事実だ。鳥などが行うものとは少し性質が違うけどね。龍……彼等は、且つて僕らが龍脈と呼んだ霊脈の一種に寄り添った生き方をする。それは未だ人が計り知れずにいる、何か」
「数百年前にファスリアに飛来したというのも、きっとそういう事だろう。その真偽や細かい理屈までは判らないけど」
「ただ、彼等にも意思がある。彼等は決して、無闇に人と争ったりはしない。だから、噂になっているような事態を恐れることはない……というか、大騒ぎする程のことにはならないと思うよ」
「不躾ですけど……何故そこまで言い切れるんでしょうか」
淡々と語り、あっさりと結論付けたティムズと、周囲の龍のスケッチを見比べたヴェルが、少し躊躇いがちに問う。
「龍は強力な法術を用いる危険な高等生物なのでしょう?それが万が一、人々の暮らす街に現れでもしたら」
「そりゃまあ……」
ティムズは幾許か、話すべきかどうかを迷う素振りを見せて、そして結局は、真剣な眼差しを向ける学院の若き後輩たちの表情に応えることにした。
「直接、彼等と話をしたこともあるし……ほら、そういう顔をされるからあんまり話したくなかったんだよ」
「す、すいません。疑うつもりはないんですけど」
「ともかく、龍に関する文献ならある程度集めているし、僕自身が覚えていることも、記せる限りを残してある。調べるのなら今夜は泊まっていくと良い。何か質問があれば出来るだけ答えよう」
ティムズはそう言ったが、書斎に山積みになった本から目当ての情報を探し出すのは骨が折れそうだ。ヴェルたちは確かな糸口にありついたことを歓びつつも、顔を見合わせて、顔を少しだけ曇らせた。こんなんばっかりである。
・・・・・・・
ティムズの申し出を受けることにした一同は、書斎で書籍の山を一つ一つ確かめていく。だが大半は龍を題材にした他愛のない物語や与太話であり、伝承や伝説に繋がるものや、今回の件に役立つ情報は殆ど無いように思えた。
「……ねえ、どう思う?」
「どう思う、と言われても……どういう意味ですか?」
夕食の用意を、と言ったティムズが書斎を離れてから暫くしてから、アーリが訝しく呟いた。手元の本の頁を捲ってはいるが、中身はちゃんと読んでない。
「あのおじさんの話。龍と話をした、なんて……信じられる?」
「それは――」
「―—嘘をついている様には思えないわ。私たちを騙す理由もないじゃない?」
答えあぐねるイータの代わりに、ヴェルが応えた。
「そうですね……彼の著書に目を通してみましたが、確かに描写は細かい。息遣いや温度、においに至るまで。実際に龍と交流していたというのも納得はできますけどね」
「本を書いているうちに妄想と現実がごっちゃになっちゃった、ってのもありそうじゃない」
各々が頁を進めながら、あることないことを交わす。
「その可能性も否定できませんが、それでも有用な情報は得られると思いますよ。まだ始まったばかりですし、それもこれから判ることです。頑張りましょう」
「うー」
地味な調べものばかりが続き、辟易していたアーリが呻いた。イータの意見は尤もだが、そろそろこう、何かしら派手なイベントが起きてほしいのだ。
「あーあ、折角の央都の夜。美味しいお店で贅沢な夕食を楽しみたかったのになァ……おっさんの手料理かあ……」
「…………」
だいぶ失礼な言い草だ。普段ならヴェルがすぐに窘めるところだが、全く反応がない。
「ヴェル?何読んでるの、まさかすぐに答えを見つけた?」
「…………」
「ヴェルう?」
アーリがすすす、とにじり寄り、ヴェルが食い入るように見つめる本を背後から覗き込む――それは確かに龍を題材にしたものだったが、ただの恋愛物語……にしては結構際どい表現が連なる、おとな向けのものだった。詳しい文面はともかく、やたら官能的な挿絵が多用されている。
「あのさあ……」
「……はっ!ご、ごめん、つい見入っちゃって……!」
「ははーん。さてはアクセルくんのことを考えちゃってたんだあ?」
「違うわよっ!」
にやつくアーリのちょっかいに、真っ赤になったヴェルが、ぱたん!と本を閉じた。
――――――――――――――
ただでさえ広大な書庫が連なる上に、
目的の書庫に辿り着くにせよ、脱出するにせよ、この
夜を徹して歩み続ける三名は、やがて一際巨大な大書庫へと辿り着く。三階ぶんをぶちぬく吹き抜けの大ホールは宙吊りの通路が交錯していて、薙ぎ倒された本棚や机が散乱する床は、古い書物に埋もれて全く見えない程だった。
恐らくは大書殿の中枢。観測の基準点に出来るだろう。散々に歩き回って大いに疲れた三名は、ここでひとまず休憩を入れ、次なる探索に備えようとするが――。
「―—おい、アレ……」
「……!!」
三人が腰を落ち着ける間もなく、不穏な地響きが轟き。床一面を埋めている本の山が崩れ、大書庫の中心へと引き寄せられて。
次の瞬間には眩い光が立ち昇り、巻き上げられた本は渦を巻いて、そして中央に収束していった本が、たちまち異形の人型を象っていった。
「……どう見てもヤバいと思うのだが、逃げるべきかな?」
シィバがうんざりした様子で呟いた時には、既に完成した本の巨人が、わなわなと震え、天井に向かって無機質な咆哮を上げたところだった。
『―—――――――――――!!』
法術特有の金切り音が暗闇を劈く。
「リブロ・コロッソ!」
その正体を認めるや否や、体高五エルタ(メートル)を超える歪な本の集合体、言わば巨像は、不吉な轟音を立てながらラディオたちへ向かって猛進してきた。
群れる本の体躯の隙間からは怪しい紫の光が漏れ走り、一歩ごとに地響きを立て、本棚や机を蹴散らし、巻き上がった本を更にその身へ纏いながら、急接近した巨像は猛然と両腕を振り上げ――。
――バシンッ!!
身構えた三人は同時に跳躍術を立ち上げて、光の波紋と共に散った。
一瞬前まで三人の居た場所に巨大な拳が叩きつけられ、炸裂した衝撃が紫光と書物の残骸を巻き散らす。
「っんだよこいつは!襲うにしたって、急にも程があんだろッ!!」
「恐らくは書庫の防衛機構!ただ古すぎてエラーを起こし……うわっ!!」
ダードフが全力で悪態をつく一方、ラディオは鋭く相手を見極めようとしたが、その巨体にも関わらず恐ろしい程の速度で振り返ったリブロ・コロッソは回転の勢いに任せ、両椀を振り抜く。
「だっ」
「め!」
「だッ!」
――こいつはまともに相手してはいけないやつだ!
二撃、三撃。一発一発が文字通りに『重い』強打を、ラディオは素早く方向転換しながら跳ね下がっていく。凝縮した本の集合体で作られた指がぐわっと開き、ラディオを握り潰さんと狙う。
外れた一撃が宙吊りの中通路を粉砕し、爆砕した木版の破片の雨を浴びながら、ラディオはとにかく逃げの一手を打つしかなかった。
「ラディオ殿っ!」
シィバは咄嗟に身構え、両腕に雷術系を立ち上げたが、荒れ狂う巨像とラディオの位置は近過ぎる。今は巻き込んでしまう――。
「ああくそ!マジでイヤんなるよ!」
苦々しくひと吼えしたダードフは、ジャケットに隠れた腰ベルトに取り付けていた測量用のワイヤーを、ジャッ!と引き出す。
ラディオを襲うのに夢中の巨像の背後へ跳ね迫ると、霊光を帯びて鈍く輝くワイヤーを鞭の様に扱って、巨像の背中に一撃を与えて――。
「あっ?」
その光筋はリブロ・コロッソの体表の本の幾つかを斬り破ったが、本体へのダメージは無きに等しく。
「判ってたよそれくらいはぁ!」
ぎろり、と振り返ったリブロ・コロッソの標的になっただけ。今度はダードフが、ありとあらゆる愚痴を浴びせながら跳ね逃げ回る羽目になった。
――――――――
目的、侵入者の排除。
手段、単純な殴打。
決定的にシンプルな意思決定と実力行使で迫る『本の巨人』に駆け引きの一切合切は通用するはずもなく。膨大な質量と数多の魔導書を纏った巨躯だけを武器に躊躇なく突っ込んでくる相手は、細かい手数を重ねて戦況を動かす『
「はあっ、はあ……、誰がどういうつもりであんなもんを仕込んだんだ。過剰防衛には度が過ぎるぞ……っ!」
追撃を逃れて大ホールの
「―—ダードフ殿」
「ひはっ!?」
不意に現れたシィバの影に、ダードフは呼吸を間違える。
「無事……のようかな?いちおう」
「まあな。ラディオは何処だ?」
「判らぬ。死んではいないと思うが」
「お前なあ……」
「まあ、ひとまずは落ち着ける……」
「大丈夫か?」
「ああ」
相変わらず淡泊でマイペースに振る舞うシィバだったが、不慣れな相手との戦いに、相当に疲弊している様子だった。
「中途半端な攻撃を与えてもあっと言う間に再構築。強力な魔導書が散乱するこの図書院、っていう場所なのがまた最悪。こっちに有利な地形まで誘き出すにも
「うーん……」
戦況が好転する要素はなし。ダードフが滔々と語れば語るだけ、勝ちの目が遠のいて行くだけである。
「手の打ちようがない……いや、ある。あるけどやりたくねえ。しかしそれ以外に……」
(しっ!)
「もがっ」
目を瞑って天を仰ぎ、ぶつぶつと唱えるダードフの口を、鋭く伸びたシィバの手が塞いだ。
(何だよっ!?)
(下!した!!)
シィバの目線が階下を促していた。
何時の間に現れたのか、ホールに突っ立つリブロ・コロッソが、真下から二人の居る通路を見上げていた。いや、そう見えるだけかもしれない。ただ、頭部と思しき頭頂部から漏れる二点の紫光が、確実にこちらを向いているのは確かだ。
「……!」——見つかった!
身を強張らせるふたり。
だが、それだけだった。
二人が居る場所まで昇る方法が判らない様子で、首をもたげたままその場を行ったり来たり、うろうろしているだけ。挙動はいくら素早くとも、鈍重な巨躯で跳ぶまでは叶わず。そして何より、直上に階段を探して回り込むなど、地形の判別を始めとした細やかな判断能力は持ち合わせていないらしい。
ダードフは安堵したように、呆れたように、これ見よがしの大息をついて。
「勝機が見つかったな。アイツはどアホだ」
そして真剣極まりない真顔で、呟いた。
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